2012年11月23日金曜日

節穴

「誰かに覗かれている様な気がする」

 そんな訴えがこの数日相次いだ。場所は青空市場が開かれる海岸近くにある公衆トイレの一番奥のボックス。
 ハリケーンが来るたびに吹っ飛ばされるベニヤ板を張り巡らせただけの安普請のトイレだ。屋根だってトタンを載せているだけだった。そこに便器だ け立派な物が据えてある。伝染病に神経を尖らせている政府が、下水事業だけしっかりやっている証拠だ。その便器に座って用を足していると、誰かが後ろの上 の方から見つめているような気がすると言うのだった。
 警官のホアンは、トイレの建物を調べてみたが、何処にも穴なんかなかったし、隠しカメラを置いた形跡もない。第一、この国で、公衆トイレに監視カメラとか、そう言った類の物を置こうものなら、小一時間で盗まれる。
 試しに自分で中に入ってドアを閉めた。便器に座って間もなく、項がちくちくするような誰かの視線を感じた。
振り返っても誰もいないし、人間が隠れる場所もない。だけど、何かいる・・・。
 ホアンは急に恐ろしくなって外に出た。

 翌日、ホアンは”緑の鳥”の隊員と一緒に再び現場へ行った。”緑の鳥”と言うのは、大統領警護隊の異名で、緑の鳥ケツァルを模したバッジを胸に 付けているからそう呼ばれている。警護隊はすごい奴らで、なんでも出来る、と言う噂だ。「なんでも」が「なにからなにまで」なのかわからないが、兎に角す ごいんだそうだ。
 ホアンが見つけた隊員は、たまたま仕事中に市場に立ち寄った男だった。ホアンがトイレの怪を話すと、笑いもせずに聞いてくれ、そこに案内せよと命令までした。
 
 トイレの中を覗いた隊員は、「なんだ、節穴か」と呟いた。そして、手を伸ばして空中を指で摘む仕草をした。
「もうふさがったよ」
と彼は言って、それ以上興味なさそうに立ち去ろうとした。
「何だったんです?」
ホアンが尋ねると、彼は
「穴だよ。空間が少しばかり捻れて隙間が出来ていただけさ」
と言った。そして帰って行った。

 それ以来、トイレの怪の訴えはぴたりと止んだ。
 あれは何だったのだろう、と今でもホアンは考える。

待つ人

外は雨だ。閉店時間にはまだ間があったが、客はもう来ないだろう。店内には女性客が一人いるだけだ。

 彼女は早い時間にやって来た。二人用のテーブルについて食前酒を一杯注文して、それを時々思い出したようにちびちびやりながら誰かを待ってい た。白いシンプルなブラウスに淡いベージュのスーツ。どこかのOLに見えた。しきりに窓の外を見ていたが、外が暗くなり、ブラインドが下ろされると諦めた のか、窓を見なくなった。代わりに腕時計を見て、壁の飾り時計を眺め、何度も時間を確認していた。

 一時間たち、二時間たち、三時間たっても彼女の連れは現れず、雨の夜の少ない客たちは食事を終えて次々に店を出て行った。
 彼女の食前酒はすっかり温くなり、グラスの底にわずかに残るだけになってしまった。彼女の表情は固く冷たかった。
 店のスタッフたちは、もう店じまいしたがっていた。黙っているが、彼女をちらちらと見やる素振りが、それを告げていた。
 彼女も好きで待っているわけではないだろう。一度携帯電話を取り出したが、マナー違反だと気がついたのか、周囲に視線を走らせて、すぐにバッグ にしまった。外に出てかけるでもなく、本を読んだりすることもなく、紙ナフキンで無意味な形を折ったりして気を紛らわせているだけだった。

 店の電話が鳴った。出ると、男性の声が聞こえてきた。店名を確認してから、彼は尋ねた。
「安藤と言う女性はまだそちらにおりますでしょうか?もし、まだいたら、これに出して戴けませんか?」
 子機を持って、女性のそばに行った。
「安藤様でいらっしゃいますか?」
 女性は振り返り、電話を見て一瞬凍り付いた。そして頷くと、子機を受け取った。
 その場から離れて彼女が電話で話すのを視野の隅で見ていた。彼女の表情が次第に和らいで微笑みが浮かぶのに、そんなに時間を取らなかった。
 聞くつもりはなかったが、声は否応無く店内に響き、「手術」や「成功」と言う言葉が聞こえた。
 電話を終えた彼女が立ち上がり、こちらに頭を下げた。そばに行くと彼女は長居したことを謝罪した。
「いっこうにかまいませんよ。今夜は雨でお客様が少ないですから」
「でも、ご迷惑をおかけしました。」
「何かご注文なさいますか?」
 彼女はハッとして時計を見た。
「もう閉店時間なのではありませんか?」
「まだ半時間あります。」
「では・・・」
 彼女は少しためらってから決めた。
「バタートーストとコーヒーをお願いします。」
 厨房に戻ると、スタッフが言った。
「サラダとスープも付けちゃいますか?」
 テーブルで食べ物を待つ彼女の表情はすっかり安心しきったものに変わっていた。

 支払いの時に彼女がまた謝ったので、
「手術が成功して良かったですね。早く回復されますように」
と言うと、彼女は少し笑った。
「ええ、兄の患者が早く治ることを願っています。今日は兄が外科医として初めて執刀医になった日なんです。」

2012年11月16日金曜日

警官が町内をパトロールしていると、ある家の前で女性がドアの鍵をこじ開けようとしていた。

「どうしました?」

警官が声をかけると、女性はホッとした表情で説明した。

「鍵が見あたらないので、なんとか中に入ろうとしているんです。家の中にきっと合い鍵があるはずですから。」

「では、窓から入ってはどうです?」

「さっき試してみましたが、無理でした。この家の窓は二重ロックなんです。」

「では、玄関も多重ロックの可能性がありますね。」

「いいえ、玄関は一カ所だけなんです。」

「ああ、そうでした、ご存じですね。」

「早く開けないと、家の人が帰ってきたら困りますわ。」

「困るでしょうね、それは・・・」

警官は苦笑いしながら言った。

「ここは私の家なんです。」

2012年11月15日木曜日

塔のある家



 幼い頃、いつも遊んでいた林の木立の向こうに、塔が見えていた。
絵本の中でお姫様が住んでいるお城の塔によく似ていた。
友達は塔の存在に気がついていない様子で、自分の秘密の風景だった。
林の向こうのお城。きっとお姫様が住んでいるに違いない。ずっと信じていた。
 小学校に上がり、学年も上がっていくと、行動範囲も広がって行った。
新しい友達の家を訪問した帰り道、ふと見上げると、あの塔が見えた。
心底驚いたものだ。何故なら、入学してから、あの林で遊ぶことがなくなり、林が住宅地になって、すっかり塔の風景を忘れていたからだ。
それが、いきなり目の前に実物がど~んと現れた。

 細い坂道が大通りから丘の斜面を登っていた。所々階段になっているが、中途半端な高さの段で、道の半分しかない。半分階段で半分スロープの坂道だった。その細い道がカーブして手前の民家の後ろに消えていく、反対側の塀の中に、塔の家は建っていた。
 ツタがからまる土塀の向こうに低木の茂み、鉄門の扉から狭い石畳の道が玄関まで延びている。その家は、びっくりしたことに、日本家屋だった。瓦葺きで、玄関はガラスがはまった格子の引き戸、縁側がある和室。黒い焼き板の壁。
 それなのに、階段の坂道に面した部分だけが、洋風の造りになっていた。
塔の形に張り出した二階建ての、一階は出窓、二階が、林を通して見えていた丸窓で、屋根も円錐形の鱗瓦だった。
 この家はなんなのだろう。特別な人が住んでいるようにも見えなかった。ひどく古くて、住人は現状維持が精一杯なのか、手入れはされているものの、どこにも新しい物はなかった。ペンキは剥げていたし、庭木も剪定を長い間しえちない様子。
 ツタも壁をびっしり覆って、あれでは湿気がもの凄いだろうと想像された。
 夕暮れが迫っていたせいか、怖い感じがして、それ以上観察するのがはばかられ、大通りに戻った。坂道を下りきった時に振り返ると、塔の二階の丸窓で、カーテンが揺れた様に見えた。
 誰かが見ていた?

 その夜、夢を見た。白いドレスを着たお姫様が塔の窓から手を振っていた。
「覚えてくれていて、ありがとう」
と彼女は言ったと思う。ツタは青々として、庭にはピンクや白や赤の薔薇が咲き乱れていた。日本家屋の焼き板壁もまだ真っ黒で、瓦も輝いていた。
お姫様は、きっと伯爵家のお嬢様なんだ、と何故か思った。

 その家は、就職して街を出るまで、ずっとそこにあった。それから戦争があり、水害があり、地震が起きて、台風が暴れ、火事とか、バブルで土地が買い漁られ、邸宅街がマンションに変身したりして、街の様子がすっかり変わってしまった。
 正月に、曾孫がパソコンとやらで、街を空から見られるものを見せてくれた。グルグルなんとかと言うらしい。
 塔の家があった所は・・・


 緑の木立の中に、一軒の家が建っていた。半分和風で、半分、洋風の・・・


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実際のところ、子供の頃に憧れていた家の思い出を元ネタに書いてみました。
グーグルアースで探してみたら、それらしい画像がありましたが、塔は確認出来ませんでした。
神戸市垂水区高丸・・・丁目 ○○番地 までわかりましたが・・・。

2012年11月11日日曜日

サンドールの野を愛す テディ

「トワニ、ちょっと相談があるんだけど・・・」
 シオドア・オブライエンがバーにいるトワニに声をかけてきた。トワニは友達たちといい感じで飲んでいたので、面倒は嫌だと思った。万相談屋ではないのだ、俺は! だけど、顔を上げると、シオドアは思い詰めた目で見つめていた。
「話を聞くだけだよ」
 彼は友達に断りを入れて、席を発った。
 店の外は晩秋の冷たい空気で静まりかえっていた。トワニは若い友人を見た。
「女の話?」
 シオドアはびっくりした。
「どうして、わかるの?」
「君の親父さんが、君に好きな娘ができたようだ、と言ってたからさ。」
 シオドアは溜息をついた。
「その、親父が問題なんだ。」
 彼は、彼女ができた経緯を説明始めた。マギーと言う彼女とは、インターネットで知り合ったのだと言う。好きなフットボールチームのファンサイトでの、掲 示板友達だった。書き込みで意気投合して、オフ会で実物と出会ったら、想像以上に可愛い女性で、リアルでも意気投合してしまった。既に何度かデートしてい る。彼女と結婚したいと思い始め、彼女を両親に紹介しなければならなくなった。
「親父さんに遠慮する必要はないだろう」
とトワニが言うと、シオドアは哀しそうに言った。
「うちの親父は、黒人が嫌いなんだ」
「マギーは黒人なのか?」
「半分ジャマイカンで、半分白人なんだよ。とっても美人なんだけど、肌は黒いんだ。」
 トワニは溜息をついた。どうして、人間って、肌の色にこだわるんだ?
「君の親父さんは、本当に黒人が嫌いなのか?」
「はっきり言わないけど、黒人と席を隣り合ったりするのを嫌がるし、黒人がいる店には入らない。僕にはわかる、親父は人種差別主義者だ!」
「君は、それが嫌かい?」
「嫌だよ。僕はネットで世界中の人と話をする。みんな同じ人間だ。少なくとも、肌の色だけで人間を判断するのは、おかしいよ!」
「それじゃ、テディ、彼女を連れてきたら、俺も面会の場に同席しよう。」

 シオドアの父親のシオドア・オブライエンは、テディJrの彼女と面会した時、暫く無言だった。ファッション雑誌の表紙から出てきたみたいな素晴らしい美女が笑顔で挨拶しても、固まってしまって見返すだけだった。
 トワニは息子の方のテディの不安が爆発しそうなのを察して、仕方なく声をかけた。
「何か言えよ、テディ」
 シオドア・シニアは彼を振り返り、瞬きした。ああ・・・と呻いて、彼は若いカップルに向き直り、娘が差し出した手を握った。
「こんな田舎によく来てくれた。」
 そして、息子を見た。若いシオドアはまだ不安そうだった。父親は無理に笑顔を作って言った。
「いい娘さんだ。仲良くな」
 息子は笑って、彼女を父親の目の前で抱き寄せてキスをした。既に紹介を済ませていた母親が、二人を隣の部屋へ連れて行った後、父親はトワニを睨みつけた。
「あんたが介入してくるとは、思わなかったよ!」
「俺は何もしていなかっただろ? ここに立っていただけさ。」
「それで十分さ。あんたの前じゃ、誰も間違ったことを言えないから・・・」
「君は間違ったことを言うつもりだったのかい?」
「それは・・・」
「自分が間違っていたと知っていたんだ?」
「それは・・・」
「もう間違える必要はないだろ?」

 若いテディが二人に食事の用意ができたと告げに来ると、もうトワニはいなかった。父親が一人で窓を見ていた。
「父さん、食事だよ・・・トワニはもう帰ったの?」
「ああ・・・」
「僕、マギーと結婚するよ。いいだろ?」
 沈黙。
 テディは、やはり父親は反対するのかと危惧した。もし反対されたら、トワニから教えられたことをしなければならない。
 その時、父親が言った。
「テディ、俺は黒人なんだ。今まで黙っていたが、三代前のお婆さんは、黒人だったんだよ。」
 父親は息子がショックを受けるのではないかと思った。窓ガラスに映った彼等は、どこから見ても白人だったから。
 息子が何も言わないので、彼は勇気を奮って振り返った。テディJrは微笑んでいた。 そして、父親を抱き締めた。

サンドールの野を愛す スーズィ

スーザンは世話好きな女の子で、友達の面倒を見るだけでは飽き足らなくて、カーティス先生の診療所に頻繁に出入りしていた。母親はちょっと心配して、診療の邪魔をしてはいけないから、と注意してみたが、先生が優しいので、結局大目に見ることにした。
 カーティス先生はとても年寄りで、外科も内科も小児科も産科も全部一人でやっていた。サンドールの唯一人の医者だったから、尊敬され、頼りにされていた けれど、本当に歳を取って、引退しても可笑しくなかった。だから、スーザンは先生のお手伝いをして器具を消毒したり、薬のラベルを読んであげていた。
 スーザンは町外れに住むトワニお兄さんも好きだった。優しくて格好良くて、でも残念なことに、お兄さんは誰とも結婚しないのだと町中の人が言っていたの で、眺めるだけにした。トワニお兄さんはいつも元気なので、診療所とは無縁で、スーザンはお兄さんに包帯を巻いてあげることも叶わなかった。

 ある寒い日の午後、学校が終わって、いつも通り診療所に行くと、表のドアが閉まっていた。それで勝手口に廻って台所を覗いたら、カーティス先生が椅子に座ってぼんやりしていた。
「先生、今日は休診なの?」
 スーザンが尋ねると、先生は目をしばたかせて彼女を認め、弱々しい声で言った。
「すまないが、スーズィ、トワニを呼んできておくれ。」
 先生は理由を言わなかったけれど、とても急ぐ用事のように思えたので、スーザンは走って行った。カーティス先生が呼んでいる、と告げると、トワニは「そうか」と呟いた。そして、スーザンには、「もう家にお帰り」と優しく言った。
 トワニは診療所に行き、そこに一晩泊まった。

 翌朝、集会所の鐘が打ち鳴らされ、サンドールの住人は唯一人の医師が亡くなったことを知った。カーティス先生はもう限界だったのだ。

 それから20年近く、サンドールには定住の医師がおらず、隣町の病院から巡回診療所が定期的に来るのを頼みとした。
 カーティス医学生援助基金による最初の奨学生が修行期間を終えてサンドールに診療所を開業したのは、今からほんの15年前のことだ。
 今、町の住人たちは、優しいスーズィ先生を頼りにしている。

焼き芋

今から16年前のある一月の寒い夜、私は一刻も早く神戸から脱出しようとする車の長い渋滞の列の中にいました。市内の実家や友人に救援物資を届けた帰り で、普段なら5,6分で通り抜けられる道路に3時間も足止めを食っていました。周囲は停電で真っ暗、見えるのは自動車の赤い制動灯ばかり。どの車もガソリ ンの節約の為にエンジンを切って寒さを堪え、時々またエンジンをかけて数センチ前に進む、と言うことを繰り返していました。
これは徹夜かな、と私が思っていると、外からポーッと言う柔らかな音が聞こえてきました。
外を見ると、渋滞の車の隙間を縫うように移動する軽トラが一台いました。
荷台から白い煙が上がっているのが見え、その正体はすぐ判明しました。
「こんな状況で、焼き芋なんか売ってるのか。暢気だなぁ。それとも逞しいのかなぁ。」
焼き芋屋はゆっくりと暗闇の中へ遠ざかって行きました。


それから15年たった昨年のことです。神戸新聞の投稿欄に、こんな投稿がありました。

「震 災の数日後、○○市の実家へ避難しようと家族で車に乗って家を出ましたが、西神で渋滞につかまり、そのまま夜になってしまいました。寒いし、お腹は空く し、子供が泣き出して、私も泣きたいほど途方に暮れていました。すると誰かが車の窓をノックするのです。振り返ると、見知らぬ小父さんが新聞紙の包みを 持っていました。窓を開けると、その小父さんが『お腹が空いたでしょう。これを食べて頑張ってください』と言って、その包みを差し出しました。受け取る と、暖かい。中身は焼き芋でした。慌てて財布を出すと、小父さんは『こんな時にお金なんて受け取れませんよ。早く避難所に行けるといいですね』と言って、 行ってしまいました。見ると焼き芋屋さんの自動車がいて、小父さんはそれに乗って、周囲の車にお芋を配っていました。
あの時の焼き芋はとても美味しかったです。随分遅くなりましたが、この紙面を借りてお礼申し上げます。」

すると、二日後、こんな投稿が載りました。

「先日、震災の後避難途中に焼き芋屋に会った人の話が載っていたでしょう。あれ、きっとうちのお父さんのことやわ。地震の後、仕事にならんで家におったんやけど、突然お芋を車に積めるだけ積んで出かけてしもうて。
夜遅うに帰って来た時は、お芋は全部なくなっていて、お父さん、『町は酷い状態やった』言うただけで、それっきり何も言わへんかって、何があったのか、私等は知らんかったん。
もうお父さんは亡くなってしもうておらへんのやけど、ええことしたんやね、って今度会った時に言うてあげますわ。語ってくれて有り難うございました。」




いかがです? じーんときました?
目に涙浮かびました?
PCの画面を見つめると目が乾きますからね、涙が出るようなお話もたまには必要でしょう?

サンドールの野を愛す 雪の夜


あの時代、あの国は混乱して、貧しかった。空に太陽が輝く夏でさえ暗黒のイメージがあったから、日が短い冬などは、もう闇の世界だった。餓死者も大量に出た。伝染病が広まらなかったのは冬だったからだ。それでも、インフルエンザくらいは流行っていただろう。
俺も貧しかった。土地を持たなかったし、身元を保証されている訳でもないから、その日暮らしで、周りの人々が貧しければ、俺の様な放浪者が真っ先にいかれちまうのさ。
あの夜、俺はなんとかその日稼いだ銅貨2枚を後生大事に持って、雪の中を歩いていた。遅い時間だったので、パン屋は閉まっていて、食い物にありつけるのは、翌日まで待たなきゃならなかった。正直、生きてその夜を越せるかどうか、自信がなかった。
風が吹き始めて、吹雪になるかも知れないと思い始めた時、暗がりの中から女が一人現れた。村の居酒屋で働いている娘だった。口を利いたことがなかったので、お互い会釈だけしてすれ違おうとした。彼女が足を止めて、話しかけてきたんだ。
「唇から血が出てるよ、兄さん」
食う物を食ってないから、健康だとは言えなかったんだ、あの頃は。唇も乾燥して荒れ放題。カサカサで切れていたんだな。寒さで気付かなかったんだ。
彼女はすっと俺に近づいてきた。俺は言葉を返すのも億劫で、彼女がどんどん顔を近づけ来るのをぼんやり見ているだけだった。
「生きるのも辛そうな顔だね。私が勇気づけてあげようか」
彼女はそう言って、俺の唇にキスをした。正確に言えば、キスするふりをして、俺の唇の血を舌で舐めたんだ。
彼女はすぐに身を退いた。ちょっと驚いていた様だ。
「あんたが、あのメトセラの・・・」
って言ったと思う。そして、舐めた俺の血を吐き捨てた。
「とんでもないのに出会っちまった。行っちまいな、ここはあんたがいる場所じゃないよ。」
俺は腹ぺこで、もう旅を続ける気力もないと答えた。すると彼女は近くの林を指さした。
「さっき、あそこでウサギを仕留めた。まだ雪に埋もれていないから、見つけられるだろ。それを食って、ここから去るがいい。」
そして雪の中を歩き去った。俺は言われた林に行き、そこでウサギの死骸を見つけた。綺麗に血抜きされていたので、小屋に持ち帰って火で炙って食べた。お陰でなんとか持ちこたえて、その国を出た。

それ以来、そこには戻らなかったし、彼女にも会っていない。
人々は彼女や彼女の一族を吸血鬼と呼ぶが、俺には恩人かも知れない。

-----ジェイク・スターマン著「トワニに聞いた物語」より

2012年11月4日日曜日

サンドールの野を愛す ライナス

アメリカ全土が不況で喘いでいた時代。

サンドールの集会所の入り口で捨て子が見つかった。生まれて一月足らずの男の子。
警察は親を捜したが、見つからな かった。サンドールは小さな町だから、子供がいなくなれば、すぐ近所の人が気付くだろう。これはきっと近隣の町か村の人間が夜中にやって来て棄てていった に違いない。寒くないように毛布でくるまれていたから、親は子供が死ぬことを望んでおらず、どこかの親切な人に拾われることを期待したのだろう。
仕方がな いので、警察は子供を隣町の孤児院に預けることに決めた。すると、子供を最初に発見した人物が、自分が育てようと申し出た。サンドールの住人は驚いた。彼 が孤児を養うなんて予想していなかったから。でも、彼は言った、
「この子の親は、子供がサンドールで生きていくことを選択したんだ」

ライナスと名付けられた赤ん坊は、こうしてトワニの小屋で育てられた。トワニはその日暮らしだったけれど、子供の養育費には困らなかった。サンドールの 住人たちが、子供に必要な食べ物や身の回りの物を分けてくれたからだ。サンドールの住人たちは、自分たちも不況で喘いでいた。それぞれの家庭は、子供が一 人増えるのは辛いが、余所の家の子供に少し分け与える余裕くらいはあった訳だ。その「余所の家」がトワニの家なら、なおさらだった。
ライナスは町中の人々によって育てられ、成長して、当時の若者がそうだった様に徴兵されて戦争にも行き、無事に退役して町に戻って来るとジョーンズ牧場 で働き始めた。牧場主が彼を気に入って娘と結婚させ、彼はライナス・ジョーンズと言う名前になり、その後も真面目に働き、子供が出来て、牧場は町で一番大 きな牧場となり、彼は町の名士に数えられるようになった。

「5人目の曾孫が生まれたんだよ、親父」
と、ライナスは、一番年長の曾孫と変わらない外観の若さを保つトワニに報告した。二人は馬に乗って牧場を見下ろせる丘の上にいた。
「どっちだい?」
「男。息子、孫に曾孫、全部男だ。」
「ジョーンズ家は代々女系だったが、おまえが入り婿してから逆転したな。」
「まだ3代しかたっていないよ。」
「いや、4代さ。おまえから数えるんだ。」
「俺は余所者の子だ」
「違うね」
トワニは断言した。
「おまえの親は、この町の住人がおまえを育てると知っていたんだ。」
「住人が俺を育ててくれたのは、俺が親父に引き取られたからだろ?」
「それを予想出来たと言うことは、おまえの親が俺の存在を知っていたと言うことだ。つまり、おまえの親は、サンドールで生まれ育って外へ出ていった人間だ。」
「親父は俺の本当の親が誰だか知ってるのか?」
「知らない。もし知っていたら、おまえは知りたいのか?」
ライナスは草原の果てに視線を向けた。
「いや。俺の親は親父一人だけだから。」
「だったら・・・」
トワニは馬の首を軽く叩いた。馬が草を噛むのを止めて、次の指示を待つように顔を上げた。
「おまえは余所者じゃないさ、ライナス。80にもなって、そんなことも知らなかったのか?、坊や」
トワニの馬が腹を蹴られて走り出した。やれやれ、とライナスは首を振った。いつまでたっても子供扱いするんだから・・・。彼も馬の腹を蹴ってトワニを追いかけた。
「そんなに飛ばすんじゃないぞ、親父、あんたも歳なんだから!」

2012年11月3日土曜日

サンドールの野を愛す お告げ


 水晶で占いをしている。 と言っても、水晶の中に何かが見える訳ではなくて、自分の頭の中にヴィジョンが浮かぶのだけど、それだけだと、誰も信用してく れないので、水晶玉をクッションの上に置いて、薄暗い部屋でお香なんぞ焚きながら、意味不明の呪文を唱えて、見えるふりをする。
一応、当たってるんだ。いや、よく当たるんだよ。だけどさ、はっきり全部言うと、みんな怖がるだろ?
おいらの占いはさ、本当にこれから起きることが見えちゃうから、絶対当たる。それが、良いことだったら、かまわない。だけど、不幸だったら、当たった時、何故か逆恨みされたりする。おいらのせいじゃないってのに。
だから、良くも悪くも、ちょっとぼかした言い方でお告げをするんだ。「3時間後にあなたは車に轢かれます」なんて、言えないじゃん。
「帰り道に、四つ角で車に気を付けなさいね」としか言わないのさ。

困った客は、何人もいたけど、一番変わってたのは、三日前に来た若い男でね・・・若く見えるんだけど・・・20歳くらいかな・・・だけど、老人の雰囲気がしたのよ。
その男が占ってくれって言うんだ。
「俺はいつまで生きなきゃいけないのか?」って。
変なこと訊くだろ? 
普通は「いつまで生きられるのか?」て訊くもんだぜ。

それで、いつも通りの手はずで、ヴィジョンを呼び出してみようとしたら、何も見えない。
いや、見えたんだが、それが何を意味するのか、おいらには、全く見当が付かないんだ。
その男の未来? 未来なのかなぁ・・・。

青だか緑だかわからない、陸地なのか、海の上なのか、それもわからない広い広い平原みたいなものが見えた。波打っていたのは水だろうか、草だろうか?
そこに白い道が見えた。真っ直ぐじゃなくて、緩やかに蛇行して、そのまま地平線(水平線)の向こう、光の中に消えていくんだ。

答えられなかったけど、答えを求められてた。おいらは仕方なく、その男に言ったよ。 彼はがっくりきていたけどね。
え? 何を言ったかって? 
おいらは、あの男にこう言ったのさ。

あんたの未来は永遠です。