2013年4月7日日曜日

フナキの叛乱

 コウダが心筋梗塞で急死した時、フナキは言った。
「コウちゃん、会社に殺されたも同じや」
 ユウジは黙っていた。その時の彼は、彼自身がコウダに言った最後の言葉をひたすら後悔していたからだ。
 
 一月前、ユウジが風邪で仕事を休んだ後、コウダは、
「困るなぁ、いてくれなきゃ困る人なんだから、休むなよ。這ってでも出てこいよ」
と言った。だから、二日前にコウダが気分が悪いと言って欠勤したと知ったユウジは、仕返しとばかりに言ったのだ。
「俺には出てこいと言って、てめぇは休むのかい」
 勿論、コウダは休んでいたから、直接本人に言った訳ではない。独り言だったが、フナキがそばにいた。まぁ、フナキだから、いても気にせずに言えたのかも 知れない。ユウジとコウダとフナキは社内でも仲良しで、同僚たちから”トリオ漫才”とからかわれるほど、冗談を言い合う仲だった。フナキもその時は深刻に 考えていなかったから、
「コウちゃん、残業ばっかりで疲れてるからねぇ」
と言った。ユウジは「チェっ」と舌打ちした。
「俺だって残業、残業だよ。夕べだって、コウダと二人で10時までかかっていたんだ」

 コウダはあっけなく逝ってしまった。過労死だと、誰もが知っていたが、口には出さなかった。不況で街は同業者の倒産の噂が飛び交っていた。ここで会社に逆らって解雇されたら、後がしんどい。

 それからだ、フナキが上司に反抗的になったのは。
 呼びかけに返事をしない、電話に出ない、書類をため込んで渡さない・・・同僚には迷惑をかけないように気を遣いながら、上の人間には尽く逆らった。
「どうなってんだ、フナキは?」
 人事部長がユウジに尋ねた。
「仕事は真面目だが、態度が悪すぎる。このままじゃ、まずいぞ」
 人事部長は現場には理解がある方だし、フナキの反抗の対象ではなかったが、立場上、罰を与える役目がある。仲良しのユウジから注意するよう、それとなく 働きかけてきたのだ。しかし、ユウジはコウダに向けた己の言葉にまだこだわっていたので、彼女の遣り方にとやかく言う気持ちは起きなかった。
「怒ってるんでしょ」
「何に?」
「わかってるくせに」
 季節はずれの人事異動が発表された。配送センターの女傑が突然リストラされて、後任にフナキが派遣されることになったのだ。
「やることが汚いよ」
 フナキは離任の挨拶に来た時、ユウジにそう言った。
「行くなよ」
とユウジは彼女を見ずに言った。
「コウダが死んで、おまえまで行ってしまったら、俺は誰と漫才すりゃいいんだよ」
 フナキはそれには答えずに、こんなことを言った。
「後悔させてやるよ、あの爺どもに」
 そして、彼女はその夜、辞表を提出した。

「コンピュータが動かない!」
「B社関連のプログラムが立ち上がりません!」
「在庫管理システムにセキュリティーがかけられています!」
 事務所がパニックになっていた。
 コンピュータを使わない作業をする現場の社員たちは、営業や総務部が走り回るのを傍観していた。
「どうしたんです?」
 ユウジは人事部長を見かけて声をかけた。部長が深く溜息をついて答えた。
「フナキがコンピュータに何かしたらしい。重要ファイルのいくつかが、開かないんだ」
「アカギさんがいるでしょ。フナキの師匠じゃないですか」
「駄目だ、プログラムは作った人間でないと、呼び出せない。フナキは一切記録を残していないんだ。アカギにはファイルの名前もパスワードもわからない。」
ああ、とユウジは納得した。フナキと言う女は、何でも自分の頭の中に記録してしまう。書類の形で記録を残すことをしない主義だった。
「じゃ、フナキに訊けばいい」
「辞めた人間に頭を下げるのか?」
「メンツを気にしてる場合じゃないでしょ」

 結局、ユウジがフナキに電話をかけることになった。
「戻って来いって」
「嫌よ。今更、どの面下げて戻れるって言うのよ」
「だけど、コンピュータが動かないんじゃ、仕事にならん」
「システム部総動員で解析すれば?」
「時間がない。今日の仕事は今日中にやらなきゃならん。おまえだって、わかってるだろう。戻らないのなら、パスワードを教えてくれ」
ごねるかと思えば、フナキは意外にあっさりと「いいよ」と言った。

「パスワードを聞き出したのか、でかしたぞ」
「だけど、これから毎日、起ち上げる時に入力しなきゃいけないんですよ」
「かまわん、仕事が出来ればいいんだ。で、そのパスワードは?」
 ユウジは、上司たちに取り巻かれながら、ゆっくりとキーを叩いた。


kouda_o_wasureruna

2013年4月5日金曜日

集会所

そこは、いつの頃からか、日当たりの良い場所になっていた。
 ちょっと広い庭と、崖の上に突き出た細長いテラス、見晴らしがいいし、風も適当に吹き付ける。何より、冬の日向ぼっこは最高だった。
 噂を聞きつけて、いつの頃からか、この界隈の連中が集まってくるようになった。
  めいめい思い思いの場所に陣取って、居眠りしたり、小声でお喋りしたり・・・。そこでは、仲の悪いヤツも礼儀を守って大人しかった。1丁目のおっさんと、 北通りのあんちゃんは、犬猿の仲だったが、ここでは並んで日向ぼっこしていた。あかねヶ丘の婆さんが、3丁目の姐さんに背中をマッサージしてもらって喜ん でいた。
 そこでは、のんびりと時が過ぎていた。
 きっと、お日様が暖かいから、みんなの心も温かくなるんだろう。
 世の中、何処でもこんな場所だったらいいのにな、と思った。

「ママ、あれ、見て」
「わぁ、すごい数の猫」
「へぇ、猫が集会するって、本当なんですね」
「でも、空き家の庭なんて、いい場所見つけたわね。あそこ、このバスの窓からしか見えないでしょ」


2013年4月4日木曜日

おいやん

 カオリが入社した時、既においやんはそこで働いていた。正社員ではなくて、パートの運転手だった。下請けと本社の間を品物を積んで行き来していた。陽気で冗談好きなので、誰とでも仲良く出来る人だった。
 あ、「おいやん」と言うのは、播州弁で「小父ちゃん」って意味だ。ホントはナカノさんって言うんだけど、みんな親しみを込めて「おいやん」と呼んでいた。
 カオリは、何故おいやんが正社員でないのか不思議だった。年齢的にも普通の社員と変わらなかったし、毎日通勤していたし、お昼は社員食堂でみんなと同じ給食を食べていた。一度、思い切って尋ねてみたら、おいやんは答えた。
「そうかて、気楽やんけ。」

 やがて会社が新しい配送センターを建設して、数名の社員をそこへ転属させた。センターの責任者はヤマダ課長と言う人で、ちょっと偏屈者で通っ ていた。彼は気に入らない部下には陰険な虐めをすることで有名で、部下たちは次々と脱落して本社に戻された。本社はちょっと困って、いろいろと人材を送り 込んでみたが、どれもヤマダ課長の眼鏡にかなわなかった。そこで、最後に、本社はおいやんを送り込んだ。
 おいやんの性格はヤマダ課長にも気に入られたようだ。そこで、結局10年ばかり、おいやんは課長と一緒に働いた。
 カオリがセンターの事務員として転属すると、仕事のノウハウを教えてくれたのは、上司の課長ではなくて、おいやんだった。課長と二人きりだと息が詰まっただろうが、おいやんがいてくれたのでカオリは何とか泣き言も言わずに仕事を覚えていった。

 大型台風が播州地方に多大な被害を及ぼした。
 課長の家もおいやんのトラックも水没した。勿論、会社も被害を受けた。
 おいやんは自分のうちのことは奥さんに任せて、連日会社の復旧作業に携わった。茫然自失の社員たちを叱咤激励して、力仕事に励んだ。
 カオリはこの時ほど、おいやんが頼もしく思えたことはなかった。
 そして、どうにか平常の生活が戻ってきた時・・・。

 カオリはおいやんが担いだ荷物を落っことすのを目撃した。おいやんは腰に手を当てて辛そうにあえいでいた。
「大丈夫?」
「ああ、ちょっと腰が痛いだけや」
 しかし、大丈夫ではなかった。次の日、おいやんは立てなくなって仕事を休んだ。おいやんがいなくなると、課長はパニックに陥った。仕事は山ほどあった。それを一人では消化しきれない。課長は電話で本社相手にまくしたて、手伝いを数名派遣させた。
 慣れた人間一人と不慣れな人間三人、比較にならなかった。
「専属をいれなきゃな」
 人事部長が呟いた。

 10日目に、おいやんがカオリのデスクに来た。
「くびになったよ。仕方ないやな、もう重い物持てへんから」
 カオリには晴天の霹靂だった。びっくりして見返すと、おいやんは笑った。
「せやけど、毎日来るから」

 そう、おいやんの奥さんは内職で下請け仕事をしていたのだ。おいやんは毎日仕事をもらって持って帰り、届ける仕事だけをすることにしたのだ。

「ひどいと思わない?」
 カオリはバーで先輩のナギサに訴えた。
「水害の時に、一番頑張ってくれた人をあっさり切ってしまうなんて。おいやん、可哀想よ」
「うん・・・」
 ナギサはちょっと考えて、慎重に喋りだした。
「おいやんさぁ、昔から腰が悪かったんよ。だから、正社員にならんと、いつでも休めるパートで我慢してたん。
 せやけど、今度のことで、無理してしもうたんやね。
 でも、これで良かったかも」
「なんで?」
「ずっとあそこの仕事続けていたら、おいやん、ホントに体潰してしまうとこやったよ。もう歳なんやもん。
 ええとこでドクターストップかかったんや。まだ仕事あるし、毎日、ここに来てるやん。ちょっとだけ寂しくなっただけやんか。」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんよ」


 おいやんが辞めて3週間目、ヤマダ課長が過労から風邪でダウンした。まだ新入りも入って間もないし、手伝いの社員たちも、勝手がわからない。配送センターはパニックになった。
 カオリの目の前で、人事部長が電話をかけた。
「もしもし、ナカノさん? 腰の調子どないやろ? え? ああ・・実はヤマダがダウンしてな、困ってる。
 頼れる人は、あんたしかおらんのや。
一日か二日でええさかい、手伝ってもらわれへんやろか?」

 そして、半時間後に、おいやんは照れくさそうにやって来た。
「まだ、少しは要りようらしいなぁ」
とカオリに笑いかけた。 
「せやけど、これっきりやで。いつまでも外の人間に頼ってたら、あかんで。ここの会社、ちと甘えがあるよってな。なんでも、安上がりなもので済ませようとする。ちゃんと専属の人間、育てなあかんわ」
「そんじゃ、おいやん、監督しに来てよ」
「おお、毎日来るわいな」

 おいやんは、約束通り毎日品物を運んでやって来る。カオリは課長に見つからないように、こっそりおいやんにお菓子を渡すのが日課になった。

2013年4月2日火曜日

座敷豚

 家に帰って、玄関の戸を開いたら、上がり口に豚が座っていて、三つ指ならぬ、偶蹄の二つ指をつき、「お帰りなさいませ」と言った。
 豚を飼った覚えはないので、慌てて外に出て、表札を確認した。間違いなく、私の家だ。豚は私が上がるのを待っている。
 仕方がないので、中に入った。
 豚が夕食の支度をしてくれていた。おかずは豆腐の回鍋風炒めに、卵とキクラゲのスープ。 豚なのに、料理が巧い。
量が多いので、残すと、豚は私の残飯も綺麗に食べた。
 リビングでテレビを観ている間、豚は座敷に座布団を敷いて座っていた。何か針仕事をしていた。
 私は昼間の疲れが出て眠くなり、先に休んだ。豚が何処で寝たのか知らない。
 翌朝、寝坊しそうになって妻にたたき起こされた。豚はいなくなっていた。そう言えば、昨夜、妻は何処にいたのだろう。豚のことを質問したかったが、遅刻しそうだったので、聞きそびれた。
 その夕刻、家に帰ると、豚はおらず、妻もいなかった。
 座敷でトドが寝ているだけだった。