2012年12月31日月曜日

すみれの花咲く頃

タカコはクラスで一番大柄な女の子で、気持ちも優しかった。中三ともなるとみんな気難しくなってきて、苛めや仲間はずれで受験の憂さを晴らしたりしていた ものだが、タカコは体同様に大きな心でどんな友達も受け入れた。仲間はずれにされたクラスメイトを自分の机に招いて一緒にお弁当を食べたし、誰かが喧嘩し て教室内が沈んでいたりすると明るい声で冗談を言ってみんなの気分を紛らわせた。みんなタカコには一目置いていて、他の友達に意地悪する連中も彼女には普 通につきあった。
 明るくて、穏やかで優しいタカコ。でも、みんな彼女の胸の内に秘めた野望に気づかなかった。

 ある日の下校途中でタカコは私に告白した。
「私、宝塚、受験したの」
 ちょっと意外だった。あの華やかなステージと地味な制服の中学生が結びつかなかったから。
「タカコちゃんは無理よ」
と母は私の話を聞いて言った。
「歌が上手でダンスを踊れても、タカコちゃんの顔は舞台向きじゃないわ。」
「どうして? タカコ、可愛いじゃない。」
「可愛いけど、こじんまりしてるじゃない。ヅカのスターを見てご覧なさい。みんな目も口も大きいじゃない。」
 確かに、タカコも顔は大きな体と対照的に慎ましやかな造作だった。可愛い目もぽっちゃりした唇も、お上品に小さかった。

 顔の作りの所為なのか、タカコは宝塚の受験に失敗し、普通の私学の女子高校に進学した。私とは学校は違ったが、家が近いので度々下校時のバスで一緒になり、その度に世間話をした。タカコはすっかり宝塚を忘れたように高校生活を楽しんでいた。だけど、そうではなかった。
 高三の時、彼女はまた言った。
「私、宝塚、もう一度挑戦するの。」
 すっかり奇麗な娘さんになっていたけど、やっぱり顔の作りはこじんまりしていた。そして、音楽学校は、彼女の二度目の挑戦も撥ね除けた。

 タカコは名門の女子短大に進み、そこで青春を楽しんだ。
 4年生大学に進学した私より先に社会に出た彼女は、もうヅカを受けたりしなかった。その代わり、市内では中堅クラスに入る旅行社に就職した。
「わたくし、こう言う者です。よろしく~♪」
 タカコは私に名刺をくれた。「ツアーメイト」と言う肩書きが名前の右肩に印刷されていた。
「なんの仕事?」
「添乗員よ。お客さんと一緒に旅行するの。しんどいこともあるけど、面白いのよ。いろんな所に行けるし、お客さんの前で歌ったり喋ったりするの、とっても楽しい♪」
スーツ姿のタカコは輝いて見えた。

「宝塚も馬鹿だね。」
と母が言った。
「タカコちゃんみたいな光ってる子に気づかないなんてね。」


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高井美佳さんの思い出に

ライオンに関するガセネタ

その1

ライオンと虎が闘ったら、どっちが強いか?
私はある時、アフリカで虎が野牛を倒して食べようとしているところを見つけた。クルマを停めて観察していると、そこに一頭のライオンが現れ、虎が 倒した野牛に近づいた。虎は当然取られまいとして吠える。ライオンも威嚇して吠える。両者は互いに譲らず、毛を逆立てて睨み合う。
そこで夕闇が迫り、危険なので私は已む無くその場を去らざる終えなかった。
勝負がどうなったのか、実に気になるところである。

その2

ハイエナが残飯漁りしか出来ないと言うのは、嘘である。
私がアフリカの草原をドライブしていた時、一頭のカモシカにハイエナが襲いかかった。ハイエナは長い死闘の末にカモシカを倒し、仲間を集めると食べ始めた。そこにライオンがやって来て、あろうことか、ハイエナたちを蹴散らし、肉を食べ始めた。
恥ずべき残飯漁りはライオンの方である。
ハイエナはさらに多くの仲間を呼び集め、次々とライオンに噛み付き、とうとうライオンも音を上げて逃げて行った。
私はハイエナが残飯漁りの汚名を返上するべきシーンを目撃したのだ。



「先生、虎はアフリカにいません。」
「それに、ハイエナの顎は獲物を噛み倒す力はないですよ。群れでライオンを追い払えても、一頭でカモシカを倒すのは無理です。」

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権威に騙されてはいけない。

迷惑電話

「ねぇ、ちょっと聞いてよ。
うちの課の竹田課長の奥さんって、なんなの、この人は? って感じ。

 部屋の電球が切れたとか、クルマ屋さんから車検の案内が来たとか、どーでもいいことをわざわざ仕事中のダンナにかけてくるのよ。それも、後半時間もすればダンナの仕事が終わって、歩いて10分足らずのお宅にお帰りあそばすって時刻に。

 非常識にもほどがあるわ。いい歳して、いちいちダンナの指示を貰わなきゃ、何にも出来ないってわけ?
 それに、あの夫婦、携帯持ってるくせに、自分たちからは絶対にかけないのよ。私用にも会社の電話。

 こっちは早く仕事おいて帰りたいのに、しょーもないことで長々と夫婦会議なんだから、たまったもんじゃないわ。
 ねぇ、聞いてるの?」

「聞いてるわ。
 あのね・・・言いにくいんだけど、この内線、貴女からかかって来たってわかったから、保留にするつもりで、ボタン押したら、間違えて拡声にしちゃったの。だから、さっきの電話・・・」

「えっ・・・」

ガチャン、ツーツーツー・・・

魔の刻

 キョウコが嫁いだ村では、午後8時から午後9時まで女性は外を出歩いてはいけない決まりになっていた。
 だから村のしきたりを知る職場の経営者は、キョウコの村から通う女性従業員には残業させなかったし、村でも女性の夜間の会合を設けたりしなかった。
 何故なのか、キョウコは不思議だったが、誰に訊いても理由を教えてくれなかった。夫さえ、笑って誤魔化したし、姑は「いずれわかるよ」と言うだ けだった。キョウコは不満だった。隣村のカルチャー教室に通うことも、隣接する市の温水プールで美容講習も受けられなかったから。しかし、逆らって出よう とするものなら、家族全員が血相を変えて引き留めたので、玄関の戸を開けることさえ出来ない始末だった。男性は平気で、何故女性は駄目なのか? キョウコ はそれを古い因習の一つだとしか考えなかった。

 ある日、姑が遠方の親類に泊まりがけで遊びに行き、夫も帰宅が深夜になるとあらかじめわかっている夕方。キョウコは夕食を勤め帰りに外食で済ま せた。帰宅すると、7時50分を過ぎていた。ポストに回覧板が入っている。一旦玄関に入ってから、回覧を見ると、婦人会の共同購入の申込書で、キョウコは 最後から二番目だった。締め切りは今夜になっていた。
「サユリさんに持っていってあげなくては」
 単純に考えて、回覧板に判を押し、外に出た。木枯らしが吹き荒れる夜だった。サユリさんは姑より若いが、婦人会では長老格。その人に回覧を回せないのでは、後で何を言われるかわかったもんじゃない。

 キョウコは歩いて5分ほどのサユリさんの家を訪問した。玄関は施錠されていたが、チャイムを鳴らすとすぐに中で灯りが点いた。
「何方さん?」
「キョウコです。回覧、持ってきました。」
「あれ?こんな時間に・・・」
 鍵を開ける音がして、玄関の引き戸が少し開かれ、続いてキョウコは中に引きこまれた。
 サユリさんは直ぐに戸を閉めて、ちょっときつい目でキョウコを見た。
「この時間に外へ出ちゃいかんって、言われなかった? お義母さんは、平気であんたを外へ出したんかい?」
「お義母さんは今日は旅行でいないんです。主人も帰りが遅いし、この回覧は今夜で締めきりだから・・・」
 サユリさんは回覧を受け取り、溜息をついた。
「洗剤とあんたと、どっちが大事かいね? 仕方がないね、出てしまったんだもの。ちょっと待ってなよ。」
 サユリさんは奥に引っ込み、数分後に何か持ってきた。そしてキョウコの手にそれを握らせた。ひとつかみの米だった。
「外に出て、10歩歩いたら、それを後ろへ投げな。投げてしまうまで、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。投げたら、すぐに家まで走るんだ。立ち止まらないでね。」

 訳がわからぬまま、キョウコは外に出て、10歩歩いて、米を後ろに投げた。そして走った。走り出す瞬間に、チラッと後ろを見た。
 暗闇から白い手が出てきて、米を一粒一粒拾い上げていた。手には長い爪が生えていた。
 キョウコはゾッとした。夢中で走った。転びそうになりながら、家に駆け込み、玄関の戸を閉めて鍵を掛けた。
 ゴーッと風が吹き抜け、戸がガタガタ鳴って、またゾッとした。夫が帰る迄、怖くて怖くてテレビの音量を上げて布団に潜っていた。

 見たものの話は、夫にも姑にもしなかった。してはいけないと思った。
ただ、サユリさんには、礼を言っておいた。サユリさんは黙って頷いた。そして、「あの時間に出かける時は、必ず米か豆を一握り持ってお行き」と言った。「あれは、数えるのに夢中で、追いかけるのを忘れるから」

「あれ」が何者なのか、それは誰も知らないらしい。

2012年12月30日日曜日

女形

 その日の演目は「蘆屋道満大内鑑」だった。女形が美しく、その妖艶な目配りの様や仕草に、男性だとわかっていても観客はみな惚れ惚れと見入っていた。理想の女性を男性が演じるのだから、本物の女性以上に魅力的なのは当たり前なのかも知れない。
 物語のクライマックス、正体を知られた葛の葉が別れの歌を障子に書こうとするのに幼い童子丸(後の安部晴明)がすがりついてくる。母親は我が子 を片手であやし、片手で字を書く。初めは右手で、やがて左手に筆を持ち替え、最後は息子を両手で抱きかかえ、口にくわえた筆を走らせる。

 観客は涙する。そして早変わりで白狐となった葛の葉が舞台袖に消えていくと、割れんばかりの拍手。
 芝居が終わって観客たちが席を立った。

「いつ見てもいい芝居だなぁ」
「女形が素晴らしいね。」
「上手だね。特に、最後の早変わり。」
「うん、あれは見事だ。あんなに速く狐に姿を変えられるなんて。」
「我々も、もっと修行しなければな。」

 口々に喋りながら、森へ消えていく狸たちだった。

恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉


**:

見たよね? 同級生たち、見たでしょ? 覚えてる?

空き地にいた怪獣

緩やかな丘の斜面に、二段になった空き地があった。上の空き地と下の空き地の境目は1メートルほどの土の土手で、雨が降ると土が流れ、えぐれた。その小さな峡谷は子供たちが行き来する通り道になった。
 子供の足で削られ、雨に流され、風でやすりをかけられ、土手は複雑な表情になった。
 ある時、峡谷と峡谷の間の突き出た所が、何かの顔に見えることに気付いた。

「怪獣だよ、怪獣の顔!」

 確かに、当時テレビで人気の着ぐるみ怪獣が出る子供番組に、よく似た怪獣が出ていた。 主人公の少年の友達で、少年は怪獣の頭に乗って移動するのだ。
 子供たちは早速そこに座って、しばしヒーローになった気分を味わった。

だけど土の怪獣は一つしかなかったから、取り合いもあった。子供が暴れると怪獣のホッペから土がぽろりと落ちた。
 誰かが目が欲しいと思い、怪獣の横顔に石をはめ込んだ。
 なんだかしまらない顔になってしまった。
 石をはずすと、さらに情けない空洞が出来て、そこからまた土がボロボロ落ちた。
 だんだん日を追う毎に怪獣は崩れていき、大雨が降った翌日、姿を消していた。

 ただの土塊になった土手の突っ張りを見て、子供たちは、やっぱり怪獣は本当はいないものなんだ、と思った。


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サリーさんの感想

「ただの土塊になった土手の突っ張りは、やっぱり怪獣は、おまえらだよ、と思った。」

発表の日(2話)

高校の発表の日、家中が落ち着かなかった。妹は私について来てくれと言う。母と一緒は、落ちた時に嫌なのだそうだ。叱られるにしても慰められるにしても、 母は言葉が多すぎる。だから、姉の私にいてもらった方が気が楽なのだと言い訳した。母も納得する。落ちた時に娘にどう対処して良いのかわからないのだ。
 妹が受験したのは私が通っている高校だから、私には通い慣れた道。往路、妹は落ちた場合の進路を自分でしゃべり続けた。滑り止めは受けていな い。彼女は中学浪人する覚悟だった。ちょっと悲壮感が漂うのは、その年の競争率が大変高かったからだ。妹の学年は生徒の人数がやたらと多かった。
 心配は無用で、妹は無事に合格していた。それでも彼女は掲示板で自分の番号を確認した途端、私に抱きついて感涙した。
 帰路は往路より饒舌で、入学したらどんな部活に入るかとか、どんな先生に出会えるか、とか希望に満ちた言葉が彼女の口から出た。
 自宅の最寄りの駅で降りた時、妹は大事なことを思い出した。
「中学校に報告しよう!」
 二人で母校に向かって歩き始めた。
「あ、BちゃんとCちゃんだ」
 妹の同級生が中学校の方角から歩いて来るのが見えた。
「あの子たちも報告してきたんだね」
「私、結果を聞いてくる!」
 幸福感でいっぱいの妹は走って行った。だが、途中で立ち止まり、道路を渡って反対側に行ってしまった。
 私の横を二人の少女が肩を抱き合うようにして通り過ぎて行った。どちらも俯いていたので妹には気づかなかった。
 やがて、私が妹のそばに行くと、彼女は道路を渡って戻って来た。
「泣いていたね。」
「うん。」
 それっきり妹は黙り込み、学校に向かって歩き続けた。

「春は残酷だ」

なにかで聞いた言葉だ。日本中で悲喜劇が繰り広げられる。
だけど、あの子たちが別の道を見つけたように、誰にでも選択肢は残されている。とくに、十代の人には。



***********
大学の合格発表の時、私は一人で行った。自信がなかった。
阪急六甲から長い坂を徒歩で上っていくと、向かい側から同じ高校のN君が降りてくるのと出会った。結果がどうだったのか、彼はジロリと私を睨んだだけですれ違った。
あれ、彼は落ちたのかしら? それとも、落ちたのは私で彼は慰めるのをためらった?
どきどきしながら上って行き、掲示板の前に行くと、まだ大勢いて騒いでいた。
私の番号があった!
何度も受験票と見比べて確認した。
やっと安心出来て、門を出ようとしたら、いきなり同じクラスのFさんが飛びついてきた。
「受かったね!おめでとう! 私も受かってん!」
びっくりした。Fさんは同じクラスだったが格別親しかった分けではなかった。それなのに、私に抱きついて喜んでいた。

幸せって、こう言うことなんだ。自分が幸せだと他人の幸せも素直に祝福出来るんだ。

「ねぇ、時間ある? ご飯食べに行こうよ! グラタン食べようよ♪」

きっとFさんは、合格したら三宮のレストランで好きなグラタンを食べる、と決めていたのだろう。高校では一緒にお弁当を食べたこともなかった私をお気に入りのお店に案内してくれた。

私のグラタン初体験となった♪

日溜まりの人

 バス停の横に空き家があって、軒下にあれ、臼かな? 灰色の丸い大きな石があったでしょ。
 一月前あたりから、そこに一人のお婆さんがいて座ってるのを見かけた。晴れた日の、日溜まりの中で日向ぼっこしてた。
バスに乗るとき、目があって、なにげに会釈したら、向こうも返してくれて、それから言葉は交わさないまま、会えば会釈した。どこのお婆さんなのか知らないが、多分近所に住んでいるのだろう。
いつも古い絣の着物をきちんと着込んで、髪の毛も綺麗に整えて、なんて言うヘアスタイルだろ、ほら、明治時代の女の人がよくしてたような。
優しそうな顔でね、にこにこしながら道路を走ってる車を眺めていた。
 だから、そのバス停のところで交通事故があって、女性のお年寄りが亡くなったって聞いた時、そのお婆さんかと思ってショックだった。町内会の連絡新聞で名前と住所を確認して、お葬式に行ってみた。
大勢の人が集まっていて、その人たちの会話で、亡くなったのは認知症が出ていた方で車の前に自分で飛び出したんだそうな。
あのお婆さんのイメージに合わないな、人違いだといいな、と思いつつ、解放された和室の中を見ると、故人の写真が祭壇に飾られていた。あのお婆さんによく似ていた。
哀しくて、そこを離れた。

 バス停に行くと、臼の上に、あのお婆さんが座っていた。
なんだか拍子抜けして、初めて「こんにちは」と声をかけた。
「こんにちは」とお婆さんが返事をしてくれた。
バス停の標識のそばに花束がいっぱい置かれていた。
それを見ていると、お婆さんが「有り難いことです」と言った。振り返ると、お婆さんが立ち上がった。
「みなさんに送って頂いて、本人も喜んでいることでしょう。最近は誰からも忘れ去られていると悲しんでおりましたから。」
と言った。
故人の知り合いなのか、と思った時、後ろで「お母さん」と呼ぶ声がした。お婆さんがそちらへ顔を向けてニコニコした。
「準備出来ましたね。さぁ、行きましょう。」
私の横を白い着物を着たもう一人のお婆さんが通り過ぎた。
あの写真のお婆さんだった。
そして日溜まりのお婆さんと手をつないで歩き始めた。
一度だけ、日溜まりのお婆さんが、こっちを振り返って笑顔で会釈してくれた。そして二人は西日の中に溶け込んで行った。

それっきり、日溜まりのお婆さんを見かけたことはない。

2012年12月8日土曜日

パキータさん

1.
某年某月某日

某国の某大学の医学部で実際にやりとりされた教授と学生の会話。

「今期の宿題として、人骨を一体分、組み立てて中間試験までに提出すること。
 骨は完全にそろっていなくてもよろしい。」

「先生、質問です。人骨は何処に行けば手に入りますか?」

「墓地に決まっているでしょう。
 墓地に行けば、セットで売っていますよ。」


2.
「ママ、墓地で骨買ってきたよ。
医大生セットで2,000ペソだって。」
「あら、汚い骨ね。誰の骨?」
「知らない。多分、寄せ集めよ。
歯科医大生セット とか、 標本セットとか、いろいろあったもの。
 ねぇ、提出する骨は真っ白でなきゃいけないんだって。
 ママ、この骨洗ってよ」
「どうして私が洗うの? 」
「だって、キッチンはママの場所だし、私は今夜書かなきゃいけないレポートがあるの。」




「ママ、骨がボロボロになってる!」
「ごめん、ハイターが多すぎたんだわ。
でも、大方、綺麗に白くなったんだから、我慢なさい。」
「はぁい、じゃ、これを組み立てるわね。」

3.
遂に立派な骨格標本が完成しました。

「折角、人の形になったのだから、これからは、”骨”と呼ぶのは止めようよ。」
「じゃぁ、何て呼べばいいのかしら?」
「もう名前、考えてあるの。
 パキータ
 って言うのよ。明日提出するわ。」




「ママ、試験、合格したわ。パキータのお陰よ」
「おめでとう。  だけど、どうしてパキータが、貴女の後ろにいるの?」
「だって、学校には必要ないじゃない。医大生全員が骨格標本寄付したら、学校は骸骨だらけでしょ。」
「それで、どうすの?」
「何が?」
「パキータよ」
 
4.
「うちには、金魚3匹、ねこ2匹、鼠多数に、娘2匹、だんな1匹いるのよ。
 ママは骸骨の面倒まで見られませんよ」
「パキータは何も食べないし、トイレ行かないし、出歩いて汚れたりしないから、世話かからないわよ」
「でも、お手伝いさんが間違えてスープ作るのに使っちゃたら困るでしょ。」
「その前に、気絶するかもよ」
「ゴミに出しても駄目よ。もし、警察が見つけて殺人事件だなんて思われたら、大変ですからね」
「う~~ん、元は複数の人間だからなぁ・・・大量殺人になるね」
「そんな次元の話じゃありません」


5.
「いっそのこと、うちのお墓に入れてしまおうか、パキータさん」
「ママとパパは構わないけど、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんは何て言うかしら。」
「そりゃ、駄目って言うに決まってるわ。」





「ママ、ママ、パキータのお嫁入りが決まったわよ!!」
「お嫁入り??」
「新入生が入学してきたから、売りつけたんだ!1,800ペソで交渉成立。」
かくして、骸骨標本のパキータさんは、ブエノスアイレス大学医学部の学生たちに代々(?)受け継がれることになりました・・・・・と言う話は聞かない。

-----終わり

帰り道

バス停から家までの道は、少し距離がある。街からそのバス停までは住宅街が続いているのに、バス停から我が家までの間は松林と畑と門から建物まで距離がある大きなお屋敷しかない。
 昼間でも人通りが少ない。バスの到着の前後だけに人は集中して通る。だから、この道でかつて下校途中の女の子が悪い人に襲われて気の毒な目に遭わされたことがあった。
 夕刻、バスから降りて薄暗い道を歩き出すと、後ろから足音が近づいてきた。視野の隅に小学生の男の子がいた。足を速めると、彼も速める、速度を落とすと、彼も落とす。つかず離れず付いてくる。

 ふと、数日前の新聞の見出しを思い出した。
「小学生がひったくり」
「つかまえて見れば、五年生」

 そんなはずはない、と否定してみても、不安は拭えない。嫌な世の中になったものだ。子供を警戒しなきゃならないなんて。
 
 子供の息づかいがすぐ後ろで聞こえる。こちらは、自然と早足になる。子供はぴったり付いてくる。
 丁字路にさしかかった。不意に子供が前に回り込んできた。ギョッとしていると、向こうから声をかけて来た。

「お姉さん、右へ行くの、左へ行くの。」
 ドキドキしながらも答えた。
「左だけど・・・」
 
 子供はふうんと言った。
「僕は右へ行かなきゃいけないの。じゃね、ばいばい!」
 そしていきなり駆けだして行った。

 ああ、私は馬鹿だった。怖かったのは、あの子も同じだったんだ。私が勝手にあの子を疑って警戒していた時に、あの子は私を唯一人の頼れる大人として必死で遅れまいと付いてきていたのだ。
 せめて、こう言ってあげればよかった。

「気を付けて帰るのよ。」と。

神の手 ?

 フランク何某を知っているか?
下の名前はどうでも良い。名乗る度に変わっていたから。
フランクは場末のバーやダイナーでピアノを弾く流しのピアニストだった。店に収入の半分を納めて、店の客から心付けをもらって弾く。それで暮らしていた。

 変わった男だった。モーツァルトを弾かせると、客は聞き入って食事を忘れてしまう。まるでモーツァルトその人が弾いているみたいだ、なんて言う ヤツもいた。しかも、フランクは自分が作曲した曲を混ぜてしまうのだが、誰も気づかない。モーツァルトの未発表の曲だと思ってしまうのだった。
 ベートーベンを弾かせても同じ、バッハだって、シューベルトだって、ワーグナーだって、グレン・ミラーだってガーシュインだって、まるで作曲家その人が弾いてる、と思わせるほど人々の耳を惹きつけた。
 そんな凄いヤツがどうして無名だったかって? それは、フランクが有名になりたくなかったからだ。一カ所に一週間も居着かなかった。固定客がつきかけると、慌てて荷物をまとめて町を出て行った。だから、俺は彼のピアノが聞きたくなったら、探し回らなければならなかった。

一度聞いてみたことがある。
「どうして逃げるんだ?」
「自由に弾きたいからさ。」
と彼は言った。
「モーツァルト風やガーシュイン風の曲をどんどん書けるのに、何故発表しないんだ?」
「俺が書いたんじゃないからさ。」
「では、誰が?」
「あんたが、さっき言ったじゃないか。」
彼はいつも謎めいていた。

 そして、二年前のクリスマスの夜、彼は川岸のレストランで、シューベルトの交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」を”完成した”状態で弾いてのけたんだ!
それが、俺が彼のピアノを聞いた最後だった。

 年明けに、彼は墓地の裏の路地で、玩具のピアノを抱いた状態で凍死していた。
 
 彼の古ぼけたトランクには、手書きの楽譜がいっぱい詰められていた。
驚いたことに、それらは、全て、過去の大作曲家たちが残した現存する楽譜の筆跡と全く同じ筆跡による「新曲」だった・・・。

フランクは何者だったのだろう。

小さなギリシア

「折角神戸の大学にいるんだから、世界の料理食べないと、損だと思わないか?」
と栗山先輩が言った。小田先輩がニヤニヤしながら、
「世界中を歩き回った男が、今更何を言うか」
と突っ込んだが、結局教授も巻き込んで一回生から四回生まで研究会の会員10名に留学生二名、部屋のメンバー全員で神戸で唯一軒のギリシア料理店に出かけた。

 名前を「ギリシア村 Greek Village」と言った。 船乗りだったギリシア人のオーナーが、陸に上がって開いた店。常夜灯の様な赤暗い照明に、テーブルの蝋燭の灯りが、古いビルの中だと言うことを暫し忘れさせた。入り口のクロークで持ち物一切を預ける。
 Tシャツにジーパン、どた靴の貧乏学生の団体に、白人のウェイターが頭を下げた。店員は全員白人だった。本物のギリシア人なのかどうか、詮索する客はいなかった。

 料理は、前菜からして物凄い量だった。正直、前菜で満腹してしまったが、生まれて初めてのフルコースだったので、意地で食べた。テーブルマナーは隣のエレーナを見よう見まねで・・・。
教授がブラジル旅行でアマゾンの洪水に遭遇した話をしていた。しかし、こちらは、食べるのに精一杯で、感想を述べる余裕はない。教授のお相手は先輩に任せた。
 前菜の後はスープ(フレンチの様な上品な量ではない!)、魚、サラダ、と続く。テーブル中央の大きな篭にはパンが山盛り。好きなだけ喰え! と言う訳だ。
 メインディッシュは、巨大な鉄鍋で煮込んだトマト味の牛肉の固まり。鍋のままテーブルにドンと置かれて、ウェイターが取り分けてくれた。
 そんなに要らないよ、言いたいが、美味しいので食べてしまう。
「最後はデザート」
「何かな?もう入らないよ」
「大丈夫、アイスクリームよ。こんなに食べたんだもの」
 エレーナの楽観は見事に外れ、分厚く幅広いシナモン風味のナッツパイがどっしりと皿に鎮座して運ばれてきた。街のケーキ屋さんのショートケーキ2個分はあったかな?

 これだけ食べて3000円だった。帰りは、喫茶店に立ち寄ったが、もうレモンティーしか入らなかった。
(なぜ、みんなパフェやらチーズケーキやら注文出来るの?)

 後日、友人と二人でお昼を食べに行った。日本人客は私たちだけで、あとは全員白人だった。ギターを弾いている客もいた。 そこは、確かにギリシア的空間だった。店から一歩出れば、日本人がうようよ歩いている商店街だったが、店内の空気は別物に感じられた。

 テレビでも紹介され、旅行ガイドブックやグルメ本にも載ったその店は、いつのまにか消えた。 ひっそりと。
店があった場所はその後次々と持ち主が変わり、やがて震災でビルは倒壊し、更地になった。


「わたしたちは元気です」
 震災後、暫くして目にした新聞広告だ。出したのは、老舗のレストランのオーナーたち連名。 今まで敷居が高かった名店が、材料の確保も熱源確保も困難な期間に炊き出しで市民を励ました。
「○○のお粥が無料だって!」
「XXのスープ配給?!」
 世界の味の炊き出しだった。 しかし、ギリシアの味はなかった。

オーナーはギリシアに帰ったのだろうか。 兎に角、あの悲劇を体験せずに店を閉めてくれたことが、ファンにとっては慰めだ。
 震災で多くの老舗が被害を受けた。立ち直れなかった店も多い。今新しい名所が次々と紹介されているが、その店が”本物”になれるには、もっと時間が必要だろう。そこへ行けば、何か特別なことがあると思える店。

2012年11月23日金曜日

節穴

「誰かに覗かれている様な気がする」

 そんな訴えがこの数日相次いだ。場所は青空市場が開かれる海岸近くにある公衆トイレの一番奥のボックス。
 ハリケーンが来るたびに吹っ飛ばされるベニヤ板を張り巡らせただけの安普請のトイレだ。屋根だってトタンを載せているだけだった。そこに便器だ け立派な物が据えてある。伝染病に神経を尖らせている政府が、下水事業だけしっかりやっている証拠だ。その便器に座って用を足していると、誰かが後ろの上 の方から見つめているような気がすると言うのだった。
 警官のホアンは、トイレの建物を調べてみたが、何処にも穴なんかなかったし、隠しカメラを置いた形跡もない。第一、この国で、公衆トイレに監視カメラとか、そう言った類の物を置こうものなら、小一時間で盗まれる。
 試しに自分で中に入ってドアを閉めた。便器に座って間もなく、項がちくちくするような誰かの視線を感じた。
振り返っても誰もいないし、人間が隠れる場所もない。だけど、何かいる・・・。
 ホアンは急に恐ろしくなって外に出た。

 翌日、ホアンは”緑の鳥”の隊員と一緒に再び現場へ行った。”緑の鳥”と言うのは、大統領警護隊の異名で、緑の鳥ケツァルを模したバッジを胸に 付けているからそう呼ばれている。警護隊はすごい奴らで、なんでも出来る、と言う噂だ。「なんでも」が「なにからなにまで」なのかわからないが、兎に角す ごいんだそうだ。
 ホアンが見つけた隊員は、たまたま仕事中に市場に立ち寄った男だった。ホアンがトイレの怪を話すと、笑いもせずに聞いてくれ、そこに案内せよと命令までした。
 
 トイレの中を覗いた隊員は、「なんだ、節穴か」と呟いた。そして、手を伸ばして空中を指で摘む仕草をした。
「もうふさがったよ」
と彼は言って、それ以上興味なさそうに立ち去ろうとした。
「何だったんです?」
ホアンが尋ねると、彼は
「穴だよ。空間が少しばかり捻れて隙間が出来ていただけさ」
と言った。そして帰って行った。

 それ以来、トイレの怪の訴えはぴたりと止んだ。
 あれは何だったのだろう、と今でもホアンは考える。

待つ人

外は雨だ。閉店時間にはまだ間があったが、客はもう来ないだろう。店内には女性客が一人いるだけだ。

 彼女は早い時間にやって来た。二人用のテーブルについて食前酒を一杯注文して、それを時々思い出したようにちびちびやりながら誰かを待ってい た。白いシンプルなブラウスに淡いベージュのスーツ。どこかのOLに見えた。しきりに窓の外を見ていたが、外が暗くなり、ブラインドが下ろされると諦めた のか、窓を見なくなった。代わりに腕時計を見て、壁の飾り時計を眺め、何度も時間を確認していた。

 一時間たち、二時間たち、三時間たっても彼女の連れは現れず、雨の夜の少ない客たちは食事を終えて次々に店を出て行った。
 彼女の食前酒はすっかり温くなり、グラスの底にわずかに残るだけになってしまった。彼女の表情は固く冷たかった。
 店のスタッフたちは、もう店じまいしたがっていた。黙っているが、彼女をちらちらと見やる素振りが、それを告げていた。
 彼女も好きで待っているわけではないだろう。一度携帯電話を取り出したが、マナー違反だと気がついたのか、周囲に視線を走らせて、すぐにバッグ にしまった。外に出てかけるでもなく、本を読んだりすることもなく、紙ナフキンで無意味な形を折ったりして気を紛らわせているだけだった。

 店の電話が鳴った。出ると、男性の声が聞こえてきた。店名を確認してから、彼は尋ねた。
「安藤と言う女性はまだそちらにおりますでしょうか?もし、まだいたら、これに出して戴けませんか?」
 子機を持って、女性のそばに行った。
「安藤様でいらっしゃいますか?」
 女性は振り返り、電話を見て一瞬凍り付いた。そして頷くと、子機を受け取った。
 その場から離れて彼女が電話で話すのを視野の隅で見ていた。彼女の表情が次第に和らいで微笑みが浮かぶのに、そんなに時間を取らなかった。
 聞くつもりはなかったが、声は否応無く店内に響き、「手術」や「成功」と言う言葉が聞こえた。
 電話を終えた彼女が立ち上がり、こちらに頭を下げた。そばに行くと彼女は長居したことを謝罪した。
「いっこうにかまいませんよ。今夜は雨でお客様が少ないですから」
「でも、ご迷惑をおかけしました。」
「何かご注文なさいますか?」
 彼女はハッとして時計を見た。
「もう閉店時間なのではありませんか?」
「まだ半時間あります。」
「では・・・」
 彼女は少しためらってから決めた。
「バタートーストとコーヒーをお願いします。」
 厨房に戻ると、スタッフが言った。
「サラダとスープも付けちゃいますか?」
 テーブルで食べ物を待つ彼女の表情はすっかり安心しきったものに変わっていた。

 支払いの時に彼女がまた謝ったので、
「手術が成功して良かったですね。早く回復されますように」
と言うと、彼女は少し笑った。
「ええ、兄の患者が早く治ることを願っています。今日は兄が外科医として初めて執刀医になった日なんです。」

2012年11月16日金曜日

警官が町内をパトロールしていると、ある家の前で女性がドアの鍵をこじ開けようとしていた。

「どうしました?」

警官が声をかけると、女性はホッとした表情で説明した。

「鍵が見あたらないので、なんとか中に入ろうとしているんです。家の中にきっと合い鍵があるはずですから。」

「では、窓から入ってはどうです?」

「さっき試してみましたが、無理でした。この家の窓は二重ロックなんです。」

「では、玄関も多重ロックの可能性がありますね。」

「いいえ、玄関は一カ所だけなんです。」

「ああ、そうでした、ご存じですね。」

「早く開けないと、家の人が帰ってきたら困りますわ。」

「困るでしょうね、それは・・・」

警官は苦笑いしながら言った。

「ここは私の家なんです。」

2012年11月15日木曜日

塔のある家



 幼い頃、いつも遊んでいた林の木立の向こうに、塔が見えていた。
絵本の中でお姫様が住んでいるお城の塔によく似ていた。
友達は塔の存在に気がついていない様子で、自分の秘密の風景だった。
林の向こうのお城。きっとお姫様が住んでいるに違いない。ずっと信じていた。
 小学校に上がり、学年も上がっていくと、行動範囲も広がって行った。
新しい友達の家を訪問した帰り道、ふと見上げると、あの塔が見えた。
心底驚いたものだ。何故なら、入学してから、あの林で遊ぶことがなくなり、林が住宅地になって、すっかり塔の風景を忘れていたからだ。
それが、いきなり目の前に実物がど~んと現れた。

 細い坂道が大通りから丘の斜面を登っていた。所々階段になっているが、中途半端な高さの段で、道の半分しかない。半分階段で半分スロープの坂道だった。その細い道がカーブして手前の民家の後ろに消えていく、反対側の塀の中に、塔の家は建っていた。
 ツタがからまる土塀の向こうに低木の茂み、鉄門の扉から狭い石畳の道が玄関まで延びている。その家は、びっくりしたことに、日本家屋だった。瓦葺きで、玄関はガラスがはまった格子の引き戸、縁側がある和室。黒い焼き板の壁。
 それなのに、階段の坂道に面した部分だけが、洋風の造りになっていた。
塔の形に張り出した二階建ての、一階は出窓、二階が、林を通して見えていた丸窓で、屋根も円錐形の鱗瓦だった。
 この家はなんなのだろう。特別な人が住んでいるようにも見えなかった。ひどく古くて、住人は現状維持が精一杯なのか、手入れはされているものの、どこにも新しい物はなかった。ペンキは剥げていたし、庭木も剪定を長い間しえちない様子。
 ツタも壁をびっしり覆って、あれでは湿気がもの凄いだろうと想像された。
 夕暮れが迫っていたせいか、怖い感じがして、それ以上観察するのがはばかられ、大通りに戻った。坂道を下りきった時に振り返ると、塔の二階の丸窓で、カーテンが揺れた様に見えた。
 誰かが見ていた?

 その夜、夢を見た。白いドレスを着たお姫様が塔の窓から手を振っていた。
「覚えてくれていて、ありがとう」
と彼女は言ったと思う。ツタは青々として、庭にはピンクや白や赤の薔薇が咲き乱れていた。日本家屋の焼き板壁もまだ真っ黒で、瓦も輝いていた。
お姫様は、きっと伯爵家のお嬢様なんだ、と何故か思った。

 その家は、就職して街を出るまで、ずっとそこにあった。それから戦争があり、水害があり、地震が起きて、台風が暴れ、火事とか、バブルで土地が買い漁られ、邸宅街がマンションに変身したりして、街の様子がすっかり変わってしまった。
 正月に、曾孫がパソコンとやらで、街を空から見られるものを見せてくれた。グルグルなんとかと言うらしい。
 塔の家があった所は・・・


 緑の木立の中に、一軒の家が建っていた。半分和風で、半分、洋風の・・・


*******************

実際のところ、子供の頃に憧れていた家の思い出を元ネタに書いてみました。
グーグルアースで探してみたら、それらしい画像がありましたが、塔は確認出来ませんでした。
神戸市垂水区高丸・・・丁目 ○○番地 までわかりましたが・・・。

2012年11月11日日曜日

サンドールの野を愛す テディ

「トワニ、ちょっと相談があるんだけど・・・」
 シオドア・オブライエンがバーにいるトワニに声をかけてきた。トワニは友達たちといい感じで飲んでいたので、面倒は嫌だと思った。万相談屋ではないのだ、俺は! だけど、顔を上げると、シオドアは思い詰めた目で見つめていた。
「話を聞くだけだよ」
 彼は友達に断りを入れて、席を発った。
 店の外は晩秋の冷たい空気で静まりかえっていた。トワニは若い友人を見た。
「女の話?」
 シオドアはびっくりした。
「どうして、わかるの?」
「君の親父さんが、君に好きな娘ができたようだ、と言ってたからさ。」
 シオドアは溜息をついた。
「その、親父が問題なんだ。」
 彼は、彼女ができた経緯を説明始めた。マギーと言う彼女とは、インターネットで知り合ったのだと言う。好きなフットボールチームのファンサイトでの、掲 示板友達だった。書き込みで意気投合して、オフ会で実物と出会ったら、想像以上に可愛い女性で、リアルでも意気投合してしまった。既に何度かデートしてい る。彼女と結婚したいと思い始め、彼女を両親に紹介しなければならなくなった。
「親父さんに遠慮する必要はないだろう」
とトワニが言うと、シオドアは哀しそうに言った。
「うちの親父は、黒人が嫌いなんだ」
「マギーは黒人なのか?」
「半分ジャマイカンで、半分白人なんだよ。とっても美人なんだけど、肌は黒いんだ。」
 トワニは溜息をついた。どうして、人間って、肌の色にこだわるんだ?
「君の親父さんは、本当に黒人が嫌いなのか?」
「はっきり言わないけど、黒人と席を隣り合ったりするのを嫌がるし、黒人がいる店には入らない。僕にはわかる、親父は人種差別主義者だ!」
「君は、それが嫌かい?」
「嫌だよ。僕はネットで世界中の人と話をする。みんな同じ人間だ。少なくとも、肌の色だけで人間を判断するのは、おかしいよ!」
「それじゃ、テディ、彼女を連れてきたら、俺も面会の場に同席しよう。」

 シオドアの父親のシオドア・オブライエンは、テディJrの彼女と面会した時、暫く無言だった。ファッション雑誌の表紙から出てきたみたいな素晴らしい美女が笑顔で挨拶しても、固まってしまって見返すだけだった。
 トワニは息子の方のテディの不安が爆発しそうなのを察して、仕方なく声をかけた。
「何か言えよ、テディ」
 シオドア・シニアは彼を振り返り、瞬きした。ああ・・・と呻いて、彼は若いカップルに向き直り、娘が差し出した手を握った。
「こんな田舎によく来てくれた。」
 そして、息子を見た。若いシオドアはまだ不安そうだった。父親は無理に笑顔を作って言った。
「いい娘さんだ。仲良くな」
 息子は笑って、彼女を父親の目の前で抱き寄せてキスをした。既に紹介を済ませていた母親が、二人を隣の部屋へ連れて行った後、父親はトワニを睨みつけた。
「あんたが介入してくるとは、思わなかったよ!」
「俺は何もしていなかっただろ? ここに立っていただけさ。」
「それで十分さ。あんたの前じゃ、誰も間違ったことを言えないから・・・」
「君は間違ったことを言うつもりだったのかい?」
「それは・・・」
「自分が間違っていたと知っていたんだ?」
「それは・・・」
「もう間違える必要はないだろ?」

 若いテディが二人に食事の用意ができたと告げに来ると、もうトワニはいなかった。父親が一人で窓を見ていた。
「父さん、食事だよ・・・トワニはもう帰ったの?」
「ああ・・・」
「僕、マギーと結婚するよ。いいだろ?」
 沈黙。
 テディは、やはり父親は反対するのかと危惧した。もし反対されたら、トワニから教えられたことをしなければならない。
 その時、父親が言った。
「テディ、俺は黒人なんだ。今まで黙っていたが、三代前のお婆さんは、黒人だったんだよ。」
 父親は息子がショックを受けるのではないかと思った。窓ガラスに映った彼等は、どこから見ても白人だったから。
 息子が何も言わないので、彼は勇気を奮って振り返った。テディJrは微笑んでいた。 そして、父親を抱き締めた。

サンドールの野を愛す スーズィ

スーザンは世話好きな女の子で、友達の面倒を見るだけでは飽き足らなくて、カーティス先生の診療所に頻繁に出入りしていた。母親はちょっと心配して、診療の邪魔をしてはいけないから、と注意してみたが、先生が優しいので、結局大目に見ることにした。
 カーティス先生はとても年寄りで、外科も内科も小児科も産科も全部一人でやっていた。サンドールの唯一人の医者だったから、尊敬され、頼りにされていた けれど、本当に歳を取って、引退しても可笑しくなかった。だから、スーザンは先生のお手伝いをして器具を消毒したり、薬のラベルを読んであげていた。
 スーザンは町外れに住むトワニお兄さんも好きだった。優しくて格好良くて、でも残念なことに、お兄さんは誰とも結婚しないのだと町中の人が言っていたの で、眺めるだけにした。トワニお兄さんはいつも元気なので、診療所とは無縁で、スーザンはお兄さんに包帯を巻いてあげることも叶わなかった。

 ある寒い日の午後、学校が終わって、いつも通り診療所に行くと、表のドアが閉まっていた。それで勝手口に廻って台所を覗いたら、カーティス先生が椅子に座ってぼんやりしていた。
「先生、今日は休診なの?」
 スーザンが尋ねると、先生は目をしばたかせて彼女を認め、弱々しい声で言った。
「すまないが、スーズィ、トワニを呼んできておくれ。」
 先生は理由を言わなかったけれど、とても急ぐ用事のように思えたので、スーザンは走って行った。カーティス先生が呼んでいる、と告げると、トワニは「そうか」と呟いた。そして、スーザンには、「もう家にお帰り」と優しく言った。
 トワニは診療所に行き、そこに一晩泊まった。

 翌朝、集会所の鐘が打ち鳴らされ、サンドールの住人は唯一人の医師が亡くなったことを知った。カーティス先生はもう限界だったのだ。

 それから20年近く、サンドールには定住の医師がおらず、隣町の病院から巡回診療所が定期的に来るのを頼みとした。
 カーティス医学生援助基金による最初の奨学生が修行期間を終えてサンドールに診療所を開業したのは、今からほんの15年前のことだ。
 今、町の住人たちは、優しいスーズィ先生を頼りにしている。

焼き芋

今から16年前のある一月の寒い夜、私は一刻も早く神戸から脱出しようとする車の長い渋滞の列の中にいました。市内の実家や友人に救援物資を届けた帰り で、普段なら5,6分で通り抜けられる道路に3時間も足止めを食っていました。周囲は停電で真っ暗、見えるのは自動車の赤い制動灯ばかり。どの車もガソリ ンの節約の為にエンジンを切って寒さを堪え、時々またエンジンをかけて数センチ前に進む、と言うことを繰り返していました。
これは徹夜かな、と私が思っていると、外からポーッと言う柔らかな音が聞こえてきました。
外を見ると、渋滞の車の隙間を縫うように移動する軽トラが一台いました。
荷台から白い煙が上がっているのが見え、その正体はすぐ判明しました。
「こんな状況で、焼き芋なんか売ってるのか。暢気だなぁ。それとも逞しいのかなぁ。」
焼き芋屋はゆっくりと暗闇の中へ遠ざかって行きました。


それから15年たった昨年のことです。神戸新聞の投稿欄に、こんな投稿がありました。

「震 災の数日後、○○市の実家へ避難しようと家族で車に乗って家を出ましたが、西神で渋滞につかまり、そのまま夜になってしまいました。寒いし、お腹は空く し、子供が泣き出して、私も泣きたいほど途方に暮れていました。すると誰かが車の窓をノックするのです。振り返ると、見知らぬ小父さんが新聞紙の包みを 持っていました。窓を開けると、その小父さんが『お腹が空いたでしょう。これを食べて頑張ってください』と言って、その包みを差し出しました。受け取る と、暖かい。中身は焼き芋でした。慌てて財布を出すと、小父さんは『こんな時にお金なんて受け取れませんよ。早く避難所に行けるといいですね』と言って、 行ってしまいました。見ると焼き芋屋さんの自動車がいて、小父さんはそれに乗って、周囲の車にお芋を配っていました。
あの時の焼き芋はとても美味しかったです。随分遅くなりましたが、この紙面を借りてお礼申し上げます。」

すると、二日後、こんな投稿が載りました。

「先日、震災の後避難途中に焼き芋屋に会った人の話が載っていたでしょう。あれ、きっとうちのお父さんのことやわ。地震の後、仕事にならんで家におったんやけど、突然お芋を車に積めるだけ積んで出かけてしもうて。
夜遅うに帰って来た時は、お芋は全部なくなっていて、お父さん、『町は酷い状態やった』言うただけで、それっきり何も言わへんかって、何があったのか、私等は知らんかったん。
もうお父さんは亡くなってしもうておらへんのやけど、ええことしたんやね、って今度会った時に言うてあげますわ。語ってくれて有り難うございました。」




いかがです? じーんときました?
目に涙浮かびました?
PCの画面を見つめると目が乾きますからね、涙が出るようなお話もたまには必要でしょう?

サンドールの野を愛す 雪の夜


あの時代、あの国は混乱して、貧しかった。空に太陽が輝く夏でさえ暗黒のイメージがあったから、日が短い冬などは、もう闇の世界だった。餓死者も大量に出た。伝染病が広まらなかったのは冬だったからだ。それでも、インフルエンザくらいは流行っていただろう。
俺も貧しかった。土地を持たなかったし、身元を保証されている訳でもないから、その日暮らしで、周りの人々が貧しければ、俺の様な放浪者が真っ先にいかれちまうのさ。
あの夜、俺はなんとかその日稼いだ銅貨2枚を後生大事に持って、雪の中を歩いていた。遅い時間だったので、パン屋は閉まっていて、食い物にありつけるのは、翌日まで待たなきゃならなかった。正直、生きてその夜を越せるかどうか、自信がなかった。
風が吹き始めて、吹雪になるかも知れないと思い始めた時、暗がりの中から女が一人現れた。村の居酒屋で働いている娘だった。口を利いたことがなかったので、お互い会釈だけしてすれ違おうとした。彼女が足を止めて、話しかけてきたんだ。
「唇から血が出てるよ、兄さん」
食う物を食ってないから、健康だとは言えなかったんだ、あの頃は。唇も乾燥して荒れ放題。カサカサで切れていたんだな。寒さで気付かなかったんだ。
彼女はすっと俺に近づいてきた。俺は言葉を返すのも億劫で、彼女がどんどん顔を近づけ来るのをぼんやり見ているだけだった。
「生きるのも辛そうな顔だね。私が勇気づけてあげようか」
彼女はそう言って、俺の唇にキスをした。正確に言えば、キスするふりをして、俺の唇の血を舌で舐めたんだ。
彼女はすぐに身を退いた。ちょっと驚いていた様だ。
「あんたが、あのメトセラの・・・」
って言ったと思う。そして、舐めた俺の血を吐き捨てた。
「とんでもないのに出会っちまった。行っちまいな、ここはあんたがいる場所じゃないよ。」
俺は腹ぺこで、もう旅を続ける気力もないと答えた。すると彼女は近くの林を指さした。
「さっき、あそこでウサギを仕留めた。まだ雪に埋もれていないから、見つけられるだろ。それを食って、ここから去るがいい。」
そして雪の中を歩き去った。俺は言われた林に行き、そこでウサギの死骸を見つけた。綺麗に血抜きされていたので、小屋に持ち帰って火で炙って食べた。お陰でなんとか持ちこたえて、その国を出た。

それ以来、そこには戻らなかったし、彼女にも会っていない。
人々は彼女や彼女の一族を吸血鬼と呼ぶが、俺には恩人かも知れない。

-----ジェイク・スターマン著「トワニに聞いた物語」より

2012年11月4日日曜日

サンドールの野を愛す ライナス

アメリカ全土が不況で喘いでいた時代。

サンドールの集会所の入り口で捨て子が見つかった。生まれて一月足らずの男の子。
警察は親を捜したが、見つからな かった。サンドールは小さな町だから、子供がいなくなれば、すぐ近所の人が気付くだろう。これはきっと近隣の町か村の人間が夜中にやって来て棄てていった に違いない。寒くないように毛布でくるまれていたから、親は子供が死ぬことを望んでおらず、どこかの親切な人に拾われることを期待したのだろう。
仕方がな いので、警察は子供を隣町の孤児院に預けることに決めた。すると、子供を最初に発見した人物が、自分が育てようと申し出た。サンドールの住人は驚いた。彼 が孤児を養うなんて予想していなかったから。でも、彼は言った、
「この子の親は、子供がサンドールで生きていくことを選択したんだ」

ライナスと名付けられた赤ん坊は、こうしてトワニの小屋で育てられた。トワニはその日暮らしだったけれど、子供の養育費には困らなかった。サンドールの 住人たちが、子供に必要な食べ物や身の回りの物を分けてくれたからだ。サンドールの住人たちは、自分たちも不況で喘いでいた。それぞれの家庭は、子供が一 人増えるのは辛いが、余所の家の子供に少し分け与える余裕くらいはあった訳だ。その「余所の家」がトワニの家なら、なおさらだった。
ライナスは町中の人々によって育てられ、成長して、当時の若者がそうだった様に徴兵されて戦争にも行き、無事に退役して町に戻って来るとジョーンズ牧場 で働き始めた。牧場主が彼を気に入って娘と結婚させ、彼はライナス・ジョーンズと言う名前になり、その後も真面目に働き、子供が出来て、牧場は町で一番大 きな牧場となり、彼は町の名士に数えられるようになった。

「5人目の曾孫が生まれたんだよ、親父」
と、ライナスは、一番年長の曾孫と変わらない外観の若さを保つトワニに報告した。二人は馬に乗って牧場を見下ろせる丘の上にいた。
「どっちだい?」
「男。息子、孫に曾孫、全部男だ。」
「ジョーンズ家は代々女系だったが、おまえが入り婿してから逆転したな。」
「まだ3代しかたっていないよ。」
「いや、4代さ。おまえから数えるんだ。」
「俺は余所者の子だ」
「違うね」
トワニは断言した。
「おまえの親は、この町の住人がおまえを育てると知っていたんだ。」
「住人が俺を育ててくれたのは、俺が親父に引き取られたからだろ?」
「それを予想出来たと言うことは、おまえの親が俺の存在を知っていたと言うことだ。つまり、おまえの親は、サンドールで生まれ育って外へ出ていった人間だ。」
「親父は俺の本当の親が誰だか知ってるのか?」
「知らない。もし知っていたら、おまえは知りたいのか?」
ライナスは草原の果てに視線を向けた。
「いや。俺の親は親父一人だけだから。」
「だったら・・・」
トワニは馬の首を軽く叩いた。馬が草を噛むのを止めて、次の指示を待つように顔を上げた。
「おまえは余所者じゃないさ、ライナス。80にもなって、そんなことも知らなかったのか?、坊や」
トワニの馬が腹を蹴られて走り出した。やれやれ、とライナスは首を振った。いつまでたっても子供扱いするんだから・・・。彼も馬の腹を蹴ってトワニを追いかけた。
「そんなに飛ばすんじゃないぞ、親父、あんたも歳なんだから!」

2012年11月3日土曜日

サンドールの野を愛す お告げ


 水晶で占いをしている。 と言っても、水晶の中に何かが見える訳ではなくて、自分の頭の中にヴィジョンが浮かぶのだけど、それだけだと、誰も信用してく れないので、水晶玉をクッションの上に置いて、薄暗い部屋でお香なんぞ焚きながら、意味不明の呪文を唱えて、見えるふりをする。
一応、当たってるんだ。いや、よく当たるんだよ。だけどさ、はっきり全部言うと、みんな怖がるだろ?
おいらの占いはさ、本当にこれから起きることが見えちゃうから、絶対当たる。それが、良いことだったら、かまわない。だけど、不幸だったら、当たった時、何故か逆恨みされたりする。おいらのせいじゃないってのに。
だから、良くも悪くも、ちょっとぼかした言い方でお告げをするんだ。「3時間後にあなたは車に轢かれます」なんて、言えないじゃん。
「帰り道に、四つ角で車に気を付けなさいね」としか言わないのさ。

困った客は、何人もいたけど、一番変わってたのは、三日前に来た若い男でね・・・若く見えるんだけど・・・20歳くらいかな・・・だけど、老人の雰囲気がしたのよ。
その男が占ってくれって言うんだ。
「俺はいつまで生きなきゃいけないのか?」って。
変なこと訊くだろ? 
普通は「いつまで生きられるのか?」て訊くもんだぜ。

それで、いつも通りの手はずで、ヴィジョンを呼び出してみようとしたら、何も見えない。
いや、見えたんだが、それが何を意味するのか、おいらには、全く見当が付かないんだ。
その男の未来? 未来なのかなぁ・・・。

青だか緑だかわからない、陸地なのか、海の上なのか、それもわからない広い広い平原みたいなものが見えた。波打っていたのは水だろうか、草だろうか?
そこに白い道が見えた。真っ直ぐじゃなくて、緩やかに蛇行して、そのまま地平線(水平線)の向こう、光の中に消えていくんだ。

答えられなかったけど、答えを求められてた。おいらは仕方なく、その男に言ったよ。 彼はがっくりきていたけどね。
え? 何を言ったかって? 
おいらは、あの男にこう言ったのさ。

あんたの未来は永遠です。

2012年10月27日土曜日

サンドールの野を愛す マイケル

マイケル・M・マトリーは、生まれたときから、ころころ太っていた。小学校に上がる頃には、文字通りマトリーの犬(和名・ケンケン)みたいな体型だっ た。太ってしまうと、子供はあまり動かなくなる。動かなければ、また太る。友達にからかわれる。遊ぶのも面倒になる。更に動かない。マイケルは自分でも嫌 になっていたが、ただ太るだけだった。
 マイケルには、ささやかな趣味があった。学校からの帰り道、地面に残った動物の足跡を辿ってみることだ。それが鹿だったり、ウサギだったり、牛や馬、 犬、時にはコヨーテだったり、と足跡には不自由しなかった。寄り道している動物、立ち止まっている所、水場、何かに驚いて飛び跳ねた痕、これは遊んでいた 跡、と彼はいろいろと分析もしてみた。
 それは野原の中の一人遊びだったので、友達も親もマイケルが追跡ごっこをしていることを知らなかった。
 雑貨屋のゴールドスタインの孫娘が行方不明になった時、警察は5歳の女の子を捜しあぐねた。考えつく所、小川や納屋や牛小屋や学校や・・・ありとあらゆ る場所を捜索したが、少女は見つからず、明日は犬を使おう、と話し合っているところに、トワニが来て、「子供を捜すには、子供に聞くのが一番さ」と言っ た。どの子供だ、と保安官が尋ねると、彼は捜索隊の一人を指さした。
「あんたの息子だよ、ジョン・M・マトリー」
 なんだかわからぬまま、大人達はジョンの家に行き、マイケルにゴールドスタインの孫娘の居場所を知っているか、と尋ねた。勿論、マイケルは知らなかったし、少女の足跡なんか何処にもなかった。
 だけど、マイケルは思い当たるところがあった。
「お店の屋根裏を誰か覗いたの?」
 雑貨屋の店舗の屋根裏部屋は倉庫になっていて、普段は入り口に鍵が掛かっていた。しかし、二日前、その鍵が壊れて梯子を昇って行った所の扉が半開きになっているのを、何人かの客が目撃していた。
「屋根裏にいたら、すぐに降りてくるだろう」
と言いつつも、ゴールドスタインは、そこを探さなかったことを認め、梯子を昇って行った。
 少女は隅に置かれていた古いトランクの中に入り込み、出られなくなっていたのを発見された。危ういところだった。
 後に、何故屋根裏に少女がいるとわかったのか、と訊かれてマイケルは、梯子の中段に少女の服のレースが千切れて引っ掛かっていたのを見たのだと言った。大人達は彼の観察力に感心した。

  *  *  *

「保安官、ハーパーさんから電話がありました。また鶏泥棒が現れたそうです。今度は足跡が残っているそうですよ。」
「その足跡はキツネだって言ってなかったか?」
「多分キツネだろう、て言ってました。巣穴まで追跡したいので、保安官にも手伝って欲しいって。」
「どうして、キツネごときに、警察が出動しなきゃいけないんだ?」
「だって、他にお仕事、ないじゃありませんか」
 秘書の皮肉に、肩を竦め、マイケル・M・マトリー保安官は重い腰を上げた。
 キツネの鶏泥棒逮捕では、減量作戦にもならない、と思いつつ・・・。
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2012年10月26日金曜日

サンドールの野を愛す ジョーイ



ジョーイ・グレイホースは居留地に生まれた。家の貧しさに嫌気がさし、高校を卒業すると軍隊に入った。喧嘩っ早い性格で問題の多い兵隊だった。除隊後、 職がなく、酒に溺れる毎日を過ごした。典型的なアル中のネイティヴだった訳だ。彼の叔父は年長者の忠告に耳を貸さぬ甥を案じて、トワニに相談した。
居留地の人々はトワニを「冬を数えるのを忘れた人」と呼んでいる。歳を取らない人って意味で、魔法使いだと信じているのだ。
勿論、トワニは魔法なんか知らないし、どうすれば若い不良インディアンを救えるのか、わからなかった。彼はたまたま目にした新聞記事に注目した。

「平原レインジャー募集。 サンドールにレインジャー養成学校が建設されることになり、支部も同時期に設置される」

トワニはバーに行き、そこではいつもジョーイ・グレイホースが飲んだくれていたので、まだ酔っぱらう前の彼に新聞を見せて言った。
「レインジャーって、土地を知り尽くしている人間でないと務まらないよな。 それに土地を愛していて、規律を守ることをちょっぴり知っている人間でなければ・・・」

翌日、ジョーイはバスに乗って州都のレインジャー本部へ出かけて行った。そのまま養成学校に入学してしまったのだ。
10年たった今、ジョーイ・グレイホースはサンドール支部長で、住人の信頼厚く、マトリー保安官にとっても頼もしい仲間だ。
ジェイクにとっては、彼が片思いしているアリーがジョーイと気が合うのが、気に入らなかったけれど。

2012年10月20日土曜日

サンドールの野を愛す  ジェイク



果てしなく続く牧草地。そのずっと向こうに見えるのは青い丘陵。こちら側は小高い山の連なり。その麓の町、サンドール。
ジェイクは誇りを持って、目の前の風景を眺めた。
故郷に帰って来たのは、親の葬式以来だから、もう30年ぶりだろうか。景色はちっとも変わっていない。遠い記憶の中のままだ。

地元の高校を卒業すると、彼は町を出た。どんなに素晴らしい町でも、若者には退屈な場所でしかなかったからだし、仕事だってそんなに選択肢がなかった。 だから彼は西海岸の都会へ出た。そこで警察官をしていた。仕事はきつかったけれど、面白かった。彼は仕事に夢中になり、気が付くと妻が家を出ていった。二 度目の妻は結婚して数年で病没した。それ以来、彼は家族を持たず、仕事だけを生き甲斐にしてきた。そんな生活も数ヶ月前、突然終わった。
定年を迎えたのだ。

再就職を断り、年金だけで生活する。独り身だからやってこられたけれど、心にぽっかり空いた穴を埋めるには、何も役に立たなかった。運動も奉仕活動も酒も。
なんとなく生きるのがしんどくなってきたある日、行きつけのバーで隣に座ったのだ、トワニが・・・。

「やぁ、ジェイク、久しぶり。元気かい?」

サンドールのトワニが何故都会の場末のバーに現れたのか、ジェイクはその時わからなかった。ただ、トワニだったら、何処に現れても不思議でないと思っ た。だって、トワニはしょっちゅう旅に出ていたから。サンドールに訪問者があって、その人物に正体を知られたくないと感じたら、トワニはいつも数ヶ月から 数年の旅に出てしまうのだ。だから、その時も、そんな旅の途中に偶然出会ったのだと思った。

二人で世間話をした。ジェイクは己の近況を話した覚えはない。誰にも惨めな現在を話したくなかった。そして、トワニがこれから夜行バスで帰るのだと言った時、ターミナルまで護衛のつもりで付いていった。バスに乗ろうとして、トワニが言った。

「屋根の修理をしなきゃいけないんだ。冬が来るまでにやってしまわないとね。手伝ってくれるかい?」

何故だかわからないが、ジェイクは嬉しくなって、「ああ、いいよ」と答えてしまった。そして気が付いたら、そのまま一緒にバスに乗っていた。
トワニの小屋は、屋根ばかりか、井戸も棚も納屋も修理が必要だった。ジェイクは泊まり込みで働いた。一週間が過ぎ、一月たち、冬を越し、春が来て・・・。

トワニは俺を助けに来たんだ。

ジェイクは今確信していた。あのまま都会に残っていたらどんどん駄目になっていく俺を、サンドールで生き返らせようとしてくれたんだ。だって、ここで体を動かして働いていることが、町の住人と語らうことが楽しくて仕方がないのだから。
そして、昨日夕食の時にトワニが、

「俺の小屋は古いからね、次から次へと修理が必要な個所が出てくる。悪いが、このままここで暮らして手伝ってくれよ」

と言ってウィンクした。もう実家すら残っていない彼に・・・。

2012年10月14日日曜日

サンドールの野を愛す ジェイコブ

ジェイコブ・ゴールドスタインは、ユダヤ人以外の何者でもないこの名前が嫌いだった。
サンドールは人口が少なくて、一番多いのが近くの居留地から来るネイティヴで、次がアングロ・サクソン系、アイルランド系。ラテン系やアフリカ系はとて も少ないか、いないかのどちらかで、(曖昧なのは、長距離トラックが往来する道路際のドライブイン周辺で、移動式住宅に住んでいる連中がいるからだ)ユダ ヤ人は雑貨屋を営むゴールドスタインの一家だけだった。特に差別を受けた記憶はないものの、バーでユダヤ・ジョーク(ユダヤ人をステレオタイプ化したも の)を聞かされたりすると、酷く哀しく思えた。家業が雑貨屋と言う商売なのも、ユダヤだから、と言う気がして、親が疎ましく思えたこともあった。
とは言うものの、小さな町で職業選択の幅は狭く、ジェイコブは高校を卒業すると店を手伝うことにした。ゴールドスタイン家の財力を考えれば、大学進学が無理なことはなかったが、彼は勉強嫌いだった。

ある日、ジェイコブが一人で店番をしていると、トワニが来て、カーテン用の布地を熱心に品定めし始めた。ジェイコブはキリストより長生きしているその男に話しかけた。
「トワニ、あんたは、俺の先祖に会ったことがあるかい?」
トワニはチェック柄の布を手に取りながら、振り返らずに質問を質問で返した。
「それは、死海のほとりに住んでいた人々の意味?」
「死海でも、ロシアでも、ドイツでもいいさ」
「君の先祖はドイツには住まなかったよ」
「そうかい?」
「ずっと黒海周辺にいたんだ」
「いつ頃の話?」
「15世紀頃まで。それから北上してバルト海沿岸からロシアに入った。革命の直前に、生活が酷くなって、この国に移民してきた」
ジェイコブは感心した。
「まるで、見てきたように言うんだね」
「そうかい?」
トワニはショルダーバッグから一冊の本を出した。
「昨日、図書館で借りたんだ。君のお爺さんが同級生たちと共同で書いたサンドール史だよ。それぞれが、先祖の話にも言及している。君は、お爺さんから昔話を聞かなかったのかい?」
ジェイコブは赤くなった。彼は、老人の昔語りが鬱陶しくて真面目に聞いたことがなかった。
「それじゃ、君は俺の先祖には会わなかったの?」
「世界は広いんだよ、ジェイコブ、どうして君の先祖と会わなきゃいけないんだ? 俺はナザレのイエスにもマホメットにも会ったことはないよ。」
トワニは淡いベージュとグリーンのチェック柄の布に決めて、適当な長さに切ってくれるよう、ジェイコブに頼んだ。ジェイコブが代金を計算して、値段を告げると、彼はポケットを探り、紙幣を数枚出した。
「1ドル足りないや・・・ジェイコブ、サービスで1ドルまけてくれないかな?」
「駄目、駄目」
ジェイコブは勝手な値引きは後で親に叱られると心配して手を振った。
「1セントでもまけられないよ、俺の一存ではね」
「お金には、固いなぁ」
トワニが渋々ポケットの小銭全部を出して1ドルかき集めると、ジェイコブは笑った。
「ユダヤ人だからね。毎度ありがとうございます!」

2012年10月9日火曜日

サンドールの野を愛す ディック

東部の田舎町を歩いていた時のことだ。 いきなり何かにぶつかった。

思いっきり額を硬い物にぶつけちまった。目から火が出て、一瞬くらっとなった。
 倒れかけて、何かにもたれかかった。ひやりとして、がっしりした物。太い木の幹の感触だった。

 目を開いてみると、そこには何もなかった。
何もないのに、俺は何かにもたれかかっていた。ぶつかったのも、そいつなんだ。
 俺は手で探ってみた。一抱えもある太い木の幹だ。だが、目に見えない。
こいつは、何だろう。
 手で探ったまま、一周してみた。

 村の広場の真ん中に、見えない大木が立っている。
 かなり高いし、一番下の枝は、背伸びしないと届かない。 広場には、そいつがあることを警告するような目印は一切なかった。

 歩き出して、すぐに車がすれ違った。振り返ると、車は木があった場所を迂回して走り去った。この村の住人は、こいつの存在を承知しているに違いない。

 村はずれにダイナー(食堂)があったので、入ってみた。カウンター席に座り、コーヒーとアップルパイを注文してから、店を切り盛りしているご婦人に話しかけてみた。

「あの広場の真ん中に、見えない木が立っているんだけど・・・」
 すると女性は皿洗いの手を止めて、こっちを見た。
「ぶつかったの? 額に瘤ができているわ。」
「うん、見えなかったんで、思い切りぶつかったんだ。」
「気の毒に・・・」
 彼女は氷を包んだハンカチを渡してくれた。
「これで冷やすといいわ。」
「有り難う。ところで、あの木なんだが・・・」
「あれは、ディックよ。」
「ディック?」
「古い樅の木なの。」
「見えないけど・・・この村の住人には見えているのかな?」
「ええ、見えているわ。心の中でね。」
「心の中で?」
「もう、いないのよ、ディックは。」
「・・・」
「10年前に、選ばれて、切られて、都会に運ばれて行ったの。都会の中心に、クリスマスツリーとして飾られて、一生を終えたのよ。
あそこに立っているのは、ディックが生えていたと言う、この村の住人の記憶と、ディック自身の霊なのでしょうね。毎年、この季節だけ、あそこに立っているの。私たちは、思い出すわけ、ここに、かつて実に立派な樅が立っていたって。」

 食事を終えて、もう一度、広場に戻った。
見えないまま、やはりディックはそこに立っていた。
 そっと幹を撫でてやった。飾り付けられて、世界の中心を自負する都会で立っているよりも、このひなびた田舎町でいつまでも住人に見守られていたかったに違いないのに。立派過ぎた為に。
「君はこの町を、ここの住人を愛しているんだね。いいとも、このまま、何十年、何百年と、ここに立ち続けるんだ。君がここにいる限り、この町の人々は木を愛し続けるだろう。木を愛す人は他人にも優しくなれるだろう。
君はこの町の柱なんだ。」

 ---ジェイク・スターマン著「トワニに聞いた話」より---

サンドールの野を愛す クリスマス

キリストより先に生まれた人間には、キリストの誕生日を2千年たった後の時代のベツレヘムから遠く離れた土地で祝っているのが可笑しく思えた。だけど、この日は離れていた家族が集まって絆を確認したり、友達と友情を温め合う日なのだ、と考えたら、大切な行事なのだろう。

  トワニはサンドールと言う街が出来てからクリスマスを一人で過ごしたことがない。毎年誰かが食事に招待してくれたからだし、彼等が本当に彼に来て欲しがっ ていることがわかったから。だけど、体は一つだけなのだから、みんなの家を全部訪問することは無理で、それで住人は集会所で町全体のクリスマスパーティー を開いて彼と新年を祝う習慣を作った。

 トワニ個人が自宅でクリスマスを祝ったのは、捨て子を拾って育てていた時と、ジェイクが同居することになってからのことだ。

  今年は、いつもより少し賑やかだった。アリーが加わったから。彼女もキリストより早く生まれ、キリストより早く死んでいたので、クリスマスと言う物を教え なければならなかった。アリーは、多分、本当に理解した訳ではなかっただろうが、スーズィの指導でプレゼントを買ってきた。暖かい手袋を男二人に。彼女の 趣味じゃないとわかったが、トワニは有り難く受け取った。これは最初のプレゼントと言うより、練習だ。

 トワニは彼女にナイフを、ジェイクにワープロを贈った。高価な贈り物にジェイクは驚きを隠せなかった。トワニは小説家として第二の人生を歩き始めた友に言った。
「我が家の稼ぎ頭に、もっと書いてもらいたいからね」

 ジェイクは照れ笑いをしてから、ちょっと躊躇って自分のプレゼントを出した。
「俺のは、金がかかっていないんだ。生活の役にも立たないんだよ」

 それは、原稿だった。ジェイクが日々書きためていた詩集だった。
トワニは胸がいっぱいになった。

「君は、俺に心をくれるんだね」

 彼は不覚にも涙をこぼした。アリーが不思議そうに尋ねた。
「何故泣いている?」
「嬉しいからだよ」
 トワニは立ち上がって、坐っているジェイクを抱き締めた。

「有り難う、ジェイク。 これで、俺はこの先もずっと君と一緒にいられるんだ。」

 ジェイクも、気が遠くなる程長い時間を生きている友人を抱き締め返した。

「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ。ここからいなくなっても、俺はあんたと一緒にいられるんだね。」

 人はいなくなっても、心が込められた言葉は残る。

2012年10月8日月曜日

サンドールの野を愛す アリー

アリーは本当はアリーと言う名前ではなくて、真の名前を持っている。でも誰にもそれを教えるつもりはない。何故なら、その名前を持っていた人間は、 3500年前に死んでしまっていて、ここに、サンドールの町でトワニとジェイクの小屋に住んでいる女性は、科学者たちが氷河の中から掘り出して最先端の科 学技術で生き返らせた、別の人間だからだ。

 科学者たちは彼女が研究施設から逃げた時、慌てふためいた。現代のルールに無知な古代人が何をやらかすか、わかったもんじゃなかったから。だけど、彼女は聡明で自分が置かれた状況を理解するのに時間をかけず、身を守るには現代人になりきることだと判断した。

  トワニは彼女の本当の部族もその歴史も知らなかった。3500年前は、情報が伝わるのが遅かったし、死滅した部族のことを伝える物も人もいなかったから だ。地球上から永遠に消えてしまった民族。彼女と同じ時代を生きていたはずなのに、彼はその時代の思い出を共有していなかったことを残念に思った。せめて 噂だけでも聞いていたならば、彼女と「思い出話」などをして、慰めてあげられただろうに。

 アリーは現代人のルールをどんどん学習していったけれど、どうしても理解出来ないことはいっぱいあった。
「どうしてテレビの中に人がいる?」
「無線機から聞こえてくる声は空気を伝ってくるとジェイクは言う。では、どうして空気は煩くないの?空気ってなに?見えないのに、どうして、ある とわかるの?」
 そして、一番の疑問。
「何故、私はここにいる?」

 トワニは何も答えられない。そして彼女が平原を眺める時、それは3500年前の世界を見ているのだと、わかるだけだった。

「アリーを理解出来るのは、あんただけだよ、トワニ」とジェイク。
「違うね」とトワニ。
「俺はずっとこのままだ。過去から未来まで、ずっと俺の時間は繋がっている。だけど、彼女の時間は一度途切れた。全てがそこで終わった。
今いる彼女は、今生まれたんだ。彼女はこれから歳を取っていく。君と同じ時間を生きるんだ。そして君たちは俺の前から、いつか消えていく。俺を残してね。俺は君たちの時間の観念を永久に理解出来ない。
 彼女は君の世界の人間なんだ。君が彼女を理解してやれるんだよ。」

 ジェイクは、永遠に一人のトワニが愛おしい。サンドールの友人であり父であり兄である不思議な男が。

サンドールの野を愛す アイラ

アイラがもう直ぐ逝ってしまうとスーズィ先生が無線連絡してきたので、トワニは大急ぎで町の中心にある古い集合住宅に行った。
一人暮らしのアイラの部屋 は、質素で片づき過ぎるほど片づいていた。アイラは自分が永くないことを知って、準備していたのだろう。
二間しかない部屋の、小さな寝室で老人はベッドに 横たわっていた。付き添っていたスーズィと隣人たちは、トワニが入室すると、アイラの耳元に囁きかけた。

「来てくれたわよ」

 アイラは閉じていた瞼を開いて、ドアの方に顔を向けた。トワニが「やぁ」と言うと、彼も「やぁ」と返した。付き添っていた人々は寝室から出て行き、静かにドアを閉じた。

 トワニは医師が掛けていた椅子に腰を下ろした。二人は暫く無言で見合っていた。それから、アイラが口を開いた。

「一つだけ、心残りがあるんだ」
「何?」
「アイリーン・マッカーディを覚えてる?」
「ああ、綺麗な人だったね」
「儂は毎朝マッカーディの家に牛乳配達していたんだ。奥さんのアイリーンは親切で、時々儂に朝飯を食わせてくれたり、新聞を見せてくれた。儂に字を教えてくれたのは、彼女だったんだよ」
「彼女は学校を出ていたからね」
「素敵な女性だった。聡明で美しくて優しくて・・・黒人の血を引く儂に親切にしてくれた唯一人の白人の女の人だった。儂は、無理矢理用事を作っては、帰る時間を遅らせて彼女とお喋りした。朝が楽しかったよ」

 トワニは頷いた、アイラが話しているのは、70年も昔の出来事なのだ。70年間誰にも言わずに心の奥に秘めていた初恋を打ち明けていた。

「彼女は金持ちの奥さんで白人だった。儂には手の届かない人だった。だから儂は、サンドールを出た。彼女と一緒にいると、どんどん苦しくなって、あのままだと、彼女をどうにかしてしまいそうだったから。
 20年たって戻ってきたら、彼女は死んでいた。儂は一度も墓参りをしなかった。あんなに親切にしてもらったのに、墓前で礼の一つも言わなかった。
 だから、トワニ、儂が死んだら、儂の代わりにアイリーンの墓に花を供えてやってくれないか?」
「ああ、いいよ」

 アイラが毛布の下から出した手を、トワニは握った。

「俺も、一つ君に伝えるのを忘れていたことがあるんだ。俺はアイリーンの最期にも立ち会ったんだよ」
「そうだったのか・・・穏やかな最期だったかい?」
「うん、安らかに微笑んで逝ったよ。」

 アイラが微笑んだ。

「あの世では、肌の色を気にせずにつき合えるよな?」
「当然さ。俺はもう行くよ。隣の友人たちを呼び戻してくるから」

 トワニは彼の手を毛布の中に戻してやった。立ち上がってドアまで行ってから、立ち止まって振り返った。

「そう言えば、アイリーンは最後にこう言った・・・黒い肌を流れる汗の輝きほど美しい物を見たことがなかった、って。誰のことを言っていたのか、あの時はわからなかったけど、あれは君のことだったんだな。」

 彼と入れ替わりに入ってきた隣人たちは、老人がベッドの上で笑っているのを見て、「これから亡くなる人が、なんと幸せそうな声で笑うのだろう」と思ったそうな・・・。

2012年10月6日土曜日

サンドールの野を愛す 序章

サンドールはアメリカ西部の何処かにある町。
 牧畜とそれに付随するささやかな産業しかない小さな町。何処にでもいる平凡な善良な人々。ああ、多分アメリカで一番平和な町じゃないかな。

 だって、ここには彼がいるもの。

 彼が何処から来たのか、誰も知らない。だって、最初にサンドールの住人が町を造った時、もう彼はそこにいたから。彼は僕らに混ざって働いて、飲んで騒いで歌って眠って・・・もう何年何十年とここにいる。
町が出来て140年? じゃぁ、彼は140年いるんだよ。

   彼はサンドールの町そのものかも知れない。
住人は子供が生まれたら、彼に最初に見て貰いたがる。名付け親を頼む人もいる。彼は赤ちゃんの子守をしたり、 子供たちの遊び相手になったり、もっと大きくなった思春期の少年少女たちの相談相手になる。
子供は大人になると、暫く彼のことを忘れるんだ。生活に忙しい からね。だけど、ある日、ふと寂しくなったり、人生に躓くと彼のことを思いだして、町外れの彼の小屋へ行って、彼が薪割りしたり大工仕事をしているのを眺 める。彼は別に人生の指南なんかしないんだ。ただその日やるべきことをやっているだけ。それを見た人が何かを思い出したり、学んだりして、気持ちの整理を つけて家に帰る。

 年寄りは彼に昔話を聞いてもらうのが好きだ。彼は何時間でも同じ話でもちゃんと耳を傾けてくれるからね。
だけど、僕は知ってる。
彼にとって、老人の昔話は、「最近の出来事」なんだってことを。

 もし、彼に会いたかったら、サンドールへおいでよ。
 晴れた日には、野原へ行くといい。
 草の上に、歳を取ることを忘れた、永久に19歳の姿のままで生きる彼が座って草笛を吹いているから。

 彼?

 トワニ 

って呼ばれてるんだ。

2012年9月30日日曜日

大河内家の厨房



 大河内家は土地の旧家で、築200年とも言われる古い家を今でも使用している。
 県が文化財に指定するとかで、そうなると改修するにもいちいち県の許可をもらわなくてはならなくなるので、大河内家はちょっと困ってしまった。
文化財に指定されても、維持費が出るでもなく、実際に住んでいる人には誇りがあるだけで、埃だらけの家が綺麗になる訳じゃない。
 指定される前に触れる箇所の改修をしておこう、もしかすると指定からはずされるかも知れないが、それでもいいじゃないか、と言うことで、大河内家の人々は水回りやご不浄の改修を始めた。
 トイレや下水は、下水道につなげて、外見はそのままに残す。今時汲み取り業者もそんなにいないし、これは自治体から補助も出る。
 大河内家の厨房は、土間に竈や井戸がそのまま残っていた。上水道を引いているが、井戸は時々使用する。釣瓶があって、蓋をはずして水を汲むので、子供などは井戸に近づいてはならないとされていた。
 
  大工の息子で10歳の昭夫は父親についてきて、台所の改修をする父親を手伝っていた。古い家は子供には珍しい物ばかりで、天井近くの神棚も興味を引いた。 井戸の釣瓶も初めて見る。父親は蓋が閉まっていたので注意を怠った。昭夫は井戸に近づき、蓋に少し隙間があるのを発見した。穴から覗くと、遙か遠い真っ暗 な空間の果てに、ぽつんと光の点が見えた。昭夫の頭で光が遮られ点が消えると、昭夫は蓋をもう少しずらして見た。闇の底に小さく自分の影が映っていた。 もっとよく見ようと首を伸ばした時、胸ポケットに入れていたキャンディーの包みがぽろりと抜け出て、井戸に落ちていった。
 ちょっと間があってから、ポチャンっと音がした。
「キャンディ、落ちちゃった。」
昭夫の声に振り返った父親が、「井戸を汚すんじゃない」と言って、彼をそばに呼び戻した。昭夫は蓋を開けたまま、井戸から離れた。

 帰りに井戸を見た昭夫は、ちょっと驚いた。蓋の上に落としたキャンディが載っていたからだ。蓋はちょっと濡れていた。

聞いた話

奈良県に住む友達の娘が中学生の時の話。

クラスの仲良しばかり数人で、近所の山へハイキングに行った。
森の小道を散策し、なだらかな斜面で町を見下ろしながら、お弁当を食べ、道中お喋りしながら、半日楽しく過ごした。
途中で、誰かが草むらに白い木の破片の様な物が散らばっているのを見つけた。
真っ白だったので、注意を惹いたのだ。よく見ると、動物の骨らしい。
友達の町では、珍しくなかった。奈良県は鹿が多く、ちょっと藪に入ると自然死した鹿の亡骸などを見つけることもあるのだ。
友達の娘は動物の骨に興味がなかったが、物好きな女の子が一人、大きめの骨を記念にと拾って帰った。

その夜、友達の家に警察官が来た。
骨を発見した時の状況を詳しく知りたいと言う。
なんでも、拾って帰った子の親が、その骨を見て、鹿の骨ではない、と感じて、警察に通報したのだと言う。
警察でも、それは人の骨だろうと言うことで、検屍官に見せ、果たして人骨であると確認されたのだ。
友達の娘はどきどきしながらも、しっかりと見つけた場所や骨の散らばり方、他のゴミと思われた遺留品などを語った。

警察官は彼女に感謝して帰って行った。
友達の一家はその夜、ちょっと興奮してよく眠れなかった。
学校でも、その話でもちきりになった。警察官はあの時ハイキングに参加した子供たち全員の家に来ていた。不思議なことに、それが全部同じ時刻だった。ちょうど子供たちが好きなドラマが終わった時刻だったので、みんな覚えていた。
友達はちょっとおかしいな、と思った。10人近い子供の家に一斉に事情聴取に来るものだろうか。警察官がそんなに大勢繰り出すような事件なのだろうか。
友達は警察に電話してみた。あちらこちらと電話は回された。と言うのも、友達の家に巡査を寄越した刑事とか、捜査課が見つからなかったからだ。
最後に、骨の通報を受けた刑事がやっとつかまったが、巡査を生徒の家に派遣した覚えはないと言う。
「確かに人骨でしたが、自殺者と思われ、事件性もないので、そんな夜分に子供さんから事情聴取するようなことはありません。」

では、子供たちの家に同時に現れた警察官たちは何者だったのだろう。
切れ長の涼やかな目に、かすかにニキビが残っていた頬、きりっとした薄唇、顎の左にあった黒子・・・目撃者の証言は全部同じだった。
そして、一つ判明した・・・

心神耗弱状態で数年前に退職した元警察官が一昨年の末から行方不明だったこと。

2012年9月27日木曜日

K課長の思い出話

K課長がお昼休みに、昔話をしてくれました。

「俺が小学校の頃に、近所に偏屈なおっさんがおってな。
ある日、俺等がキャッチボールをしていたら、ボールがそのおっさん家(ち)の庭に入り込んでしもうた。俺等は塀越しに『おっちゃん、ボール返してんか』って言うたんや。
そ うしたら、そのおっさん、俺等が礼儀を知らん、言うて怒りよってな、仕方がないから、俺が代表で玄関まで行って、頭下げて、『ボール取らし(せ)てくださ い』って謝ったんや。それやのに、その偏屈なおっさんは、『儂の庭に入ったボールは儂のもんや。おまえ等のもんと違う。さっさと帰れ!』って言いくさり よってな。埒があかんから、俺等も諦めたんや。」
課長はそこで、お水を一口飲んでから、
「ところが、それから数日たって、そのおっさんの家の前を通ったら、家のもんはみんな留守で、庭に面した障子が前部開け放ったままやった。夏やったし、今と違うて田舎では泥棒なんてなかったから、無防備やったんや。
それで、俺は庭に入って、散水栓のホースをおっさんの部屋に向けてな、水を撒いてやったんや。スカッとしたわ。後で親父にばれて、大目玉食ろうたけどな。」
課長はそこでちょっと食べてから、また続けました。
「高校卒業する前に、俺は地元の会社をいくつか面接受けたんや。ほんまは大阪行きたかったんやけど、親が地元を望んだからな。
三 つ目の会社の面接で、机の向こうに座っとったのが、例の偏屈なおっさんやった。おっさん、俺を覚えとってな、『あ、おまえ、いつかの悪ガキ!』って言うた わ。俺もその時には多少は大人やったから、『その節は大変ご迷惑をおかけしました』って謝った。すると、おっさん、大声で笑いよって、『まったく、あの時 は家の中を水浸しにされて、往生したわ。』やて。
それから、『おまえ、ほんまは田舎でくすぶる様なヤツ違うやろ。大阪とか、出たいのと違うか?』って聞きよった。
俺が『うん、大阪行きたいです』って言うたら、なんと、紹介状書いてくれてな、T紡績に就職出来たんや。何が縁になるか、人生わからんもんや。」

それで、私は

「要するに、その『おっさん』は、課長を厄介払いした訳ですね?」

課長はちょっとムッとして

「まぁ、そう言えるかも知れんな。ところで、君のステーキが一切れ、さっき君がナイフを入れた時に、俺の皿に飛んで来たが、これは俺のものだから、返さないぞ。」

2012年9月20日木曜日

吸血鬼

その1

吸血鬼
「血ぃ吸うてもええ?」

人間
「ええけど、後で杭が残るで。」


その2

吸血鬼
「君と一緒に昼を共に過ごしたいなぁ・・・でも、店で売ってるお棺は全部一人用で、狭いんだ。」

人間
「それは残念やなぁ・・・うちのおカンやったら、二人分の幅があんのになぁ・・・」

夢ではない

蒲団の中で目を閉じていると、妻が台所で朝食の準備をしている音がする。
炊飯器の蒸気を出す音、包丁で野菜を刻む音、鍋で何かが沸騰している・・・

目覚ましが鳴って、私は渋々起きる。途端に全ての音は消え、室内は暗く、誰もいない。勿論、台所に朝食の用意が出来ているはずもなく、私は食パンをトーストしてインスタントコーヒーで簡単に朝食を済ませ、勤めに出る。

妻が亡くなって、早くも10年たつ。
だが、彼女の念はまだ残っている。
毎朝、彼女は朝食の支度をしている。私が瞼を開ける前まで。
夕方、彼女は夕食の支度をしている。私が玄関のドアを開けるまで。
室内の照明が瞬時に消え、食事の匂いも消滅する。廻っていたはずの換気扇も停まる。
もしこれが、私だけの体験だったらなば、どんなに気が楽だろうか。
私の頭がおかしくなった、で済むのに。
しかし、これは私の家を訪問する全ての人が体験するのだ。
宅配業者や郵便屋は、昼間、私が仕事に出ている留守宅で、窓越しに彼女が掃除をしたり、洗濯物をベランダに干すのを目撃している。
近所の奥さんたちは庭先の彼女と挨拶を交わしている。
私には音しか聴かせてくれないのに、彼らは彼女と会って言葉まで交わすのだ。
こんな理不尽があるだろうか?
私が仕事に夢中になって家庭を顧みなかった復讐だろうか。
彼女が体調不良を訴えた時に、医者へ行け、と言ったきり、気遣いすらしなかった報いなのか。

身支度をして私が玄関で靴を履いていると、奥の部屋で、妻がカーテンを開ける音が聞こえた。
私は思いきって声をかけた。
「行ってきます」
もう何年も言わなかった言葉だったから、声がかすれてしまった。
返事を期待していなかった。しかし、
ドアを閉める直前、声が聞こえたような気がした。
「行ってらっしゃい」

私は、彼女が私を迎えに来るまで、頑張って声をかけ続けようと思った。

2012年9月16日日曜日

ナオミさん

「マスター、もう一杯!」
陽気な客の声が響いた。ヒロシはグラスにビールを注ごうとして、手を止めた。店の入り口そばに、ナオミが立っているのが見えたのだ。
彼は客に言った。
「今夜はそこで控えた方がいいですよ。それより、そのお料理、ちゃんと召し上がって下さいよ。」
「え~、ちゃんと食べるよ、だから、もう一杯だけ・・・」
しかし、客の連れが、やはりちらりとヒロシの視線を追いかけて、仲間に忠告した。
「止めておけよ。歩けなくなったら、困るだろ?」

半時間後、いい具合に出来上がった客たちがお勘定を済ませた。
ビールの追加を断られた客が、ヒロシに囁いた。
「マスター、今日のナオミさんは、怒ってた?」
「いいえ。」
ヒロシは柔らかな笑顔で答えた。
「穏やかな顔でこっちを見ていただけですよ。」
「そっか! じゃ、今夜は無事に帰れるな。」
客はホッとした表情で出て行った。

ヒロシは最後の客が出て行った店内の掃除をしながら、出窓の小瓶に差したバラを見た。
アルバイト従業員のタカシが外の立て看板とメニューボードを片付けている。
タカシが出所して半年たった。
あれから彼は一滴も酒を飲んでいない。
毎日小瓶に水を足し、花がしおれると取り替えるのは、タカシの仕事だ。
それは、タカシの反省であり、二度と過ちを繰り返さないと言う決意表明でもある。
タカシとナオミ、お似合いのカップルだった。タカシが飲酒して、ナオミが彼の運転を止めるのを怠るまで。
タカシのクルマがスピード超過で川へ転落し、ナオミが逃げ遅れ・・・。
タカシは交通刑務所で刑期を務め、ナオミはこの町の飲食店、至る所に出没した。飲酒する客が度を過ぎたり、ドライバーだったりするとそばに立っている。それだけだ。だけど、見える人には抑止力を発揮するのに十分だった。

ナオミは、タカシを恨んでいるのではない、とヒロシは理解している。
彼女は自分が許せないのだ。
彼女が成仏出来るのは、この町から飲酒運転のクルマがいなくなる時だろう。
それまで彼女は彷徨い続ける。
ドライバーたち全員が節度を守る迄。

田圃の秘密

子供の頃、田植えが始まる前の、代掻きをする前、蓮華畑になっている田圃で走り回って遊んだものだ。
代掻きが終わって田植えが行われる前の日、男の子達が「合戦ごっこ」をしようと言い出した。
誰かが、子供向きに編集された「太閤記」を読んで、墨俣城の建築のくだりで、泥の川で秀吉側の野武士と美濃の軍勢の合戦を再現したくなったのだ。
田植えが始まったら、もう泥田では遊べないから、チャンスは今日しかないのだ、とその友達が主張し、学校が終わると、クラスの男子は全員田圃の畦道に集合した。
刀の代わりに竹の棒を持つ。ルールは簡単、絶対に「突かない」こと。「顔を狙わない」こと。「首から上は叩かない」こと。「肩か背中に泥が付いたら、斬られたことにして田圃から出る」こと。
グッパで二手に分かれて、田圃の両側から号令と共に泥の中に跳び込んだ。
竹の棒と言っても、どれも古くて繊維が見えるくらいくたびれているから、叩かれてもそんなに痛くない。
あちらこちらで、パンパン、バシバシ、と音が響き、バチャッと泥に倒れ込む音がする。
田圃の泥は温かくて柔らかい。大人が見たら怒るだろうが、そんなことは後の心配で、みんな夢中で初夏の前日を楽しんだ。
僕は敵陣の中に勇敢に切り込んで、敵将たる学級委員のお尻に泥を付け損ない、急いで退却しようとした。
突然、脚が何かに引っかかって、僕は顔から泥の中に倒れ込んだ。
ちぇっ! 自損事故だ。
僕は脚を引き抜こうとしたが、何故か動かない。そんなに泥は深くないはずだが・・・僕は足首に何かが絡まっている感触を覚え、視線を向けた。
泥だらけの手が僕の足首をがっしりとつかんでいた。僕は、その手が、泥の中から生えていることに気がついた。友達は合戦ごっこに夢中で、僕のそばに倒れているヤツはいなかった。
この手は誰の?
僕は恐怖に駆られ、夢中で竹棒で泥の面を叩いた。
手が離れ、僕は田圃から死にものぐるいで這い上がった。

この話は誰にも言っていない。
言っても笑われるだけだ。
そして、大人になってからも僕は泥田には入らない。
僕が農家を継がずに都会に出て会社勤めをしているのは、実はそう言う理由からなんだ・・・

2012年9月12日水曜日

ある事件

今日の午後3時40分頃、JRなんたら駅構内の喫茶店で市内の会社員Aさんが、妻のB子さんに顔を往復ビンタされ、全治死ぬまでの心の傷を負う事件が発生しました。
目撃者の証言によると、AさんとB子さんは向かい合って座っていましたが、突然B子さんが腰を浮かして、テーブル越しにAさんの顔面を平手で殴ったと言うことです。
調べに対しB子さんは、
「夫の浮気が原因で離婚話をしていた。夫が二度と浮気をしないと誓った、その舌の根が乾かぬうちに、店の窓の外を通りかかった女子高生に視線を向けた。いつも肝心な時に気を抜いて油断する夫の性格が許せなかった。」
と言っています。
なお、今回の事件で夫婦仲は修復不可能とB子さん側の弁護士は断言しています。
離婚が成立すれば、Aさんは無一文の宿無しになることが必至で、辛い冬を過ごすことになりそうです。

以上、ニュースをお伝えしました。

スジ

美容院で先生に髪を切ってもらっている時、アシストさんが出勤してきました。挨拶しましたが、何かちょっと不機嫌な表情。私と先生が二人で盛り上がっていたのに嫉妬するはずもないし、何かあったのかな、と思っていたら、そのうち、こんなお話を始めました。

昨日、アシストさんは自宅でスジ(牛スジ)を煮込みました。自分でもなかなか美味しく煮込めたと思ったそうです。固い部分が少なくて、ゼラチン質のプルプルが多く、出汁をしっかり出して、また味もよくしみ込んでいたそうです。
そして、今朝、アシストさんが起きて二階の寝室から出て階段を下りると、下で姑さんが待ち構えていて、いきなりアシストさんに苦情の申し立てを始めました。
なんでも、昨夜、隣家の息子が遊びに来て、アシストさんの息子と一緒に晩ご飯を食べた時に、当然お総菜にスジの煮込みも食べました。
姑さんはそれが気に入らなかったらしいのです。

「あんな美味しいスジ煮込みは二度と食べられないかも知れないのに、どうしてあかの他人に食べさせた!私が今朝食べようと思ったら、もう残っていないじゃないか!!」

と言う訳です。
アシストさんは、「たかがスジ煮込みでなんで朝っぱらから文句を言われなければいけないのか、これから機嫌良く仕事に行こうとしていた時に・・・スジなんて、これから何度でも煮込んであげられるじゃないの」
と不満だったので、不機嫌だったのです。

スジの通る話でしたでしょうか?

記憶喪失

章は昔から身勝手な記憶喪失に陥ることで有名だった。
普段は記憶力の良い男なのに、兎に角自分に都合の悪いことや嫌なことはすぐに忘れるのだった。
だから、章がある殺人事件に巻き込まれた時、彼の証言を期待した刑事達は失望させられた。

「どうしても思い出せないって言うのか?」

「ええ、駄目みたいです。嫌なものを見てしまったので、即行でそこの時点だけ記憶を削除しちゃったみたいで・・・」

「困った男だな。」

「そうですね、事件の当事者なのに・・・」

「彼の今の立場だったら包み隠さず喋ってくれると思ったんだが・・・」

「犯人はそこで彼の霊に手を合わせて告白してるんですからね。被害者がそれを裏付ける証言をしてくれると期待したのに・・・」

「なんで幽霊になってまで、物忘れするんだよ!」

2012年9月10日月曜日

いつも3人

 洋子が嫁いで来た時、田宮家は既に透と母親の二人暮らしだった。家族が増えること、それも「娘」ができる、と母親はたいそう喜んだものだ。買い物にも洋子と二人でそろって出かけることを楽しみにしていた。洋子もすぐに馴染んで、姑との買い物が当然のものとなっていった。
お魚は三匹、お肉は三人分、野菜も三人分、食器もおそろいのを三人分・・・
なんでも「三人分」だった。

 突然の事故が、田宮家を再び二人だけの家に戻してしまった。
透は哀しみが癒える頃、家庭内の様子が少し違うことに気づいた。
二人しかいないのに、いつも食事は三人分用意されている。
なんでも「三人分」だ。
最初は、ちょっと戸惑った。
「でも、私たちは三人なのよ。」
と洋子が言う。
そうだね、と透は頷いて見せた。それで妻の心が慰められるのならば。

 喪が明けて。休日にお寿司を食べようと言うことになり、二人はバスに乗ってちょっとばかり遠出した。二人になってから昼間家の中に閉じこもりがちだった彼女も、気晴らしになると喜んだ。
初めての店に入った。会社の同僚から「美味い寿司を出す」と評判の店だ。
「へい、らっしゃい!」
威勢良い板前の声に迎えられ、カウンターに座った。
おしぼりが出された。
「え?」
おしぼりは三人分だった。お茶も三人分が置かれた。
横を見ると、彼女がルンルン気分で使っている。

気にならないの?

透はちょっと心配になる。何も知らない板前が無邪気に尋ねた。
「何になさいます?」
一瞬躊躇する透の代わりに、母親が返答した。
「まずコハダ、それからマグロ、嫁にはヒラメとトロを握ってやって。 透、あんたは?」
透は板前を見た。板前は、彼女の言葉に全く疑問を抱いていない様子だ。ニコニコと透の返答を待っている。

この板前には、見えているんだ・・・

透は板前を怖がらせる必要はないと判断した。
「僕は海老とコハダ・・・」

他の客が不思議そうにこっちを見ていたが、透はもうかまわない、と思った。
僕らはいつも三人なんだ。
洋子とお袋と僕と・・・

帰路は、川端の道を三人で歩いて帰った。
夕暮れの風が爽やかに吹いて行く。
「いつまでも、こうしていたいわね。」
と母親が言った。
「でも、私がいたら、ご迷惑でしょう?」
と洋子。
「そんなことないわ。私は貴女とずっと一緒にいたいのよ。透が将来再婚したとしても、私は貴女と一緒に暮らしたいわ。」
「そんなの、駄目です。新しいお嫁さんも可愛がってあげてくださいよ。」
洋子はちょっと恨めしそうな顔をして、川っ縁の柳の木の下に立った。

「ほら、新しいお嫁さんと幸せになってくれなきゃ、化けて出ますよ〜」

2012年9月9日日曜日

筍泥棒

竹藪で・・・

女性「そこで何をしてはるんですか?」

男性「筍採ってまんねん。」

女性「そやかて、ここはうちの竹藪でっせ。」

男性「せやけど、儂、新鮮な筍食べたかったんや。」

女性「食べたかった言うても・・・他人の竹藪でっせ。」

男性「せやって、筍ぎょうさんあるやないか。あんた、これ、全部食べるんか?」

女性「そんなん食べられませんわ。」

男性「あんたの家族全員でも食べられへんやろ?」

女性「そりゃ・・・食べられへんけど・・・」

男性「筍は、採ったその日に食べんと鮮度落ちるんや。」

女性「そうですわなぁ・・・」

男性「せやから、儂が食べんといかんねん。ほったらかしにしたら、今日の筍、明日はもう食べられへんやろ? めちゃもったいないやんか!」

女性「そうやね・・・」

男性「せやから、これ、儂がもらうんや。ほれ、見てみぃ! この見事な筍、店で買ったら一本900円はするでぇ。」

女性「すごいねぇ!」

男性「あんた、ええのいっぱい生えてるから、早よ採りや。 儂、急ぐよって、もうおいとまするわ。ほななーーー!!」

2012年8月29日水曜日

礼状

ヒサコは鍵を開けてドアを開いた。プンと埃の匂いと湿気。 黴は生えていないだろうと思うが、真っ先に浴室とトイレなどの水回りを確認。
ヒロシの上着がだらしなくソファの背もたれにかけてある。
「ヒロミさんも、ハンガーに掛けるぐらいのこと、したらいいのに・・・」
しかし手を出さずに、掃除を始める。
持って来た化学雑巾で拭き掃除。家の電機や水は使わない。電気代や水道代に余計な加算を出せば、気づかれる。
二、三週間に一度、掃除に来る。嫁のヒロミが掃除しないから、こっそりしておくのだ。
ばれないように。見られないように。水筒とお弁当も持参。決して痕跡は残さない。
必ず晴れた日に来て、照明は使わない。
掃除が終わると窓を開放して二階の和室で少し昼寝をする。ヒサコのささやかな楽しみ。
そして夕方になる前、孫たちが学校から帰る時刻より先にドアに施錠して帰宅する。
家を出る前に仏壇の前に置かれていた封筒を取って、ポケットに入れる。これは忘れない。
そして、自分のポケットに家から持って来た封筒を代わりに置いておくのだ。これも忘れない。


「まだそんなこと、してるの?」
親友のアサコが呆れると言うより心配する口調で言った。
「いい加減になさいよ。けりをつけるのよ。いつまでも引きずってちゃ、進歩はないわよ。」
「いいの。私は楽しいから。」
ヒサコは五月蠅そうにあしらうだけだった。
「だけど、あれからもう2年よ。」
アサコは意味もなくカレンダーを見た。
「もうすぐ、3回忌なのよ・・・」

アサコが帰ると、ヒサコは茶碗を片付けて、机の前に座った。
ヒロシの家から持って来た封筒を開けて、手紙を出した。

お義母様
いつもお掃除ありがとうございます。毎日綺麗な家に帰るのが楽しみです。ユミもトオルも私の掃除よりおばあちゃまのお掃除の方が上手だと褒めています。
また一緒にお食事でもしてみたいですね。
お弁当でなく・・・

ヒサコは新しい便箋を出して、返事を書く。

ヒロミさん
もうすぐお彼岸です。
今年は私の家で法要をします。お線香の煙が上がったら、みんなで降りていらっしゃい。
あなたの好きな黄粉餅や、ユミの好きな桜餅、トオルの為の牡丹餅を作っておきます。
ヒロシのビールも開けておきますよ。
楽しみに待っていますよ。

2012年8月14日火曜日

お盆

「どこ行っても閉まっててさ。」

「行くところがないね。」

「うん、暇だなぁ。」

「遊園地にでも行く?」

「何しに?」

「お化け屋敷さ。」

「あんな子供騙し・・・」

「いいじゃん、送り火までバイト出来るからさ。」

「幽霊にバイト料払うヤツなんていねーよ!」

「ちぇっ・・・折角帰って来ても子孫が絶えてて帰る家がないなんて。」

「恨めしや~」

2012年8月11日土曜日

夕涼み

日吉さんが縁側で浴衣掛けで団扇を使っていると、和菓子屋の若旦那が庭先に現れた。
「こんばんは」
と笑顔で挨拶する。いつも売り物のお菓子みたいに甘い笑顔の若者だ。
日吉さんも笑顔で返した。
「やぁ。こんばんは、はまだ早いよ、こんなに明るいのだもの。」
「でも、5時過ぎてますよ。」
若旦那は、いいよと言われる前に日吉さんの隣に座った。
「日吉さん、奥さん、もう帰ってきた?」
「さてね」
日吉さんは懐からタバコを出した。若旦那に薦めたが、菓子職人は手を振って断った。だから日吉さんも一本くわえたけれど、火は点けなかった。
「もう帰って来る頃だけどね。どこをうろうろしてるんだか。」
「きっと、知り合いに出会って、立ち話でもされてるんでしょう。そこの角まで帰って来てたりしてね。」
「馬の用意は終わったよ。案外簡単だった。船も昨日手配した。」
「うちの蓮や菊をたんと持たせて差し上げなさいよ。奥さん、好きだったから。」
「甘い物には目がないヤツだったからな。」
垣根に今朝の朝顔がしぼんでちりちりになって下がっていた。明日の朝は別の花が咲くのだ。世代交代が確実に行われている。
背が高いヒマワリはまだ太陽の下で頑張っているが、日が傾いてくるとその陰が却って空元気に見える。
「奥さんは・・・」
若旦那が何か言いかけた時、風が二人の間を吹き抜けた。風鈴がチリリンと鳴り、若旦那は思わず風が抜けて行った座敷の方を見た。
仏壇の前の廻り灯籠の電飾の光が風で揺れた様に見えた。
「奥さん、お帰りになられましたよ。」
若旦那が囁くと、日吉さんはタバコをくわえたまま、ニコッと笑った。
「折角お戻りになったんだから、お邪魔しちゃいけませんな。」
若旦那は縁側から下りた。
「水饅頭を作りましたから、後でお持ちしましょう。」
「いつもすみませんね。」
日吉さんが立ち上がると、若旦那は、それじゃ、と言って頭を下げ、座敷の方にも軽く会釈して庭から出て行った。
日吉さんはしぼんだ朝顔を見ながら呟いた。
「おまえが言った通り、いい男だな。祐子はあの家に嫁ぐことになったよ。」
庭の草木がサワサワと葉を鳴らした。
西の空が見事な夕焼けで透明な赤に染まっていた。

車窓

久し振りに電車に乗った。
真昼の電車。
ガラガラに空いている。
通勤用の電車なので、座席は車両の両側に長椅子が付いているタイプ。
その車両には、数人しか乗客がいなかった。
私は読みかけの本を出して開いた。
子供の声がした。
「わぁ! 海だ! でっけーー!」
顔を上げると、向かいの椅子に小さい男の子がいて、こちらに背中を向けて窓の外を眺めている。
窓の外には大阪湾が広がっている。西は明石海峡。
そんなに綺麗な海域ではないが、電車から見える海は真っ青で美しい。
ちょうど電車は断崖の上の、その私鉄で最も眺望が美しいT駅にさしかかろうとしていた。このT駅は、有名ではないが、関西の鉄道マニアの間では隠れた名所なのだ。天気が良ければ西は明石海峡大橋から東は天保山の方角までが見渡せる。
「わぁ、海だ、広いな!」
子供は叫び、私を振り返って笑いかけてきた。
私も微笑みを返し、本に戻った。
電車がT駅に入り、停車した。
軽い揺れで、私は再び顔を上げた。駅から見える海を見る、いつもの自然な行動だった。
子供はいなかった。
どこにも。
そして、私は気づいた。
子供が振り返った時、体はそのままで、首から上だけが私の方を振り返ったことを。

2012年6月20日水曜日

尾行 終わる?

バス停が近づいてきた。

 教授はボタンを押し、鞄を抱えて立ち上がった。いつも走行中に出口前に行かねば不安な質だった。
 教授を密かに慕う女子学生も腰を浮かせた。今日は先生の家の場所を確認しておきたい、と言う欲求を抑え難かったのだ。
 彼女の後を追って後先考えずにバスに乗ってしまった男子学生も、彼女が降りる気配なので、先に降りていよう、と思い立ち、教授の後を追って立ち上がった。
 教授が降りるバス停で降りる住人のふりをしている探偵も、当然のごとく立ち上がった。
 バスが減速したので、男子学生の護衛についているヤクザのベンツも減速した。

 バックミラーにベンツが映った。ちょっとそこらでは見かけないピンクのメルセデスだ。ふざけたカラーリングのボディーに、バスの運転手はびっくりした。見覚えがあったのだ。先日掛け金を踏み倒して逃げた賭博麻雀を仕切っていたヤクザだ。

 バスが急停止したので、ベンツが追突した。教授は転倒し、男子学生は座席から転がり落ちた老人を慌てて支えた。探偵は危うく手すりに頭をぶつけそうになり、女子学生は立ち上がりかけていた座席に尻餅を突いた。
 運転手は降車口のドアを開けると、一目散に走り去った。

 ちょっと大騒ぎになった。誰かが携帯電話で怒鳴り立て、怪我をしなかった乗客たちは怪我をした教授や年寄りを車外に連れだした。間もなく救急車とパトカーが来た。
 一番大怪我をしたのは、ベンツのヤクザで、教授も打撲傷を負った。男子学生がきびきびと乗客に指図したので、応急手当が女性客たちの手で素早くなされ、大事に至らなかった。
「ベンツが追突したのですか?」
 警察の質問に、探偵が答えた。
「バスが急停車して、それから後続車が追突したんですよ」
 若者はベンツの運転手が父親の会社の従業員だと証言した。彼はヤクザの意図をすぐにわかったけれど、それは言わなかった。これで彼女に近づくのは無理になってしまったな、と悟ってしまったので、ちょっと哀しかった。
 彼女は、事故を聞いて駆けつけた教授の奥さんが南方系の外国人美女だったので、がっかりした。文化人類学の教授は研究調査で知り合った現地人と結婚していたのだ。
 探偵は、教授の奥さんが、数日前に大天災で被害を被った母国の救済を訴えてテレビに出ていた女性だと気が付いた。
 教授の研究費着服は、私欲でなく、妻の祖国への救済基金に寄付されたのだろうか?
 
 混乱が静まり、各自が家に戻る頃、警察は逃亡した運転手の足取りを追跡し始めていた。

尾行 5

 ちんたら走るバスの尾行やなんて・・・全くうちの親分ときたら、若のことになると親馬鹿丸出しやからなぁ・・・。
 若は、同じがっこの女の子に夢中なんや。俺は知っとる。美人やから、無理はないやろけど、あの子は若のことを知らんし、この数日弟分に調べさせたら、あの子も誰かを追いかけとるって言うやないかい。
 若、諦めんかい。ええ女やったら、なんぼでもおるって。

 あー、バスのけつ付くのって嫌なんや。排ガス、もろ浴びやないかい!なんでこんな臭い思いして、成人した若のお守りせんといかんのや。

 あー? バスのケツに何や書いとるな・・・○山×男? なにぃ?
運転手の名前やな。こ前の、賭け麻雀の支払い、踏み倒して逃げたヤツとちゃうんけ?
 おい、こら、待たんかい、こら!!

2012年6月16日土曜日

尾行 4

 あの文化人類学の教授が研究費を着服している疑いがある。だが、真面目で研究一筋の男が何に金を使ったのか、わからないので、手がかりを調べて欲しい。 大学側としては、事を表沙汰にしたくないので、出来るだけ穏便に解決出来る手段を考える資料として、調査結果を期待している。

 そんなことを言われて依頼を受けたのが、四日前。ずっとあの先生を尾行しているが、なんにもない。
 家と学校を往復するだけ。学校じゃ、講義に出る以外は研究室か図書館に籠もって本を読みあさっている。
 浮気も賭け事も何にもしてない。まぁ、四日だけじゃ、なんとも言えないがね。しかし、退屈だし、報告書にも書くことがない。
 困ったことに、いつも乗るバスってのが、ローカル線の極みで、乗客のメンツが全く同じ。
 違うのは、今日は若い男が一人、発車間際に乗ってきたこと。しかも、そいつ、前の席の女ばかり見ている。 あれ、ストーカーじゃないのか?
それに女も・・・毎朝毎夕見かける顔だが、教授の方をチラチラとよく見ている。
 学生か? それにしては、教授は知らん顔だが・・・。
 まさか、あの女が、貢がれている愛人ってことじゃ・・・。
 
 そんなことを思っている間に、もう停留所だ。 教授はここで降りる。俺も近所のアパートに帰るふりをして降りる。あのアパートは住人の出入りが激しくて、怪しまれないんだ。 なにしろ、ローカルだからな、人数が少ないので、つきまとうと目立つんだ。
 
 教授は降りる気配だ。 ん? 女も? やはり、逢い引きか?
 おーおー、ストーカー君も身構えている。俺も・・・。

おや? 後ろのベンツ、さっきからこのバスの後ろをぴったりと・・・追い越しもしないで付いてくる・・・。

2012年5月18日金曜日

先生、見てる?

今日のお昼、道の駅でうどんを食べてから、行きつけの美容院に電話しました。
髪が伸びていたし、白いものも目立ってきたし・・・
電話に出たのが先生の娘さんだとすぐわかりました。
彼女が何か言ったのですが、外の音がうるさくてよく聞こえません。
何回か聞き返して、聞き取れたのは、「お母さん」「死んで」「お仕事出来ますよ」「お待ちしております」

なんだろう?

店に行って見たら、店には娘さん一人だけ。
店内が気のせいかガラーンとしています。

娘さんはまるで私が何もかも知ってると思っているのか、話を始めて、その世間話の中心が彼女の母親である美容院の経営者で店長の「先生」の急逝であることを、私は間もなく気が付きました。

今月の初めに突然心筋梗塞で亡くなってしまったのです。
まだ50代半ばで、あんなに元気だったのに。
ものすごくショックでしたが、娘さんが、もう悲しみのピークが過ぎたのか、それともまだ実感が湧かないのか、楽しそうに母親の思い出を語るのを聞いていました。

娘さんはまだ20代前半で、専門学校を出てよその店で2,3年修行して今年の正月から母親の店で働き始めたところだったのです。
従業員はいません。

「暫くは何もする気力なくて、お店閉めてたんです。
そしたら、母のお客さんが次々電話かけて来て、仕事何時からや? って聞くんです。
母が死んだことを告げて、私で良かったらします、って言ったら、みなさん、『当然やん』って言うんですよ。
『髪の毛切るだけやから、あんたでええねん。』って。
それで、結構忙しくて、泣いてる暇ないんですぅ。」

彼女は母親が遺した顧客カルテを見て、どの客にどんな美容を施行するのか一所懸命勉強しているところでした。

私一人に掛かっている間にも、出入りの業者が来たり、近所の人がお母さんの関係の書類持って来たり、保険屋さんが来たり、かなり忙しそうでした。

「まだどのお客さんにどのくらいの時間をかけたら良いのかわからなくて、予約を受けても重なってしまったりして失敗ばっかりで」

と彼女は笑って言いました。

「でも、この店でないとあかん、言いはるお客さんがいてくれてるんで、私はこの店、続けよ、思います。」

だから私も言いました。

「私もこの店しか知らんから、これからもお願いしますね。」

まだ高校生にも見える新しい店長さんが笑顔で送ってくれました。

2012年4月10日火曜日

尾行 3

どうも誰かに見られているような気がする。家と大学の行き帰り、誰かに見られている。つけられているのだろうか?
特にそんな気が強く感じられるのは、バスの中。
さりげなく振り返って見る。
短い路線だ。顔ぶれは大体わかっている。

ちょっと化粧が濃いのは、ホルモン焼き屋の奥さん。夕方、忙しくなる時間の一寸前に家に一時帰宅して子供にご飯を食べさせる。店はバス停3つ向こうだから、そんなに時間はかからない。
くたびれた顔で外を眺める中年男二人。どちらも近所の会社員だ。不景気で残業がないので毎日定刻帰宅。奥さんが鬱陶しがっていることだろう。
買い物帰りらしい主婦数名。大体見かける顔だ。
終点まで乗っていく女子学生。高校生時分から同じバスによく乗り合わせている子。今は窓の外を見ている。
彼女の後ろの席の若い男は・・・あれ? 一瞬目があって、逸らしたな。
あいつが、私を見つめていたのか? 何故だ?
そう言えば、見かけない顔だ。あの男が私を尾行しているのか?
それとも・・・一番後ろの席で、俯いている、これも見かけない男。背広姿だが、ネクタイはしていない。怪しいじゃないか。
まさかな・・・あの件が大学にばれたか?

ああ、そろそろ降りる停留所だ。 降りてみればわかるだろう。 あの二人の男のどちらかが、私を盗み見していたことを。

2012年3月17日土曜日

尾行 2

 終点(始発点とも言うわね)の次のバス停で、毎朝発車間際に駆け込んで来るメガネの小父さん。
 ネクタイ曲がってたり、乗り込んでから結んでたり、ソックス左右違うの履いていたり・・・おっちょこちょいの変な小父さんだと思ってた。
 大学入って、驚いた。
 だって、その小父さん、文化人類学の教授だったんだもの。
 文化人類学って、教養単位で、必須科目じゃないからって、友達は軽く見てるけど、それは間違いよ。こんなに面白い学問はないわ。
  それに、教授が凄いじゃない! バスの中じゃ冴えない中年なのに、教壇では私にとって未知の世界、知らない文化を詳細に解説してくれる。ドイツ語の本もフ ランス語の文献も原語で読んじゃうし、ボルネオの先住民の言語まで喋っちゃうんだ。それに説明している時の教授の目。キラキラ光って、玩具の話を夢中に なって語る子供みたいで可愛い。

 恋・・・なのかな。教授が好き。どんな家に住んでいるんだろ。どんな奥さん(・・・いるんだろうな、やっぱ・・・)と暮らしてるのだろう。
 知りたい、知りたい、先生の私生活、知りたい。
 
  たった一つバス停が違うだけなのに、教授が降りる停留所で降りられない。だって、客が少なすぎる。教授は私のこと、気付いていない。学問に夢中で学生の顔 を覚えられないのかって? 違う、違う、私が降りる終点まで乗る客が多いの。だから、私はバスの中では「その他大勢」で、教授は気付かない。だけど、一つ 手前で降りたら、人が少ないから、すぐ気付かれるだろう。
 どうすれば、先生と同じ所で降りられる?

2012年3月9日金曜日

尾行 1

 好きな女の子がいる。 同じ大学の文学部の学生だ。 色白で清楚な感じ。美人だし、物腰も優雅。どんな性格かな。偏見だけど、美人だから心も綺麗に違いない、と思ってしまう。
 だから・・・

 彼女がどこに住んでいるのかとか、どんな行動を取るのかとか、そんなことを知りたい訳ではなかった。
 彼女に話しかけるきっかけを探して、ただついて歩いただけだ。
 ストーカーだと思われないように、随分気を遣った。大学から駅までは、同じ道を歩いても怪しまれない。毎日目についても学生は大勢歩いているから、尾行しているなんて思わないだろう。
 電車が同じでも、平気だ。彼女が下りるT駅は、住宅街の中にあって、そこには学生用マンションもたくさんあるから、同じように下車してもおかしくない。
 問題はそこから。本屋だとか、コンビニだとか、彼女が立ち寄る場所をさりげなく通過したり、入ってみたり・・・。思い切って声をかければいいものを、勇気が出なくて・・・そしてとうとう・・・。

 今日、今、同じバスに乗ってしまった。
 乗る直前に気付いたが、この路線は市バス路線で一番短くて、他のどの路線とも交わっていない。バス停は5つだけで、折り返し同じ道を往復しているだけのローカル路線だ。 多分、乗客は互いに顔見知りで、誰が何処で乗り降りしているのか、知っているだろう。

 どうするよ? 住宅街だ。 降りてみても、何もない。 尾行しているって、まるわかりじゃん。
 やべ・・・彼女が振り返った・・・。

2012年3月8日木曜日

古文書

「この古文書を読み解いてください」

 と見知らぬ美女から、巻物の様な物を渡された。ごわごわした羊皮紙の様だ。力を入れると破れそうなので、静かに紐を解き、広げて見た。
 初めて目にする文字だった。何語なのか、さっぱり分からない。西洋の文字ではないし、アラビア語でもないし、漢字でもない。

「この文書は何処で?」

 尋ねると、美女は困った様に目を伏せた。

「図書館にあったのです」
「どこの?」
「この町の・・・」

 この町の図書館は文学専門じゃなかったのか?こんな考古学的資料など置いていただろうか。
 もう少しよく調べようと文書を注意深くめくってみた。
 ページの間に何か硬い物が入っていた。紙の隙間から取り出してみると、それは鱗の様に見えた。

「ああ、解いてくださったのですね!」

 彼女が嬉しそうに叫んだ。 なんのことか、と尋ねようと振り返ると、そこに彼女の姿はなく、一匹の竜がいた。

「有り難う」

 と竜が人語で言った。

「尻尾の鱗が挟まってしまって、自分では取れずに1000年間、その文書と共に過ごしてきました。誰もその文書を開こうとしなかったので・・・。
お陰で自由になれました。何か、一つ御礼を差し上げましょう。好きな物を仰ってください。」

 そう言われても、こっちは腰が抜けているから考える余裕もない。思わず口から出たのは、

「ううう・・・」

「鵜ですね!」
 竜はにっこり(?)笑って、鵜を三羽出すと、机の端に留まらせた。

「では、恩返しは済みました。さようなら!」

 竜は窓から飛んでいってしまった。

2012年3月5日月曜日

夜道

 これは「実際にあったこと」と人から聞いた話だが・・・。

 乾燥室で働くNさんが、ある夜、飲み屋で仲間と一杯ひっかけて、ほろ酔い気分で自転車に乗ってたんぼ道を家路についていた。
 竹藪のはずれで、道端に女の人が立っているのが見えた。近づくと、知り合いのスナック店員で、彼女も家路についているらしい。
 「今晩は。 一人で歩いて帰るの?」
声をかけたら、彼女が振り返ってにっこり笑った。
「あら、今晩は。うちはこの近くなの。心配しなくても大丈夫よ」
 そして彼女はこう言った。
「そちらも、お一人? 良かったら寄ってかない?」
Nさん、ちょっとどきどき。普段なら、そんな誘いに乗らないんだけど、酔っていたので、ついふらふらと・・・。
「いいの?悪いなぁ・・・」
 彼女の家は本当にすぐ近くで、座敷に上げてもらい、そこでまた酒とおつまみを出された。
 それからNさんがいよいよ酔いが廻って自転車に乗るのが辛いな、と思い始めた頃、彼女がまた誘った。
「良かったら、お風呂が沸いているから、入っていきなさいな」
 Nさん、遠慮無くお風呂に入った。ほど良く温かで、気持ち良くなって、お湯に浸かったまま、寝込んでしまった。

「あれ、Nさん、なんでそんなところに入ってるの?落ちたの?」

 誰かの大声で、Nさんは目覚めた。



 田んぼの中の、肥だめの中で・・・。

2012年3月4日日曜日

座っている神

気が付いた? あそこの電柱のてっぺんに女の人が座っているの、見える?
 電柱のてっぺんにお尻も足も載っけて膝抱えて座ってるの。白い着物きてるでしょ。幽霊なんかじゃない思う。だって、神々しく光っているもの。
 じゃぁ、何の神様かって?
 何の神様かなぁ・・・。

 神様、何を考えているのかなぁ。
 あっちの工場の方を見ているような気がする。
 あの工場、もうすぐ閉鎖されるんだって。親会社が製造基盤を外国に移しちゃって仕事がなくなったんだ。100人くらいかな? 失職しちゃうんだ。新しい職場ね・・・何人かは同業者が引き受けるらしいけど、それも若い人や、専門技術持った人だけだろ?
 残った人は辛いよね。家族もいるのにね。引っ越して行く人もいるんだろうね。

 ああ・・・工場の庭の隅に祠があるの、知ってた?なんだか知らないけど、昔からあそこにあったそうよ。工場の人が代わりばんこにお水やお供えをしていたって。社長さんは毎朝拝んでたそうよ。
 工場がなくなったら、あの祠、どうなるんだろうね。

 あ! 神様が立ち上がった。 工場の方へ飛んでいったよ。





 知ってる? あの工場、この前、凄い発明したんだって! それで、注文が急に増えて、親会社が閉鎖を取りやめたんだって。規模は縮小されるけど、工場は残って、従業員も全員新しい職場や配置換えで仕事が確保出来たんだってさ。

 だからさ、言ったじゃない、あれは神様だったって!!

2012年3月3日土曜日

献花する人

「ここに、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家があったんだって」
彼女が示した場所は草ぼうぼうの空き地だった。緑色の金網を張ったフェンスが取り 囲んで置かれていた。西隣のタバコ屋は新しい建物だ。東隣は駐車場。北側は、これも新しいマンション。南が空き地なので、きっと日当たり良好だろう。マン ションの両側がちらりと見えたが、駐車場と更地だった。やはり、元通りの街並みには戻っていないんだ。
「3軒続きの長屋みたいな家でね、お祖父 ちゃんお祖母ちゃんは真ん中に住んでたんだ。ちっちゃな庭付きの小綺麗な町屋だったよ。こじんまりした門があって、敷石を二枚歩くと引き戸の玄関があった の。玄関上がると短い廊下でさ、お座敷二間だけの家。それでも広い方に床の間があって、仏間もあったの。押入もちゃんとあったよ。狭い方のお部屋はお祖母 ちゃんの仕事場ね。和裁をしてて、頼まれ物の着物を手で縫ってたの。
台所は反対側、どっちの部屋からも直接行けるのよ。板間で薄暗かったけど、そこでお祖母ちゃん、いつもコトコトお芋やカボチャを煮込んでいたわ。
台所の横にお風呂があったけど、お祖母ちゃんはそこは洗濯場にして、お風呂は街のお風呂屋さんに行ってた。風呂桶が壊れて、修理するよりお風呂屋さんに行ってお友達と会うのが楽しかったんでしょうね、きっと。
トイレは庭の所に突き出た形であったわ。廊下の突き当たりがLの字に曲がってたの。昔のぼっちょんトイレね。手洗いは、庭に手水石があって、そこの上に水を入れた提灯みたいなのを吊して手を洗うのよ。え? 見たことがない?そうでしょうね。
庭は楓や竹が植わってて、根本の岩の上に蛙の焼き物が載ってた。お祖父ちゃんは、私が欲しがってもくれなかったけど。」
彼女はフェンスの足元に花束を置いた。
「どうして、ここが更地になったかって?
あの地震を覚えているでしょう?ここはあの時の激震地だったの。この辺、全部崩れて焼けたのよ。
うちのお祖父ちゃんとお祖母ちゃん?
ああ・・・地震の時はもう引っ越して私の家の隣に住んでたわ。だから、あの時ここに誰が住んでたのか、知らない。」

2012年2月18日土曜日

幽霊

部屋の隅に正座して、ずっと壁を見つめて座っていた。和服姿の女性だ。
 壁に何かあるのかと思ったが、薄っぺらだから死体が埋め込まれているように見えなかったし、穴も開いていたし、金目の物とか古文書が入っているようにも思えなかった。だって、去年建てたばかりのプレハブの事務所だからね。
 最初のうちはみんな気味悪がっていたけど、そのうち慣れて、「うちの事務所には幽霊がいるんですよ」なんて誰かが宣伝したものだから、見物人は来るし、テレビも取材に来た。
 幽霊は動じなくて、誰が話しかけても振り返らなくて、ずっと壁を見ていた。
 物珍しさから客は増え続け、顧客もできた。
 小さな解体専門の会社が、どんどん売上が伸びて行ったんだ。
 そのうち、近所のお屋敷が代替わりしたので、新しい場所に引っ越して跡地を更地にしたいと言ってきた。
 こんなちっぽけな解体屋が初めて請け負う大仕事だ。みんな張り切って機材を手配して築200年の大きな商家を解体した。
 そして、出てきたんだ。奥座敷の壁の中から骸骨が・・・。
 警察の話では、とても古い骨で、依頼主にも心当たりはなくて、でもご先祖の使用人に行方不明になった人がいたとかで・・・。
 今となっては犯罪だったのかな、て言う程度か。物好きな人が歴史を調べるだろうな。
 あ、幽霊は、骸骨が出た夜、初めて立ち上がり、僕らの方を振り返って深々とお辞儀して消えたんだ。
 綺麗な娘さんだった。

2012年2月16日木曜日

密談

車から降りると、取引相手もベンツから降りてきた。
 お互いに警戒しあいながら、相手なのだと確認しあう。

「誰にも見られたり、後をつけられなかっただろうな?」
「大丈夫だ。女房にすら気取られていない。」
「例のもの、持ってきたか?」
「勿論だ。そっちは? ちゃんとキャッシュも持ってきたんだろうな?」
「当然だ。金がなくちゃ、話にもならん」
「では、おまえの物を見せろ」
「いや、そっちが先だ」
「では・・・3で一緒に出そう。1・・・2・・・3!」

 二人は紙切れを互いの目の前に差し出した。

「ううう・・・ちょっと高いんじゃないのか?」
「これが現行の相場だ。仕方がないじゃないか、アメリカとの取引はまだ停止中なんだ。そちらこそ、ちょっと法外じゃないのか? 中国産で誤魔化すつもりじゃないだろうな?」
「馬鹿言え、これは正真正銘、丹波産だ」
「では、ブツを渡そう。そっちとの差額代金も払う」
「いいとも、これで助かった。品切れでにっちもさっちも行かなかったからな」

 二人の男は包みを交換した。

 丹波産松茸と近江和牛ロース肉である。

2012年2月5日日曜日

1ドルの輝き

惑星ヤバンは大昔、惑星サーンの流刑地だった星で、カムンは流刑囚だった人々の子孫が原住民化した民族だ。ヤバンの自然は砂漠で生存が大変難しい土地なので、カムンは長い年月の間に、少しばかり進化していた。と言っても、そんなに目立たなかったけれど。
最近サーンから移住した人々の人口比率がヤバンの全人口の9割を越えたので、今やカムンは少数民族で、なかなか会えない。
だけど、俺は宇宙港でドックの清掃員をしているカムンと友達になった。
カムンを信用するな、とサーン人たちは忠告してくれたけど、リビってカムンは気のいいヤツだった。確かに、時々カムンの”超能力”とやらで、狡いことはしたけど。

ある日、俺はリビとちょっとゲームをして遊んだ。まぁ、率直に言えば、博打をしたんだけどね。それで、リビが勝つはずのない勝負で勝った。何かやったんだろうけど、見抜けなかった。それに大した賭けじゃなかったから。
俺は負けたから、リビを連れて飲みに行った。リビは大人しく飲んでいた・・・と思ったら、いつの間にやらかなり飲んでいた。
で、支払いの段になって、俺は財布がないことに気付いた。落としたか、摺られたか・・・。青くなった俺にリビが言った。
「摺られたのなら、摺られた瞬間に俺が気付いたよ。きっと落としたんだ」
サーン人なら、彼を疑っただろうが、俺は彼の人柄を信じていたので、探しに行くことにした。店の人は俺の操縦士免許を質に取って、「今夜中に払え」と言った。

俺たちはドックまで来た道を辿った。ドックは真っ暗だった。
「落としたのなら、もうここしか探す場所は残ってないなぁ」
「だけど、真っ暗だし、広いし・・・」
俺はもうべそをかいていた。免許がなけりゃ、明日から飯の食い上げだ。すると、リビがこんなことを訊いてきた。
「コイン持ってる? 金属のお金」
クレジットの時代だけど、惑星ヤバンでは、まだ古代貨幣が流通していて、俺も着陸した時に少しばかり換金して持っていた。だけど、こんな時にコインなんて どうするんだ?俺は1セント硬貨を出した。リビは、「1セントか・・・」と呟いて、それを両手で揉み、ドックに投げ入れた。
パァっと光がドックの内部を照らし、一瞬、俺の財布が床に見えた。
アッという間に光は消えて暗闇。俺は驚いて尋ねた。
「今のは?」
リビが、やや皮肉っぽく答えた。
「1セントの光だよ。安いからすぐ消えた」
俺はポケットを探って、1ドルコインを見つけた。
「これ、投げて!財布の位置を確認出来るくらいの灯りが出来るだろ?」
「まぁね」
リビは、1ドル硬貨を揉み、投げた。

俺は無事財布を取り戻し、飲み屋に支払いをした。1セントと1ドルは、どうやらリビが後で拾って自分のポケットに入れたらしいが、俺は何も言わないでおこう。

2012年1月21日土曜日

「いいかな?」

学生時代の旅の思い出と言うなら、私にも少しばかり・・・。

 妹がY県の大学に入ったので、夏休みに遊びに行った。あちらで妹と合流して、少し遊んで一緒に帰ると言うプラン。
 初日は妹が住んでいた大学の寮に泊めて貰った。国立大学の学生だったら学生証を見せるだけで、全国どこの国立大学でも寮に泊めてもらえるシステムだった。(勿論、異性の寮はいけません。)
素泊まりで、ただ寝るだけ。夏休みなので職員はいなくて学生だけだった。

 夕食は、妹が選んだレストランに行った。多分、妹はずっと以前からそこに目をつけていて、金蔓が来るのを待っていたに違いない。(笑
 ドアの前に立った時、彼女は私の顔色を窺うように声をかけた。

「ここで、いいかな?」

 料理は、フレンチっぽい洋食。フレンチと断言出来ないのは、つまり・・・なんとなく「和」が入ってると言うか、田舎の人が「フレンチって、きっとこんなんだろう」と考えて作った様な、そんな野暮ったいところがある料理だったから。
 だけど、美味しかった。 妹は大好物のローストチキンがクリームスープにどっぷり浸かった不思議な料理を満足そうに食べていた。
 う〜ん、やっぱり、こんな牛乳味の豚汁みたいなもの、フレンチじゃないぞ。
 それでも、うん、美味しかったから、文句は言わないでおこう。

 寮まで歩いて帰る時、妹がまた言った。
「ケーキ買っていいかな?」
 勿論、私の財布から・・・と言う意味。(笑
 ケーキは、「これがケーキ屋さん?」と思えるほど、普通の家っぽい店で売られていた。

 Y県は、神戸っ子には、カルチャーショック連続の土地だった。
 
 ・・・と書いても、いいかな?(笑

2012年1月20日金曜日

嗤う遺伝子

優れた遺伝子が発見された。 それは銀河系の辺境の惑星でのことだ。
 住人は、かつて地球から移民した人々の子孫。
 この星は公転周期が長くて、夏が20地球年、冬が40地球年。 余りに厳しい冬の為に植民政策が断念され、取り残された移民たちが、生き延びる為に自分たちの遺伝子を改造したのだ。
 紙やメモリー装置が限られていたために、彼等は自分たちの研究、発見、発明、歴史の全ての記録を遺伝子に刻んだ。
 即ち、この星の住人は全て生まれながらにして親の記憶を持っているのだ。
 彼等を再発見した人々は考えた。
「個人的な記憶は必要ない。しかし科学技術の記憶を生まれながらに持つことは、学習時間の節約になるではないか!」と。
 遺伝子を改造した記憶を参考にして、共同で研究が進められ、全人類の遺伝子に「学習節約遺伝情報」が組み込まれることになった。
 きっと、時間が有効に余ったら、人類は更に発展するだろう。
 誰もが期待した。

 しかし、一つだけ、忘れられていた遺伝情報があった。忘れられていたので、誰も思い出さなかった。
 それは・・・

「再び同胞と再会し、人類のオリジナルの遺伝子と接触したら(つまり婚姻によって子供ができたら)、この情報伝達遺伝子は役目を終わり、自動消滅すべし」

 全人類の遺伝子に無理矢理組み込まれた、この情報は・・・。

2012年1月19日木曜日

未完の大作

アイデアが湧き出るままに、創作に取りかかることがよくある。
 後から後から構想が沸いてきて、自分ではどうしようもなく、どんどん手が進む。
 かなり大量に出来上がったところで、突然、アイデアが涸れる。 どうしようもない、どんなに考えても、それ以上は何も出てこない。
 また、この作品は没なのか。
 完成されることもなく、世間に未発表のまま、朽ちていくだけなのだな・・・。




「ちょっと、誰よ、蜜柑で彫刻なんてしたのは??
 腐りかけているじゃない、さっさと棄てなさい!!!」

2012年1月17日火曜日

引っ越し蕎麦

小学校の時、実家が社宅から一戸建てのマイホームに引っ越しました。
貧乏だったのですが、会社も貧乏になって、社宅を売却するので出て欲しい、と言われ、両親が一大決心をした訳です。
今のような引っ越し屋さんは当時はなくて、荷物の運搬は近所に住んでいた私の友達のお父さんが職場のトラックで運んでくれました。(大工の棟梁でした。)

当時、住んでいた町には蕎麦屋がありませんでした。
うどん屋さんは数軒あって、蕎麦も扱っていましたが、実家の近くで出前してをしてくれる店は、中華料理店が一軒あるだけでした。

社宅には電話がなく、新しいマイホームに移ってから電話を引きました。
だから、引っ越し蕎麦は、電話で注文出来ませんでした。
母は父に中華料理店まで行ってその店で出前をしてもらうよう、言いつけました。(ほとんど命令です・爆笑)

母は、普通の中華蕎麦、つまり、叉焼、もやし、葱、鳴門が入ったラーメンを想定したのです。
ところが、店員が運んで来たのは、チャンポン麺でした。
笑顔でお代を払った後、母は恐い顔で父に言いました。

「どこの世界に引っ越し蕎麦にチャンポン頼むアホがおんねん?」

父は小さい声で口答えしました。

「そやかて、ワシ、チャンポン食いたかったんやもん・・・」

母は言い返しました。

「誰もあんたの好きなもん買え、言うてない!」

それでも、みんなでチャンポン麺を食べて、その場はそのまま終わりました。


後年、子供達が結婚して、それぞれの家族が実家に勢揃いした時、ちょっと高級な中華料理店に食事に行きました。
父は本当は隣の豚カツの名店に入りたかったのですが、神戸に里帰りしたら必ず中華料理を食べると決めていた妹一家に押し切られました。

みんなで前菜や肉料理や魚料理や、とコースみたいに注文して取り分けて食べたのですが、父一人だけ、ラーメンを注文して食べていました。

ええ、父は母には表だって反抗しなかったのですが、静かに抵抗する技術には長けていました。(笑 

2012年1月7日土曜日

貧乏旅行?

これは実話。

 Kさんは高校時代、休みになると友人二人と一緒にいつもバイクでツーリングを楽しんでいた。
 資金はアルバイトで稼ぎ、宿は出来るだけ安い場所、寝袋で眠れたら良し、として贅沢厳禁の質素な旅だった。
 一度などは、台風が近づいてきて、野宿が危険と思われたので屋根のある場所を求めて駐在所に行ったこともある。その時は、近くの学校の宿直に紹介され、学校で泊めてもらった。
 質実剛健、悪く言えば、貧乏旅行だった。

 ある時、それは東海地方の街の出来事だった。
 駅前にバイクを停めたKさんたちは、食事を摂ることにした。けれど、付近の飲食店に駐車場を持っていそうな店が見あたらなかったので、Kさんは、友人二人に先に食事を摂らせ、自分はその間バイクと荷物の番をすることにした。
 一人で地面に座っていると、ホームレスの小父さんが通りかかった。
「坊主、何してるんだ?」
「バイクの番してるんや」
 小父さんは3台のバイクを見た。
「友達は何処かへ行ってるのか?」
「うん、飯食いに行った」
「おまえは何で食べに行かないんだ?」
 そこで、Kさんの心に茶目っ気が生じた。
「僕は、金ないんや。だから、食べたくても食べられへんねん」
「友達は金持ってて、飯食べてるのか?」
「そうや」
「それは酷いなぁ」
 ホームレスの小父さんは服のポケットをがさごそと探って、百円玉を数枚出した。
「おっちゃんが金出してやるから、これでラーメンでも食ってこいや」
「え?!」
Kさんは驚いた。ホームレスの小父さんは、どう見てもKさんより裕福に見えない。失礼ながら、毎日食べる物を確保するのに苦労されている様に見えた。
 それなのに・・・。
「せやけど、おっちゃん・・・」
「早く行ってこい。バイクと荷物は儂が見張っててやるから。友達に見つかる前に戻って来いよ」
 断ると却って失礼な雰囲気だった。Kさんは小父さんからお金をもらい、近くのラーメン店に駆け込んだ。
 美味しいラーメンでお腹がふくれたKさんが駅前広場に戻ると、ホームレスの小父さんはまだそこにいて、Kさんを見てニコニコ笑った。
「どうだ、上手かったか?」
「うん、美味しかった。ご馳走様」
「おまえ、関西から来たのか?」
「うん。これから帰るとこ」
「気をつけて帰れよ。そうだ・・・」
 小父さんはまたポケットを探り、また小銭を出した。
「少ないけど、小遣いやろう」
「え?!」
「いいから、儂もたまには、若い者にこう言うこと、してみたいんだ」
 小父さんはKさんの手にお金を握らせ、「んじゃ、元気でな」と言って歩き去った。
 友達が戻って来た時、Kさんはご機嫌だった。
「何かあったんか?」
「別にぃ・・・」
「飯食ってこいや」
「ええねん、腹一杯やから」
「さっきは腹減った、て言うてたやんか」
「せやから、もうええねん」

 Kさんは今でも時々考える。

 あの小父さんにも息子がいたのかな・・・
 あの小父さんも旅をしていたのかな・・・