2013年9月28日土曜日

赤竜 1 その20

「彼は古書に詳しかったが、コレクターじゃなかった。売れる物なら、隠したりしないで市場に出したはずだ。」
「でも、家宝なら・・・」
 あり得る、とオーリーは感じた。代々継承されてきた古書。その値打ちがわかるのは、遺産相続人ではなく、家に置いている鑑定士顔負けの鑑定眼を持つ娘唯一人。
 そう言えば、レインボウブロウはソーントンの葬儀には来ていなかった。

 事件関係者と警官が個人的な関わりを持つことは禁じられていた訳ではないが、余り誉められたものでもなかった。しかしオーリーはソーントン家の二人の娘 が気になった。イヴェイン・カッスラーはモーテルを引き払って屋敷に戻っていた。警察だけでなく、近所の住人もこれには驚いたようだ。惨劇があった家に若 い娘が一人で戻って来たのだ。オーリーが様子を伺いに立ち寄ると、彼女は引っ越しの準備をしていた。
「やはり移るんだね。」
 声をかけると、彼女は弱々しく微笑んだ。
「ここから出たくはないけれど、レニーが転居した方がいいって言うの。私一人で住むには広すぎて維持が大変だし、周辺は人通りが少ないから、もっと賑やか で明るい場所がいいって。それに、近所の人もアフリカ系の女中が主人面して住み着くのを歓迎していないみたいなの。」
「レニーも一緒に行くのかい。」
「ええ、私が頼んだの。彼女は行きたい場所があるみたいだけど、私が落ち着く迄そばにいてって頼んだら承知してくれたわ。」
 そして彼女は付け加えた。
「遠くへ行く訳じゃないのよ。クーパー弁護士に頼んで、小さい一戸建てを見つけてもらったの。ここからバスで10分程の所。だから、ここにも、お掃除や庭の手入れに通えるわ。」
 相続手続きが終わればそんな仕事は人を雇ってしまえることに、彼女は思い当たらない口調だった。
「そこはうちの所轄管内だね。」
とオーリーは確認してみた。そのはずよ、とイヴェインは頷いた。
「今日はお仕事中なの、ワールウィンドさん。」
「勤務明けだよ、それから、俺のことはオーリーって呼んで。」
「じゃあ、私はイヴ。勤務明けなら、コーヒーを入れてもいいわね。書斎からレニーを連れて来て下さらないかしら。彼女は本の整理をしているの。私にはわか らない物だし、管理も出来ないから、彼女が売ってしまえばいいって。そうすれば、当分生活費の足しになるから、銀行の口座を切り崩さなくてもいいでしょ う、と言うの。本って、そんなに高価な物なのかしら。」
 イヴェインは一気に喋ってしまってから、台所に入って行った。オーリーは素直に書斎に足を運んだ。事件当夜イヴェインが体当たりして開けたドアは、壊れ たままだ。散乱していた古書は部屋の一角に積み上げられて、レインボウブロウが仕分けて箱に詰め込む作業に没頭していた。室内でも彼女はブルゾンを着たま まだった。
 オーリーは開いているドアをノックして、彼女の注意を引いた。振り返った彼女の目は黄色い眼球に瞳孔がやや開いて小さな虹彩の様に見えた。やあ、と声をかけて、オーリーは肩越しに台所方向を指さした。
「イヴがコーヒーを入れてくれる。休憩しないか。」
 レインボウブロウは立ち上がった。手に付いた埃を払い、彼をジロリと見た。
「何故私たちに関わりたがる、ワールウィンドさん。」
「担当だからさ。」
 オーリーは少しムッとした。彼女は「関わるな」と仄めかしたのだ。
「まだソーントン氏の頭部が見つかっていない。犯人の見当もつかない。」
 彼女が小さく溜息をつき、本を一冊手に取った。オーリーが先日古書店で見せてもらった「赤竜」と同じ本だった。彼女は用心深く古い書物のページを開いた。
「犯人の見当は付いている。ソーントン一族を祖先の仇敵と狙う鬼の子孫どもだ。」
「はあ?」
 パタンっと本を閉じて、彼女はオーリーにそれを差し出した。彼が意味を解さぬまま受け取ると、彼女は彼の横をすり抜けて先に台所へ歩き去った。

2013年9月23日月曜日

赤竜 1 その19

 オーリーは古書専門店を経営するエイブラハム・フライシュマンを訪ねた。彼もソーントンに何度か古書の鑑定を依頼したことがあったと言う。エイブラハムは60を少し過ぎた痩せぎすの金髪の男だった。
「オーランドは売買される本より、博物館行きになりそうな古文書の類を得意としていたね。」
と彼はオーリーにお茶を出して言った。
「それは、死海文書みたいな物ですか。」
 オーリーは考古学には疎い。頭にある乏しい知識を総動員して、一番古そうな本らしきものの名前を出してみた。ユダヤ人の本屋が笑わずに頷いた。
「そう、羊皮紙の類だね、相当珍しい貴重な物を持っていたはずだよ。値打ちがわかる人間なら、殺してでも手に入れたい物もあったんじゃないかな。」
「”赤竜”って、ご存じですか。」
「うん、知ってるよ。この店にもある。見るかい。」
 エイブラハムはオーリーを古書の倉庫に案内した。
「古い本は温度と湿度を一定に保ってやらなきゃならん。ワインみたいに手間が掛かる代物でね。」
 ソーントンの書斎は普通の部屋だったな、と思いつつ、オーリーは倉庫に入った。古い紙の匂いが詰まった空間だった。ずらりと並んだ本は羊皮紙なのか紙な のか、彼にはわからなかった。この倉庫には「赤竜」が二冊あった。一冊はラテン語で、一冊はドイツ語だった。どっちもオーリーには読めない。それでもエイ ブラハムが手に取った本を用心深く開いて見せてくれると、そこには大鍋を煮込む魔女の絵が描かれていた。
「この本はいつ頃書かれた物なんですか。」
「さてね、グーテンブルグの活版印刷より前だったことは確かだね。これは活字だけどね。」
「もし、これの初版本が出てきたら、大騒ぎでしょうね。」
「魔法マニアや珍品マニアは興奮するだろうな。」
「ソーントン氏がそれを持っていたなんてことはありませんか。」

赤竜 1 その17

「その、レインボウブロウって娘なんだが・・・」
 交代で事件を扱った刑事がオーリーに言った。
「何処で生まれて、親は誰なんだ。彼女に関する記録が何処にもない。ソーントンの社会保障番号やら免許に関する記録は見つかったのに、娘のものは全くないんだ。それに、近所の住人も出入りの食料品店の店員も、イヴェイン以外の女をあの屋敷で見たことがない。」
「でも、弁護士は知っていたし、レストランの常連みたいだった。多分、隠れて暮らしていたんだ。」
「何故だい。」
「彼女の目を見たかい。」
「目がどうした。」
 オーリーは手を振った。
「いや、忘れてくれ。」
 事件は他にも複数抱えていた。本署の殺人課と違って、一つに的を絞って捜査出来ないのが悔しい。一応担当なので、他の事件よりは時間を割けても、それだけに係りっきりにはなれなかった。
 ソーントンの葬儀には顔を出した。首無し死体なので棺を開いて別れを告げることは出来なかったが、親族が一人もいなかったので、それは無事に済んだ。骨 董品の取引業者や古書のコレクターなど、そこそこ友人と名乗れる人々が来て、喪主のイヴェイン・カッスラーを哀しませずに済んだ。オーリーとライリーは出 来るだけ多くの人間を呼び止めて故人の人間関係について話を聞いた。どの人もソーントンを悪く言う者はいなかった。商売に関しては誠実で、妥当な値段で取 引をした、目利きで真贋の見分け方が上手かった。まがいものを扱ったことはないし、同業者とトラブルを起こしたこともなかった。オーリーは一人の故買屋か ら面白い情報を得た。
「偽物臭い18世紀の家具があってね、彼に鑑定を依頼したんだ。ああ、オーランドは家具と古書専門の骨董品屋だったんだ、知ってる?それでさ、彼は最初そ れを見た時、自分は自信がない、て言ったんだ。専門家を連れて来るから、売るのはもう少し待てって。それで、次の日に彼が連れて来たのが、10歳くらいの 小さなガキで、俺は冗談かと思った。ところが、そのチビさんが、テーブルの脚の部分の塗料をちょいと削って、口に入れた。」
 故買屋はオーリーを見てニヤリとした。
「嘗めて塗料の成分を言い当てられる骨董品屋が此の世に何人いると思う?それに体には良くない行為だ。俺は”そんなことをしちゃ、駄目だよ”とその子に注 意してやった。ところが、オーランドの奴は俺に言ったんだ、”この子のやりたい様にやらせてやってくれ”ってね。」
「その子は塗料の分析に成功して、真贋を言い当てた?」
「そう、その通り。」
「その子、どんな色の目をしていました?」
「さてね、覚えてないな。薄暗い場所でね、オーランドが指定したんだが、明かりを灯すことを彼は拒否した。」
「子供の名前も覚えてないですか。」
「ああ、ビリーだったかな、デニーだったかな・・・」
「レニーでは。」
「そうだったかな。昔のことなんで、忘れちまったよ。」
 有り難う、とオーリーが彼から離れかけると、その故買屋が付け足した。
「なにしろ、30年前の話だからな。」
 えっとオーリーは振り返ったが、もうその故買屋は待たせていた自分の店の車に乗り込んで走り去ろうとしていた。
 ライリーは何人かの古書のコレクターに当たっていた。オーランド・ソーントンはラテン語で書かれたかなり古い書物に詳しかったと言う。

2013年9月18日水曜日

赤竜 1 その16

「女二人が共謀して爺様を殺したってのは、どうだ。」
 ライリーが言った。勿論本心から思っている訳ではない。ソーントンはかなりの高齢だった。イヴェインは後2,3年待っても不満はなかったはずだ。慌てて 殺す理由はない。それに彼女が遺産相続人に指定されていることを知ったのは、弁護士事務所でのことだったのは、疑いようがなかった。そうでなければ、余程 の芝居上手か、だ。
 レインボウブロウは始めから全て知っている様子だった。多分遺言の内容も知っていた。彼女ならソーントンでなくイヴェインを殺した方が得なのだ。或いはソーントン殺しをイヴェインになすりつけて、遺産の権利を横取りするとか・・・。
 警察はイヴェイン・カッスラーとレインボウブロウに街から出ないよう勧告した。せめて彼女たちが犯行に全く関与していないと判明するまで。

2013年9月16日月曜日

赤竜 1 その15

 レインボウブロウは白いTシャツの上に例の黒いレザーブルゾンを着て、サングラスをかけて現れた。オーリーとライリーが驚いたことには、クーパーが彼女に「初めてお会いしますね。」と挨拶したことだった。
「オーランドはあなたの成長を何時も楽しそうに語って聞かせてくれたのに、実際に会わせてもらったことは一度もなかった。」
 奇異な黄色い目を持つ娘は、弁護士に会えても、そんなに嬉しそうではなかった。
「あなたの誠実な職務遂行を期待しています。」
と彼女は言って、遺言状の開封を促した。
「それでは、始めましょう。」
 クーパーは金庫から一通の封筒を取り出した。
 形式は変わったところのない遺言状だった。オーランド・ソーントンはイヴェイン・カッスラーが彼にどんなに誠実に仕えてくれたかを謝辞をもって説明し て、彼女に自分の資産の全てを相続させることを遺言していた。その資産は銀行口座にある500万ドルと屋敷の全て、家具も骨董品も古書も含まれていた。と りわけ「最も古い書物」は誰にも譲ってはいけない、とわざわざ書かれていた。
 イヴェイン・カッスラーはまた泣き出した。彼女は一夜にしてミリオネイアになってしまったのだ。スラム育ちの少女がたった半年仕えただけの主人の相続人になったのだ。オーリーもライリーも信じられない気分で互いの顔を見合わせた。
「ただし、これらの相続にあたって、条件が一つある。」
とクーパーが読み進んだ。
「イヴェイン・カッスラーは我が友レインボウブロウの希望を全て叶えること。もし相続人がレインボウブロウの希望を一つでも叶えられない場合は、相続人は彼女が要求する”最も古い書物”を彼女に速やかに渡し、彼女の将来に関して一切関わらないことを誓うべし。」
 遺言状が書かれた日付を読み上げ、クーパーは全員にソーントンの署名が本物であることを確認させた。
 最後の条件を自分の目で読んで、レインボウブロウが女性らしくない下品な単語を吐いた。
「ああ、クソ。」
 イヴェインがギクリとして、クーパーとライリーも彼女を見つめた。彼女が遺言の内容に不満を持ったと考えたのだ。オーリーだけが、彼女の悪態の意味を理解した。
「”最も古い書物”って言うのは、盗まれた本のことだな。」
 レインボウブロウが頷いた。
 ライリーがオーリーを見た。
「盗まれた?ソーントンの頭以外に盗難に遭った物があったのか。」
 露骨な表現にイヴェインが彼を睨みつけた。クーパーが刑事たちを見比べた。
「頭を盗まれたとは・・・どう言う・・・オーランドはどんな殺され方をしたのです。」
 被害者の頭部が無くなっていることはまだ公表されていなかった。少し気まずい雰囲気になり、ライリーがオーリーに「すまん」と囁いた。
 突然レインボウブロウがクーパーに質問した。
「オルランドはあなたに、あの夜何をするつもりだったか、明かしたのか。」
「あの夜?」
 弁護士はちょっとだけ考えた。
「彼が殺された夜ですか。あの夜に、と言うことは聞いていないが、彼がイヴェインに相続させたい物の説明をしておきたい、と言っていたことがありますよ。」
「彼は書斎で殺された。多分、本の説明をしたかったのだろう。」
 オーリーの言葉に、よく事情を呑み込めないライリーが尋ねた。
「説明って、古書の売買に関することか。」
 レインボウブロウがまたクーパーに質問した。
「あなたは、あの書斎に入ったことがあるのか。」
「何度でも、ありますよ。仕事の話は何時もあそこでしていた。オーランドはどっしりとしたオークの机が気に入っていた。私が誉めると、机くらいなら遺言で譲ってやるよ、と彼は笑いながら言ったもんです。それには書いていなかったけど。」
「机くらいなら、何時でも持って行くといい。」
とレインボウブロウ。相続人たるイヴェインの意見など求めなかった。イヴェインが彼女の希望を全て叶えなければならないのであれば、当然だった。
 彼女は立ち上がった。
「相続手続きを直ちに始めてもらいたい。イヴェインが暮らしに困ることがないように、急いで欲しい。」

2013年9月15日日曜日

赤竜 1 その14

 レインボウブロウは相手の質問をはぐらかす名人だ。オーリーは彼女がこちらからの質問に何一つまともに答 えていないことに気付いた。質問の内容が彼女自身の素性やオーランド・ソーントンの実体に触れると、直ぐに彼女の方から質問をしたり話題をすり替えた。彼 はひどい消化不良を起こした気分だったが、それでも遺言状立ち会いの許可はもらえた。相棒のライリーを同伴しても良いと言われたし、モーテルでイヴェイン を拾って弁護士の事務所に送ることを依頼されもした。
「もしこれで犯人の見当がつけば昇給間違いなしだろうけどね。」
とライリーが運転しながら言った。殺人事件が短期間で解決するなど、滅多にないことだ。現行犯でなければ、まず無理だ。警察は仕事をいっぱい抱えている。一週間もすればこのソーントン殺人事件もお蔵入りになってしまう。
 モーテルに約束の時刻に到着すると、イヴェイン・カッスラーがはにかみながら現れた。薄い水色のビジネススーツがよく似合っている。女中より何処かの会 社のオフィスで働いている様に見えた。ライリーが嬉しそうなので、オーリーもちょっと鼻が高かった。「弁護士さんと間違えそうだ。」
 ライリーは誉め上手だ。イヴェインが照れ笑いした。
「初めてこんな服を着たの。レニーがいろいろ用意してくれていたのに、今まで着る機会がなかったから。」
 オーリーはドアを見た。
「レニーは?」
「彼女は明け方に出かけたわ。事務所で落ち合いましょう、て。」
 屋敷に戻って、また地下の秘密のプールで泳いでいるのだろうか。彼はレインボウブロウがスーツを着て現れるとは予想しなかった。
 クーパー弁護士の事務所はビッテンマイヤー法律相談所と言うビルの中にあった。全て弁護士事務所だ。家主のビッテンマイヤーが会社形式で複数の弁護士を 抱えている。成績の良い弁護士は良い場所にオフィスをもらえる。クーパーも上階の見晴らしの良い部屋をもらっていた。口ひげの濃い大柄な男だ。目つきが鋭 かった。刑事に警戒しているのかも知れない。
 挨拶の後で、オーリーたちはソーントンの素性について尋ねた。
「誰に聞いても満足な答えをもらえないもんで。」
「私も彼の全てを知っていた訳ではありませんよ。」
 クーパーは秘書を介さずに自分でコーヒーを入れた。イヴェインの前にカップを置いた時だけ、彼は優しい微笑を彼女に見せた。
「今度のことは大変だったね。」
 屋敷に顔を出したことがあったので、イヴェインは彼と顔なじみだった。
「まだお葬式の段取りもしていないの。」
 彼女が心細く呟いた。
「私がちゃんと手はずを整えるよ。オーランドから頼まれていた。彼の年齢では何時何があってもおかしくなかったからね。でも、犯罪の犠牲者になることは彼にとっても私にとっても予想外だった。」
 そして、弁護士は刑事たちを振り返った。
「オーランドの素性についてお尋ねでしたね。」
 彼は客たちの前の肘掛け椅子に腰を下ろした。
「私どもの法律相談所では、顧客の素性を無闇に明かすことはしません。しかし、イヴェイン・カッスラーはオーランド・ソーントンの相続人に指定されていますから・・・」
「何ですって。」
 イヴェインが腰を浮かせた。相続人の件は初耳だったらしい。オーリーが彼女の手を掴んだ。
「座って、イヴェイン。クーパー氏はこれからその説明をして下さるんだ。」
 イヴェインがのろのろと座り直したので、クーパーが彼に感謝の意味を込めて頷いた。
「オーランドはイギリス人です。」と弁護士は語り始めた。
「つまり、彼がそう言ったのです。向こうではちょっとした旧家の息子で、商売をしていたが上手くいかなかったので、新天地を求めてアメリカに渡って来たと 言いました。第二次世界大戦が始まる前のことです。それから彼は各地を転々と移り住み、この街に流れ着いた。私の客になったのは、もうかれこれ10年以上 前のことです。」
「資産家の様に見受けられたのですが。」
「彼の職業に関しては知りません。私が知っていた限りでは、彼は骨董品や古書の売買を手がけていました。恐らく、イギリス時代からの資産がかなりあって、 それを元手に道楽を兼ねた商売をしていた様子です。彼の資産管理を任されていますが、その全容は遺言状の開封の際に明かしましょう。」
 その時、秘書がレインボウブロウの来訪を告げた。

2013年9月13日金曜日

赤竜 1 その13

レインボウブロウはイヴェインを真っ直ぐに見た。
「彼は相続人に血縁を問題にはしなかった。」
「レニー、あなたは旦那様の何に当たるの。」
 それがオーリーにも一番気になる疑問だった。屋敷の主が無惨な死体で発見された。彼の娘と思われた女性は血縁関係を否定し、夫婦でもなさそうだ。彼女が相続権や怨恨と何らかの関わりがあれば、容疑者の一人にもなるのだ。
 給仕が料理を運んできたので、会話は一時中断された。オーリーはレインボウブロウが素晴らしい料理人の店を選んだことに気付いた。どの料理も美味しかっ た。食欲がなさそうだったイヴェインでさえ、食べている時は幸せそうだった。当のレインボウブロウは魚のカルパッチョを少し口に入れただけで、後はワイン をゆっくり味わっていた。
「遺言状が正しく守られることを見届けたら、私はこの街を出て行こうと思う。」
と彼女が言い出したのは、メインディッシュが終わった頃だった。イヴェインが手にした水のグラスを危うく落とすところだった。
「どうして、何処に行くと言うの。あなたの家でしょう、あのお屋敷は・・・」
 するとレインボウブロウが彼女に質問で返した。
「あなたはあの家に住めるのか。オルランドの血で汚されたあの場所に。」
 オーリーはイヴェインの顔から血の気が失せるのを感じた。彼女は昨晩の惨状を思い出してしまったのだ。グラスを置いて、彼女は両手で顔を覆った。
「あの家は私が生まれて初めて人間として扱ってもらえた家。旦那様は私には神様だった。誰があんなことをしたの。」
 泣き出してしまった。オーリーは困惑して、レインボウブロウを見た。なんとかしろよ、と目で訴えた。レインボウブロウは彼女を泣かせたことを後悔していなかった。
「デザートがまだだ。食べてから帰るか、それとも今帰るか。」
と尋ねた。

2013年9月10日火曜日

赤竜 1 その12

 イヴェインはレインボウブロウを新しい主人だと思っている様子だった。彼女は黄色の目をした娘に店を選んでくれと頼んだ。彼女はファーストフードの店以 外に入った経験がなかった。レインボウブロウは小さなイタリアレストランを選んだ。入った所がカウンター式のバーで、奥にテーブルごとに壁で小さな仕切を 造った小部屋様式の食事スペースがいくつかあって、カップルや少人数のグループがささやかな幸せの時間を過ごせるようにとセッティングされていた。オー リーは内心安堵した。このランクの店なら三人分の食事代くらい彼でも払えた。
 応対に出た給仕にレインボウブロウがテーブルを指定した。
「もし予約や先客がいなければ、だけど。」
と彼女が珍しく遠慮勝ちに言うと、給仕は微笑んで彼女が指さした一角に彼らを案内した。
 イヴェインは椅子を引いてもらって緊張した声で礼を述べた。それから二人に恥ずかしそうに言い訳した。
「こんなきちんとしたお店は初めてなの。」
 もっと格式張った店も世の中にはあるのだ、とオーリーは言おうとして止めた。店主が現れてレインボウブロウに「お父様のご不幸」に対してお悔やみを言っ たからだ。レインボウブロウはしおらしく励ましの言葉を受けて、それからオーリーとイヴェインを「友達」として紹介した。それでオーリーは彼女が望んでい るであろう芝居をしてみた。
「レニーが落ち込まないように、励ましているんです。」
 店主が頷いた。
「どうぞ、ごゆっくりなさって下さい。」
 彼は「ソーントン様に」とワインを1本進呈してくれたので、それをすすりながらメニューを眺めることになった。
 イタリア語はわからなかったが、料理の正体はなんとなく掴めたので、オーリーはイヴェインの料理も注文してやった。レインボウブロウは魚の前菜を注文しただけだった。
給仕がいってしまうと、イヴェインがレインボウブロウに尋ねた。
「明日から私はどうしたらいいのでしょう。」
 不安の響きが声にあった。彼女には身寄りがない、とモーテルに行く道中オーリーはレインボウブロウから聞かされていた。イヴェインはスラムの酷い環境で 育った。両親はいないのと同じで、彼女が10代の半ばになる頃にはどちらも行方不明だった。兄は刑務所で亡くなった。喧嘩で殺されたと言う噂だ。イヴェイ ンは生きていく為に自分を売ろうとしていた。そしてオーランド・ソーントンとレインボウブロウに出会った。
 ソーントン家で大事にしてもらったイヴェインは元の暮らしに戻ることを恐れていた。若いから、なおさらだ。ここでレインボウブロウから解雇を言い渡されたらどうしよう、と恐れがあった。
「明日弁護士のナサニエル・クーパーに会う。」
と”お嬢様”が言った。
「あなたも一緒だ。そこでオルランドの遺言状を開封する。」
 オーリーは興味があった。屋敷の台所で彼女が口にした奇妙な「本の継承権」の謎が解けるのだろうか。明日の勤務ローテーションでは遺言状開封に立ち会えないこともない。
「俺も立ち会っていいかな。」
と彼は口をはさんだ。
「遺言状には犯人も興味があるかも知れない。どんな人間が他に立ち会うのかな。」
「私は旦那様の親族に会ったことがありません。」
「彼の親族は大方死に絶えた。」

赤竜 1 その11

どう言えばいいのかな、と言いたげな顔でレインボウブロウが横を向いた。
「イヴェインは法律上の養女ではない。身分的には、使用人だ。」
「だがソーントンは彼女を本の継承者に選んだ。」
「本と財産全てだ。その話をする予定の夜に彼は殺された。」
「君には相続する権利はないのか。」
「私は何も権利を持たない。私は財産を持たない。イヴェインがここの主人になる。」
「待ってくれ。」
 オーリーはまた頭がこんがらがりそうになった。
「君はソーントンのただの同居人だったのか。」
 彼女が彼に向き直った。
「そうだ。」
「ガールフレンドではないのか。」
「そんな者ではない。」
 彼女は棚の上の時計に視線を移した。
「そろそろイヴェインの所に戻ろう。夜は彼女を一人にしたくない。」
 イヴェイン・カッスラーはモーテルで大人しくテレビを見ていた。オーリーがレインボウブロウと共に訪れると、彼女は嬉しそうな顔をした。
「せめて今夜は、一人で過ごさなくてもいいのね。」
 レインボウブロウが彼女を抱き締めて挨拶した。アフリカ系のイヴェインは長身だ。レインボウブロウが子供に見えた。彼女がイヴェインに囁いた。
「ワールウィンド刑事が夕食に連れて行ってくれる。」
 イヴェインがこちらを見たので、オーリーはドキドキした。彼女は美しい。まだ子供っぽさが残る分、瑞々しい若さが内面から滲み出ていた。彼女はまだ19 歳だ。やっと夜の街を一人で歩ける年齢だ。小さくても大人の雰囲気たっぷりのレインボウブロウと一緒なら、誰からも見とがめられずに三人で歩けるだろう。
「夕食と言っても、ハンバーガー程度だよ。」
「いつも事件の被害者や遺族にそんな親切をなさっているの?」
「今回は特別。謎だらけなので、聞き込みを兼ねて誘っているんだ。嫌なら無理にとは言わない。」
 実際そのつもりだ。オーリーは立場を利用して女性を口説く程、擦れていないつもりだった。レインボウブロウが援護してくれた。
「オルランドの遺言の話もある。」
 

2013年9月5日木曜日

赤竜 1 その10

 インターネットで検索すると、「赤竜」は魔法使いの教科書だった。魔女になる為の儀式の方法や心 得、簡単な魔法等がしるされているらしい。わざわざ殺人を犯してまでして盗まなくても、魔法グッズの店に行けば置いてありそうな本だ。つまり、オーラン ド・ソーントンが持っていた「赤竜」はただの「赤竜」ではないってことだ。
 窓から午後の日差しが差し込んでいた。オーリーの侘びしい一人住まいのアパートが、この夕焼けが始まる少し手前の時間だけ綺麗な場所に見える。
 オーリーは5時間ばかり眠ったのだ。居間のソファの上だったので、寝心地が良いとは言えなかったが。彼のベッドにはレインボウブロゥがいるはずだ。彼女 は一度イヴェイン・カッスラーが宿泊しているモーテルに行った。女中の着替えを届けてやったのだ。それから彼のアパートまでついてきた。連れて来なけれ ば、また屋敷に戻ってしまうからだ。女性を部屋に入れたのは始めてだった。デートの経験はある。しかし、こんな部屋に来てくれる程の付き合いはしていな い。
 オーリーが背伸びをした時、寝室のドアが開いてレインボウブロウが出てきた。寝起きの顔ではない。疲れている様にも見えなかった。彼女は昨夜と同じ服装だ。彼は振り返り、声をかけた。
「コーヒーでも飲むかい。」
「水を戴く。」
 彼女は自分で小さな台所に入った。
「あなたは、コーヒーを飲むか。」
「ああ、出来ればお願いしたい。砂糖抜き、ミルク入り。」
 彼女が薬缶に水を入れ、コンロにかけた。水のコップだけ持って居間に戻り、彼の横に立った。パソコンの画面を覗き込み、彼の検索結果を読んだ。
「一般の”赤竜”はこの通りだろう。」
と彼女が認めた。オーリーはエクスプローラーを終了させ、画面を消した。
「ソーントンの本は他とどう違うんだ。」
「古い。」
 簡単な答え。
「100年前の物か、それとも、先祖伝来の物か。」
 彼女はオーリーが寝ていたソファに座った。
「先祖伝来ではない。厳密な意味では。あれは本の所有者が選んだ継承者に代々受け継がれた本だ。継承者が子孫でなければならないと言う決まりはない。」
「すると、君がその継承者かい。」
「否。」
 彼女は黄色い目で彼を見つめた。
「彼が選んだのはイヴェイン・カッスラーだ。」
「すると・・・」
 オーリーは情報を整理しようと試みた。
「イヴェインはソーントンの養女なのか。」

2013年9月4日水曜日

赤竜 1 その9

「それじゃ、何だったんだ。」
 レインボウブロウは奇形なのか。家族扱いされていなかったのか、とオーリーは彼女を気の毒に感じた。
 彼の問いに彼女が答えた。
「友達。人間の唯一人の友達。」
 遠くでブラインドが風でバタバタと音をたてた。
 彼女が立ち上がった。
「書斎に入っていいか、彼の首の他に盗られた物がないか、調べたい。」
 それは勿論オーリーの質問リストに入っていた。しかし彼は疲れていたし、被害者の遺族にはもう少し落ち着いてから現場を見てもらうつもりだった。だが、 レインボウブロウにその心遣いは無用だった。そして彼はこの奇妙な娘に興味を抱いており、疲れよりもそれは強かった。彼は彼女の先に立って、彼女の家を案 内した。
 現場はまだ本が散乱していたし、生々しい血痕と血溜まりがそのまま残っていた。レインボウブロウは惨劇の跡には目もくれないで、本を眺めた。嘗める様に床の書物を眺めていき、それから書棚に残った本の背表紙を見た。オーリーは彼女の呟きを聞いた。
「ない。」
「何が。」
「書物が一冊。」
 オーリーは足元の古書を見下ろした。古書のコレクターなら欲しがるだろうが、彼には焚き付けにしか値打ちを見出せないラテン語の書物ばかりだ。
「それは値打ち物かい。」
「持つ人間に拠る。」
「コレクターには垂涎の的でも、俺たちの様なぼんくらにはゴミだってことか。」
 オーリーは冗談を含めて言ったのだが、レインボウブロウは頷いた。
「金銭には換えられない価値がある。オルランドが命を失う程の価値だ。」
「本の題名は・・・古物商に流れるかも知れない。」
「盗人はあれを売る目的で盗ったのではない。」
「コレクションか。」
 鈍いねえ、と言いたげに彼女は彼をまた見た。
「使うのが目的だ。読んで、理解して、書いてあることを実践する。」
「どう言うことなのか、はっきり言ってくれないか。」
 疲れが彼に声を荒げさせた。彼女は動じなかった。
「ぼんくらに言っても仕方がない。」
 彼女は書斎から出て行きかけた。オーリーは溜息をついた。この女性と付き合うには忍耐が必要だ。
「悪かった、もう大声を出さないから、本の題名を教えてくれ。」
 彼女が振り返らずに答えた。
「”赤竜”。」

2013年9月3日火曜日

赤竜 1 その8

 台所は綺麗に掃除が行き届いていた。イヴェインが働き者である証明だ。オーリーは冷蔵庫を開き、食品や飲 料水を見た。イヴェインは出来合の食品を買わないのか、野菜や肉と言った食材が多く見られた。飲料水はビールとミネラルウオーターだけだった。朝からビー ルを飲む訳にはいかないので、水を出してタンブラーに注いだところへ、レインボウブロウが現れた。タオル地のバスローブを着てスリッパを履いていた。オー リーは水の瓶を掲げて見せた。
「勝手に飲ませてもらうけど、いいだろう。」
「ご自由に。」
 レインボウブロウは手近の椅子を引き寄せて座った。
「尋ねたいこと、とは。」
「ああ・・・」
 オーリーは疲れた頭を整理させようと務めた。
「昨夜の事件は物取りではなく、怨恨ではないかと、俺と相棒は考えているんだが、ソーントン氏が他人から恨みを買っていた様子はなかったかい。」
 すると彼女は彼が予想しなかった返答をした。
「彼の個人的な生活は知らない。」
「でも・・・」
 オーリーは体を前に乗り出した。
「君はここに住んでいるのだろう。」
「四六時中一緒にいる訳ではない。」
「家族なのに、無関心かい。」
 彼女の目を見て、彼はギョッとした。思わず体を遠ざけた。レインボウブロウの目は虹彩がなかった。全体に薄い黄色の眼球の真ん中に猫みたいな縦に細い瞳孔があるだけだった。
 オーリーの驚愕を察して、彼女はローブのポケットからサングラスを出してかけた。
「彼はこんな目をしていない。」
 現在形で言ってから、言い直した。
「していなかった。あなたも、イヴェインも、人間はこんな目はしていない。私たちは同じ家に住んでいたが、家族ではなかった。」

2013年9月1日日曜日

赤竜 1 その7

「だが、立ち入り禁止だ。」
 しかし、入り口に黄色いテープを張っているだけだ。レインボウブロウがテープをくぐり抜けて中に入っても、咎める見張りもいない。オーリーは溜息をついた。まだ事件現場に誰も立ち入らせたくなかった。
「俺が家に帰る途中で屋敷に寄って、彼女にここへ戻るよう説得してくるよ。」

 帰る途中などではなかった。ソーントンの屋敷はオーリーの侘びしい一人住まいのアパートから署をはさんだ反対側にあった。いい加減疲 労していたが、オーリーは車をそこの門の前に停めた。「勤務中」の札をダッシュボードの上に出しておいて、彼は敷地に足を踏み入れた。書斎の割られた窓の ブラインドが風で揺れた。
 ドアのベルを鳴らしてみたが、誰も応えなかった。鍵は開いていた。オーリーは中に入った。窓は閉め切られていたがブラ インドの隙間から差し込む日光で明るかった。居間も台所もイヴェインの部屋も客間も、夕べのままだった。書斎も死体がなくなっているだけで、散らかったま まだ。彼はレニーを呼んでみたが、返事はなかった。残るは主寝室だけだった。
 広いだけが取り柄の様な寝室は女性が寝起きしている痕跡が全くなかった。大きな ベッドは真ん中だけが使われていたことを示す様に窪んでいた。クロゼットの中は老人の衣装だけだった。しかしオーリーは昨夜見落とした物を発見した。それ はクロゼットの壁に造られた小さなドアだった。オーリーが腰を屈めて抜けられる高さだ。毎日誰かが握るらしく、真鍮のドアノブはツルツルだ。試しにオー リーが掴んで引いてみると、ドアは簡単に開いた。
 ドアの向こうは階段だった。闇に吸い込まれる果てしなき地獄行き、と言うこともなく、下の方が明るく見えた。地下室なのか?クロゼットの奥の隠し部屋と言う訳か?
オーリーは声をかけてみた。
「レニー、そこに居るのかい。」
 返事はやはりなかった。彼は意を決してドアをくぐり抜けた。階段は予想に反して天井が高く、楽に下りることが出来た。階段は途中でUターンしており、その下に明るい空間が広がっていた。
 壁の高い位置に窓があった。庭の何処かにこの窓が面しているのだ。明かりはそこから差し込んでいた。日光に照らされて水が光っていた。地下室の四分の三はプールだった。
オー リーは床に下りた。白いタイルが階段状に水の中に消えている。向こう岸は自然の岩盤で、青い水は濃紺になり、底が見えなかった。屋敷の敷地面積の半分の広 さだろうか。水深はいかほどだろう。オーリーは屈んで、水に触れてみた。氷の様に冷たい水だ。しかし一年を通してこの水温なのかも知れない。泳ぐには冷た すぎた。何の為のプールなんだ、と彼はタイルの床の部分を見回した。部屋の隅に白い木製のベンチとスチール製のロッカーがあった。ベンチに黒いレザーのブ ルゾンとパンツが投げかけてあった。
 やはりレインボウブロウはここに来たのだ。他に身を隠す場所がないので、オーリーは階上へ上がることにした。彼が階段の方へ体を向けた時、後ろで声がした。
「何?」
 オーリーは慌てて振り返った。手が背中に回ったのは、ベルトに差した拳銃を求めたからだ。
 水面からレインボウブロウが顔だけ出してこちらを見ていた。こんな冷たい水にあんなに長い時間潜っていたのだろうか。
「お早う。」
 オーリーはエキセントリックな女に声をかけてみた。返事は「何の用。」だった。
 彼は階段を指さした。
「少し尋ねたいことがある。台所にいるから、上がって来てもらえないかな。」
 彼女が水中で頷いた。
「わかった。余り待たせない。」