2013年11月23日土曜日

赤竜 3

3 は掲載しない。
書いたのだが、もう取り出せないからだ。
一番最初の iMac の中に入っている。
取り出す前に、マシンが壊れてしまい、もうディスクから取り出すことが出来なくなってしまった。
どんな話か内容は少し覚えている。

オーリーとレインボウブロウは新しいアパートに引っ越す。
兄妹のふりをして始めた新生活だが、彼はまだ彼女の正体を掴めないでいる。

富裕層を顧客とするサナトリウムで変死事件が起きる。
入所者が何者かに押しつぶされた様な状態で死亡したのだ。
外部から人が侵入した様子はないが、施設内で人間の骨をバラバラに砕ける様なものも見つからない。
オーリーは庭に残された深い足跡を追うが、庭に並んだ石像の一つで足跡は途切れていた。
変死事件が解決出来ないので、オーリーはレインボウブロウをサナトリウムへ連れて行く。
彼女は塀の外で異常な気配を感じて中に入ることを拒む。

二人目の犠牲者が出て、警察は連続殺人として捜査するが、何の手がかりも得られない。
そのうちにオーリーは一人の従業員の態度が不審なことに気が付く。
従業員が石像の設置に関与したことが判明し、オーリーは大胆な仮説を立てる。

オーリーが従業員を問い詰めると彼は石像を動かして問題を起こす入所者を殺害したことを認める。
石像でオーリーを襲わせようとするが、そこにレインボウブロウが現れ、オーリーを間一髪で抱えて空へ。
石像は彼女が投げたダイナマイトで破壊された。


赤竜 2 その21

 レインボウブロウが身の回りの物を取りに帰るので、付いてこいと言った。相変わらずどちらが「ご主人様」か判らない。オーリーは早朝のカッスラー邸を訪 問した。ドアベルを鳴らすと、不用心にも直ぐドアが開いて、イヴェインが顔を出した。彼女は笑顔で挨拶するオーリーを無視してレインボウブロウを抱き締め た。
「良かった、帰って来てくれたのね。一昨日のこと、怒って出ていったのかと思った。」
 何があったのか知らないが、レインボウブロウが「ほらね」と言いたげにオーリーを見た。イヴェインは彼女に完全に寄りかかっている。しかし普通の人間で ないレインボウブロウにとっては、それは迷惑であり、イヴェインにとっても好ましくない事態だった。イヴェインは彼女の魔性の虜になってしまい、他の人間 が見えなくなりつつある。レインボウブロウはイヴェインを自分だけのペットにするつもりで生き返らせたのではない。綺麗な魂の持ち主を地上に留めたかった のだ。
「可愛いイヴ。」
とレインボウブロウが囁いた。
「もう苦しまなくていいからね。」
彼女は背伸びしてイヴェインに自分から抱きつき、唇にキスをした。女性同士のキスが美しく見えて、オーリーはドキリとした。イヴェインは目を閉じた。そし てゆっくりとレインボウブロウが体を離しても、そのまま固まった様に立っていた。レインボウブロウはオーリーを自分の位置に立たせた。
「荷物を取ってくるから、彼女を見ていて。」
 オーリーは言われた通りイヴェインを支えて立った。イヴェイン・カッスラーは美しい。やっと20歳だ。財産はあるが、守ってくれる人がいない。否、レイ ンボウブロウが陰から見守るだろう。では、オーリーの役割は?彼は自分がイヴェインの心に入って行けないことを悟りつつあった。彼は彼女を守ってくれる 「いいお巡りさん」でしかないのだ。もし、ここでイヴェインが彼を認めてくれても、それはレインボウブロウの魔法としかオーリーにも思えないだろう。二人 が愛し合えることが出来るのは、もっと先の話だ。
オーリーはイヴェインの唇に軽くキスをした。
 レインボウブロウが戻って来た。小さな鞄一つだけ持っている。
「先に車に乗っているから。」
と彼女はオーリーに言った。
「私がドアを閉じたら、彼女の時間が戻る。彼女は目覚めた時、私のことを忘れている。だから、そのつもりで会話して欲しい。」
 オーリーはイヴェインの顔を見つめたまま、尋ねた。
「君のことを忘れるって?ソーントンの屋敷のことも忘れるのか?」
「それは覚えている。私のことだけ、記憶から消した。支障はないはずだ。」
 レインボウブロウはオーリーとイヴェインの横を通り、外へ出た。彼女がドアを閉じた音で、イヴェインが目を開いた。オーリーは素早く身を離した。
「あら、オーリー、私、何をしていたのかしら。」
 ぼんやりとイヴェインが回りを見回した。
「寝起きだね。」
とオーリーは微笑んで見せた。
「勤務明けに、様子を伺いに寄らせてもらっただけだよ。変わりないかい。」
 イヴェインは彼が大好きな笑顔を見せた。
「ええ、新しい職場で友達が出来たの。いろいろ心配をおかけしたけれど、もう一人でも平気、有り難う。」
 そして、台所の方を振り返った。
「コーヒーでも如何?」
「否、遠慮しておく。早く帰ってベッドに潜り込みたいからね。」
 彼がドアを開いて外に出ると、イヴェインも見送りに出て来た。車を見て、彼女が尋ねた。
「お連れさんがいらっしゃるのね。ガールフレンド?」
 オーリーは首を振った。
「妹だよ。似てないのは、親が違うから。」
 イヴェインは笑顔で車中の娘に手を振り、オーリーに挨拶のキスをした。
「いいわね、姉妹がいて。私も兄弟が多い彼氏を見つけるわ。」
 オーリーは黙って微笑を返しただけだった。
 彼が車に戻り、走り出してから、レインボウブロウが話かけた。
「口説かなかったのか?」
「彼女の心に俺はいないよ。」
「これから入っていけばいい。」
 そして、彼女は尋ねた。
「引っ越しは何時にする?」
       終わり

2013年11月21日木曜日

赤竜 2 その20

「しかし、君はこいつと意志を通じ合えるだろう。」
 人魚はオーリーではなく、間違いなくレインボウブロウを恐れている。彼女が何者か判っているのだ。それは、彼女の隙ではなく、オーリーの隙を窺っている ことでも判った。彼を突き飛ばして海に戻りたいのだ。しかし彼女とは戦いたくない。どっちが強いか、どちらがより残酷になれるか、知っている。
 人魚が苦しげに口を開閉させた。水を求めていた。そろそろ皮膚が乾き、力を失ってしまいそうだ。
「早くしなければ、こいつは死んでしまうぞ。」
「死ねばいい。」
とレインボウブロウ。
「これは遊びで人間を殺した。今逃がしたら、また場所を変えて同じことをする。」
 人魚がオーリーの方へ体を進ませかけたので、彼女は彼の前へ入った。人魚は彼女に歯を剥き出してまた「シャーっ」と声を出した。
「駄目。」
と彼女がソレにきつい調子で言った。
「おまえは殺すことを楽しんだ。」
 人魚がまた「シャー」と言った。オーリーには全部同じに聞こえたが、レインボウブロウは違う答えを言った。
「人間は魚を食べる。おまえは人間を食べない。食べないのに殺すのは良くない。」
 人魚は熱い地面に顔をつけてしまいそうな位置に頭を降ろした。ソレにとって、焼けたフライパンの上にいる様な気分なのだろう。オーリーはこの醜いメルヘンのなれの果てが哀れに思えた。
「見逃してやるから、二度と陸地に近づかない、と誓え、と言ってくれ。さもなくば、このままここに置き去りにするぞ、て。」
 レインボウブロウは不本意ながら、「ご主人様」の言葉を繰り返した。オーリーには同じ英語に聞こえたが、人魚には別の言語として解釈された。人魚は大人しくなり、小さなシューシューと柔らかい声を出した。レインボウブロウがオーリーを振り返った。
「誓うそうだ。」
 人魚の世界の義理がどんなものか判らないオーリーは、彼女にもう一つ通訳させた。
「誓いの証を示せ。」
 人魚は躊躇った。ソレは何も持っていない。そしてオーリー同様、どうすれば人間に誓いを示せるのか判らないのだ。レインボウブロウが苛々した。遠くから 車のヘッドライトが近づくのが見えたからだ。彼女はいきなり人魚のそばにフワリと飛び寄った。人魚が身をかわそうとするのを、尻尾を抱える様にして捕まえ た。自分の身を尻尾の縁で切られないように用心しながら片腕で人魚を押さえつけ、彼女は人魚の左手首をたぐり寄せた。
「人間はおまえが害のないモノになれば安心する。」
 そう言って、いきなり人魚の手首をちぎり取った。オーリーは思わず目を海へ向けた。人魚が不気味な悲鳴を上げ、黒い血液が噴き出した。それでも、レインボウブロウは表情ひとつ変えずに、人魚の血が自分に降りかからないように素早く相手を海へと投げ込んだ。
 オーリーは桟橋の端に駆け寄り、暗い海面を覗き込んだ。人魚の姿は最早見えなかった。彼は顔を上げ、レインボウブロウが戦利品から血を絞り出すのを嫌悪の目で見た。
「あいつは出血で死ぬかも知れない。」
「それは地上の生き物のこと。それに、数年すれば、また新しい手が生える。」
 彼女は手首を振って、最後の一滴も捨てた。
「この血は、人間には猛毒だ。触れると、あなたは死んでしまう。」
「あいつは君を恨んでいるだろう。また人間を襲うのではないのか。」
「あれは誓った。もう陸には近づかない。」
「信用出来るのか。」
「血の誓いは神聖だ。破れば、あれは即座に死ぬ。」
 彼女は手首を地面に置き、衣服を身につけた。オーリーはクーラーボックスに気味の悪い手首を入れた。
「鑑識がこれをどう分析するか、見物だね。」
と彼は呟いた。

2013年11月18日月曜日

赤竜 2 その19

 数時間眠ってから、オーリーはレインボウブロウを連れて桟橋へ行った。二人目の犠牲者が出てから二日たっていた。また人魚は海岸に近づくだろう、と彼女が予想したからだ。
「何故、人魚は人間を襲うんだ。今迄そんなことはなかっただろう。」
「あっても、気付かれなかっただけかも知れない。染色工場に入り込んだのは、偶然だろう。」
 珍しく彼女が理論立てた話し方をした。
「井戸の中でフィルターを見つけた。水がそっちへ吸い込まれるので、何があるのかと興味を抱いて、フィルターを破った。水槽に入り込み、警備員を見つけ た。警備員がソレを見つけて刺激するような行動を取ったかも知れない。ソレは彼を捕まえて、水中へ引きずり込んだ。彼は抵抗して、銃でソレを撃ち、傷付け た。ソレは怒って、彼を溺死させた。」
「釣り人も何か注意を引いたのか?」
「釣り針がそれを怒らせたのかも知れない。或いは、警備員に撃たれて人間に敵意を抱いたソレが、たまたま見つけた釣り人を襲ったのかも知れない。」

「被害者の喉を掻き切ったのは、ソレのヒレか?」
「多分、尾びれだろう。」
 桟橋に到着した。まだ人通りがあった。オーリーは借りた釣り道具を出して、準備した。レインボウブロウは情報収集と称して、その辺の人間に声をかけて回った。
「この辺りで大きな魚を見たって聞いたけど、あんた知らない?」
 大体そんな質問だった。そして空振りに終わった。まともでない返事をした男がいたらしく、彼女は少し怒ってオーリーの元へ戻った。
「あいつ、海へ叩き込んでやろうか。」
 オーリーが針に餌を付けながら、「どうした」と尋ねても、それ以上は何も言わなかった。多分、女だと見て、卑猥な言葉でも投げかけた奴がいたのだろう、と彼は想像した。
 夜半になると、人影がなくなった。オーリーは故意に海のモノの注意を引く目的で、時々懐中電灯で海面を照らした。静かな夜の海だ。魔物がいてもおかしくない雰囲気だ。
彼の後ろの地面に、魔物としか思えない娘が座り込んで、黙想にふけっていた。二人は会話をしなかった。事件はいつも被害者が一人の時に起こっている。波の音だけが聞こえてオーリーは睡魔に襲われた。
 彼がうとうとと体を揺らし始めた時、レインボウブロウは目を開いた。沖の方で声が聞こえた。初めて聞く声だ。人間の声ではない。歌っているらしいが、初 耳のメロディーで、人間の音楽とは思えない。彼女はオーリーを見上げた。背中をやや丸めて、男は居眠りをしている。手に持った懐中電灯が海面ではなく地面 を照らしていた。彼女はブルゾンを脱ぎ、地面に置いた。ジーンズのジッパーを降ろす時は、音を立てぬよう、慎重にゆっくりと動いた。歌声が潮の流れに乗っ て、少しずつ接近してくるのがわかった。座ったまま,レインボウブロウはジーンズを脱ぎ、全裸になった。それから、オーリーの手を下から静かに支え上げ て、電灯の光を海面に向けた。オーリーが目を覚まし、彼女の手に気付いた。無言で彼は後ろを振り返り、彼女を見た。彼女が顎で海を指し示した。
 オーリーは目を凝らし、光の輪を動かした。彼には暗い海面と暗い波しか見えなかった。しかし風の音に混ざって、何やら気味の悪い哀しげな声みたいな音 を、微かながら聞き取った。彼は釣り竿を掴み、釣り人らしく、リールを捲いて針を引き上げ、餌を付け直してもう一度仕掛けを投げた。遠くの方で仕掛けが水 に落ちる音がした。彼は、沖の声が止んだ様な気がした。さっきの仕掛けの音が、人魚の注意を引いたのだろうか。彼は後ろのレインボウブロウを振り返った。 彼女は海から身を隠すかのごとく、彼のバックに入り、獲物に飛びかかる野獣の様に片膝を立てて身構えていた。
 そこで初めて彼は彼女が人魚と対決するつもりだと気付いた。逮捕するのではなく、殺してしまうつもりだ。人魚の言い分を聞く寛容さは持ち合わせていない。彼は生け捕りたいと伝えたかったが、口を利くことが許されるのか、判断出来なかった。
 波の音が変わった様な気がした。彼が釣り竿をスタンドに置いた途端、ザッと水音がした。直ぐ近くだった。振り向くと、大きな黒い物体が空中に飛び出した ところだった。彼は無意識に背中の拳銃に手を伸ばした。彼を飛び越して、レインボウブロウが物体に飛びついた。二つの黒い固まりが、空中でぶつかる鈍い音 を響かせ、桟橋の上に落下した。
 オーリーは叫んだ。
「殺すな、レニー、生け捕りたい。」
 彼女の返事はイエスでもノーでもなかった。
「そこ、どいて!」
 彼女が怒鳴るなり、物体の大きい方がオーリー目がけて飛んできた。オーリーは慌てて身を引き、危うく海に落ちるところだった。投げられた物体の方は車のそばに転がり、頭を持ち上げて、「シャー」と言う音を発した。オーリーは懐中電灯を拾い上げ、それに光を当てた。
 醜怪な顔が電灯の光の中に浮かび上がった。タイを平坦にした様な魚みたいな顔が、鋭いノコギリ状の歯を剥き出して威嚇していた。目は大きく、魚みたいに 感情がない。髪の毛だけが人間的だ。濡れた髪の房が顔に降りかかっている。オーリーは見たくないものを見てしまった思いで、光の輪を移動させた。人魚の前 肢は人間の腕と手に似ていた。指の間に水かきがついているのと、爪が長いのが、特徴だが、肌も人間のものに似ていた。胸は平坦だ。人間が期待する乳房はな かった。雄かも知れない、とオーリーはこの際どうでもいいことを考えた。人魚の腰から下は、期待を裏切らず、魚だった。ピンと緊張して突っ立った尻尾は鋭 利な刃物みたいだ。レインボウブロウに投げ飛ばされて怪我をしたのか、額から黒い滴が流れ落ちた。
 レインボウブロウが立ち上がった。背中の翼を半開きにして、彼女も人魚を威嚇した。
「どうすれば、いい?」
 オーリーは手錠を出しながら、彼女に尋ねた。
「近づくな。」
とレインボウブロウ。
「あの尻尾で叩かれれば、あなたは切り刻まれる。」
「だが、捕まえなければ。」
「捕まえて、どうする?」
「どうするって・・・」
 見せ物にするのか?オーリーは自問自答した。これは動物なのか、それとも心を持った
生き物なのか。殺人犯に違いないだろうが、それは生きる世界が違うから、と言う理由だけなのでは?
 人魚は後退は苦手の様だ、少なくとも、地上では。何とかしてオーリーとレインボウブロウの防衛戦を突破して海に逃げ込もうと、隙を窺っていた。
 オーリーは思った、人間にこれ以上害を与えないと保証されれば、見逃してやってもいい、此の世で最後の人魚かも知れないのだから、と。
「通訳してくれないか、レニー。」
 はあ?と言いたげに彼女が振り返った。彼は続けた。
「陸の生き物に構うな、と言ってくれ。もう人間を襲わないと誓うなら、見逃してやる、と。」
「オルランド。」
 彼女が腹立たしそうに抗議した。
「私はこんな魚もどきの言葉など話さない。」

2013年11月15日金曜日

赤竜 2 その18

レインボウブロウはまだくたびれた顔で、窓から庭を見た。芝生が伸び放題だ。
「あなたは、絵本やディズニーのアニメの人魚しか想像出来ないのか?」
と彼女は苛ついた声で言った。
「と言うと、真実の人魚はあんな可愛いモノじゃないってことか。」
「可愛い人魚は人間が創りだした想像上の生き物だ。」
 彼女は瓶を口に当てて、水を飲み干した。
「上半身は確かに人間に似ている。腕があるし、胴と頭は首で繋がっている。髪の毛みたいな体毛もある。下半身は魚みたいだ。鱗とヒレがある。でも、性格は人間でも魚でもない。」
 彼女と人魚と、どっちが人間離れしているのだろう、と思いつつ、オーリーは立ち上がった。
「もし、鑑識が人魚だと断定したら、どうすればいいんだ?」
 彼女は現実的な答えを述べた。
「夜間は海に近づくな、と市民に警告を出せば?」
 そして地下室に向かって歩き始めた。
「何処かにもっと広いアパートを借りてよ、オルランド。」
「何の為に。」
「私もそこに引っ越すから。」

 魚類の専門家は鱗の正体を掴めなかった。
「シーラカンスに似ているって。」
 検死官に言われても、オーリーには何のことか解らない。ライリーだって古代から生きている魚の知識なんて持っていない。
「でもね、シーラカンスはアメリカ沿岸にはいないの。マダガスカル沖にいる魚なの。」
「そこは、つまり・・・」
「アフリカよ。」
「それは、人間を引きずり込む程強いのかい。」
「深海魚だって言ってたわ。それにシーラカンスに殺された人なんて、聞いたことないって。」
「じゃ、新種の魚だ。」
とライリー。新種の化け物さ、とオーリーは心の中で反論した。「赤竜」に描かれていた人魚は、ちっとも美しくなかった。魚の顔をした女もどきの半魚人、すっかり夢をぶち壊してくれた怪物。
「被害者の喉の傷はノコギリの歯で付いたみたい。一気にやったのね。」
 そうじゃない、とオーリー。人魚はノコギリなんか持っていない。そんな人魚がいたら驚きだ。危なかしくって、船にも乗れない。人魚の凶器は尻尾だ。固い魚のヒレは人間の柔らかい皮膚を切り裂く。
「染色工場と同じ犯人だとしたら、動機はなんだ。それに、工場には何処から入ったんだ。」
 ライリーはぶつぶつ言った。オーリーの方はもうそんな次元を越えていた。どうすれば、人魚の攻撃から釣り人やデートするカップルや海が好きな子供たちを守ることが出来るのだろう。
 勤務が終わってアパートに帰ると、そこにも鱗マニアがいて、彼のバスルームでビールを飲んでいた。
「イヴェインの家に帰ってやれよ。寂しがるだろう。」
 オーリーが注意すると、彼女はプイと横を向いた。
「あの子を独立させたい。一緒にいては、あの子が駄目になる。」
 彼はくたびれていたので、イヴェイン・カッスラーの将来についてこの場で論争する気力はなかった。居間を指さして、「ご主人様」として命令することに挑戦した。
「俺のバスルームだ。これから使う。出ていけ。」
 レインボウブロウは水から出て、ビショビショのまま床に下り、彼の目の前でブルブルと子犬の様に体を震った。お陰で彼は服を脱ぐ前に濡れた。
 彼がシャワーを浴びてさっぱりして居間に戻ると、彼女はテレビを見ていた。「楽しい釣り紀行」だ。ルアーでマスを釣る場面だった。オーリーは釣りを嫌いだと思ったことはないが、わざわざ道具を揃えて貴重な休日を水辺で一日潰す程の趣味でもなかった。
「釣りは好きか?」
とレインボウブロウに聞かれた時、彼は寝室に持ち込むビールを取りに冷蔵庫に向かっていた。
「嫌いではないな。」
「では、今夜、桟橋に行こう。」
 彼女は画面の中のルアーの動きを見ながら提案した。
「大きな魚を釣る。多分、あなたも釣り上げたい魚だ。」

赤竜 2 その17

カッスラー家にオーリーが立ち寄ると、当然ながら、イヴェインは仕事に出ていた。合い鍵で中に入ったオーリーは、居間の床の上にレインボウブロウが 倒れているのを発見して、ギョッとした。彼女は全裸だった。脚の付け根部分まで鱗に覆われた体を丸めて胎児の姿勢で敷物の上に転がっていた。彼はびっくり して彼女に駆け寄り、声をかけながら抱き起こそうとした。彼女が瞼を開き、かったるそうに返事をした。
「なに?」
「どうしたんだ、こんな所で・・・」
 オーリーに支えられたまま、彼女は周囲を見回した。それから、彼を見て、体を離した。
「油断した・・・」
と彼女は口の中で呟いた。床に散乱している衣服をかき集め、さっさと自分用にあてがわれた部屋に入って行った。オーリーはソファに座り込んだ。何があった んだ?レインボウブロウが自分の家でどんな恰好でどんな場所で寝ようが、彼女の勝手だが、イヴェインは気にしないのか?それに、レインボウブロウのお尻に は短い尻尾があった。
 レインボウブロウが新しい服を着て戻って来た。台所経由で水の瓶を持っていた。
「何の用?」
 何事もなかった様子なので、本当に何もなかったのだろう、とオーリーは思うことにした。それで、桟橋の死体の話を聞かせた。レインボウブロウは疲れた表情で時計を見た。
もう昼過ぎだ。自分でも呆れる程長い時間眠っていたらしい。
「首を切られていた?」
と呟いて、不愉快な顔をした。昨夜あれほど拒否したのに、イヴェインに喉を触られた。
犠牲者も、不愉快だったに違いない。
 オーリーが尋ねた。
「人魚は人間の喉を裂いたりするのか?」
「私は人魚の趣味なんか知らない。」
「だが、君は犯人が人魚だと、俺に示唆した。」
 彼女が小さく頷いたので、彼はやはり想像と推理がピッタリこなくて、困った。
「何故人魚が人を襲うんだ。」

赤竜 2 その16

 レインボウブロウは出口に向かって歩き始めた。
「フィルターの穴を通り抜けられる大きさ。爪を持っている。水の中に住んでいて、人間に興味がある。」
「何故興味があるんだ。」
「似ているから。」

 レインボウブロウが深夜もかなり更けた時刻に帰宅すると、居間の敷物の上でイヴェインが泣き疲れて眠っていた。同居人のお嬢様を怒らせてしまったと思い こんだのだ。レインボウブロウは彼女より小柄ながら、力は強かったので、彼女を寝室に運ぶつもりで、抱き上げようとした。彼女の背中に手を回すと、イヴェ インが目を開いた。無駄な労働はしない主義のレインボウブロウは声をかけた。
「起きて自分でベッドに行きなさい。」
 イヴェインは目の前の彼女を見つめた。彼女の黄色い目を見つめ、夢を見ているのかと思った。
「私のレニーは、人じゃない・・・」
と彼女は囁き、いきなり相手の後頭部に手を回して自分の方へ寄せた。キスの間、レインボウブロウは目を開いたまま、イヴェインの表情を窺っていた。彼女の 可愛いイヴが、何処まで正気なのか、見極めようと試みた。何時の間にやら、彼女はイヴェインの体の下になっていた。喉だけは触れられないように警戒しなが らも、愛撫を受け入れた。まだ未熟なテクニックだな、と思いつつ、早くこの家から去ってしまおう、と決心したのだった。

 オーリーはレインボウブロウが言った言葉を自分の頭の中で反芻してみた。冷たい血液を持っていて、鱗と爪があり、人間に似ている水の中の生き物。人間に似ている・・。
まさか、人魚が犯人だと言うのか?そんなモノが実在するのか?まだ大ウミヘビの方が現実的だ。人魚なんて。それに人魚は人を殺すのか?オーリーにはアンデルセンの「リトルマーメイド」のイメージしか浮かばない。
 電話が鳴った。刑事部屋に早朝にかかる電話は、事件の通報しかない。ライリーが電話に出て、話を聞く。オーリーは人魚のことを考えていた。ライリーが電話を置いて、振り返った。
「殺しだ。今度は桟橋だ。」
 現場は昨夜レインボウブロウが海に入った桟橋から余り離れていない場所だった。早朝に釣りに出ようとボートを出しに来た男が、海面に浮いている死体を発 見した。そっちも男だった。近くの岸壁に釣り道具が散乱しており、身分証から直ぐに身元が判明した。死体の肌はひっかき傷だらけで、致命傷はパックリと開 いた喉の傷だった。慎重に引き上げなければ、首がちぎれそうになる程、深くえぐられていた。
 深夜近くに男の叫び声を聞いたと言う通報もあった。喧嘩でもしているのだろう、と思ったカップルは、その時点で警察を呼ばなかった。自分たちのことで頭 がいっぱいだったからだ。ライリーは強盗に襲われたか、怨恨か、と考えたが、オーリーは人魚を想像した。あんなモノをどうやって捕まえたらいいんだ?
 検死の結果、死体の喉の傷は、刃物ではなく、少しギザギザした固く薄い物で付けられたのだろう、と判定された。被害者は近所の街から夜釣りに来ていた。 現場では常連だったが、他人とトラブルを起こしたことはなかった。被害者の裂かれた衣服に、銀色の鱗の破片が付着していた。
「大きな魚みたい。」
と検死官が言った。
「染工場での死体のそばにも落ちていたよね?海洋生物の専門家に見てもらうわ。」
 検死官はオーリーから鱗を預かった。レインボウブロウが川で見つけた鱗も持って行った。専門家がどんな分析をするのだろう、とオーリーは興味があった。ライリーは魚と殺人にどんな関係があるのか、と馬鹿にした態度で、検死局を出た。

2013年11月14日木曜日

赤竜 2 その15

 刑事には全く出番がない夜だってある。オーリーとライリーは刑事部屋で、ラジオを聞きながら、溜まった報告書の作成や、証拠物件の整理用タグ作りを、半 ば嫌々していた。そこへ、レインボウブロウが現れた。着替えて黒いTシャツにジーンズだ。刑事部屋では彼女は既に知られた顔だった。誰もが、「オーリーは イヴェインとレニーに二股かけている」と信じている。受付をフリーパスに近い状態で通り抜けた彼女は、オーリーの机のそばに近づいた。オーリーは旧式のタ イプライターに毒づきながら、書類を作成している最中だった。
「手入れをすれば、もっと軽く動く。」
 レインボウブロウの声に、彼は危うく指をキーとキーの間に突っ込むところだった。
「レニー、何だよ、こんな遅い時間に・・・」
 彼が文句を口に出すと、脇からライリーが真実を述べた。
「いつも遅い時間にしか来ないじゃんか。」
 確かに、レインボウブロウが警察署に顔を出すのは、オーリーの深夜勤務の時だけだった。彼女は周囲を無視して、オーリーに話しかけた。
「考えたのだが、私たちは思い違いをしていたらしい。」
 オーリーは顔を上げて彼女を見た。彼女は人前では必ずサングラスを掛ける。この時も、夜用の薄い色だが目の特徴を隠すことが出来る程度の茶色い眼鏡を掛けていた。
「思い違い?」
 オーリーが彼女の言葉を繰り返すと、彼女がもう少しだけ詳しく言った。
「大ウミヘビじゃない、と言うこと。」
 オーリーは素早く周囲を見回した。レインボウブロウの身体的特異性や、イヴェイン・カッスラーの復活は秘密だ。だから、染色工場での殺人の犯人が人間でないと言う考えすら秘密だった。相棒のライリーにさえ明かしていない。ライリーが
「蛇がなんだって?」
と尋ねたので、
「骨董品の置物の話だ。」
と誤魔化した。骨董品鑑定士、と言うふれこみのレインボウブロウは、オーリーに廊下に出ろ、と合図した。ライリーは骨董品にも彼女にも興味がなかったので、それきり首を突っ込んでこなかった。
 オーリーは彼女をコーヒーの自動販売機の前に連れて行った。そこにはベンチがあるのだ。二人は腰を下ろした。
「警備員を殺した犯人が大ウミヘビでない、と言う確証はあるのか。」
 レインボウブロウはいつも通りに遠回しに答えた。
「大ウミヘビは人間に興味がない。水の外にいる人間には無関心だ。」
「食い物に見えたんだろう。」
「犠牲者は食われていたのか?」
「否。」
「では、食べる為に襲いかかったのではない。犯人は人間に興味があった。」
「どんな興味だ。」
「触ってみたかったのだ。」
 オーリーは彼女のモノの言い方に慣れたつもりだったが、また苛々した。
「誰が、何故、警備員を襲ったのか、はっきり考えを言ってくれ。」
 レインボウブロウは大声を出されるのが嫌いだ。彼女は立ち上がって、「帰る」と言った。待て、とオーリーは彼女の手首を掴み、その冷たさにびっくりし た。今朝抱き上げて運んだ時も同じだったが、あの時は彼女が海で泳いだ後だったし、血の気を失っている様に見えたので、気にならなかった。思わず手を離し てしまった彼に、彼女が尋ねた。
「私の肌は冷たいか。」
「ああ・・・」
 オーリーは正直に答えた。
「血が通っていないみたいだ。」
「血は通っている。」
「知っているよ。怪我をすれば、君は血を流している。俺たちと同じ赤い血だ。」
 彼女自身の血液に関する話は唐突に打ち切られた。
「犯人も冷たい血を持っている。だから、警備員に触れた時、火傷したはずだ。人間の体温はソレには高すぎた。だから、ソレは警備員を水に引きずり込んで、 冷たくしようとした。人間は水中では呼吸が出来ない。当然彼は暴れ、抵抗した。ソレは彼を逃がすまいとしがみつき、死なせてしまった。」
「ソレとは、何者だ。」
「鱗がある。」

2013年11月13日水曜日

赤竜 2 その14

「動かないで、お願い。」
 イヴェインが囁いた。
「あなたの冷たい肌が好き。」
 彼女の頬が胸に押し当てられた。当惑したレインボウブロウは、彼女を拒否する代わりに注文を付けた。
「前は触らないで欲しい。背中にして。」
 彼女に愛撫されながら、レインボウブロウは死んだオーランド・ソーントンを思い出した。それから、ソーントンの前のオーランドを思い出し、そのまた前の オルランダを思い出した。そして人間は異形のモノを憎み、恐れる一方で、どうして固執するのだろう、と不思議に感じた。そしてオーランド・ワールウィンド には気の毒な結果になった、と同情した。冷たい鱗が好きな人間は、温かい人間の肌を愛せない。
 イヴェインの手が、鱗がない肩を撫でた時、レインボウブロウは頭の中を殴られたような気がした。彼女がいきなり起きあがったので、イヴェインは怒らせたのかと思って、不安そうに身を縮めた。
「レニー?」
 レインボウブロウの心は既にここになかった。
「思い違いをしていた。」
と彼女は呟いた。

2013年11月12日火曜日

赤竜 2 その13

イヴェイン・カッスラーが居間に出ていくと、オーランド・ワールウィンド刑事は既に勤務に就くべく出ていった後だった。珍しくレインボウブロウが夜だと言 うのに外出せずにソファに寝そべってテレビを見ていた。イヴェインはソファとL字形を形作るもう一辺の椅子に座った。レインボウブロウが見ているのはナ ショナルジオグラフィックで、爬虫類の特集だった。イヴェインは番組には興味がなかった。
「さっきは御免なさい。」
と彼女が恐る恐る話しかけた。
「あなたもオーリーも私を気遣ってくれているって、わかっていた。でも、素直になれなかったの。あなたたち以外の人は、私が旦那様の遺産を受け継いだこと を知ってから、友達になった。彼らの何処までが本心で、どこからが偽りなのか、私は解らない。毎日が緊張の連続で、誰を何処まで信じていいのか、混乱して いる。だから、あなたやオーリーの忠告を受けた時、感情の抑制が利かなくなったの。御免なさい、折角食事の用意までしてくれていたのに。」
 レインボウブロウは目だけ動かして彼女を見た。もう瞳孔は閉じて細くなっていた。
「あなたはまだ子供。」
と彼女が言った。
「だから、オルランドがあなたを愛していると気が付かないだけ。」
 イヴェインが姿勢を正した。
「彼がいい人だと知っているつもりよ。でも、今はそれだけ、お友達以上の気持ちを持てない。」
「では、彼にそう言えば・・・」
 レインボウブロウはあくまで他人の心に距離を保とうとした。だから、イヴェインが椅子から離れて、ソファの下の敷物の上に座り、レインボウブロウの鱗に覆われた胸を撫でた時、少しびっくりして、上体を浮かしかけた。

赤竜 2 その12

「彼が今度の日曜日に田舎へドライヴに行こう、て言うの。一緒に来てくれるかしら、レニー。」
 オーリーはびっくりした。イヴェインがもてるのはわかる。でも、どうして簡単にデートの誘いに応じるのだ。オーリーとのデートと同じ次元なのか?
 レインボウブロウがビールの瓶を片手に体を少しリズミカルに揺らしながら、イヴェインに言った。(彼女はこの日5本目のビールだった。)
「何故一人で行かない?」
「だって・・・」
 大柄な娘が目を伏せた。
「怖いの、私、男の人と二人切りになるのが怖い。」
 オーリーはハッとした。イヴェインは貧民街の出だ。彼女はかつて生活の為に体を売ろうとしたことがあった。実際に売ったのか、未だなのか、それは彼にはわからない。彼女は縄張り争いに巻き込まれ、喧嘩相手の娼婦たちの用心棒から暴行を受けて”死んだ”。
レインボウブロウに助けられた彼女は、「死」の記憶がない。しかし、男たちから酷い目に遭わされた記憶は心の何処かに残っているのだ。だから、彼女は男性に対して完全に心を許せないでいる。オーリーの様に親しくなった人間に対しても、やはり警戒してしまうのだ。
「嫌なら、行かなくてもいいじゃないか。」
とオーリーが言って、イヴェインの視線を浴びた。彼は思いきって彼女に言った。
「二人切りになれないのは、彼に対して信頼が持てないからだろう。それなら、焦らずにデートを断ればいい。その方が俺も安心出来る。」
「でも、次の日から仕事がやりにくくなるんじゃないかしら。」
「一回断られただけで、気まずくなるような相手は、なおさら駄目だ。」
 イヴェインは仕事がスムーズに出来るようにデートの誘いを受けたのだ。オーリーは少しだけ安心した。
「臆病になるなよ、イヴ。君は十分魅力的だ。職場の人間だけを相手にする必要なんかないんだよ。それに、現在の職場に何時までもいる訳じゃないだろう。もっと条件がいい所を見つけて転職すればいいんだ。」
 イヴェインは困って、いつもの行動を取った。即ち、レインボウブロウの顔色を窺ったのだ。
「ねえ、レニー・・・」
 レインボウブロウは6本目の栓を開けながら答えた。
「私は行かない。」
 イヴェインが唇を突き出した。
「二人とも、意地悪ね。私は遊びに行きたいだけなのに。」
 レインボウブロウが彼女を眺めた。酔いが回っているのか、瞳孔が開いて、黒目になっていた。
「誰とでも遊んでいいと言うものじゃない。」
と彼女がぴしゃりと言って、イヴェインとオーリーを驚かせた。
「あなたは、財産を持っているし、若くて美しい。だからこそ、友達は慎重に選ぶべきだ。誰があなたを一番大事に思っているのか、よく考えるといい。」
 オーリーは若いイヴェインがショックを受けたことを感じた。彼女は勢いよく立ち上がった。
「私は財産を下さいと言った覚えはないわ。愛されるって、どう言うことなのか、わからないの。優しくしてくれる人とドライヴして何が悪いの。」
 食堂から彼女は走り出して行った。オーリーは彼女の寝室のドアがパタンと閉まる音を聞いた。彼はレインボウブロウを見た。鱗がある娘はその日初めて食べ物らしい物を、アンチョビの欠片を口に入れたところだった。
「怒らせたぞ。」
「気になるなら、慰めに行けば。」
 彼女は冷めて固くなりかけたチーズを嘗めた。
「どうして、ウミヘビは工場の警備員を殺めたのだろう。」
と彼女は呟いて、オーリーに彼が警官であることを思い出させた。

2013年11月10日日曜日

赤竜 2 その11

 オーリーが目覚めて居間に入ると、レインボウブロウは既に起きていて、彼の為にコーヒーを入れてくれた。彼女自身は水、もしくはビールだ。彼が「お早 う」と言うと、彼女は「今日は」と訂正した。午後3時を過ぎていたから、確かに彼女が正しい。彼は席に着いた。レインボウブロウが「赤竜」を開いて、彼に 挿絵を見せた。
「こんな生き物を見たことがある?」
 鱗を持った長い体の怪物が波を潜ってのたくっている絵だ。
「大ウミヘビだな。子供の頃に絵本で見たよ。」
「本当にいるの?」
「まさか・・・」
 オーリーは笑ったが、彼女と視線が合うと、ハッとして笑うのを止めた。彼女は鱗があって、翼を持っている。
「いても不思議じゃないな。」
と彼は呟いた。
「その本の中の怪物や聖獣が本当にいない、と言う立証は誰もしていないんだから。」
 絵の中の大ウミヘビには小さな翼があった。意味がない程小さな翼だ。
「君はその鱗が大ウミヘビのモノだと思うのかい。」
 レインボウブロウはビニル袋の中の鱗と、新しい鱗を眺めた。
「我が一族のモノでないことは確かだ。」
と彼女が呟いた。彼女の一族が何者か、オーリーは尋ねたい誘惑にかられたが、我慢した。彼女は答えてくれないに決まっている。
「君はこんな生き物に出会ったことはないのか。」
 レインボウブロウは彼女自身に少しでも関係する質問には、必ず簡潔に答える。この質問も同じだった。
「ない。」
 そして時計を見た。
「イヴェインの家に帰る。」
と彼女が言った。
「たまには、彼女と夕食を一緒にしよう。あなたは、仕事なのか?」
「夜中から仕事だ。夕食くらいなら、つきあえるけど。」
「では、これから行こう。」
 それは、つまりのところ、車に乗せていけ、と言う意味だった。オーリーはシャワーを浴びて、服を着替えた。バスルームはレインボウブロウが使ったはずだったが、綺麗なままだった。むしろ、昨日より綺麗だ。彼女は自分の場所を掃除したに違いない。
 途中のスーパーマーケットで、買い物をした。と言っても、彼女はお金を持ち歩かないので、オーリーが支払いをしたのだが、ピザと果物とチョコレートケー キを買っただけだったので、大した額ではなかった。どっちが「ご主人様」なのだろう、と疑問を感じつつ、オーリーは紙袋を抱えて、レインボウブロウの後ろ に付いてイヴェイン・カッスラーの家に入った。
 イヴェインはまだ帰っていなくて、レインボウブロウは素早く室内を片づけ、食堂に夕食の準備を整えた。オーリーは果物を盛りつける役目だった。女主人が帰宅した時には、どうにかホームパーティーの体裁が出来ていた。
 イヴェインはレインボウブロウに抱きついてキスをしたが、オーリーには握手だけだった。いつになれば、気を許してくれるのだろう、と彼はスローテンポの恋に苛ついた。
「仕事は楽しいかい。」
 当たり障りのない会話が続き、やがてイヴェインが同僚の話を始めた。男性だ、とオーリーが意識した時、彼女はレインボウブロウに言った。

2013年11月9日土曜日

赤竜 2 その10

「ママに言いつけるぞ。」
 レインボウブロウが呟いた。
「ビール飲みたい。」
 ジルがドアから出ていった。
「警察の仕事も大変だと思うけど、妹の管理もしっかりやんなよ。」
 ドアが閉まった。オーリーが鍵をかけて戻ると、レインボウブロウは立ち上がって、台所に入って行こうとしていた。右手が脇腹を押さえているから、怪我は本当のことだ。
「俺に出来ることは。」
「バスルーム貸して。」
 彼女は冷蔵庫を開いて、バドワイザーの瓶を出した。栓をテーブルの角で抜いて、ラッパ飲みだ。どう言うべきかオーリーが考えていると、彼女が振り返った。
「早く寝たら。夕方からまた勤務でしょう。」
 また彼女のペースだ。オーリーは主導権を取りたかった。彼が「ご主人様」だと言ったのは彼女の方なのだ。
「寝る前に、君の報告を聞きたいね。海だか川だか知らないが、何か見つけたのか。それに、その脇腹の傷はどうした。」
 レインボウブロウは椅子を出して座った。
「川で穴を見つけた。例の工場の井戸に続いていた。中には何もいなかった。」
 彼女は一枚の靴べらに似た鱗を出した。
「穴から川に戻ったところで、岩に引っ掛かっていた。」
 オーリーは鱗を受け取った。ビニル袋に入れた鱗と比較すると、ぴったりだった。
「持ち主はいなかったのか?」
「いなかった。多分、川か海にいるのだろう。」
「何だろう。」
「知らない。」
「その傷はどうしたんだ。」
「パイプの角で引っ掛けた。」
 すぐ治る類の傷らしい。彼女は数ヶ月前に銃弾を2発食らったことがある。その時も2,3日で治ってしまった。オーリーは薬箱を出してテーブルに置き、寝室へ向かった。
「イヴェインに連絡してやれよ。明け方になっても君が帰らないのでは、心配するだろう。」

赤竜 2 その9

明け方近くにレインボウブロウは戻ってきた。オーリーは車内で寝ていた。イヴェインとの電話での会話で満足してしまったのだ。レインボウブロウは海から上 がると、体をブルブルと震って水滴を落とし、車に近づいた。オーリーを眺め、それからブイに戻って、服を身につけた。髪を指で撫でつけてから、車に戻り、 窓をコツコツと叩いた。オーリーが顔をしかめたが、目覚めなかった。彼女は東の空を見た。白みがかっている。もうすぐ太陽が昇って来る。彼女はドアを開い た。
「起きて、オルランド。」
 鋭い声で怒鳴られて、オーリーがビクッと上体を起こした。
「レニー・・・戻ったのか。」
 手で顔をこすって眠気を拭い去ろうとしている彼の隣に、彼女は滑り込んだ。
「私も休息が必要だ。あなたのアパートに行こう。」
「ああ、ちょっと待って。」
 オーリーは必死で眠気を払う努力をした。首を振っていると、彼女の方は体の力を抜いて目を閉じた。疲れている。一晩泳いでいたのだ。無理もない。
 オーリーはエンジンをかけ、車を出した。彼女には声をかけないようにして、運転に精を出した。
 アパートに帰り着いた時には既に太陽はかなり高くなっていた。オーリーは建物の前のいつものスペースに駐車して、助手席を振り返った。そして、ドキリとした。レインボウブロウのTシャツに赤い血が滲んでいた。また怪我をしている。右脇腹だ。
「レニー、動けるかい。」
 彼が声をかけると、彼女は瞼を薄く開いた。小さく首を振ってまた目を閉じた。仕方がない。彼は車外に出ると、助手席側に回り、彼女を抱き上げた。小柄な ので、軽いのが救いだ。彼女を抱いたままで一気に階段を駆け上った。部屋の前で鍵を出そうと奮闘していると、隣室のジル・ロビンソンが顔を出した。
「何しているの、オーリー。」
「鍵をポケットから出そうとしているんだよ。」
 レインボウブロウを肩に担げば楽なのだが、彼女は怪我をしている。ジルがオーリーの腕の中の娘を覗き込んだ。
「誰なの。」
「妹」
 咄嗟に出た嘘だ。ジルはブロンドのオーリーと漆黒の髪のレインボウブロウを見比べた。オーリーにはそんな悠長なやりとりをしている心の余裕がなかった。自分の腰をジルの方に突き出した。
「このポケットの中から鍵を出して開けてくれないかな。」
「いいわよ。」
 ジルは言われた通りに鍵を出してドアを開けた。そしてオーリーが中に入ってレインボウブロウをソファに降ろすところまで付いてきて見ていた。
「この子、どこか具合悪いの?真っ青よ。」
 レインボウブロウが青白いのは元からだ。だが、この時は唇まで血の気が失せて白かった。彼女がただの女性なら、オーリーは医者を呼んでくれとジルに言う ところだ。しかし彼女は鱗がある。背中にはコウモリみたいな翼まで付いている。オーリーがどうしたものかと迷った時、レインボウブロウ当人が目を開いて、 彼に声をかけた。
「ビール」
「はあ?」
 すると彼女はいきなりアルコール臭の強い息を吐き出した。ジルが顔を引っ込めた。
「なに、この子酔っぱらっているのね。」
 オーリーはそれに調子を合わせた。
「そうなんだ、海岸で朝迄飲んでいてね。やっと見つけて連れ帰ったんだ。」
 そしてレインボウブロウに囁いた。

赤竜 2 その8

「あら、オーリー」
とイヴェインの明るい声が聞こえてきた。オーリーは嬉しくなった。
「もう寝ているかと思った。」
「それなのに、電話をかけたの?何かあったの?」
「否、何もない。退屈だからかけているんだ。いいかな、少しお喋りしても。」
「いいわ。」
 電話だと、イヴェインは愛想がいい。
「今お仕事中なの?」
「勤務は明けた。でも、少し調べたいことがあってね。」
 レインボウブロウに手伝わせているとは言いたくなかった。イヴェインにとって、彼女はあくまで主人だ。刑事の手伝いをしていると知ったら、オーリーはもう口を利いてもらえなくなるだろう。
「君は何をしているの。」
「紙人形を作っているところよ。」
「面白いかい。」
「ええ、今野菜に手足を付けた人形をグループで作っているの。私の担当はニンジンの姉妹よ。」
「まさか、レニーを待って起きているんじゃないだろうね。」
「違うわ。彼女はいつも明け方に帰るのよ。待っていたら、眠る時間がなくなるわ。」
「それなら、良かった。」
 イヴェインはレインボウブロウが去ることを恐れている。だから、彼女が昔通りの生活習慣を続けることに異議を唱えない。顔を合わせる機会が少なくても、 同じ家に彼女が住んでいると言うだけで、イヴェインは安心出来るのだ。イヴェインは寂しいのだ、とオーリーは感じた。不遇な子供時代、殺される危険を呼び 込んでしまった娼婦稼業、女中生活、主人ソーントンの非業の死。イヴェイン・カッスラーは本当の安らぎを知らない。だからレインボウブロウが得体の知れな い人物であっても、自分を守ってくれるのだと信じて頼り切っている。オーリーは彼女の信頼をレインボウブロウから彼に向けたいと切に願った。

2013年11月5日火曜日

赤竜 2 その7


 勤務交代を済ませると、オーリーは大慌てでファーストフードを買い込み、海岸へ走った。レインボウブロウを降ろした桟橋に近づくと、彼女がブイに座って 海面を眺めているのが見えた。彼が車を停めて外に出ると、彼女は振り向かなかったが、耳だけ、こちらへ向けた・・・と彼には思えた。
「イヴェインには何て説明したんだい。」
 彼が近づくと、彼女は「別に」と言った。
「彼女は私が夜出かける習慣を知っている。昼間から出ていることもあるから、気にしないはずだ。」
「電話くらい掛けてやればいいのに。」
 レインボウブロウは両手を広げて見せた。
「お金は持ち歩かないのだ。」
「・・・」
 言い返せない。その件はこれで終わりだった。オーリーは彼女の横に立ったまま、食事の袋を開いた。
「魚のフライ、ハンバーガー、フレンチフライ、好きなだけ食っていいぞ。」
 差し出された袋に、レインボウブロウは目もくれないで、そのくせ、手だけ伸ばして魚のフライが入った小袋を取り出した。そして二口、三口食べると、残りを返品した。彼女がそれ以上食べるのも、魚以外の物を口に入れるのも、オーリーはまだ見たことがなかった。
「いつも少ししか食わないのか。」
「食事は・・・に一回。」
と彼女は小さく呟いてから、立ち上がった。それから桟橋の周囲を眺めた。ボートが二隻係留されているだけで、他に人はいない。もう少し早ければデートする 人々やローラースケートを楽しむ若者が大勢いたのだが、遅い時刻なので誰もいない。波の音と遠くの道路から聞こえて来る車の騒音だけがBGMだった。その 夜は月が明るく、街灯の明かりを頼らなくても外を歩ける程だった。満月だ。オーリーは満月が好きでない。警官はみんな好きじゃないだろう、と思う。満月の 夜は凶悪犯罪が多発するのだ。
 彼女がTシャツを脱いだ。ジーンズも脱ぎかけたので、オーリーは慌てて体の向きを変えた。鱗だらけでも、女性の体だ。見てはいけないはずだ。
「服をここに置いておくから、見張っていて。」
 彼女に言われて振り返ると、彼女は既に桟橋から海に飛び込むところだった。
「何処へ行くんだ。」
 オーリーが怒鳴ると、彼女は海面に顔を出した。
「川を遡ってみる。」
「川、それなら、車で・・・」
「駄目。何処から井戸に入るのかわからない。海から順番に見ていく。」
「しかし、レニー、こんな夜に・・・」
 彼女の能力について、まだ何も知らない。彼女が人間ではないかも知れないと思ってみても、やはり普通の人間の女性に対するのと同じ気遣いをしてしまうオーリーだ。彼女は沖に向かって移動しながら、
「夜だからこそ・・・」と言い、やがて水中に没した。
 オーリーはブイに座って、海を眺めながら食べ続けた。寂しいものだな、一人きりの食事は。油でべたべたになった指を嘗め、紙で拭いて、袋を丸めて車に投げ入れた。それからまた海を見たが、5分もすると飽きてきた。
「何時までここにいればいいんだ、レニー。」
 いない相手に苦言を呈しながら、彼は携帯電話を出した。自然に指はイヴェイン・カッスラーの家の番号を押していた。

2013年11月3日日曜日

赤竜 2 その6

「それじゃ、魚が入り込めば、見えない?」
 オーリーの質問にディックが声をたてて笑った。
「井戸に魚がいればね。」
 レインボウブロウは黙って空っぽの水槽を見下ろした。それからパイプを眺め、目で辿って井戸らしき場所を確認した。それらの彼女の目の動きはサングラス で隠されていたので、誰にもわからなかったが、オーリーだけは彼女が何かを見つけようとしているのだと知っていた。
「フィルターの穴を見せてもらえますか。」
 いきなり彼女が声をかけたので、男たちはびっくりした。ライリーは彼女の存在を忘れていたし、ディックは気づきもしなかったのだ。オーリーが慌てて紹介した。
「鑑識官のミズ・レニーです。」
 ライリーが何か言いかけて口を開いたが、レインボウブロウが澄まして会釈したので黙り込んだ。ディックは彼女が握手をしないのは、それまで無視されていたことが気に入らないのだろう、と思って、急いで刑事たちをポンプ操作室の脇の道具入れに案内した。
 フィルターは大きな丸い金属製の物で、細かい編み目に細かい泥やゴミが付着していた。直径1メートルはあるフィルターの三枚ともに、直径30センチメー トルほどの楕円形に近い穴が開いていた。レインボウブロウは網を観察した。ゴミで汚れている面を撫でて、ディックに尋ねた。
「こっちが井戸の方を向いている面?」
「そうです。」
 彼は穴の縁を指さした。
「井戸の方向からぶち抜いた様な感じでしょう。何かが突き破ったみたいだ。でも、何だろう。井戸に生き物なんかいないはずなのに。」
「井戸の中を見たことがあるの?」
 レインボウブロウは答える時は曖昧なくせに、質問は鋭い。ディックが肩を竦めた。
「それがないんだ。外からは遮断されている地下にあるし、入る為の階段も長いこと使われていない。入る時は、ガス検査をしなければ危険だしね。」
 オーリーは彼女が眼鏡越しに彼を見たことに気付いた。井戸の中に何かいてもおかしくない。彼女みたいな不思議な存在が。

2013年11月1日金曜日

赤竜 2 その5

相棒のライリーは大柄な女性が好みだったので、レインボウブロウのことをいつも「ちっこい小娘」と陰で呼んでいた。オーリーが彼女を現場に連れて行くと言った時も
「ガキの遊びじゃないんだぜ」と文句を言った。オーリーは何故彼女を同伴しなければならないのか、上手く説明出来ないでいた。すると、彼女の方が機転が利いたので、
「海岸へ行くついで。」
と言い訳した。
「工場が海のそばだと聞いたので、乗せていってもらうことにした。」
 ライリーはオーリーを横目で見た。
「おまえのターゲットはイヴェインの方だと思ったんだけどな。」
 ライリーはイヴェインを乗せた方が嬉しいのだ。レインボウブロウでは会話が続かないので、退屈させられる。それでも、結局彼女を乗せて事件現場へ走っ た。走行中は彼女が後部席で大人しくしていたので、彼は彼女の存在を忘れてオーリーと世間話をした。刑事だって、四六時中仕事の話ばかりしていられないの だ。
 染色工場は操業を停めていた。貯水槽の水を抜いているので、仕事が出来ないのだ。給水係の男が刑事の相手をした。
「井戸からタンクまでの間のフィルターが三つとも穴が開いちまってね。」
 地下から水を汲み上げる太いパイプを見せながら、ディックと言う係は言った。
「取り替えなきゃ、仕事が出来ないんだ。今大急ぎでフィルターを届けさせているところなんだ。」
 大きな丸い二重構造のコンクリート製タンクはすっかり乾いてしまって、底に泥が白く固まっていた。
「あんなに泥が入り込むものなのかい。」
「いいや、フィルターが壊れたからだよ。このタンクの水は普段は透明で綺麗なものさ。気温の高い日には泳ぎたくなるほど綺麗だぜ。」
「昨日も綺麗だった?」
「昨日は大雨の後だったろう、そんな時は井戸も濁るんだ。うちの井戸は川に近いからね、水が混ざるんだろう。フィルターでも濾しきれない細かい泥が入り込む。白く濁っていた。」