2013年10月29日火曜日

赤竜 2 その4

「鱗?」
 レインボウブロウは自分の肉体の話題は好きでない。ちょっと不機嫌そうに答えた。
「魚ではないのだ、剥がれたりしない。」
「つまり、ワニやトカゲみたいなモノだな。」
言わなくて良いことを言ってしまったと気付いた時には、顔に水を引っ掛けられていた。「下等なモノと一緒にするな、私はD・・・」
と言いかけて、レインボウブロウは言い直した。
「失礼な・・・」
「御免よ。」
 彼女は何を言いかけたのだろう、と思いつつ、オーリーは慌てて本題に入ることにした。
「昨夜、市の南にある染色工場で殺人事件があった。警備員が殺されたんだが、現場にこんなモノが落ちていた。」
 彼はポケットからビニル袋に入った銀色の物体を出した。大きさは大人の男性の親指ほどだ。靴べらの様にも見えた。レインボウブロウがそれを手にとって眺める間にハンカチで顔の水滴を拭った。
「靴べら?」
と彼女が間の抜けた質問をした。
「そう見えるのかい。」
「何を言って欲しい訳?」
 オーリーは彼女の手から袋を取り返した。鱗がある人間から”靴べら”と宣告を受けた物体は、薄くて、靴べらとしての役割を果たせないように思えた。
「俺には靴べらに見えない。鑑識も魚の鱗じゃないかと言っている。」
「だったら、鱗でしょ。」
「どっちなんだ。」
「どっちだと言って欲しいの。」
 オーリーはレインボウブロウの物の言い方がいつも曖昧なのだと、思い出した。彼女はちゃんと彼が知りたいことを言っているのでは?
「鱗でできた靴べらなのか?」
「他に鱗の用途がなければね。」
 オーリーは考え込んだ。
「警備員が靴べらを持っていていけない、と言う規則はない。だが、不自然だ。巡回にそんな物を持っていくなんて。」
「警備員は射殺されたのか?」
「違う。」
 彼はレインボウブロウを見た。
「貯水槽で溺死していた。全身に爪の様な物で引っかかれた様な傷が付いていて、彼は何かに引き込まれて抵抗したみたいだ。拳銃がタンクの外に落ちていて、一発発射されていた。」
 レインボウブロウがもう一度彼の手から袋を受け取った。鱗を照明の光に透かして眺め、尖った爪で鱗のサイドをビニルの上から突いた。
「ここに、傷がある。銃弾で剥がれ落ちたのだ。」
「すると、犯人の物か。」
 オーリーは自分の推測が支持されて満足した。しかし、これが犯人とどう結びつくのかは、解らなかった。
「犯人は鱗があるんだな。」
 鱗がある娘は否定も肯定もしなかった。
「現場に行ってみなければね。」
と言ったのだ。

2013年10月28日月曜日

赤竜 2 その3

オーリーは殆ど自宅みたいな感覚で冷蔵庫を開き、コーラの瓶とエヴィアンの瓶を出した。グラスに注いでいると、レインボウブロウがTシャツとジーン ズを身につけて現れた。オーリーはグラスを両手に持って、居間に入った。ソファに向かい合って座り、水を彼女に、コーラを自分の前に置いた。彼女は水しか 飲まない。正確には、水とアルコール類だけだ。
 オーリーは彼女の体を眺めた。若い女性の体、モデルみたいな細いプロポーションだが、彼女はその綺麗な肢体を外に出したがらない。外出は主に夜間で、昼間はプールの中にいる。その理由の一つは彼女の肌にあった。
「君の鱗は剥がれ落ちることはある?」
 レインボウブロウの表皮は胸から下が鱗状になっている。下は何処までがそうなのか、オーリーはまだ見たことがない。腕は肩のすぐ下迄が鱗だ。Tシャツで隠れる範囲だ。
初めは鱗状のデザインのシャツだと思った程、薄くて柔らかい鱗だ。赤みがかった銀色で、オーリーは嫌みのない色だと思っている。

2013年10月27日日曜日

赤竜 2 その2

 何者なのか、レインボウブロウはオーリーにもイヴェインにも自分の正体をまだ明かしていなかった。明かす必要に迫られていないので、尋ねられてもはぐら かすだけだ。彼女は大抵イヴェイン・カッスラーの小さな一戸建ての家の地下に自分で掘った小さなプールの中にいた。イヴェインは洗濯機の横の小さなドアに 気付かなかった。ドアは暗い場所にあったし、普段は汚れ物を放り込む大きなバスケットが前に置かれていた。それに、昼間のイヴェインはバス停3つ向こうの アンティークを扱う店で帳簿係の仕事をしていたので、留守番役のレインボウブロウが何をしているのか知らなかった。イヴェインにとって、彼女は命の恩人 で、亡くなった旦那様のお嬢様で、ご主人様だった。オルランド・ソーントンの遺産を全て相続したのはイヴェインだったが、彼女はレインボウブロウの召使い のつもりでいた。
「やっぱり、私はここを出ていった方がいいと思う。」
とレインボウブロウがオーリーに言った。オーリーは時々カッスラー邸に無断で入り込んだ。レインボウブロウが合い鍵をくれたからだ。イヴェインはレインボ ウブロウが主人だと信じているから、彼女が誰を家に入れようが、文句を言わない。オーリーはイヴェインが仕事に出かけている時間帯にやって来て、地下の洗 濯場の壁の向こうにあるレインボウブロウの秘密のプールを覗くのだ。
 レインボウブロウはタイルの岸辺に頭を預けて、水の中に体を沈めていた。水は冷たい。とても人間が長時間入っていられる温度ではないのだが、彼女は平気で何時間でもそこに浸っていた。オーリーはプールサイドに置かれたパイプ椅子に座って、彼女と話しをした。
「イヴェインに正体を掴まれそうなのかい。」
「そうじゃない、私がいると、彼女はいつまでも召使いのままだ。折角財産をもらったのに、使うことすら躊躇う。このままでは、恋も出来ないだろう。」
 確かにそうだ。オーリーはイヴェインが好きだ。何度かデートに誘ったが、イヴェインは必ずレインボウブロウの許可を取るし、彼女を同伴したがった。潤ん だ目で見つめられて「付いてきて」と言われると、レインボウブロウも断り切れない。結局三人デートになる。そして、食事が終わるとレインボウブロウはいつ もこっそり消えて、オーリーに任せてくれるのだが、彼女がいなくなったことに気付くとイヴェインは急に用心深くなって、オーリーに友達以上の付き合いを許 してくれなかった。
「でも、ここを出て、何処に行くんだ。」
 オーリーの住まいは狭いアパートだ。レインボウブロウは数回泊まったが、その度にバスルームが狭い、とこぼした。彼の部屋に居着くことはないだろう。
 レインボウブロウは何につけても具体的な話をするのが好きでなかった。さっさと話題を変えた。
「ところで、今日は何の用?」
「ああ、また殺人事件なんだ。」
 オーリーは遠慮がちに言った。彼女の黄色い目がじっと彼の顔を見ている。彼女の目は人間の目とは異なり、虹彩がない。黄色い眼球の真ん中に猫みたいな細 長い瞳孔がある。光の具合で広がったり細くなったりするのも、猫と同じだ。その目で見つめられると、オーリーは彼女には真実しか話してはいけないのだと感 じてしまう。
「それはあなたの分野ではないの。」
 オーリーは市警の刑事だ。殺人事件でもこそ泥でも、なんでも担当する2級刑事だ。聞き込みも報告書作成も自分でする。取り調べだけは一人でさせてもらえないが、一応本物の刑事だった。
「俺の持ち場さ、勿論。でも、君の意見を聞きたくてね。」
 レインボウブロウは顎でドアを示した。
「居間で聞こう。先に行ってて。」

赤竜 2 その1

 ハルは懐中電灯の光を貯水槽の水面に這わせた。乳白色に濁った水が小さく波打って揺れていた。さっき、確かに水音がした。魚が跳ねた様な音だ。そんなは ずはない、ここの水は3重の濾過装置を通してゴミを取り除いている。今夜は濁っているが、それは夕方の激しい雷雨のせいで、いつもはもっと透明に近い。魚 なんて、入り込む余地などないのだ。
 気のせいだ、とハルは自分に言い聞かせた。昨日テレビで見た「アビス」って映画の影響に違いない。或いは、子供時代に見て、海が嫌いになった「ジョーズ」のせいか?
彼が貯水槽に背を向けた時、またパシャッと水音がした。ハルは振り返った。間違いない、何か生き物が入り込んでいる。それが何であれ、ポンプに吸い込まれ て工場への送水がストップしたら、ハルの責任だ。まだクビになりたくなかった。彼はもう一度、水面を電灯の明かりで照らした。何かが光った。銀色の鱗だ、 と彼は思った。網ですくえるだろうか。彼は事務所へ行こうと、水に背を向けた。水面が動いた。彼は殺気を感じて、振り返ろうとした。何かが水から飛び出 し、彼に飛びかかって来た時、彼は腰の拳銃を掴もうとしていた。

2013年10月17日木曜日

赤竜 1 その35

「よくも私を撃ったな。」
 彼女は軽く床を蹴り、フワリと宙に浮かび上がった。クーパーが無我夢中で銃を撃ち続けた。ビッテンマイヤーが叫んだ。
「止めろ、災いはこちらに来る!」
 レインボウブロウの翼が二回羽ばたき、クーパーと老人が大声を上げながらオフィスへ逃げ込んだ。彼女が追いかけ、ドアが閉まった。オーリーはイヴェイン をテーブルに戻して、彼らを追いかけた。彼がドアノブを掴んだ時、オフィスで凄まじい人間の声が上がった。断末魔の悲鳴、と言う表現がピッタリの、恐怖と 絶望に満ちた叫びだった。オーリーは夢中でドアを開いた。
 同時に、オフィスの通路側のドアが破られ、下にいた警備員が駆け込んで来た。
「何があったんです、ミスター・・・」
 彼は室内の光景に絶句した。オーリーも立ち竦んでしまった。
 割れた窓ガラスの下で、クーパーが倒れていた。正確にはクーパーの胴体と手足だけだった。首から上はなかった。ガラスに血がベッタリと付いていた。クーパーの横で、車椅子に座ったビッテンマイヤーが放心状態で死体を眺めていた。

 警察はオーリーの説明にあっさりと納得した。クーパーのオフィスの続き部屋には大量の阿片系の麻薬が隠されており、イヴェインは煙を吸わされて昏睡状態 になっていた。クーパー弁護士とビッテンマイヤーは自分たちの麻薬所持がオーリーに見つかりそうになったので、オーリーを始末しようと図ったが、そこで二 人の間で意見の相違が出来た。
二人も麻薬の煙を吸っていたので、感情に抑制が利かなくなり、諍いが高じて互いを窓に押しつけ遭って争った。そして、ガラスが割れて・・・。
 警備員の証言も、オーリーを助けた。彼は階下の監視モニターでビル内を見ていた。弁護士の部屋は全て映し出されている訳ではない。依頼人のプライバシー を守らねばならないし、弁護士たちも常時監視されるのを嫌ったので、カメラは入り口と部屋のごく一部しか撮さない。警備員はクーパー弁護士とビッテンマイ ヤー社長がもみ合いながら続き部屋から出て来るのを見た。二人が銃を持っていたので、ただ事ではないと判断して、エレベーターに飛び乗った。彼がドアを 破ってオフィス内に駆け込むと、続き部屋からワールウィンド刑事が飛び出して来たところで、窓が割れてクーパーが倒れていた。そのすぐそばにビッテンマイ ヤーが茫然自失状態でいたのだ。
「社長がクーパーさんを椅子で衝いたんだ、きっとそうに違いない。クーパーさんは転んだ場所が悪かった、運が悪かったんだ。」
 検死官が路面に叩き付けられたクーパーの頭部を調べていた。オーリーは仲間から解放され、救急車の所へ行った。イヴェインが搬送されようとしていた。
「彼女は助かりますね。」
 楽観的希望を言うと、救急隊員が頷いた。
「煙で気絶しているだけだろう。注射や経口摂取じゃなければ、すぐ良くなるさ。」
 彼はもう一台の救急車を顎で示した。
「あっちの方が難しいだろうな。」
 そこではビッテンマイヤーが駆けつけた他の社員や弁護士に囲まれていた。まだ正気に返っていなかった。
 救急車を見送り、オーリーが自分の車を置いた場所に戻ると、レインボウブロウが黒いレザーブルゾンを羽織って、車体にもたれかかって月を眺めていた。彼が近づいても動かなかった。
「助けてくれて有り難う。」
とオーリーは声をかけた。
「何のこと。」
と彼女が月を見上げたまま言った。
 オーリーは彼女の横に位置を取り、自分も車体にもたれた。
「君が13階でイヴと俺を助けてくれたことだよ。」
「私が?」
と彼女はとぼけたが、オーリーは彼女の胸や腹部に血が滲んでいるのを見てしまった。そして、彼女の鱗状のTシャツが、Tシャツではなくて、彼女自身の皮膚なのだと初めて気が付いた。
「撃たれたんだろう。」
「直ぐ治る。毎度のことだから。」
「でも、手当しなきゃ。」
 レインボウブロウは首を振っただけだった。そしてやっとオーリーを見た。
「あなたの名前はオルランドと言う。」
 分かり切ったことを言われて、オーリーは面食らった。
「オーランドと発音するけど、綴りは同じだね。」
「私はオルランドを愛していた。」
「知っている。」
「ずっと、ずっと、愛していた、2000年以上前から・・・彼の地がガリアと呼ばれていた時代から・・・」
 世迷い言とは思わなかった。それは事実なんだ、とオーリーは知っていた。何故なのか知らないが、レインボウブロウが語ることが真実だと知っていた。
「君は何人のオルランドと暮らしてきたんだい。」
「何人だろう・・・」
 彼女はまた月を眺めた。
「オルランド・ソーントンはもう長くないことを知っていた。次のオルランドが現れるのを待つことが出来ないことも知っていた。だから、私が魂の清らかさに 惹かれて拾って帰った娘を繋ぎの継承者に指名した。彼自身の死が真の継承者を呼び寄せることになるとも知らずに。」
 オーリーは彼女と視線を合わせた。彼女が古い箱を差し出した。
「これはあなたが継承する物だ。」
 オーリーは箱を見つめた。
「何故、俺が選ばれるんだ。」
「選ばれるのではない。決まっていた、最初のオルランドがこれを手に入れた時から。全ての彼の子孫に、オルランドの名前を継ぐ男女に、これは受け継がれる。」
「俺が最初のオルランドの子孫?ソーントンと血縁関係があると言うのか?」
「今風に言えば・・・」
とレインボウブロウはさらりと説明した。
「DNAの何処かに一致する部分がある。3代前か、10代前か、もっと前に同じ先祖を持っているのだろう。」
「君にはそれがわかるってか?」
「私の鑑定ははずれたことがない。」
「鑑定と言えば・・・」
 重要なのかくだらないことなのか、定かでないものが残っていた。
「ソーントンが買ったタンスの抽斗にあった宝物って、何だったんだ。」
 レインボウブロウが初めて微笑らしき表情を作った。
「ラテン語で書かれた古い育児書。」
「それが、君とソーントンの出会いのきっかけだって?そもそも、君は何者なんだい。」
 その時、現場検証を終えた警官たちが撤収を開始した。
「オーリー、おまえも早く帰れよ、明日この事件の詳細を報告書にまとめてもらうからな。」
 同僚に言われて、オーリーは手を振って「承知した」と応えた。
 レインボウブロウが車体から身を起こした。少し顔をしかめた。
「ああ、久々に鉛弾を食らうと、体が動かしにくい。」
 オーリーも立ち上がって彼女を支える様に腕を彼女の背中に回した。
「やっぱり手当をするべきだよ。俺のアパートに来い。」
 彼女は素直に頷いた。
「いいよ、行っても。今からご主人様はあなたなのだから。でも、その前に・・・」
 彼女が彼の顔を見上げた。オーリーは見つめられてドキドキした。
「何だい。」
 彼女が甘えた声で囁いた。
「あなたのバスルームのバスタブ、もっと大きいのに替えられないのか?伸びをしたら、翼がはみ出すのだけど・・・」

    終わり

2013年10月15日火曜日

赤竜 1 その34

「防弾ガラスも大したことなかったじゃないか。」
 オーリーはまだ膝ががくがくしていたが、それでも無防備な弁護士を足止めする程には狙いを定めることが出来た。
「さあ、イヴェイン・カッスラーをここに連れてきてもらおうか。ついでにソーントンの書斎から盗んだ本も持って来させるんだ。」
「本?」
 クーパーが振り返った。
「君はあの本が何かわかっているのか。」
「”赤竜”、魔法の教典だろ。」
「ただの”赤竜”じゃない。」
 クーパーは歩きだそうとした。オーリーが「動くな」と命令すると、彼は反論した。
「イヴェインに会いたくないのか。」
 クーパーはオフィスの続き部屋のドアまで歩いた。
「あれは製本技術が出来る以前の書物だ。恐らくは最古の”赤竜”、原本だ。」
 彼はドアノブを掴んだ。
「私の祖先は侵略に遭い、故郷を追われた。一度は侵略者を壊滅状態にまで追いつめたのだ。しかし、”赤竜”を持った一人の男に敗退した。」
 クーパーがドアを開こうとしたので、オーリーは狙いを定めたまま、「ゆっくりだ」と警告した。クーパーは素直にゆっくりとドアを開いた。
 クーパーのオフィスよりやや狭い部屋だった。何の為の部屋なのか、オーリーにはわからなかった。そこには祭壇が設けられ、干涸らびた棒の様な物が火を灯 した蝋燭に囲まれて祭られていた。祭壇の前の白いクロスを掛けたテーブルの上にイヴェインが横たわっていた。死んでいるのかと、オーリーは一瞬ドキリとし たが、彼女の胸が小さく上下するのを見て、安堵した。
「彼女を生け贄にするつもりか。」
「そのつもりだったが、生け贄は処女と決まっている。売春をした経験のある黒人では役不足だ。」
 テーブルの向こうに老人がいた。車椅子に乗った白髪の男をオーリーは知っていた。このビルと法律相談所のオーナー、ウィリアム・ビッテンマイヤーだ。そいつがクーパーに言った。
「ソーントンが育てていた娘はどうした。あの人でなしが人前に出さずに大切に養った女だ。あいつも”赤竜”の力を解放する生け贄を自前で育てていたのに違いない。」
 オーリーは老人の膝の上に箱が載っていることに気付いた。蝋燭の明かりでは鮮明でないが、木製のかなり古い物だ。
「古文書が欲しければ持っていればいいさ。だが、彼女は返してもらう。」
 ビッテンマイヤーがクーパーを見た。クーパーが言い訳した。
「ソーントン事件に首を突っ込み過ぎた刑事です。その娘にぞっこんの様子で・・・」
「俺は殺人事件の捜査をしているんだ。誘拐も生け贄も許さない。法律の専門家だろう、彼女を解放しろ。罪が少しでも軽くなるぞ。」
「馬鹿な・・・」
 ビッテンマイヤーが笑った。
「儀式が完成すれば、我々は祖先の偉大な力を取り戻す。そうなれば、法律も警察も意のままになる。おまえたちはここから生きて出られない。」
 彼はクーパーに顎で指図した。
「ソーントンの養い娘を呼び出せ。あれは間違いなく処女だ。」
 その時、車椅子の背後の窓ガラスが割れて、人影が現れた。
「その判定は誰がした?」
 オーリーは思わず自分の目を疑った。どんな方法で侵入したのか、レインボウブロウが立っていた。ビッテンマイヤーも振り返った。クーパーはあんぐりと口を開いて彼女を見つめた。
 彼女はいつもの黒いレザーのブルゾンを着ていなかった。鱗状のデザインのTシャツ姿で、背中に赤味がかった銀色の小さなデイパックを背負って、窓から入って来たのだ。この部屋は13階だと言うのに。
 「これはおまえが持つ物ではない、汚れた邪鬼の子孫ども。」
 レインボウブロウはビッテンマイヤーの膝から箱を取り上げた。老人が取り返そうと手を伸ばすと、彼女は車椅子を蹴飛ばした。オーリーが身を動かすと、そ の前を車椅子が走り、危うくクーパーにぶつかりそうになって止まった。ビッテンマイヤーが自力で止めたのだ。オーリーはテーブルに駆け寄った。
「しっかりしろ、イヴ。」
 イヴェインを抱き寄せると、彼女はぐったりとしたまま、かすかに声をたてた。
 レインボウブロウは彼女には興味を示さなかった。無事なのがわかっているみたいだ。
彼女の注意はクーパーとビッテンマイヤーに向けられていた。
「どっちがオルランドの首を刎ねた?」
 沈黙する弁護士たちはそれぞれ拳銃を出した。オーリーが危険を思い出した時は、二挺の銃口が小柄な娘に狙いをつけていた。レインボウブロウはサングラスを取った。黄色い目をジロリとクーパーに向けた。
「ウィリアムは動けない。30年前に、私が脊髄をへし折ったから。オルランドを殺したのは、小僧、おまえだな。」
 ”小僧”と呼ばれたクーパーは真っ青だった。
「まさか、おまえ・・・」
 オーリーは老人の声が、手が激しく震えているのを見た。ビッテンマイヤーが呟いた。
「おまえがあの時の・・・。」
 クーパーが悲鳴に近い声を上げた。
「ソーントンの野郎、”赤竜”の力を解放しやがったんだっ!。」
 彼の心理的恐慌をオーリーは察知した。彼は叫んだ。
「伏せろ、レニー。」
 しかしレインボウブロウは伏せなかった。クーパーの指が引き金に掛かった瞬間、彼女の背中のデイパックが左右に広がった。それはデイパックなどではな かった。半透明の薄い皮膜で、中に骨が通っている翼だった。銃弾は翼を貫通したものの、威力を失ってオーリーの足元に音を立てて転がり落ちた。レインボウ ブロウは翼の傷をちらりと見やった。

2013年10月14日月曜日

赤竜 1 その33

 オフィスの中はお香の様な香りと煙が漂っていた。オーリーは不快な気分になった。この匂いを嗅ぐと何か昔見た怖い夢を思い出しそうな気がしたのだ。
「儀式でもなさっていたのですか。」
 彼の質問にクーパーがドアを閉めながら「そうです」と答えた。彼はオーリーに椅子を勧め、自分の席に向かった。
「良い知らせ、とは何ですか。」
 部屋全体が陽炎に包まれた様に、オーリーには見えた。世界が揺れている。まるで酒に酔った時みたいだ。
「あんた、麻薬でも焚いているのか。」
 背中の拳銃に手が伸びた。クーパーは机の向こうから冷たい目で彼を見ていた。
「少し首を突っ込みすぎた様だな、刑事さん。被害者に親切にする必要なんてなかったのに。女どもが気に入ったのかい。」
 オーリーは彼がニヤニヤと笑うのを見た。その直後、クーパーの背後の窓の向こうを何か大きなモノが横切ったかに見えた。
 幻覚なのか。オーリーは真っ直ぐ立っていられなくなった。床にがくりと膝を衝いた彼は、本能が叫ぶのを心の奥で聞いた。煙を吸ってはいけない。彼は拳銃を抜き、窓に向かって発砲した。高価な二重ガラスはヒビが入っただけだった。クーパーが声をたてて笑った。
「無駄だよ、防弾ガラスだ。銃声すら聞こえないよ。」
 その時、窓が大きな音をたてて崩れた。ガラスの破片が室内に飛び散り、クーパーもオーリーも腕で顔を庇い、身を丸めた。ドッと風が吹き込んできた。入れ 替わりに煙が外に吸い出された。オーリーは深く息を吸った。朦朧としかけた頭がはっきりしてきた。彼は立ち上がり、クーパーに銃を向けた。クーパーは突然 崩壊した窓を呆然と見つめていた。


赤竜 1 その32

オーリーは壁の絵画を眺めた。甲冑に身を固めた中世の騎士が、怪物の首を切っている気持ちの悪い絵だ。人間 の形をした怪物は騎士より少しばかり大きくて、半裸で毛むくじゃらだ。騎士はそいつの髪の毛を掴んで中空に首を持ち上げて自慢している。首からは血が滴っ ていた。首無し胴体からも血が噴き出している。
「嫌な絵でしょ。」
と警備員が話しかけた。
「不気味なだけで、ちっとも綺麗じゃない。」
「誰の絵だい。」
「さあ、あたしがここに入る前からあったんですよ。」
「何かの物語を描いたみたいだな。」
 クーパーの声が背後から聞こえた。
「それは”ベオウルフ”ですよ。人食い鬼のグレンデルを英雄のベオウルフが退治するところです。」
 オーリーは旧世界の伝説には詳しくなかったが、イギリスの叙事詩は知っていた。
「ベオウルフはグレンデルの両腕をもぎ取ったんでしょう。首を切ったんじゃありませんよ。」
「絵の中のベオウルフが鬼の首を切っているのは、鬼の復活を阻止する為です。多少の作為はありますよ、芸術にはね。」
 クーパー弁護士の体からかすかにお香の様な匂いが漂ってきた。
「ところで、良い知らせとは何です。」
「それはね・・・」
 オーリーはどうすればイヴェインの無事を確認出来るだろうか、と考えた。
「ちょっと込み入っているので、事務所の方でお話したいのですが。」
 クーパーは彼を見つめた。
「ここでは出来ない話ですか。」
「そうです。」
 オーリーは捜査の時に使うはったりを使った。弁護士は無碍に拒否するのも賢明でないと判断したのか、頷いた。
「わかりました、散らかっていますが、私のオフィスにどうぞ。」
 二人はエレベーターに乗り込んだ。ケイジが動き始めると、オーリーは一番知りたいことを尋ねた。
「ところで、今日はミズ・カッスラーがこちらへ来られたと聞いていますが、どんな用件だったんですか。」
「依頼人の許可なしに仕事の内容は口外出来ません。」
 クーパーが素早く予防線を張った。オーリーは突っ込んでみた。
「彼女に仕事を紹介すると仰ったんじゃありませんか。」
 クーパーが微笑した。
「レインボウブロウからお聞きになったんですか。それなら、質問なさる必要はないはずだ。」
「それがあるんですよ。ミズ・カッスラーはまだ帰宅していない。」
「寄り道しているのでしょう。若い娘さんは遊びたいだろうからね。特に一夜で富豪になったことだし。」
「彼女はそんな傲慢な人じゃない。彼女はまだここにいるんじゃないんですか。」
 エレベーターが止まり、扉が開いた。
「何故そんなことを仰るのかな。」
 オーリーはクーパーより先に下りた。幸い待ち伏せはなかった。今のところは。
 弁護士が彼に続いた。
「彼女は私が紹介した仕事を自信がないと言って断った。ご存じでしょうが、彼女は貧困家庭の子供で、教育を満足に受けていない。まだ読み書きを習っているところです。私が紹介した仕事は秘書の様な内容だったので、彼女は尻込みしたのです。」
「では、彼女はここを出たと?」
「そう、5時にね。何故私が彼女をここに引き留めていると思われたのですか。」
 クーパーはオフィスのドアを開いた。

2013年10月13日日曜日

赤竜 1 その31

 ビッテンマイヤー法律相談所は就業時間をとっくに過ぎていたが、照明が灯った部屋がいくつかあった。クーパー弁護士の部屋もその一つだった。抑えた明かりを見て、レインボウブロウが「嘘つき」と呟いた。
「留守電にして、帰ったと思わせたんだ。」
とオーリー。イヴェインはまだ無事だろうか。クーパーが何故イヴェイン・カッスラーを誘い出したのか、彼は道中の車でレインボウブロウから理由を聞いた。
「どの霊を呼び出すかに拠るが・・・」
と彼女は説明した。
「儀式は処女の生き血が用いられることがある。イヴェインは酷い環境で育ったし、娼婦の真似事もやったが、若いから処女の代用にされる可能性はある。彼女がいなくなっても訴える親族はいない。弁護士なら、彼女の財産を自由にする法律の抜け道を考えられるだろう。」
 クーパー弁護士が呪い好きとは到底思えなかったが、財産の横領は十分考えられた。
オーリーはバッジを持っていた。非番でも持ち歩く習慣だった。兎に角、それで弁護士に面会を求めてみよう。
 オーリーはレインボウブロウに外で待つように、と言った。
「私が一緒の方が中に入れてもらえる確率が大きい。」
と彼女が待つことに異論を唱えた。
「向こうは処女の生き血が欲しい。イヴェインが不合格の場合、私が行けば彼らは喜ぶ。」
「なおさら、ここで待っていて欲しいね。」
 オーリーはダッシュボードから拳銃を出して、ベルトの背中に挿した。
「俺はイヴェインを助けるので精一杯になるだろう。君の護衛まで手が回らない。」
 すると、彼女はそれ以上我が儘を通そうとはしなかった。彼に「気を付けて」と言っただけだった。
 オーリーは建物に入った。昼間来た時と違って閑散として、暗かった。受付カウンターの向こうにいるのは、事務員ではなく、屈強な警備員だ。オーリーは微笑みを浮かべながら近づいた。
「やあ、今晩は。僕は市警のワールウィンドだ。」
 バッジを見せると警備員は警戒を解いた。
「今晩は、刑事さん、何か用ですか。」
「この前を通りかかったら、クーパー弁護士の部屋に明かりが見えたんで、今日ソーントン事件で少し良い知らせがある、と伝えに来たんだ。呼び出してもらえるかな。」
「じゃ、ちょっと待って下さい。」
 警備員が内線をかけた。確実にクーパー弁護士は部屋にいるのだ。二三の言葉のやりとりの後で、警備員がオーリーを振り返った。
「すぐ来られるそうです。」
「有り難う。」

赤竜 1 その30

「成る程、そこに何か宝物でも入っていたのか。」
「宝物・・・」
 彼女がフッと自嘲するみたいな笑い方をした。
「人に拠っては、そう考える者もいるだろう。」
「君はそうは思わなかったんだな。ソーントンも同じ考えだったのか。」
 彼女が窓からオーリーに視線を移した。
「彼は、何だろう、と思っただけだ。」
 相変わらず要点を絞りきれない説明だ。オーリーは慣れてきてはいたが、好きにはなれなかった。少し苛々して尋ねた。
「何だったんだ。」
 レインボウブロウは時計を見た。
「そろそろイヴェインが家に着いた頃だ。寄り道するなら、状況は違うけれど。」
 仕方なく、オーリーは再び電話をかけてみた。呼び出し音だけが空しく聞こえてきた。
彼がレインボウブロウを見て首を振って見せると、彼女は立ち上がった。
「何処に行った。」
 苛立っていた。オーリーが
「明日じゃ駄目か。」
と聞いても、「駄目」と言うだけだ。
「オルランドの頭は侮辱を受けている。魂を浄化してあげなければ、彼は安らかに眠れない。」
 そして、突然誰もいない廊下の一隅に向かって怒鳴った。
「来るな、それ以上近づくと焼き払う。」
 オーリーは彼女がどうかしてしまったのでは、と心配になってきた。ソーントンの頭蓋骨を見て、彼女の精神が緩んでしまったのでは。
「クーパーの携帯電話の番号はわからないのか。」
 オーリーの提案に、彼女が足を止めた。
「ワールウィンド刑事、さっきのリストの品を買った人間の特徴を聞かなかったのか。」
「少しだけ。」
 オーリーは手帳を出した。
「大柄で濃い口ひげの、スーツをきちんと着こんだ男、硬い職業に就いている雰囲気。
魔法で遊ぶ様なタイプに見えない・・・」
 彼はレインボウブロウを見た。
「クーパーか?」
 彼女が窓を見上げ、やがて出口に向かって歩き始めた。オーリーは追いかけた。
「弁護士の事務所に行くのか。」
「イヴェインが心配だ。」
「君一人では危険だ。つまり、もしクーパーが犯人だったら・・・」
 レインボウブロウは聞く耳を持たぬと言った様子で、検死局から出た。オーリーは検死官に叱られることを覚悟で、彼女に付いて行くことにした。

2013年10月12日土曜日

赤竜 1 その29

 モルグにあったのは、本当に綺麗な頭蓋骨だった。まるで何処かの教室から持ち出した標本みたいだ。しかし検死官は本物の人骨だと断定していた。そしてレインボウブロウはそれを抱き上げて頬ずりした。
「御免ね、オルランド。」
と彼女は囁いた。
「留守にすべきではなかった。わかっていたのに・・・。」
 検死官がオーリーに小声で尋ねた。
「何故彼女はあれがオーランド・ソーントンだとわかるのかな。」
 答えられなかったので、オーリーはレインボウブロウに見習って質問で返した。
「先生は何故頭部と胴体が同一人物だと判定なさったんです。」
「首の骨の断面がぴったり一致するから。」
「ああ、そう・・・」
「彼女は頭蓋骨とダンスをしているのか?」
 レインボウブロウが骨を抱いたまま室内を歩いていた。リズミカルな歩調で宙を眺めながら、彼女は意味不明の歌を口ずさんでいた。
「首を切断した凶器が出たら、先生にはわかりますか。」
「骨の断面と刃物の傷が一致すれば、決定的だ。犯人の目星はついているのか。」
 残念ながら。オーリーは首を振った。彼女が近づいて来た。
「オルランドを連れて帰りたい。」
「ミズ・カッスラーの署名が必要です。」
 オーリーは彼女の視線を捉えた。サングラス越しでも、はっきり感じた。イヴェインが来るのを待てない、と彼女の目は訴えた。オーリーは規則を曲げられる程高い地位にいなかった。
「彼女に連絡する。ここで待っていよう。」
 イヴェインは携帯電話を持っていなかったので、クーパー弁護士の事務所にかけた。時刻が遅かったので、事務所は既に終了しており、留守電になっていた。オーリーは女性たちの家にかけてみた。まだ彼女は帰宅しておらず、誰も出なかった。
「きっとタクシーの中だ。もう暫く待っていよう。」
 早く次の仕事に取りかかりたい検死官を残し、二人は待合室に入った。レインボウブロウが珍しく落ち着かなかった。
鼻をひくひくさせて、
「死の匂いがいっぱい。」
と呟いた。
「モルグだからね。」
「血の匂いと、腐臭。」
「ここに運ばれる死体は全て綺麗なものとは限らない。」
 オーリーは滅入りそうな気分を入れ替えようと、頭を回転させた。
「以前、俺が君とソーントンが知り合ったきっかけを尋ねただろう。君はソーントンがタンスを買った話をした。それから、どう言う展開になるんだい。」
 レインボウブロウは廊下の壁の上にある窓を見上げた。
「タンスの抽斗をオルランドが開けた。」

赤竜 1 その28

「あ・・・」
 泥だらけの手を用心深く額に擦りつけて、彼女は汗を拭くふりをした。
「ベルが故障していたことを、忘れていた。直ぐ直さなければ。」
 彼女は穴をそのままにしてそばの流しで手を洗った。オーリーは先に上に上がった。彼女が追いついた時に警察から電話が掛かってきたのだ。レインボウブロウが電話に出るのを、オーリーは初めて見た。彼女は「カッスラー」と名乗り、相手の話に耳を傾け、何時そこへ行けば良いのか、と尋ねた。そして「有り難う」と言って電話を置いた。オーリーを振り返って、事務的に言った。
「墓地で頭蓋骨が見つかった。オルランドの墓石の上に置かれていたそうだ。身元確認の為にモルグへ行かねばならない。」
 素人が骨を見て親しい人間の物だと判別出来るはずがないのに、とオーリーは上司の判断を腹立たしく思った。電話に出たのがレインボウブロウだから、冷静なのだ。イヴェインなら、取り乱したかも知れない。
 結局、質問は後回しにされて、彼は自分の車にレインボウブロウを乗せた。かなり暖かい日だったのに、彼女はブルゾンを着ていた。
「モルグに着く前に教えて欲しい物があるんだ。」
 彼は魔法店でメモした物品リストをポケットから出して彼女に手渡した。
「これは何に使うものだろう。」
 レインボウブロウはサングラスをやや持ち上げてリストにさっと目を通した。
「これは?」
「コールマンと言う魔法道具を扱う店で2,3週間前に来た客が購入した品物だ。店の者が言うには、珍しく真面目な客だ。ひやかしじゃなくてね。何に使うのだろう。」
「魔術。」
「それはわかる。どんな内容の魔術だ。」
「これだけでは、何とも・・・」
 はぐらかされたくないオーリーは素早く言った。
「特定出来ないなら、考え得る限りのことを教えてくれないか。」
 彼女はサングラスを掛け直した。
「考え得るのは、唯一つ。材料が足りないだけで、他の術は考えられない。足りない物は既に持っているのかも知れない。」
「だから、何だ。」
 横目で睨むと、彼女は初めてオーリーに降参した。
「召還術。」
「何を呼ぶんだ。」
 少し間をおいて彼女は答えた。
「先祖の霊。」

2013年10月11日金曜日

赤竜 1 その27

 レインボウブロウにもらった「赤竜」には魔術に用いる品物や手順が書かれていた。ラテン語なので、死者の 復活の項目を探すのに骨を折ったが、どうにか見つけだした。材料らしき物を書き留め、それを持って紹介されたコールドマン魔法店に行くと、冴えない顔の中 年の男がレジの向こうで新聞を読んでいた。新聞は近所のスタンドで買ったもので、魔法通信とかの類ではなかった。ドアベルの音で、彼は振り返った。オー リーは「今日は」と言い、メモを取りだした。
「最近、こんな物を買いに来た客はいませんでしたか。」
 店番はメモを眺めた。
「ああ、死者復活の儀式ね。よくあるよ。」
「よくある?」
「うん、愛する人間を亡くすと、なんとしてでも生き返らせたいと願う人さ。時々本を読んだり、インチキ呪い師にそそのかされて儀式をやるんだ。」
「その儀式は、効き目はない?」
「ある訳ないよ。本当の魔法使いじゃないのに。」
「本物がやれば、生き返る?」
「さあね、聞いたことないね。」
 男はオーリーをジロリと見た。
「あんた、客じゃないね。」
 仕方なくオーリーはバッジを出した。店番は溜息をついた。
「最近ここに来るって言えば、頭がおかしな奴か、警察くらいだね。」
「最後に本物の客が来たのは何時。」
「いつかな・・・」
 店番は考え込んだ。
「本物です、て名乗る訳じゃないから。でも、品選びが上手い客はいる。勉強しているんだね、きっと。」
「それは女性かな。」
「いいや、男。体のでかい濃い口ひげのおっさんで、何か硬い職業に就いている雰囲気だった。だから印象に残った。魔法に興味持つように見えなかったから。」
「それは何時頃の話かな。」
「二週間前、否、三週間前かな。」
「何を買ったか覚えているかな。」
 店番はオーリーが初めて耳にする様な薬草や器具の名前を挙げた。
「何に使うか、わかりますか。」
「さてね、いろいろ応用が利く品だからね、特定したければ、”赤竜”を読めばいい。書いてあるよ。」
「ラテン語は苦手で・・・」
とオーリーが白状すると、店番が笑った。
「英語訳があるさ。買うかね。」

 人間の頭部の骨が見つかった。町外れの墓地で墓参の家族連れが見つけたのだ。オーランド・ソーントンの墓石の上にこれみよがしに置かれていた骨には薄い白髪が微かに残っていた。短期間で白骨化するはずがない。故意に虫や何かに肉を食らわせて骨だけにしたのだ。
 警察はカッスラーに連絡を取って身元確認を依頼した。オーリーが非番の日で、たまたま彼はカッスラー家でレインボウブロウにコールマン魔法店で聞き込ん だ品物が何に使われるのか尋ねているところだった。イヴェインはまた留守だった。クーパー弁護士に仕事を紹介してもらうのだと言って出かけていた。昼間は 滅多に外出しないレインボウブロウが一人で地下室の洗濯場で壁を掘っていた。また秘密のプールを造っているのだ。オーリーは彼女がシャベルも何も使わない で手掘りしていることに驚いた。バケツに土を入れていたところを邪魔されて彼女は不機嫌だった。
「家に入る許可を出した覚えはない。」
「ベルを何度も鳴らした。ドアが開いていたのに返事がないから、何かあったかと心配に
なって入ったんだ。そしたら地下室で物音がするじゃないか。」

赤竜 1 その26

「これには、悪魔たちの図鑑や邪道を書いた書物の紹介も載っている。」
 彼はオーリーにも見えるように、本を傍らの書き物机の上に広げた。
「死者を蘇らせるのは、最も忌むべき邪道だ。それを行えば、復活した死者は魂を失っていて生きていた時とは性格が異なり、邪悪な存在となる。」
「死んだ直後なら、救えますか。」
「そんなことは聞いたことがない。」
 フライシュマンはオーリーを睨んだ。
「私は本屋で、魔法の研究家じゃない。詳しく知りたければ、専門家を訪ねることだ。」
 魔法の研究家と名乗る人間は結構いた。しかしオーリーが「死者の復活」や「警察」と言う単語を出すと、話を断るか、切ってしまうのだ。まともな商売を やっている訳ではなさそうだ。本物の研究家ではないのだろう。最後に、ソーントンの骨董品屋仲間が魔法グッズを扱う店を紹介してくれた。彼がそこを訪ねる と言うと、ライリーが「好きにしなよ」と笑った。
「俺はカッスラーにソーントンの屋敷の解体許可が下りたと通告しに行ってくるよ。」
 えっとオーリーは驚いた。
「あの屋敷を解体するのか。」
「カッスラーが許可申請を出していた。殺人があった屋敷では売れないからな、更地にしてしまうんだそうだ。跡地を公園として街に寄付するって言うから、早い時期に許可が下りたんだ。」
 オーリーはクロゼットの奥の秘密の階段と秘密のプールを思い出した。工事中にあれが明らかになれば、みんな驚くだろう。イヴェインはあれの存在を知らな いのだ。あの場所はソーントンとレインボウブロウだけの秘密の場所だった。何の為にあんな場所にあんなものを造ったのだろう。それに、あの氷の様な冷たい 水。彼女はあそこに潜っていた。
あの女は魔女なのか。

2013年10月9日水曜日

赤竜 1 その25

一番の謎はレインボウブロウだ。彼女が全ての鍵を握っている。ソーントンが殺された理由も、イヴェインが生きていることも。レインボウブロウはイヴェインが”殺された”時、「頭が無事だった」、と言った。ソーントンの頭部が見つからないことと関係あるのだろうか。
 オーリーは再びエイブラハム・フライシュマンを訪ねた。
「死んだ人間を生き返らせる方法を書いた本はありますか。」
 フライシュマンはこの質問を喜ばなかった。
「禁断の魔術だね。」
「全ての魔法はキリスト教では禁断のものでしょう。ユダヤ教でも同じだと思いますけど。興味本位で探しているんじゃありません。捜査に必要なんです。」
「捜査に魔法を使うのかね。」
「いいえ、犯人が魔法を使った・・・もとい、魔法を使おうとしていたんじゃないか、と思うんです。」
 フライシュマンはオーリーに椅子を勧めた。脚のバランスが悪くて少しがたついた椅子だった。
「オーランド・ソーントンはどんな殺され方をしたのか、聞いてもいいかな、刑事さん。」
 もう事件発生から二週間以上たっている。隠すこともなくなった。ただ、公表していないだけだ。署長はソーントン事件を忘れていた。他にも事件がいっぱい あったし、出世に関係ないものは直ぐ忘れる人だった。オーリーは「公表されていないので、口外しないで下さい。」と念を押してから、死体発見当時の説明を した。フライシュマンは白い眉を寄せて不快を表した。
「それは、魔法を信じる者の仕業だと、君は考えるのだな。」
 老人は腰を上げて書庫に入って行った。数分後に戻って来た時、彼の手にあったのは、「赤竜」だった。

2013年10月6日日曜日

赤竜 1 その24

アンティークな家で暮らしていたレインボウブロウは、全く趣味の異なる家を面白がっていた。オーリーにコーヒーを入れて出したカップも古い絵付けカップでなく、無骨なしっかりしたものだった。
「ソーントンの物は何も持って来なかったのかい。」
「イヴェインが気に入っていた食器や小物を持ち込んだ。後は処分した。売ったり、捨てたり、焼いたり。」
 レインボウブロウは骨董品の価値を理解しても、所有欲がないのだ。彼の正面に座って「それで?」と催促した。オーリーは単刀直入に質問した。婉曲に言えば、またはぐらかされる。
「仕事絡みで知り合いの娼婦から聞いた話なんだが、イヴェイン・カッスラーは半年前に死んでいる。娼婦の縄張り争いで、見せしめに殴り殺されたそうだ。彼女が息を引き取るのを看取った女がいる。君が一緒に暮らしているイヴェイン・カッスラーは何者だ。」
 レインボウブロウは驚いたり、腹を立てたりしなかった。彼の目を真っ直ぐ見て言った。
「彼女はイヴェイン・カッスラーだ。」
「殺された少女と同じ人物だと言うのか。」
「そう。」
 彼女があっさり認めたので、オーリーは何と言えば良いのか困った。
「殺された女が、何故ソーントンの屋敷で女中をして、今彼の相続人になっているんだ。」
 レインボウブロウは自分のカップにお湯だけを注ぎ込んだ。
「私が見つけた時、彼女の頭は無事だった。手足も、ちぎれたりしていなかった。まだ魂も綺麗だったし、体も温かだった。だから、私は彼女を屋敷に持ち帰り、修理した。」
「修理って・・・」
 オーリーは頭が混乱しかけた。彼女は何の話をしているのだ。アンティークの家具や古書を語るみたいな話し方だ。
「治療したって意味か。」
「そう解釈したければ、その通り。」
「君一人で治療したのか、病院に入れずに。」
「そんなことをすれば、彼女は死んでいた。」
「君は医学知識があるのか。」
「コーヒーのお代わりは?」
 家の前にタクシーが止まり、イヴェインが降り立つのが見えた。この不可解な話はここまでだ。レインボウブロウがオーリーに釘を刺した。
「イヴェインはここで人間らしい生活を始めた。人並みの人生を送るのだ。だから、彼女の過去をほじくるのは止めて欲しい。」
 イヴェインが買い物を詰め込んだ紙袋を抱えて玄関に来たので、オーリーは席を立ってドアを開けてやった。彼を見たイヴェインは驚いたと同時に喜んだ。
「あら、来て下さったの。」
 オーリーは手土産を用意しなかったことを思い出して、後悔した。
「新しい家を見せてもらっていた。こんなデザインの家なら、プレゼントもモダンな物にしよう。」
 イヴェインはニコニコしてレインボウブロウに近づき、身を屈めて彼女の頬にキスをした。
「全部終わったわ。クーパーさんは私の顧問弁護士を引き受けて下さった。もっとも、彼の出番は余りないと思うわ。私は商売の才覚がなさそうだし、もう少し読み書きを勉強したら、何処かでお勤めするつもり。」
「お金持ちなのに?」
 オーリーの言葉に、彼女は振り返った。
「私がこしらえたお金じゃないわ。もっと勉強して、500万ドルが何に役立つのか、考える。」
 オーリーはレインボウブロウが彼女の陰で声を出さずに呟くのを目撃した。綺麗な魂、と。

赤竜 1 その23

 ソーントンの事件はお蔵入りしそうだったが、オーリーはまた二人の女性の許に出かけた。今度は新しい家 だ。事件現場となった屋敷に比べると小さかった。芝生の前庭とガレージと二階に部屋が一つだけの白い壁の家。彼が訪ねた時は夕刻だった。イヴェインは出か けて留守だったが、レインボウブロウが珍しく応対に出た。
「近所には私をイヴェインのボーイフレンドだと思わせておく。」
と彼女は彼を迎え入れながら言った。
「女性だけだと知られるより安全だろう。」
「彼女は何処へ行ったんだい。」
「クーパー弁護士と最後の打ち合わせ。今後の彼との契約更新も決まる。」
 イヴェインがいない方が話がし易い。レインボウブロウにはぐらかされないように、用心は必要だったが。
「どうしても、君の口から本当のことを教えてもらいたい。時間をもらえないか。」
 オーリーの言葉に、彼女は彼にソファを勧めた。前の屋敷にあったものよりモダンで近代アート的デザインで、しかも色は原色だった。座り心地は想像より良かった。
「家具付きだって。」
「そう、以前の住人の趣味。そっくり残しているところを見ると、飽きたらしい。」

2013年10月5日土曜日

赤竜 1 その22

二人が食堂に戻って来たのは10分後だった。席に着くと、レインボウブロウが手帳に何やら書き込んでそのページを破り取った。イヴェインに渡して、
「明日これを買ってきなさい、私は納屋を探して道具を出しておくから。」
と言った。どうやら骨董品の修理の話らしい。オーリーは仲間に入りたかったので、
「直ぐ直りそうだね。」
と言ってみた。レインボウブロウが頷いた。
「タンスは少し凹んだだけ。他の家具も今のついでに直してしまう。新しい家は家具付きだから、ここの物は売る。」
 イヴェインがオーリーにお愛想した。
「宜しければ、あなたのお好きな家具を一つ差し上げてもいいわ。」
「ええっと・・・」
 オーリーは室内を見回した。アンティークなカップボードや電話台や、椅子。どれも彼の侘びしいアパートにはそぐわなかった。
「俺には骨董品はわからないよ。部屋に合うとも思えないし。」
「さっきの本でも売れば結構な値段になる。」
「俺の本じゃない。それに、俺はここに掘り出し物を探しに来た訳でもない。」
「犯人の手がかりを探しているのね。」
 イヴェインは警察に期待していた。否、オーリーに期待していた。

 署でリーリー・コドロフに出会った。いつも客と喧嘩しては引っ張られる娼婦だ。オーリーは彼女の歯に衣を着せぬ物言いが気に入っていたので、リーリーの ことは嫌いではなかった。世間話をさせると、彼女はとても話し上手なのだ。オーリーが出先から帰った時も彼女は取り調べが終わって刑事たちを笑わせる客の 話をしていた。オーリーが目が合ったので「やあ」と挨拶すると、彼女は自分の話を素早く切り上げて、彼の机に近づいた。
「ちょっといい、オーリー?」
 オーリーは顎で隣の空いた椅子を示した。娼婦が声を落として話しかけてくる時は、何か情報を持っているのだ。リーリーが椅子に座った。金髪に染めたブルネットの根本が黒ずんで見えた。美人だが、近くで見ると歳を取っていることがわかる。
「先週、女を連れて食事に行ったわね。」
と彼女が切り出した。
「3丁目のイタリアレストランよ。あなた、アフリカンの娘ッコと男の子みたいなチビ女を連れていたでしょ。」
「捜査の一環だよ。家庭の事情を探る目的だった。」
 言い訳するオーリーを、リーリーがじっと見つめた。
「どっちの女の事情よ。私は黒い方を知ってる。」
「イヴェイン・カッスラーを?」
 不思議ではない。イヴェインはスラムの出身だ。
「彼女の素性は調査済みだよ。」
 彼女が富豪になったと聞いたら、娼婦はどんな反応を示すだろう。
 リーリーがタバコを出したが、禁煙の表示に気付いてまたバッグに仕舞い込んだ。
「でも、あの小娘が死んだってことは知ってるのかい。」
「死んだって・・・」
「他人の縄張りで商売を始めようとして、そこの用心棒たちに殴られたんだよ。私はボロボロになったあの子が冷たくなっていくのを見守るしかなかった。仲間 が救急車を呼んだけど、間に合わなかった。あの子の心臓が止まったので、私らは退散したんだ。関わり合いになりたくなかったからね。証人にはなりたくな かった。だけど、やっぱり、私は気になって・・・救急車が来た時、あの子が倒れている路地に案内したんだ。でも、あの子の姿は消えていた。死体はなかった んだ。」
「本当に死んでいたのか。」
「本当さ。口から血を出して目を剥いて、腕は折れていたし、多分肋も折れたはずだ。あの界隈の乱暴者はあの世間知らずの小娘をサンドバッグみたいに叩きや がったんだよ。スカートも濡れていたから、下からも出血してかもね。お腹を散々殴られていたから。黒い子が嫌いな連中だったんだ。白人でない奴は犬以下 だって考える連中さ。
「だから、あの子が立ち上がって自分で歩いて行ったはずがない。誰かが拾ったとも思えない。動かせば確実に死んでたもの。」
「その娘が俺と飯食ってたって言うのか。」
「双子のはずないわ。あの子は小さい時から見かけていたもの。」
「でも彼女はゾンビじゃない。」
「わかってる。だから、私が言いたいのは、あの夜の女がイヴェインだって名乗ったのなら、偽物だってこと。私らの街で生まれ育ったイヴェインは私の目の前で息を引き取ったんだからね。」

2013年10月4日金曜日

赤竜 1 その21

 イヴェインは自分より小柄なレインボウブロウに精神的に寄りかかっていた。年齢はレインボウブロウの方が上だが、とても40歳には見えない。故買屋が30年前に出会った10歳程度の子供は、別人に違いない、とオーリーは思った。
「レニーはソーントン氏の友人だと言うが、何処で知り合ったんだい。」
 オーリーはわざと意地悪な質問をしてみた。レインボウブロウはいつもの如く曖昧な返事をした。
「オルランドがタンスを買った。彼の寝室に現在も置いているビクトリア様式の小さな物で、当時のお金を今のレートに換算すると5万ドルになる。」
 それがどうして出会いのきっかけになりうるのか、オーリーが尋ねる前に、イヴェインが割り込んだ。
「まあ、あのタンス、そんな値打ち物だったの、どうしよう・・・」
「どうした。」
「先々週、お掃除している時に掃除機をぶつけて、角に傷を入れてしまったわ。」
 レインボウブロウが髪の毛に指を突っ込んだ。
「私の修復で誤魔化せるかな。あれをオークションに出して売れたら、あなたに車を買ってあげられるのに。」
 二人の女性が互いに見つめ合った。オーリーが入り込む隙もなく、彼女たちは同時に立ち上がった。
「御免なさい、兎に角、傷を見て頂戴。旦那様がお気づきでなかったから、目立たないと思うけど。」
 オーリーは食堂に取り残された。またもや、レインボウブロウにはぐらかされてしまったことは確実だった。