2014年8月30日土曜日

Y氏の思い出 3

Y氏は自称「高所恐怖症」だった。

社内旅行で高知へ行った時

バスは瀬戸大橋を通った。
岡山から香川へ渡るルートだ。
Y氏は観光バスの通路側の席に座った。
窓側の席に座った人が、「海が綺麗や」と言っても、見なかった。

香川では展望タワーに登った。
エレベーターを降りてガラス張りの展望台から景色を見て、気が付くとY氏は中央の壁に添うように立っていた。
ガラスの床なんてもってのほか!

大歩危小歩危でも、川を見下ろさなかった。


自宅は3階建て。
「階段が怖いんで、エレベーター付けたんや。お陰で押し入れがなくなって収納に困ってる。」
「ベランダに出るのが怖いので、アンテナが故障したら困るんや。」

Y氏は今、お空の上・・・
 

2014年8月29日金曜日

Y氏の思い出 2

事務所の談話室で昼食を取るのは今でも続いているようだが、昔は営業も総務もほとんど全員がそこで食べていた。
給食のお弁当を食べるのはF部長とY課長(現・副部長)とM課長(現・主査)だけで、残りは全員自宅からお弁当持参だった。
Y氏も愛妻弁当を毎日持って来ていた。

ある日、弁当箱の蓋を開けたY氏が「何や、これ!」と怒り出した。
お弁当の中身は炒飯だった。
奥様手作りの炒飯で、きっと上手に作られたのだろう、ご飯パラパラで・・・

「こんなもん、箸でどーやって食え、ちゅうねん?!」

Y氏が怒ったのは、スプーンが付けられていなかったから・・・
 その場にいない奥様に向かってひとしきり怒りをぶちまけたY氏だった。

2014年8月24日日曜日

Y氏の思い出

8月18日に急逝したY氏の思い出を少しずつ語ろうと思う。

私が入社した当初、Y氏は肩書きのない営業課員だった。
4人の営業課員の中で一番若かった。
だけど、結構発言力があったし、一番の上得意であるT紡績を担当していた。
出張が多かったので、私はあまり彼の姿を見ることがなかった。

私はその頃、PC98 の扱いに慣れていなかったので、ある日曜日に勉強しようと思って会社へ行った。
当時、我が社はセキュリティ会社と契約しておらず、休日でも出入りが自由だった。
今では信じられないことだけど・・・
誰もいないと思っていたが、事務所にY氏がいて、一人で仕事をしていた。
驚いたことに、黄色いスウェットスーツ姿だった。
いつも背広・ネクタイのスーツ姿しか見たことがなかったので、もの凄く違和感があった。

似合ってない・・・

彼のラフな姿を見たのはこれが最初で最後。
みんなに話しても、Y氏がスウェットを着ていたってなかなか信じてもらえなかったなぁ・・・