2011年9月28日水曜日

雨宿り

突然の夕立に慌てて道端にあった古いお堂に駆け寄った。豪雨だ。道の向こうが見えないくらい。軒下にいても忽ち濡れてしまう。第一屋根が古くて庇が短いので、あまり役に立たない。無いよりましか、と思っていたら、お堂の中で声がした。
「中に入りなさいな」
 男の声だと思った。分厚い木製の扉を開けると、狭い空間に数人の男女がいて、びっくりした。 みんな濡れていた。
 外にいては濡れるばかりなので、中に入り、扉を閉めると、案の定真っ暗。
 湿気た、妙な生臭い匂いが充満していた。体育の授業の後のロッカールームみたいだ。
「いやぁ、酷い雨だわ」
「また洪水にならなきゃいいけど」
「山向こうまで帰らなきゃならないんだけどね」
「それは、峠道が心配だね」
「家が流されないか、不安だわ」
 みんな勝手に喋っている。
「これは大丈夫ですよ、ただの通り雨です。直に止みます。一時間もすれば・・・」
と言ったら、一瞬静かになった。
 え? なに? この沈黙? 雨が止むといけないの?
 すると誰かが尋ねた。
「一時間って、どのくらい?」
「え?」
 一時間・・・どのくらいなんだろう?そうか、時計見えないもんね、この暗さじゃ。こんな時、どうやって表現すればいいのだろう? 一時間って、どうやって測るの?
生憎時計はアナログで暗がりでは見えない。携帯電話も持っていない。
「そうですね、日が暮れる迄には止みます」
としか言えなかった。
「え、そんなにかかるの?」
と誰か女性の声。
「歳取っちゃうわ。」
 ドッと笑う人。
 それからちょっと最近の洪水の話が出て時間がつぶれた。みんな苦労していたんだな、恐怖体験したんだな、と感心した。
「天災は保険が下りないから、困りますね」
と言ったら、「それは何?」と聞かれた。え? 保険知らないの?びっくりした時、最初に「中に入れ」と言ってくれた人の声がした。
「雨が止みましたよ」

 扉を開くと、夕陽がさぁっと差し込んで、眩しくて目を細めた。山の上には虹が見えた。
「ほら、止んだでしょう」
 振り返ると、お堂の中には人は誰もおらず、タヌキとキツネと野ウサギと蛙とリスとネズミがぞろぞろ出てきて、それぞれ別の方向に走り去って行った。
 後には、お地蔵さんが座っていなさるだけだった。

アイドルがやって来る

 サッケ・アホネンはアホだ。「アホ」はフィンランド語で「林間の空き地」の意味だが、この場合は日本語の意味だと思ってもらって結構。
 アホネンは冗談を言っても面白くないし、歌を歌っても下手くそで誰も感動しない。仕事もそんなに出来ないのだが、当人は全てにおいて自分は天才だと思いこんでいる。
 だから、友人のプラツキンが、
「”アイドルがやってくる”に出演してみたら?」
とからかった時、本気になってこの人気ある視聴者参加番組に応募してしまった。

 アホネンがスタジオに入ると、片側に小さなステージがあり、反対側の机の向こうに審査員が座っていた。
 有名女性歌手と大学の哲学の教授と放送局の倫理委員会の役員だ。彼等は審査が厳しいことで知られていた。
 歌手は、歌の上手い下手の他に出場者の”華”を見る。他人の注意を惹き付けられるか否かを見ているのだ。
 哲学者はユーモアの程度を見極めようとする。この男は滅多に笑わないことで有名だった。
 役員は出場者が放送倫理規定に違反しないかを調べる。差別ネタなど、もってのほかだ。
 黒い革ジャンでめかしこんだアホネンは、ステージに立ち、やがてお得意の歌を披露し始めた。
「ずんずずずんずん、ずんずずずん・・・」
 自分の口で前奏曲を演じ、彼は表情一つ変えぬまま、歌詞を歌い始めた。

 物凄い調子っぱずれの「ロッキーのテーマ」に、プラツキンはテレビの前で仰け反った。一緒にテレビを見ていた他の友人たちも数メートル引いている。
アホネンが音痴なのはみんな知っていた。知らなかったのは、本当に彼がテレビに出演したことだ。
 これは、友人たちにとっては、衝撃的事実以外の何者でもなかった。

 スタジオでも、審査員たちが唖然としてアホネンを見つめていた。 長いことこの番組の審査員を務めているが、こんな下手くそは見たことがない。しかも、面白くもなんともない。

 歌い終わったアホネンがコメントを求めて彼等を見たとき、何か言わなければと思った歌手が尋ねた。
「いつも、あんな風に歌うんですか?」
「勿論です」
 アホネンは自慢げに答えた。
「友人たちは感動で言葉を失うんですよ。自分で言うのもなんですが、僕は天才的な歌手になれると思います。」
 
 突然、ひきつった様な笑い声がスタジオ内で起こった。笑わない哲学者が頭を抱えて笑っていたのだ。
 役員は横を向いて必死で何かを耐えている様子だった。

 こうして、一人の人間の伝説が誕生した。

2011年9月27日火曜日

迷子

ピンポンパンポ〜ン♪

「ご来店中のお客様にお願い申し上げます。大泉純一郎ちゃんとおっしゃる3歳の男の子が迷子になっておられます。純一郎ちゃんは黄色いTシャツにグリーンの半ズボン、Tシャツには猫の模様が・・・」

店 内放送を耳にした咲子は、ふと胸騒ぎを覚えた。その格好の子供だったらさっき見かけたような・・・。素早く周囲に目をやってみたが見あたらなかった。スー パーマーケットとは言え、この地方都市ではデパート並の規模を誇る大型店舗だ。客数は市内一だし、土日には必ず二人や三人、迷子が出る。今日は平日で空い ていると言っても、子供にすれば自動車の心配が要らない広い遊び場だ。親が買い物をしている隙に走り回ってはぐれてしまったのだろう。

 でも、この胸騒ぎはなに?

 咲子が不安に襲われた時、咳払いが聞こえた。彼女は我に返った。彼女はレジ打ちの最中だったのだ。慌てて仕事に気持ちを切り替えた。
 客に釣り銭を手渡した時、視野の隅に黄色いTシャツが見えた。
「あら?」
 3歳くらいの男の子が男性に手を引かれて出口の方へ歩いて行くところだった。グリーンの半ズボン・・・。
 あれは父親かしら? でも、放送では「お母様が待っておられます」と言っていた。平日の昼間に家族で買い物? では、母親は? 
 イヤな気分が押し寄せてきた。どうしよう・・・追いかけて声をかけるべきか? それとも・・・。持ち場を無断で離れられないし、子供はもう外に出かけている。

 その時、商品管理係のユウナさんがバスケットを片づけにやってきた。咲子は急いで声をかけた。
「ユウナさん、あれ、あの子・・・」
 ユウナさんは咲子が指さした方向を見た。そして、咲子が言いたいことを瞬時に理解したみたいだった。
「迷子ちゃんね。」
 ユウナさんは一言そう言って、男の子と男性の後を追いかけて走っていった。

「咲子さんが見つけたんですよ。」
とユウナさんは店長に言った。
「子 供と男の人が不自然だって思ったんですって。でもレジから離れられないでしょう? だから、私、頼まれて確認に行ったんです。声をかけたら、男の人、慌て ちゃって、子供を家に届けるところだったとか言い訳して走って逃げてしまいました。危なかったです、最近誘拐が多いですからね。咲子さんが気づかなかった ら、大変なことになったかも知れません。」
 咲子は気恥ずかしくて赤くなって黙っていた。ユウナさんは頼まれて行動したんじゃない。ユウナさんもおかしいと気づいたんだ。だから、お手柄はユウナさんで、私じゃない・・・。
 ユウナさんと目が合った時、ニコッと笑ったので、咲子は何も言えなくなってしまった。
「だって、本当に咲子さんが先に気づいたんだもの。」
とユウナさんは言った。

 数日後、咲子は店の外を掃除していて、ユウナさんが知らない男と駐車場の端で向き合っているのを見つけた。何をしているのだろう、と不安になって近づくと、ユウナさんが男の顔の前に手をかざして声を出した。
「忘れるのよ。病気だったんだから。もう二度とあんなことはしないはず。」
男は頷いてくるりと回れ右すると駐車場から出て行った。
咲子はなんだかわからなくて、ユウナさんに声をかけた。
「何していたの?」
ユウナさんはちらっと咲子を見て答えた。
「ちょっとね。」
「知り合い?」
「そうでもないけど。もう会わないだろうし。」
時計を見て、ユウナさんはお弁当の時間だ、と言ってお店に戻って行った。

2011年9月25日日曜日

千姫

今夜の「江」は千姫の輿入れでした。
幼い女優さんが二人頑張って演技して、涙が出ました。
そんな小さな時から働いて・・・


千姫にはちょっと特別な思い出があります。
小学校の2年生か3年生の頃、当時大阪に住んでいた叔母夫婦が神戸に遊びに来ました。
父は二人と私たち家族を姫路へ案内しました。
父以外の全員、姫路訪問は初めてでした。
その日は朝から雨が降っていて陰鬱な日でした。
手柄山の遊園地も雨で遊べず、当時姫路にあったモノレールにも乗れませんでした。(営業していたのでしょうか?)
私たちは姫路城に行きました。
雨が降っていたので広大な城内見学は止めて、天守閣だけ上りました。

姫路城は戦争を体験していませんが、実戦を想定して建築されたお城です。
優美な外観とは裏腹に、内部はものすごく地味です。
階段は急で狭く、暗いです。
当時は今の様な観光の為の設備もそんなに整っていなくて、雨の日ですから、本当に狭くて暗くて子供にはちょっと恐い場所に思えました。

廊下の横に板戸の部屋がありました。
誰だったか、大人がそこを覗いて呟きました。
「ああ、千姫様のお部屋や。」
大人たちが次々とその部屋を覗いては、「千姫様」「千姫様や」と囁いていきます。
私が順番が来て覗くと、板張りの殺風景な部屋の真ん中に、金銀の糸の刺繍がいっぱい付いた打ち掛けが衣桁に掛けられていました。
暗かったので、着物だけが宙に立っている様に見えました。

私には、千姫様 は見えませんでした。

でも大人達は、私の家族もよその人も、みんな「千姫様がいる」と言うのです。
ちょっと恐かったです。

4年生の時、学校の遠足で姫路城に行った時は、晴れていました。
千姫の部屋は明るく、やはり着物が掛けてありましたが、誰も「千姫様がいる」とは言いませんでした。
「千姫の部屋やて」「誰、それ?」ってな感じ。小学生の団体ですからね(笑
現在は、着物を着たマネキンが座っているそうですが、やはり「千姫様がいる」なんて言う観光客はいないでしょう。

あの雨の陰鬱な日に、大人達は本当に千姫様を見たのでしょうかね?

記憶

タローが目覚めた時、両親は大喜びした。もう永遠に眠ったままかも知れないと、医師から言い渡されていたからだ。 だから、タローに事故に遭う前の記憶が一切ないことが判明しても、そんなに哀しまなかった。息子が生きていることだけで、嬉しかったのだ。
 タローは肉体的にはすっかり治ったので、退院して帰宅した。家の中は全く未知の世界で、勝手がわからずに戸惑った。しかし、何をどうするのか、体は、あるいは脳のどこかが覚えているのだろう、すぐに普通の生活に戻っていった。
医師は、仕事も以前と同じようにしてみるようにと勧めた。職場の人々も彼を温かく迎えてくれた。
タローは過去には固執しないようにと自分に言い聞かせ、新しい生活に馴染んでいくのだった。

「患者309985は、順調に元の生活に戻りつつあるようだね。」
「はい、鬱状態も緩和され、明るさも取り戻したようです。」
「過去は忘れて、新しい生活を始めると言うのが、効果的だったようだな。」
「そうですね。戦争で息子を亡くした親が鬱になって国全体の活気がなくなっていく傾向が出ていますから、アンドロイドの息子を与えて、息子の戦死と言う過去を消し去る治療法は有効のようです。」

2011年9月24日土曜日

逮夜

和尚さんは逮夜には少しうんざりしていた。お経を読むのは僧侶の仕事だし、義務だから当然だとしても、法要の後の習慣と言うのが、はなはだしんどいものだった。
和尚さんの寺がある地域では、逮夜には食事が出る。遺族と親類、時には友人や近所の人も加わって、法要が終わった後で、和尚さんを囲んでご飯を食べるのだ。
この地域の逮夜は初七日から四十九日までの間、七日毎に行われるから、一軒の家でお葬式を出すと、和尚さんは4回逮夜に呼ばれる。
遺族はご馳走を準備してる。法要なのだからそんなに贅沢しなくても、と和尚さんは内心思っているが、遺族はもてなすのが故人への供養だと信じているから、黙っている。
困るのは、毎回出される料理が寿司や会席料理だと言うことだ。狭い田舎町だから、仕出し屋は同じ店だし、短期間にお葬式が集中してしまったりすると、毎日逮夜だったりして、毎日同じ味の同じ料理を別々の檀家で出される。
正直なところ、和尚さんは食傷気味だった。
Y家の当主が亡くなった。長患いして苦しんでいたので、亡くなって家族がホッとしているのが雰囲気でわかった。
逮夜に呼ばれた。一逮夜目は定番の寿司だった。和尚さんは申し訳ないと思いつつ、残してしまった。
二逮夜目は懐石料理で、これも残した。
三回目。玄関で、「あれ?」と思った。トマトソースの匂いが漂っていたからだ。ニンニクの匂いもしたし、タマネギを炒める香りもした。和尚さんはなんだか落ち着かなくなり、お経を大急ぎで読んだ。(ばれたかな?)
お料理は、トマトソースに鶏肉を煮込んだパスタだった。
逮夜にパスタを出す家なんて初めてだった。和尚さんは美味しかったので夢中で食べてしまった。若主人に訊けば、彼の奥さんが作ったのだと言う。
「和尚さん、いつも残しておられるから、お袋が気に病んで、僕の嫁さんに台所仕事を押しつけたんですよ」
と若主人が笑いながら言った。
「僕も寿司よりこっちの方がいいや」
帰り際、家族全員が玄関に見送りに出てきた。
「ご馳走様でした。スパゲティ、美味しかったです」
和尚さんは思わず正直に挨拶してしまった。奥さんが照れ笑いして、大奥さんは苦笑いした。
それからも和尚さんはあちらこちらの家に呼ばれて行くが、あれからパスタを出してくれる家には一度も遭遇していない。

2011年9月22日木曜日

鐘撞堂

山寺の小僧さんが鐘を撞きに行ったまま帰って来なくなると言うことが度々起こった。和尚さんは初め、小僧さんが修行がイヤで逃げたのだろうと思っていた が、こう次々といなくなるのは解せない、と思い始めた。そんなに厳しくしているつもりはなかったし、どの子も逃げ出すような素振りがなかったからだ。
 これはどうしたものか、と思案していると、旅の僧が一夜の宿を求めて来た。
 端正なお顔で教養もありそうで、どこぞの大きなお寺の偉い坊様かも知れない、と思った田舎和尚は、その旅の僧侶に小僧さんたちの失踪の話を語って相談してみた。
「なるほど、それでこのお寺は夕刻の鐘を撞かないのですね。」
と旅の僧侶は納得して、一宿一飯のお礼に、明日調べてみようと言った。

 翌日、旅の僧侶は鐘撞堂へ行ってみた。山寺の鐘は、本堂から離れた藪の向こうにあったのだ。お堂には生臭い匂いが漂っていた。僧侶は和尚さんに頼んで、魚を一匹調達して、魚に糸を結わえ、鐘の下に置いた。
 夕刻、僧侶は鐘を一回だけ撞いて、藪の中に姿を隠した。
 暫くして、草むらから大きな蛇の様な物が出てきて、魚をぱくりと食べてしまった。大蛇が去った後には、魚に結わえておいた糸が伸びていた。
僧侶がそれをたどって行くと、森の奥に深い沼があり、糸はその中に消えていた。

 和尚さんはその話しを聞いて、村人を集めた。日が高い間に、みんなで沼の水を抜いた。その間、和尚さんはずっと声高らかにお経を読んでいた。
沼の底が曝されると、泥の中に、大蛇がうずくまっていた。お経で動けないので、村人たちに退治されてしまった。

 いなくなった小僧さんたちは二度と帰って来なかったけれど、それから失踪する小僧さんは出なくなったそうな。

 それから、旅の僧侶は、大蛇が退治されるのを見届けると、五色の雲に乗って西方の空に飛んでいってしまったと言うことだ。

2011年9月17日土曜日

ここにいるよ

「ここにいるよ」

声が聞こえたような気がした。周囲を見回す。明るい木漏れ日が差し込む林の小径だった。すぐむこうには道路があって、 クルマが数分おきに走り抜ける。ちょっと南に下ればドライブインがあり、シシ肉の味噌煮込みうどんが美味しいとかで、観光客が押しかける。北側にはキャン プ場があって、広場では多くのグループがバーベキューをしている。
のどかな連休の午後。
林の中にボク以外の人間がいてもおかしくない。だけど、その声はボクに話しかけているように聞こえた。
「誰?」
と声に出して尋ねたが、そばに人がいるように思えなかった。
また歩き出すと、それは聞こえた。

「こっち。ここにいるよ。」

若い女の声に思えたので、ちょっと好奇心で探求してみることにした。
声はボクを誘導し、林を通り、小さな社の横の坂道を上り、石段を登り、木の枝を滑り止めにした土の階段を上がって行った。

突然目の前が開け、かなり下の方に道路や集落が見えた。いつのまにか山の頂上に来ていた。なんて素晴らしい景色なんだ!
真っ青な空、新緑の山、澄んだ空気、ぽっかり浮かぶ白い雲。

「ここにいるよ」

空の向こうで声がした。ボクを招いている。
飛んで行けるような気がした。

「危ない!」

いきなり後ろで大声がして、ボクは我に返った。目の前の地面がなかった。脚が竦んでしまったボクの服の背中をつかむようにして、リュックを背負ったおじさんがボクを引っ張って後ろへ下がらせてくれた。

「大丈夫かい? まさか、飛び降りるつもりじゃなかったんだろ?」
「すみません、景色に見とれてました。」

背中も腋も汗びっしょりだった。おじさんはボクをじろじろ見て、それから谷間を見た。

「また出たんだな・・・」
「何がです?」
「なんだか知らないけど、一人で歩いている人を誘うヤツがいるんだよ。同じ所を堂々巡りさせたり、谷川で水浴びさせたり、悪戯するんだ。しかし、今日はちょっと笑えないなぁ。」

一度遊んだ相手には二度と声をかけないから安心しな、とおじさんは言った。
なんの声だったのか。ボクは帰り際、売店で買ったお菓子を林のお社にお供えして帰った。

2011年9月16日金曜日

参道

森の中のキャンプ場へ行った時のことだ。
夕食の支度まで時間があったので、仲間から離れて一人で散策を楽しんでいたら、山道から逸れるような細い道を見つけた。獣道ではない。綺麗な石畳だった。
なんだろう?
石は丸みを帯びた三角で交互に並べてあった。魚の鱗みたいに。
歩き出してすぐに気が付いた。その道は中央が少し盛り上がって左右に下がっている。
進むほどに、また気が付いた。中央が高くなり、ギザギザの石が立てて並べてある。こんな狭い道に中央分離帯か?
石畳の石がだんだん大きくなり、ギザギザも三角形になって大きくなる。

こ、これは、もしや・・・

道がピクピクと動いた。
そしてずっと前の方で声がした。

「くすぐったいから、降りてくれないか。尻尾だって敏感なんだぜ。」

2011年9月11日日曜日

ヴィトンの財布

出張で大阪に出た時、心斎橋で財布を拾った。ヴィトンの財布で二万円入っていた。近くの交番に届けて手続きして、帰った。
夜になって、警察から電 話が掛かってきた。落とし主が現れて、礼を言いたいそうなので、こっちの電話番号を教えたと言う。そうですか、と言って、見つかって良かったですね、と電 話を切った。暫くして、若い男性の声で電話が掛かってきた。財布の落とし主で、是非直接会って礼を言いたいと言う。電話で結構です、と言ったが聞かないの で、それでは、と自宅の最寄り駅だけ教えた。
 翌日。
 大阪からここまでバスで二時間、電車でも山陽本線とローカルを乗り継いで3時間だから昼には着くだろう、と思ったが来ない。いらいらして一日待つだけでつぶれてしまった。
 考えたら、二万円ぽっちで、こんな田舎まではるばる来ることはないのだ。当人も馬鹿らしくなって止めたのではないか。こっちも一割の礼が欲しくて届けたのではないし、電話で既に丁重な言葉を聞いているのだから十分だ。そう思って夜になりかけた頃、彼はやって来た。
 綺麗な目をした若者だった。遅れたのは、彼のせいではなく、彼が乗るべき電車を尋ねた大阪駅の駅員が、山陽本線ではなく、福知山線を教えたので、ぐるっと京都方面を回って大回りで来てしまったからだとわかった。
 彼は菓子折を差し出し、何故こんな遠方までわざわざ出向いて来たか、その理由を語った。
「嬉しかったのです。」
と 彼は言った。彼は海上自衛隊の潜水艦勤務の隊員だった。財布は彼の就職祝いに彼の祖母が贈ってくれた物で、祖母は亡くなってしまったので、大切な形見なの だと言う。久々の休暇で大阪に出て遊んでいたら落としてしまい、すっかり意気消沈していたが、交番に行くと届けられていたので感激したのだと。
 それから数年、彼は季節季節の故郷の特産品を送ってくれた。もう十分だからと丁重に断りを入れた後は年賀状だけの付き合いになったが、いつも丁寧な挨拶をくれる。
 今でもこんな若者がいるのだ。人を愛することを本当に知っている若者が潜水艦に乗務している。

2011年9月10日土曜日

教えて神様

教えてください、神様。
「花は万人から愛される存在」ではないのですか?
バラや桜は愛されるのに、どうして私は憎まれるのですか?
私は、ただ子孫を残す為に、他の植物と同じように花を咲かせているだけなのに。
神様、教えてください。
私はどうすればいいのですか?
  
 杉

この世のすべて

朝目覚めてベッドから出て服を着るとバスルームで顔を洗い、部屋を出た。朝食は何にしようか。
 クルマに乗って走り始めた。すぐにガソリンが残りわずかだと気づき、ガソリンスタンドに入った。自分で給油する。この店はまだ大丈夫な様子。
給油が終わったら、スーパーに直行。
 果物コーナーでグレープフルーツを取り、パンと牛乳、コーヒーもゲット。
 食事を済ませると、本屋に行き、読みかけの本を一時間ばかり立ち読みした。それからヴィデオ屋に行き、店のテレビで「ライジング・サン」を鑑賞した。ショーン・コネリーの声が懐かしい。
 家で見る為のヴィデオを数本クルマに積む。
 次に洋品店で新しい服と下着を仕入れ、昼食の為にファーストフード店に行った。
 自分でハンバーガーを作り、焼いて食べた。
 携帯電話ショップ、旅行代理店、ギフトショップ。 かつて楽しかった店が今はちょっと空しい。
 夕食の材料として牛肉と野菜を手に入れた。肉はともかく、新鮮な野菜はあといつまでだろう。畑を耕すことを覚えた方が良いかもしれない。
 家路につく。どこかで「夕焼け小焼け」が鳴りだした。かつて子供たちに帰宅を促す為に流されていたメロディだ。
 もう子供たちはいない。
 親たちもいない。
 年寄りもいない。
 いるのは私だけだ。
 私が最後の人間。
 そして、何故か電力供給だけはコンピュータが正常に動いているらしくて、私は暮らしていける。肉も魚も冷蔵システムが正常に動いている限り、私は不自由しない。ガソリンも着る物も、この世に残された物は全て私の物になった。宝石もお金も、全部私が自由に出来る。

 だから? それでなんだって言うの?

2011年9月8日木曜日

時代屋

 時代屋って知ってる?
 ショッピングプラザ西館の地下にあったの。ちょっと不利な場所だった。
ショッピングプラザの地下って、東館の海側通路が一番賑わってるでしょ、昔も今も。ガラス張りの大きな窓付きのお洒落なレストランとか、カフェとか、ケーキ屋とかが入ってて、若い人や家族連れが多いよね。
 それから、東館の山側通路。こっちは間口が狭い店が多いけど、凝った料理で勝負してるね。客も冒険する気分だったり、通ぶったりする人が多い。
 大概の客は、東館通り抜けたら、連絡通路の広場でエスカレーターに乗って地上に上がってしまうでしょ? 
 西館は地味なんだよね。海側、そこそこ客があるけど、お店は和食系が大半で若い人は通り過ぎちゃう。客筋が年配の人中心になるから、店も地味な装飾だったりする。
 山側はもっと地味。お店も食べ物屋じゃない所が多いから、客も常連しか来ないのね。漢方薬店とか小物屋とかね。
 時代屋さんは、その西館の山側通路にあったのよ。連絡通路広場のエスカレーターの裏っかわ、山側通路に入ってすぐの所。間口の狭いお店で、うっかりすると見過ごしそうなほど小さい店だったけど、見過ごせなかったね。だって、ほら、とっても良い匂いがしてたもの。
 え? 何の店かって?
  時代屋さんは、カレー屋さんだったの。辛いカレーと甘いカレーとハヤシライスだけ出してた。10人座ればいっぱいのカウンターと、2人掛けのテーブルが三 つだけの小さな店。壁に貼ってあったのは、昭和20年代から30年代の映画のポスター。流れていたBGMは、昭和の古いアメリカンポップ、店に置いていた タバコはゴールデンバットだけ。小物類も昭和の匂いムンムンだった。
 お店を切り盛りしていたのは、意外にも若い女性二人で、バーテンダーみたいな黒い服着てネクタイしてた。
 タイムスリップしたみたいなレトロなお店だったんだ。
 いつの間にか消えてしまってたけど。惜しいな、と思う。
 だって、カレーライス、とっても美味しかったんだもの。

2011年9月6日火曜日

セカ

 セカは瀬尾香里のあだ名で、性格も結構せかせかしていたから、同級生たちは彼女をそう呼んでいた。なんでもやることが早い子だった。朝登校するのは一番 乗り、テストをやってしまうのも、駆けっこもいつも一番、先生に言われた用事を片づけるのも一番、下校も一番だった。セカの家はお父さんが戦死したので、 セカはお母さんを手伝って家事をして弟妹の世話をした。だから、同級生と遊ぶ時も、少しだけで、夕方は早く帰ってしまった。
「セカは、頭がいいから、何でも早く出来るんだよ」
と先生は言っていた。
「だけど、もう少しのんびりさせてやれないものかな」
 みんな、頭が良いセカは高校へ行ってもっと勉強するものと思っていた。だけど、中学を卒業するとすぐに彼女はお嫁に行ってしまった。夫となった人は年輩でお金を持っていた。セカは実家を助ける為に嫁に行ったのだと、同級生たちは同情した。
 みんなが高校生活を楽しんでいる頃、セカは母親になって毎日忙しく働いていた。なんでも、夫には亡くなった先妻との間に既に二人も子供がいて、その世話もしていたと言う。
 同級生の誰かが大学まで行き、別の誰かが結婚した。お祝いを持ってきたセカは、「私、お祖母ちゃんになるの!」と言って笑った。義理の子供が結婚したのだと言う。
「いくらなんでも、ま早すぎるじゃない」と言ったら、「そうかな」と言って、また笑っていた。
「だけど、私、毎日楽しいもの。そのうちのんびりさせてもらうわ。」

 古希の祝いを兼ねて同窓会を開いた。卒寿を迎えた恩師も健在で出席してくれた。
「みんな、元気でなによりだ」
と先生は笑ったけれど、席が一つだけ空いていた。だけど、そこにもみんなは料理を並べた。

 30代前半で逝ってしまったセカの席だった。

「何を急いでいたんだろうね」
「短いって知っていたから、急いだんじゃない?」
「きっと今頃はのんびりと上からここを眺めて笑ってるわよ」

覚えてる?

「あの草むら、覚えてる?」
「なんだっけ?」
「2年前、むっちゃんが殺された所」
「・・・」
「学校の帰りに、むっちゃんがいなくなって、探したら、あそこで死んでたんだ」
「ああ・・・でも、もうその話・・・」
「手を縛られてさ・・・」
「知ってるから・・・」
「服脱がされてて・・・」
「止めてよ」
「顔、石で殴られて滅茶苦茶で・・・」
「止めてって、言ってるでしょ!」
「犯人、まだ逃げてるんだ」
「誰だかわからないのよ」
「覚えてるよ」
「何を?」
「右腕に蛇の刺青があるの。コブラかなぁ」
「何の話?」
「石を振り上げた時、袖が下がって、見えたんだ、コブラ」
「だから、何の話してるの?」
「覚えてるよ、私。目がつり上がった、あの男の顔。パーマかけててさ」
「カヨちゃん?」
「私? むっちゃんよ」
「!!!」

恐かった。夢中で走ってその場を離れた。カヨちゃん、どうしちゃったんだろ? 冗談にしても、質が悪すぎる。
次の日、カヨちゃんは普通だった。草むらの話なんか覚えていなかった。
だけど、あの夕方の話が頭から離れなかった。下校時、公衆電話から警察に電話をかけた。自分で何を喋ったのか、よく覚えていない。ただ、カヨちゃんが喋った刺青の話をしたんだ。お巡りさんが信じてくれたかどうか、知らない。名前を聞かれて、我に返り、電話を切ったから。

むっちゃんを殺した犯人は、一月後に捕まった。右腕にコブラの刺青があったんだって。
むっちゃんのお母さんが、「三回忌に間に合って良かった」って泣きながら言ってた。

2011年9月5日月曜日

バス停お婆

 大学正門前に行きたいって? じゃ、バスで行きなよ。タクシーで行っても、そんなに時間はかわらないよ。道が狭いからね、すぐに前のバスに追いついて、追い越せないまま目的地に着いてしまう。
小銭がない? 一万円だけ? ああ、両替はしてやれないよ、僕も小銭を切らしている。
だけど、大丈夫だ。バス停に行けば、バス停お婆がいる。
ほら、24枚綴りの回数券ってあるだろ? そう、駅前のオフィスで2000円で売ってる、あれ。あの回数券を一枚ずつ、100円で売ってる婆さんがいるのさ。まぁ、ダフ屋と言えばダフ屋かな。だけど、バスの中で両替して運転手に舌打ちされるよりは、ましだろう。
婆さん、身なりは悪くない。着ている物は古いが、ボロじゃない。それに回数券買う金を持っているんだから、そんなに貧乏でもないんだろう。
婆さんの回数券は、8枚1000円だ。割高だが、急いでるヤツは買う。婆さんは2000円で24枚買って、3000円で売るわけだな。一枚100円でも売ってくれるが、それなら現金でバスに払うよな、普通。
お婆は、客の顔を覚えてるから、普段定期券を持ってる人には売りつけない。だから、僕はお婆の客じゃなかったんだが、ある時・・・

  雨の日で、僕は大学正門前からさらに3つむこうの赤井神社の会館に行く用事があった。実はゼミをさぼってバイトに行く予定だった。定期券の範囲を超えるか ら小銭が必要だったが、持ち合わせが1000円札5枚しかなかった。テント張りのバス停の屋根の下で待っていると、お婆が現れた。他に客がいなかったの で、がっかりした様だ。雨を避けて、お婆もテントの下に来た時、僕は声をかけた。回数券を1000円分売ってくれって。お婆は不審そうに僕を見た。僕が定 期券利用者だと知っていたんだ。僕は、赤井神社に行くのだと言い訳した。
 すると、お婆はこう言ったんだ。
「定期券で、正門前まで行って、そこでバスを降りればいい。神社までは歩いて行けるだろ、若いんだから。」
 確かに歩いて行ける距離だったが、上り坂だし、雨降りだ。僕は嫌だった。金を払うのはこっちなんだから、素直に売ってくれればいいんだ。確か、そんな生意気なことを言ったと思う。
お婆は怒らなかった。怒る代わりに、ひたすら回数券を売ることを拒んだ。
「いい若いもんが、怠けるんじゃないよ。苦労は買ってでもするものさ。」
腹を立てたのは、僕の方だった。それならいい、二度とあんたからは買わない、とか何とか怒鳴って、そこに来たバスに乗った。お婆は僕の背中に向かって、「正門前で降りるんだよ」と言ったが、僕は聞こえないふりをした。
 バスの車内は満員だった。蒸し暑さと圧迫感でひどく不快だった。僕は赤井神社まで乗るつもりだったが、大学正門前にバスが着いた時、大勢の学生たちと一緒に降りてしまった。
そしてバスの後ろをついて行くように歩道を歩き始めた。

ドカンッと大きな爆発音がしたのは、その数分後だった。前方で火柱が上がった。
僕は仰天して坂を駆け上がった。
バスやタクシーや、一般車両が路上で立ち往生していた。前方の交差点でマンホールが爆発したんだ。多分、ガス漏れだったと思う。
幸い怪我人はなかったが、道路は数時間閉鎖され、バスは立ち往生したままだった。
僕は裏道を通って赤井神社に行ったのさ。

お婆が事故を予言したなんて言わないよ。お婆は僕に売りたくなかった、それだけさ。
予知能力なんてない婆さんだからな。
だから、君が回数券を買うのも、僕が紹介したからなんて言っても、婆さんはわかんないだろう。
え? ガス爆発はいつのことだって?
そうだな・・・君が生まれる前だったから、20年以上昔だな。

凧揚げ

タレントの家を紹介する番組で、ゲイラカイトを持っている人が出てきて、他のタレントたちから「古!」と言われていた。
かつて日本中の空を占領して、古来の紙凧を駆逐した三角形のビニル凧はどこへ行ってしまったのだろう?

小学校時代、冬休みの注意事項に「電線のあるところでは凧揚げをしてはいけません」と書かれていた。電線のない所なんて、神戸市内にないやんか。
と言う訳で、神戸で凧揚げをした記憶はないし、揚げている子供を見たこともなかった。

凧揚げは、母の郷里である和歌山のM町に帰省した時にしたのだった。
孫たちが集まって室内遊びに飽き始めた頃に、祖父とか伯父が「凧揚げでもせんの?」と言い、私たちを引き連れて近所のオモチャ屋へ行った。
竹の枠に紙を貼り付けた凧が売られていて、一人ずつ買ってもらった。幾らしたのか、知らない。そんなに高くなかったのだろう。
オーソドックスな奴凧はなくて、どれも武者絵が描かれていた。風林火山の武田信玄とか、敵役の上杉謙信とかで、秀吉や家康はなかった。
凧はそのままでは飛ばないのだそうだ。(空気力学とか浮力とか気流とか、そんな説明はしなくても良いです。聞いてもわからない。あっかんべー)
家に帰ると、みんなで新聞紙や障子紙を切って、凧の手足に糊で貼り付けた。
これは「尻尾」と呼ばれた。

尻尾が付くと、祖父は孫の一団を引き連れ、今度は海岸へ行った。
M町の海岸は、波打ち際から堤防まで50メートル近い広い砂浜が広がっている。凧揚げはそこで行われた。電線も樹木もないから、引っかかる物がない。
私の凧はなかなか揚がらない。従兄はすぐに高く揚げてしまって、余裕の表情。
祖父が揚げてやろう、と妙技を見せてくれる。凧を砂の上に置き、糸を引く。それだけで、凧がツイっと空中に浮かび上がる。祖父は糸を巧みに動かし、徐々に高く揚げていく。
やがて、凧が風に乗ったと思えると、やっと私に糸巻きを返してくれた。

海は、遮る物がない太平洋である。
その波の上空に凧が並んで浮かんでいる。
糸は何十メートルの長さだろうか? 随分遠くまで伸びている。

私は、ふと心配になって祖父に尋ねる。
「お爺ちゃん、凧が海に落ちたら、どうするの?」
祖父は悠然と答える。
「泳いで取りに行けばええ。」

凧揚げの思い出は、いつも快晴だった。

2011年9月4日日曜日

ヒロミ 2

「私は、林ヒロミさんと言う女性がどんな人か、探しているんだよ。」
「林ヒロミ?」
 山田は社員にそんな名前の女性がいたっけ?と考えた。
島岡が説明した。

息子の拓也が亡くなった時、当然ながらT電機工業の社員たちから香典が届いた。
社内香典は金額が設定されていて、最低で、女性は3千円、男性は5千円を出す。勿論、気持ちのものだから、払う義務はないのだが、拓也は重要な仕事をたくさん受け持っていたし、多くの社員とつながりがあったから、ほとんど全員が香典を出してくれていた。
「その中に、一万円を包んでくれていた人がいてね・・・」
高額の香典に、島岡は最初間違いかと思った。しかし、袋も高額のお金にふさわしいしっかりした物で、黒白の水引も立派な物だった。明らかに一万円を入れることを意図して用意されたのだ。
「その人が、林ヒロミ?」
「うん。T電機・林ヒロミ と書いてあった。」
島岡はショックだった。
拓也は独身だった。ずっと島岡は息子に良縁を望み、本人も結婚を希望していた。しかし女性と仲良くなれるのに、恋愛に行くことは何故か出来なかった。「いい人」「優しいお友達」で終わる男。
40代になると、島岡も拓也も諦めていた。そして、拓也の急死。
「倅に一万円も出してくれる女性はどんな人なんだろうと思ってね。少なくとも、息子のことを、嫌いではなかったのだろう。」
 島岡は、息子が一人の女性にもてた、と思いたいのだろう。
山田は知っていた、拓也は本当にもてたのだ。社内の女性たちは彼を好いていた。ただ、T電機の女性社員の大半は、既婚者だった。「独身だったら、島岡君とお付き合いしたのに」と彼女たちは言っていた。
だが・・・

我が社に「林ヒロミ」と言う女性社員はいない。

 山田は、一人だけ心当たりがあったが、島岡にそれを言う気にはなれなかった。だから、代わりにこう言った。
「小 父さん、林さんは確かにうちの社にいますよ。でも、その一万円は、彼女一人で出したんじゃない。最低限度額よりも、まだ拓也君に香典を出したかった人たち が、有志で集めて、一人の名前でまとめて入れたんですよ。それは、拓也君のことを好きだった複数の女性たちの気持ちなんです。」
島岡は、そうなのか、と寂しげに、でも、少し嬉しそうに笑った。

 山田は会社に戻った。
島岡拓也が使っていたパソコンの前で、後輩の社員がせっせと資料を作成していた。
「はかどってるかい?」
山田が声をかけると、彼は振り返って微笑んだ。
「はい、島岡課長が作ってくれたソフトがめっちゃ使い良いので、どんどん仕事が出来ちゃいますよ。」
「君は彼を尊敬していたんだっけ?」
「ええ、兄さんみたいな人でした。僕、大好きでしたよ。男としてね、敬愛出来る上司でした。」
そう言って、林博海はにっこり笑った。

ヒロミ

やはりそうなのか?と山田は島岡家の暗い玄関を眺めていた。信じられない、あの優しい島岡の小父さんが・・・。
「何か用かい?」
いきなり背後から声をかけられて、山田は跳び上がった。振り返ると、島岡が立っていた。手にはスーパーで買い物でもしたのか、白いレジ袋を下げている。中身は弁当か?
「あ、いや、ちょっと通りかかったもんだから・・・」
ちょっと冷や汗が出た。安堵の汗でもあった。違ったんだ、小父さんじゃなかった、あの報道の「老人」は。
島岡は山田をじろじろ見た。山田の狼狽振りを訝しんだのだ。
「用事があったんじゃなかったのかい?」
島岡は鍵を出して、玄関の戸を開けた。
そこへ、町内会長が通りかかった。
「ああ、山田さん、今夜8時から役員会をするから、頼みますよ!」
「え、臨時役員会ですか?」
「そう・・・川上さんのことでね。」
山田は、自分の勘違いに気づいた。町内会長が行ってしまっても、そこに立ちすくんでいた。
島岡が心配そうに声をかけた。
「どうした、浩一君。気分でも悪いのか?」
「あ、いや、何でもないです。川上さんのことで・・・」
「川上の爺さんがどうした?」
島岡の耳には、まだあの事件は届いていないらしい。
山田は意を決して話しかけた。
「小父さん、ちょっと時間をもらってもいいだろうか?」

島岡家の座敷は、かすかに線香の香りが漂っていた。小さな仏壇には小さな位牌が二つ。10年前に亡くなった島岡の妻と、昨年急逝した島岡の一人息子拓也の ものだ。拓也は山田の同級生で、同じ職場の同僚でもあった。体調の異変に気づき、病院で検査を受けて、一月で死んでしまった。あまりに急な死で、親族は呆 然とし、職場は大混乱だった。拓也はかなり重要な仕事をたくさん受け持っていたからだ。45歳、独身のまま働き詰めの短い人生だった。
山田は焼 香してから、島岡にまず事件のことを語った。地方紙に、「○町5丁目で小学生が痴漢に襲われ、容疑者として75歳の男が逮捕された」と言う短い記事が載っ たのだ。○町5丁目、まさに、それは山田と島岡が住む地区だった。容疑者の氏名が伏せられていたので、山田はてっきり同年齢の島岡かと疑ってしまったの だ。
疑ってしまってのには、訳があった。
島岡はこの半年、ずっと息子が勤めていたT電機工業の社員が出勤する時間になると、門のそば に立って女性社員をウォッチングしていたのだ。女性社員たちは気持ち悪がった。話しかけるでもなし、ただじっと目で追っている。特に悪さをするでもなし、 なので、追い払う理由がない。それに、死んだ島岡拓也の父親だと重役たちも知っているから、理由がわからぬまま放置していた。
「小父さんを疑うなんて、僕は最低だ。すみません。」
頭を下げる山田に、島岡は手を振って苦笑いした。
「疑われるような真似をした私も良くなかった。拓也が生きていたら、叱られていただろう。」
あっ さり許されて、山田はホッとした。考えれば、以前にも同様の事件を起こしていた川上の方が疑われて当然だった。先月は万引きで捕まっていた。どうやら年齢 から来る精神の病気らしい。今夜の役員会は、川上が今後問題を起こさぬように、町内会で川上家をバックアップする方法を考える話し合いになるだろう。
「ところで、小父さん、毎朝、うちの女性たちを見て何をしているんです?」

クレイ・マーメイド

 文化祭に「大切な物」を展示する企画があった。我が柔道部の企画だ。文化祭は体育系のクラブは部外者みたいに考えられているので、何かで参加しようと主将が提案したのだ。
「大切な物」ねぇ・・・。俺は家の中を見回した。俺の大切なアイちゃんのCDや写真集なんて恥ずかしくて出せないし、第一、盗られたら困るじゃないか。何か適当な物でお茶を濁そう・・・。

 果たして、展示物は冗談の展覧会みたいな物だった。
「小 学校に入学して最初に割ったガラス」を出した友人、「中学時代の失恋の記念品」と言う題で潰れたハート型のオルゴールを出した後輩、「私のベストコレク ション」と題して手編みのベストを数枚展示したマネージャー、ちなみに、我が部のマネージャーは男子だ、そして主将は部員全員の集合写真(おいおい)。
俺は、お袋のタンスの上で埃を被っていた人魚の置物を出品した。題して「家宝」。
も のすごく軽い、高さ5センチほどの陶器の置物だ。人魚は美女とはほど遠い、ぽっちゃりした顔の女の子。胸は彼女が両手で抱えている玉で隠れているが、多 分、ぺったんこだ。彩色は素人くさい塗り方で、上手とは言えない。この置物の由来を俺はお袋から聞いたことがなかった。多分、100均で買ったのだろう。

 文化祭の二日間、毎日この人魚を眺めている小父さんがいたと、後輩に聞いた。ずっと棚の前で身をかがめて人魚だけ見ていたのだと言う。世の中には変わった人がいるもんだ、と思ったけど、気にしなかった。
文化祭が終わって、後片付けをしていると、顧問に呼ばれた。
柔道場の教官室に行くと、小太りの男性が顧問と向かい合って座っていた。
顧問は俺を見ると、困惑した表情で言った。
「こちらは、Kさんとおっしゃって、君が出品した置物を売って欲しいと仰るのだ。」
俺は、ぽかんとして男性を見た。男性は眼鏡の奥で目を輝かせて、俺に言った。
「あの人魚の置物を売ってください。いくらでも払いますから。」
俺は顧問を見た。
顧問は俺と男性の両方に聞かせるように言った。
「文化祭は営利目的でしているのではありません。模擬店以外の場で生徒の作品を販売することは出来ません。」
「そこを何とか!」
男性は俺たちに頭を下げた。 顧問は俺に問いかける視線を投げかけた。
「あれは、高価な物なのか?」
「いいえ!」
俺は首を強く振った。
「うちで埃をかぶっていた安物ですよ。」
顧問は男性に言った。
「何度も申しますが、生徒の作品を売ることは出来ません。今日はお引き取りください。」
俺は、ひょっとして何か特別な置物なのだろうか、と期待した。
一攫千金のチャンスか?
しかし、顧問は頑として男性の要求を受け入れず、生徒に個別に接触しないようにと言い含めて帰らせた。俺も、彼から接触があればすぐに学校の連絡するように、と言われた。きっと顧問は男性がまともでないと思ったのだろう。
誰の目にも、あの人魚はただの安物の置物だったから。

 家に帰って、お袋にその話しをした。お袋は、最初ふんふんと軽く聞き流していたが、男性の名前を聞いて、一瞬遠い目をした。
「その人は、Kさんと言ったのね?」
「うん、顧問はそう呼んだよ。お袋、知ってるの?」
「多分・・・ね」
その週末、お袋は俺に小さな紙箱と手書きの地図を渡した。小遣いもくれた。
「これをKさんに届けてあげてちょうだい。」
「何、これ?」
「あの人魚よ。お遣いが済んだら、CDでも買っていいわよ。」

 あの男性は、お袋の幼馴染みの兄貴だったそうだ。お袋の幼馴染みは子供時代に事故で亡くなっていて、それ以来交流がなかったそうだ。人魚の置物は、その幼馴染みをモデルにしてお兄さんが作り、その友達が亡くなる前にお袋にくれたのだった。
 俺は、人魚が貴重なアンティークでなかったことに少しがっかりしたが、小父さんの嬉しそうな顔を見て、なんだか得をした気分になったのだった。

2011年9月3日土曜日

リーフドラゴン

このところ、収穫直前の豆を荒らす不逞の輩がいる。豆の鞘を剥いて、そのまま豆を捨てていくんだ。食べるとか、盗むとか、そんなんじゃない。ただ剥いて捨てる。けしからんと思わないか? 食べ物に対する冒涜じゃないか!
 そこで、俺はある晩、張り込むことにした。
 
 そいつはやって来た。真夜中、人目を忍んで、いかにも怪しい素振り。畑の中に踏み込むと、いきなりその辺の豆をむしっては皮をむき始めた。
 俺はそいつの後ろに忍び寄り、いきなり首根っこを捕まえた。
「おい! 豆泥棒、俺の豆になんてことをしやがるんだ!」
 男は「ごめんなさい」と繰り返し叫んだ。
「探していたんです、どうしても見つけたくて・・・」
「何をだ?」
「リーフ・ドラゴンです。」
「はぁ?」

 その時、近くでパキッと言う音が聞こえた。小さな小さな音だったが、俺にも男にもはっきり聞こえた。
俺は音がした方向を振り返り、月明かりの下で、一本の豆の鞘が割れるのを見た。
小さな生き物が顔を出した。
俺と男は同時に叫んだ。
「蛇だ!」
「ドラゴンだ!」
俺は男に向き直った。
「ドラゴンだ? あんな小さなドラゴンがいるものか!」
「だけど・・・」
男が哀しそうに言った。
「それが、リーフ・ドラゴンなんです。」
そして彼は俺に指摘した。
「ほら、飛びますよ!」

 鞘の上で、小さなドラゴンが翼を広げたところだった。本当に、翼だった。先っぽに爪が付いてる、ドラゴンの翼だ。
ドラゴンは深呼吸するみたいに、体を前後に伸ばし、縮めて、それから、ポッポッと鼻から火花みたいな火を吹いた。翼をぱたぱたと動かしたかと思うと、ふわっと宙に浮かんで、そのまま月の方へ飛び去ってしまった。

「ね? ドラゴンだったでしょう?」
と男が言った。
「あれを見るとね、一年以内に穏やかに死ねるんだそうです。私は病気で、余命半年だって言われてます。これで、安心して逝けますよ。」

ジョナス

ジョナスは、ジョナサンと言ったが、母はジョナスと呼んでいた。ジョンでもジョニーでもなく、ジョナス。
母方の親戚は、母が彼を拾ったのだと言っていた。母と私が暮らしていた緑の屋根のプール付きの家に彼が転がり込んできたのは、5年前の五月。親戚も近所の人も、いい顔しなかった。ジョナスは肌の色が違ったから。
私も出来るだけ近づかないようにした。母が彼を「パパと呼んで」と言ったときは、はっきり「嫌よ」と応えた。ジョナスは黙っていた。
  彼が何の仕事をしていたのか、今でも知らない。彼は昼間家にいなかったし、夜も遅くなることがあった。母も働いていたから、私の生活は、以前とそれほど変 わらなかった。変わったと言えば、休日はいつも三人になったし、母は私に気を遣っていたけれど、以前より笑うようになったことだった。それは良いことだと 私も認める。
 私の父親はろくでもないヤツだった。飲んだくれて母を殴り、喧嘩をしては警察の世話になっていた。母はあいつが終身刑の宣告を受ける迄、本当に苦労したんだ。
ジョナスが母を大切にしてくれるなら、それもいいかも知れないと、いつか思うようになっていた、ある日。

 ジョナスが私を迎えに学校に来た。校長と話しをして、校長が何故か私を見て涙ぐんだ。
ジョナスは私を車に乗せ、母方の祖母に家に連れて行った。彼はそこでは招かれざる客であったが、その日は黙って迎え入れられ、祖母は私を抱きしめて泣いた。私は、母に何かがあったのだと、悟った。
 ジョナスは祖父と少し言葉を交わし、祖父が怒ったような顔をした。ジョナスは私の元に来て、「いい子にしていなさい」と言った。「愛しているよ。」とも言ったが、私は祖父母がいたので黙っていた。
ジョナスは祖母の家を出て行った。それが彼を見た最後だった。
 彼は母の葬儀に来なかった。来たくても来られなかったのだろう。母は白人専用の墓地に埋葬されたから。警察が墓地や緑の屋根の家や祖母の家の周辺を巡回していた。

 街で殺人事件が立て続けに起きた。警察が何度か私のところに来て、ジョナスから連絡がなかったかと尋ねた。全くなかった。ジョナスは私の人生から既に姿を消していたから。
  殺されたのは、3人、全部白人の男たちで、日頃からカラードに暴力行為を行っていた連中だった。ずっと後になって知ったことだが、母は彼らに殺されたの だった。母がジョナスと夫婦になったことが、彼らには気にくわなくて、「制裁」を与えたのだ。彼らは、本当はジョナスを痛めつけようと家に来て、でも彼は 留守で、母がたまたま帰って来ていた。
 警察は、ジョナスが報復をしたのだと信じている。彼は指名手配され、今も見つからない。
私には、わかっている、彼は二度と私の前には現れない。私を守るために。
私は祈る。彼が永遠に逃げ続けられるように。そして、どこかで立ち止まって、私たちのことを忘れて新しい生活を手に入れてくれているように、と。

正当防衛

「あれは酷い・・・」
「ええ、私も同感です」
「・・・害者は?」
「ショック状態で泣いてばかりいましたが、先ほどから落ち着いてきた様子です。」
「犯人は、当初空き巣目的でこの部屋に忍び込んだと言っていたな?」
「はい。そこに被害者が帰宅したので、犯人はクロゼットの中に隠れました。すると、被害者が着替えを始めたわけで・・・」
「ムラムラっときた男は、クロゼットから飛び出して、彼女に襲いかかった、と言うことだな?」
「はい、被害者と犯人の証言は一致しています。」
「当然、彼女は抵抗した・・・」
「はい。」
「犯人は?」
「まだ暴れています。四人がかりで押さえつけているんです。」
「無理もないだろう。あんな目に遭ったのだから。まだ、全部抜けてないんだろ?痛いだろうな。」
「しかし、彼女も死にものぐるいだったんでしょう。レイプされかけたのですから。あの程度で済んで、良かったと思うべきですよ。」
「しかし、哀れな気もするなぁ・・・」
「ええ・・・」


「急所にサボテンか・・・」

2011年9月2日金曜日

曼珠沙華

和歌山のある町には、彼岸になっても彼岸花を見ることがない。
こちらでは、秋になれば田圃の畦道に真っ赤な花が並ぶのに。
「昔、日本はアメリカと戦争をして」
と老女が語った。
「曼珠沙華の毒で毒薬爆弾を作ってアメリカに落とすんだ、そうすればアメリカに勝てる、と軍から通達があって、町中で曼珠沙華を掘り返して、供出した。
本気で勝てると信じていたのか、わからん。
だけど、町中の曼珠沙華はお国の為に出征して行った。
そんな訳だから、この町には、今でも彼岸花は咲かないんじゃ。」

ギフトショップ

ギフトショップ中埜は、3桁国道の道ばたにあって、どっちかと言えば、土産屋と言った方がピンとくる和風の店構えだった。商品も地元の特産品がほとんど で、素朴な農産物の加工品が多い。洋子がアルバイトに雇われたのは、奥さんが臨月間近になって、立ち仕事が辛くなったからだ。
客が少ないから勉強しながら出来るだろうと思ったのが間違い。夏休みになると案外客が増えた。常に一人か二人店内で品定めをしている。こんな田舎で万引きなどいないだろうと思いつつも、洋子は監視しなければならなかった。
商品の中に和紙で作った人形のコーナーがあった。地元の婦人会が作った物を販売して、収益を折半しているのだ。食べ物と違ってあまり売れないのだが、綺麗 なので装飾も兼ねている。和人形が9割を占める中で、一体だけピエロがあった。白地に赤い水玉模様の服を着て、玉乗りしている。可愛らしいので、洋子は売 れるだろうと思って棚の全面に出しておいた。
次の日、何気なく棚を見ると、ピエロが舞妓人形の後ろにいた。誰かが品定めして置き位置を換えたのだろう。洋子はピエロを前に戻した。
次の日も、ピエロは後ろにあった。誰だろう? 旦那さんだろうか? 洋子は再び全面に出した。ついでに舞子も横に出しておいた。
その次の日、洋子は学校に行き、ゼミ仲間と遅くまで過ごした。夕方、店に行くと、旦那さんが一人で店じまいの片付けをしていた。
「あれ、洋子さん、今日はお休みじゃなかったの?」
「ええ・・・前を通りかかったので・・・」
洋子の目は自然とピエロの方を向いた。そして、ドキッとした。
ピエロが、後ろにいた。そして、腰と直角に上体を向けて顔も同じ方向を向いているのに、目だけが、別の方向・・・旦那さんの顔を見ていた。
目は・・・本当は正面を見ていなければならないのに・・・。
洋子が思わず旦那さんを見ると、旦那さんは窓のブラインドを閉めていた。
洋子はピエロに視線を戻した。ピエロはもう正面、洋子を見ていた。
洋子は背筋が寒くなった。
「あの・・・」
「何?」
旦那さんは無邪気に笑顔で振り返った。そして洋子の緊張した表情に気づいた。
「どうかした?」
急に心配顔になった旦那さんに、洋子は無理に笑顔を作った。
「いえ、なんでもありません。赤ちゃん、まだですよね?」
「うん、お盆前後って話だけど、ちょっとぐずぐずしてるみたいだね。まぁ、今は忙しいからゆっくりしてもらって都合がいいけど。」
あはは、と笑うので、洋子も笑い顔でピエロを見た。ピエロは洋子を見ている。口は笑っているけど・・・。
すると旦那さんが洋子の視線の先に気がついた。
「ああ、こいつが気になったんだね?」
「これ・・・何か謂われでも?」
「そんなものはないよ。ただの紙細工だもの。だけど、こいつ、この棚が気に入っているみたいでね、うちの真弓が前に置いてもすぐ後ろに行くんだ、っていつもこぼしてた。君も同じ体験したのかな?」
「え! 奥さんも?」
「不思議だね。町長さんの奥さんが作ったんだよ。」
「あの、学校の先生なさってる奥さんですか?」
「そう。呪いとかそんなもの、なさそうだろう?でも、こいつ、移動するんだ。」
さっき旦那さんを見ていた、と言いそうになって、洋子は止めた。
「私、これをいただいていいですか?」
思わずそんなこと言ってしまって後悔したが、旦那さんは「いいよ。ただであげるよ。」と言ってくれた。
ピエロを紙袋に入れて、自転車の前籠に載せた。
夕暮れの田圃道を走っていると、振動でピエロが袋から顔を出した。洋子は声をかけてみた。
「ほら、夕焼けよ。」
ピエロはごろんと仰向けになって、空を見上げた。ピエロの白い顔が夕焼けでピンクに染まった。洋子は、ピエロの顔がとても緩やかになったことに気づいた。
「そうか・・・あなた、夕焼けを見るのが好きだったんだね!」
家に帰ると、洋子は一番夕焼けが綺麗に見える窓辺にピエロを置いた。どうして後ろ向きに置くのか、と家族が不思議がったが、洋子は黙っていた。
それっきり、ピエロは動かないで、毎日窓の外を見ながら玉乗りをしている。