2013年3月31日日曜日

入れ替え

「ごめんね、小夜子さん。 だけど、早紀ちゃんは、一生守るからね。」
 清美は仏壇の前で手を合わせた。小さな遺影の小夜子が微笑んでいる。
 清美が飛田耕治の後妻に入ったのは、耕治の前妻小夜子が亡くなってから5年後だった。耕治との出会いが、小夜子の没後1年目だったし、付き合いだしたのも結婚の前年からだったから、耕治の二人の子供たちからも反発はなかった。
 耕治は、清美と出会う前に、家から前妻の匂いがするものを取り除いていた。いつまでも哀しみに浸りたくなかったのだろうし、子供たちにも前向きに生きて欲しかったからだ。
 清美が飛田家に入った時、家の中はすっかり改装され、家具も一新されていた。故人の趣味を知る手がかりは殆ど残されていなかった。 唯一つを除いては・・・。
 子供たち。 中学生になる娘の早紀と小学生の息子の耕太は、清美を歓迎してくれた。耕太は新しいお母さんにすぐ懐いてくれた。早紀は・・・。
 思春期の娘は難しい。清美に母親として振る舞うことは許しても、決して「お母さん」とは呼んでくれなかった。せいぜいお姉さん停まりだった。それでも、清美は焦るまいと決めた。
 小夜子の趣味を知る唯一の手がかり。それは、台所の食器だった。食器だけは、耕治も思い至らなかったのか、小夜子が揃えた物をそのまま使っていた。上品な模様と色の皿や器が棚に並んでいる。清美は、それが何故かとても重荷に感じた。
 台所。
 女の場所。母親がいる所。
 そこに、小夜子が残っていた。
 
 食器を処分する方法のヒントをくれたのは、耕太だった。台所で騒いで、皿を一枚落として割ったのだ。
「危ないじゃないの、怪我したら、どうするの!」
 清美は心から子供を案じて怒鳴ったのだが、あとで割れた皿を片づける時に、気付いた。
 そうか、この方法があるんだ。
 それから、清美は時々皿や茶碗を落として割った。ぶつけて欠けさせた。欠けた食器は姑が嫌がるからと廃棄した。そして自分好みの新しい食器を少しずつ増やしていった。
 飛田家に入って10年たった。早紀が嫁いだ。白無垢姿の彼女が、清美の前で両手をついて挨拶した。
「有り難うございました、お母さん。父をよろしくお願いします。それから、主婦としていろいろなこと、これからもどんどん教えて下さい。」
 
 母と呼ばれるのに、10年かかった。
 
 清美は、最後に一枚だけ残った菓子皿に引き出物のケーキを一切れ載せて仏壇に供えた。
 この一枚だけは、大切に残しておこう。母であることを意識し続けるために、小夜子に居続けてもらうのだ。

2013年3月28日木曜日

色の随想

 バーントシェンナと言う名前の色がある。「燃える様なシエナ」と言う意味で、イタリアのシエナの街が黄赤褐色の壁の家だけで築かれていることから生まれた名前である。
 一つの街が一色に統一されているのを見るのは、ある種の感動を呼ぶ。それはその土地の色であり、文化の色でもある。地中海の少々乾燥した風土に、バーントシェンナはよく似合う。
 もし、これが緑一色だったら、例え歴史があったとしても、初めて見る人間はうんざりするのではないだろうか。赤茶けた風景に緑の街は似合わない。オアシスではないのだから。
 オアシスの家だって、緑色はしていない。
 オーベルジーヌもとてもロマンティックな響きだけど、要するに「茄子色」。だから、「エッグプラント」と表示されていたりもする。ずばり「ナス」と書かれていることもある。
 「白」は難しい。白、ホワイト、オフ、オフホワイト、蛍光晒、無蛍光晒、乳白色、象牙色、アイボリー・・・どれも微妙に異なる。
 一番難しいのは「黒」。黒とブラックは違うって、知ってた? 素人には解らないって?? それは、誤解と言うものだよ。
 並べて見れば、素人でも違いがはっきり解るのが、黒なんだね。同じ薬品を使っても、素材で全く違う黒が出る。同じ素材でも、気温が異なれば、違う色になる。乾かす温度も影響する。
 白に染めるのは簡単だけど、黒は難しいから、一回で仕事を終えなきゃいけない。でないと、まだらな黒が生まれてしまう。
 色を創るのは、誰でも出来るよ。でも、同じ色を創り続けるのは、プロの仕事なんだね。

2013年3月24日日曜日

町工場

運送屋に聞いた話。

 個人営業のFさんは、大手と契約していて、夜間や休日の配達を代行している。地域の住人とは顔なじみだ。

 ある時、ニット工場のYニットへの日配の仕事を請けた。Fさんは、配達先の名前を見て、「おやっ」と思ったそうだ。Yニットは数年前に不渡りを出して廃 業したはずだった。何かの間違いではないかと思ったが、伝票の送り先はYニットだったし、送り主は国内最大手のT紡績傘下の染工場だ。Fさんは取り敢えず 荷物を運んだ。

 Yニットは田んぼや畑がある町外れにぽつんと建っていた。錆びた門扉を開くと、Fさんの記憶にあるままの古ぼけた工場の建物から織機の音が聞こえてきた。

「なんだ、仕事してるんだ」

Fさんは工場の中に入った。明るい屋内で、老社長が一人で機械を動かして靴下を編んでいた。

「やあ、Fさん、久しぶり!元気だった?」
「はい、お陰様で。社長もお元気そうで・・・」

確か、この工場には3人の従業員がいたはずだったが、社長しかいなかった。Fさんの視線に気付いた社長が苦笑いした。

「実は、うち、潰れたんだよ。ただ、今回どうしてもここの機械の仕事でなきゃ駄目だってオーダーが来たんで、一人で動かしてるの。まぁ、これで3人に払えなかった最後の給料を出せそうなんだ。」

Fさんは社長と少しだけ世間話をして、受け取り伝票にサインをもらって帰った。

 Fさんが家に帰って間もなく、仕事をくれた大手から連絡が入った。

「Fさん、あれ、誤配だ。Sニットカンパニーに送る荷物だったらしい。」
「え?でも、Yニットの社長さん、疑いもせずに受け取りましたよ。」
「冗談言うなよ、Fさん。」
と相手は言った。

「Yニットの大将、去年死んでるんだよ。」



 Yニットの社長の息子、Sニットカンパニーの社長、それに発注したT紡績の営業と一緒に、Fさんはもう一度田んぼの中の工場に行った。
 錆びた門扉は、Fさんが開けたままだった。工場は既に電気を止められていたので中は暗く、埃だらけで蜘蛛の巣が張っていた。
 社長の息子が窓を開けて、やっと明るくなった。

「だって、私、Y社長と電話で話をしたんですよ。」

T紡績さんは泣きそうになっていた。彼の視線は埃だらけの電話機を見ていた。

「あなたは電話だけでしょう。僕は本人と喋ったんだ。」

Fさんは恐いとは感じなかった。ニコニコしていた人の好さそうなY社長の笑顔や声が生々しく記憶に残っていた。
 Sニットの社長は機械を見ていた。

「最近誰か、これ、動かした?」
「いいえ、僕は工場を継がなかったから、ここは全然触ってないです。親父が死んでから、来たこともない。」

と息子。

「そう?でも、これ、手入れされてるよ。」

S社長は機械を撫でた。

「表面は錆びているけど、状態、良さそうだ。まだ使えるな。」

Fさんが配達した荷物がそのまま床に置かれていた。

「Yさんは不景気を乗り越えられなかったが、いい仕事をする人だった。早めに廃業していれば、心労を重ねずに済んだだろうに。この仕事が好きだったんだな。最後まで頑張って、無理して、倒産して、体まで壊しちまった。」
「化けて出ることなんかないのに。」

と息子。

「従業員は3人ともちゃんと再就職出来たし、借金もなんとか返せるめどがついたのに。」

T紡績さんだけが、まだ怯えていて、

「やっぱり幽霊だったんですかぁ?」

と言った。

FさんはY社長手書きのサインが入った受け取り伝票を出してみんなに見せた。

「Y社長は仕事が好きだったんですよ。大きな会社で働いてる人にはわからないかも知れないけど、ここはYさんの城だったんだ。」

家業を継がなかった息子が沈黙すると、S社長が言った。

「Yさん、もし良かったら、ここ、貸してもらえないだろうか? うちの会社、なんとか順調にやってる。工場を少し広げたいんだが、騒音問題やらで今の場所 では増築出来ないんだ。この建物、少しだけ手を入れて、機械は調整したらまた使えるし、そんなに経費をかけずに済みそうだ。あんたにも家賃が入る。返済の 足しになるんじゃないかな?」

Fさんはトラックを運転しながら、いろいろな噂や出来事を見聞きする。だけど、Yニットで起こったことほど不思議な出来事はない。 

垂水廉売市場の思い出

母がお気に入りの八百屋があった。

おばちゃんと息子夫婦で商売していた。おじちゃんは、よく浮気したり二日酔いで寝ていた。仕事をする時は大量に買った客の家に商品を配達する仕事をしていた。
店を切り盛りしていたのは、当然おばちゃんで、客とお喋りしておまけを付けたり、値引きするのもおばちゃんの権限だった。
八百屋と言っても果物も売っていた。
野菜も、痛んでいるところとかあれば、おばちゃんが客の目の前で葉っぱをむしったり、奇麗なものと取り替えたりしてくれた。

あのお店、まだあるだろうか?

http://www.kobe-c.ed.jp/cdo-es/gakunen/17/3nen/3nen-2.htm

初鰹

小説「南国太平記」のテレビドラマ化されたものは、人物設定やその人の運命、物語の結末やらが変えられていて、暗く湿っぽくなって、あまり面白いものではなかった。
けれど、一カ所だけ、原作にはなくてドラマだけにあるシーンが印象に残っている。
主君の仇を討つために主人公の一家は脱藩して一家離散するのだが、明日はその旅立ちの日、と言う時に、母親が奮発して初鰹を買う。当時、初鰹は一尾一両 (約5万円)する高価な魚で、主人公のような下級武士が買える代物ではなかった。家族がそろって取る最後の夕食に母親は鰹を買った訳だ。鰹は、父と母の故 郷、薩摩の味だった。そして、その捌き方を娘(夏目雅子さん)に母親が教える。包丁の入れ方、内臓の取り方等。
 ぼーっと見ていたら、横で父が呟いた。
「母親が娘に教えてやれる最後の躾やなぁ・・・」

原作でもドラマでも、母親と娘は不幸な最期を遂げる。

2013年3月23日土曜日

長鎌

彼は土手に座っていた。黒いマントの様な丈の長い服を着て、フードで頭を隠していた。手だけが妙に白く、骨張っている。
「やぁ」と声をかけると、「やぁ」と返事をした。
「もう俺の番かい?」と不安を隠して」尋ねると、首を振った。
「いや、まだずっと先だ。」
「そうか」
ホッとした。横に並んで座った。
「本当は、○○家の親爺の番なんだがね」
と彼が言ったので、どきりとした。○○家は、朝から一家で海へ遊びに出かけていた。
「それは、ちょっと・・・」
「一家でレジャーの日に、って言いたいのかい?」
と彼はぶっきらぼうに言った。
「それは、こっちの台詞だよ。順番が当たる日に出かけるなんて。」
鎌の刃がキラキラ光った。
「これは、順番なんだ。おまえさんたちが生まれる前から、親の親の代から既に決まっていたんだ。変更は効かない。変えるとなったら、かなり面倒なことになる。だから、従ってもらいたいんだ。」
「だけど・・・」
風が吹いてきて、丈が伸びた草がざわざわと波打った。
彼は空を見上げた。
「お天道様が上がってしまう前にやってしまいたかったんだがな。」
「どうしても、やるのかい?」
「ああ、やってしまわないと、後が大変だ。」
彼はすくっと立ち上がって、鎌を振り上げた。
こちらも慌てて立ち上がり、鎌に当たらないように退いた。
「もう、行けよ。」
と彼は言った。それで、歩き始めると、
「○○には、ちゃんと報いてもらいからな。」
と彼は陰気な声で呟いた。
「順番があるんだよ、何事にも。」
「ああ・・・」
相づちを打つと、彼はフードを邪魔そうに取り払った。そして、黒い雨合羽を脱いで置いた。
彼はもう一度言った。
「これは、義務なんだ、土手の草刈りは・・・」

2013年3月20日水曜日

アイデア

「嬉しいわ、来てくれるなんて!」
「貴女が、落ち込んでいるって言うから、様子を見に来たのよ。でも、元気そうじゃない?」
「うん、実は、小説のアイデアが浮かばなくて、もう作家人生も終わりかと思ったら、生きてるのも嫌になって、死のうかな、なんて考えてたら、ふとアイデアが浮かんだのよ!」
「どんな? 私、いつも貴女の作品、必ず買うのよ。粗筋だけでも教えてくれない? 絶対に本は買うから。あ、私がお茶を入れてあげる。美味しいアーモンドのお茶を買ってきたのよ。」
「ありがとう。
あのね、筋は単純なんだけど・・・殺し屋が殺人を犯すところを、偶然通りかかったクルマの人たちが目撃してしまうの。目撃者は3人で、4人目は盲目の女 性。彼らはある秘密があって、警察に通報出来ないんだけど、そのうち、一人が何者かに殺されてしまう。殺し屋の仕業だと考えた彼らは身を守ろうとする。け れど、二人目も殺される。
盲目の女性のところに客が来るの。女性なので、盲目の女性は警戒を緩めるんだけど、会話するうちに、彼女が殺し屋じゃないか、と疑いを持ち始める。ちょっとした心理合戦ね。そこへ、3人目の目撃者が来て・・・」
「それで?」
「ふふふ・・・後は作品が完成してからのお楽しみ!」
「ケチね・・・あははは、じゃ、本が出るのを待ちましょう。ほら、お茶が入ったわよ。」
「ありがとう。あら、本当にアーモンドの良い香りがするのね。貴女は飲まないの?」
「私はカフェイン絶ちしているから、いいの。私こそ、ありがとう、って言わせてね。素敵なアイデアを聴かせてくれて・・・」

2013年3月17日日曜日

おかん

 アキラは高校を卒業すると、すぐにパーマをかけた。当時、若い男性のパーマは当たり前と言うか、あててないと大人の男じゃないみたいな風潮が高校生の男子の間であった。大人から見れば、「なんでわざわざ金掛けて髪の毛をチリチリにするんかな?」と言うものだったけど。
おかんは息子のパーマを当てた髪を見て、一言、
「一緒に買いもん(買い物)行くか?」
とだけ言った。
アキラは母親と出かけることに抵抗を感じなかったので、一緒に近所の商店街に出かけた。
母親は晩ご飯のおかずを買うだけの買い物だったが、アキラが幼い子供であるかの様に、「これ、食べる?」「これ、好きやろ?」と話しかけた。アキラは適当に頷いたり首を振ったりするだけで、特に喋ることはなかった。
魚屋に来た。アキラも何度もお遣いに来た顔なじみの店だ。そこで商品を眺めていると、店のおっちゃんが声をかけてきた。
「どないだ(どうです)、このサバ、活きがええで、お嬢さん!」
アキラはぽかんとしておっちゃんを見た。俺がわからないのか?
彼は母親を見た。母親が「うちの子やんか」と言ってくれるものと期待した。ところが、おかんは、こう言ったのだ。
「あかんで、おっちゃん、こんなハイカラな頭した子がサバなんか食べるかいな」
「せやな(そうだな)、今時の女の子は魚もよう触らんしな」
おっちゃん、ガハハ!と笑った。
買い物を済ませての帰り道、アキラはおかんに尋ねた。
「なんでボクや、て言わへんかったん?」
おかんはつんとして言った。
「言わんでも、おっちゃんはわかっとう(わかっている)」
その夜、アキラは一生懸命洗髪してパーマを落とそうとした。パーマは手強くて、アキラが商店街を帽子なしで歩けるようになるのに、半月はかかった。

スペア

連休の初日だと言うのに、歯が痛くなった。困った、歯科医は休みだ。
仕方がないので、自分で抜いて、スペアの歯を装着した。

階段で足を滑らせて、落ちた。右膝の下あたりが折れた。日曜日だ。救急医療当番の病院は、遠い町だ。運ばれる間の苦痛には耐えられないだろう、と思ったので、自分で膝から下を抜いて、スペアの脚を装着した。

左肩から手まで、痺れている。病院でレントゲンを撮ってもらったが、どこも悪くないと言われた。加齢による痛みなので、適当な運動とサプリで緩和せよと言う。
腹が立ったので、帰宅すると、自分で肩を抜いて、スペアの腕に付け替えた。

頭痛がする。割れるほど痛む訳ではないが、気持ちが悪い鈍痛が続く。
どうも、頭が悪いようだ。 えっと・・・スペアの頭は・・・。

2013年3月9日土曜日

包み紙 

包み紙を捨てられないで、到来物の紙は、出来るだけ破らないように広げ、皺を伸ばして丁寧にたたみ、棚にしまい込む。それがどんどん溜まって、棚がいっぱいになって、隣の棚にも進出して来た。
綺麗な花柄の紙や、上品なデパートの包装紙、楽しいケーキ屋さんのラッピングペーパー。それが、宝物だったのだ。
 彼は、祖母がいなくなった家の中を見回した。金目の物はせいぜい仏壇の下にしまい込まれた高価な仏具程度で、そんなもの、古道具屋しか引き取ってくれないだろう。
「包み紙なんか溜めないで、お金を貯めてくれれば良かったのに。」
彼はため息をついた。
家を解体するなら、壁や柱ごと潰していまいましい紙を捨て去るのだが、まだ建物は綺麗だし、交通の便の良い場所にあるので、貸して欲しいと言う人がいて、解体費を使うよりは、家賃をもらう方がましなので、掃除をしなければならない。
 祖母はこぎれいに住まいしていたので、家は綺麗だった。台所も寝室も片づいていたし、仏間もすっきりしていたし、浴室はちゃんと換気されていた。トイレも清潔だ。不動産業を営む友人の鑑定では、中古物件として良質で、月に7万円の家賃でも安い方だと言う。
 家具や食器は既に運び出し、後は作りつけの棚にぎっしり押し込まれた包み紙の始末を残すのみとなっていた。
「どうすんの、これ?」
手伝いの友達が呆れていた。
「新聞紙や段ボールならリサイクルで引き取ってもらえるけど、包装紙だろ? 捨てるしかないんじゃない?」
「焼いちゃえば?」
「駄目だよ、ダイオキシンとかなんとかで、苦情がくるよ。」
「面倒だね。取りあえず、外に出そうよ。」
三人で紙を出して紐で縛る。それを10数回繰り返した。
「すごい執念だね、ここまで集めるなんて。」
「うん、我が祖母ちゃんながら、鬼気迫るものを感じるよ。」
包装紙の山が18個もできた。
塗装工をしている友人が、ガレージの隅に置かせてくれると言うので、預けた。

 その夜、塗装工の友人から電話がかかってきた。大変なものを見つけたので大至急来い、と言う。昼間の労働でくたくただったが、彼は出かけた。
友人はガレージのシャッターを閉じてから、見つけたものを見せてくれた。
それは古い聖徳太子の一万円札の束だった。
「なに、これ?」
「おまえの祖母ちゃんの遺産だよ。」
「え?!」
友人の説明によると、彼の妹がちょっと物を包む物を探して、預かり物の包装紙の束をめくっていたら、一枚のお札が出てきた。もしやと思い、その束をほどくと、どの紙にも一枚ずつお札がはさんであった。
「これ、一束で50万あった。全部で18個だよな?」
彼は友人の言葉を震えながら聞いていた。
祖母の遺産は、紙だった。包装紙とその間のお札。
「なぁ、一割あげるから、全部ほどくの、手伝ってくれないか?」
「一割ももらっちゃ、悪いよ。いくらになると思うんだ? もし全部にお金が入っていたら、一千万近くになるぜ。」
「だけど、落とし物の謝礼くらいはしなきゃ・・・」
友人はほがらかに笑った。
「それは、取らぬ狸の皮算用。先にお金を探そう。それから決めようや。大した労働じゃなかったら、飯を一回おごってくれりゃいいさ。」
一晩かかって、967万円が出てきた。彼は友人に、50万円の謝礼を申し入れ、友人もそれを快く受けた。
「だけど、おまえ、俺がおまえに電話する前にいくらかポッポに入れたなんて、疑わなかったの?」
「入れたの?」
「まさか!」
「だろ? おまえを信用してるよ。」
彼は、一枚の紙を自分のポケットに入れた。
それは、10番目の束の中で見つけた、祖母の手書きの覚え書きだった。変色して黄色くなった紙に茶色になったインクの文字が、こう言っていた。


これを見つける人が私の相続人以外の人であり、その人が私の相続人に正直にお金を渡してくれたなら、私は子孫に信頼と言うものを相続させることが出来ると思うのです。 

2013年3月6日水曜日

カバ田さんの訃報

 その日、全国の新聞の第一面を見た人々は、「え?」と思った。
第一面一杯に一人の女性の笑顔の写真が掲載され、上に大きく横抜きで「カバ田さん逝去」と書かれていた。
ごま塩頭の髪はパーマをかけられて、綺麗に波打っていた。額にも目尻にも皺が刻まれ、団子鼻をふくらませ、口を大きく広げて楽しげに笑っている写真。口の中には、あれは、金歯か?
 首に巻いているのはスカーフと言うより手ぬぐいみたいだ。くたびれた襟首のセーターは、それでも清潔そう。
 なんだか懐かしい印象を与える、市井のおばちゃんの笑顔だった。
 だけど・・・だけど・・・

 新聞各社には電話が殺到した。

「カバ田さんって、誰?」

 新聞社にも答えられなかった。掲載した編集者たちも記者たちも答えられなかった。何故だか知らないけれど、どこからか写真が送られて来て、誰も何もわからないまま、「載せなければ」と言う使命感を覚えてしまった、と言うのが真相だった。

 この現象をその日、各テレビ局が取り上げ、論議した。
カバ田さんとは何者なのか。
誰が新聞社に彼女の写真を送ったのか。
一体何の目的でそんなことをしたのか。
これは、新手のテロなのか。
ただの愉快犯か。

 みんなが見落としていた。
 その同じ日の新聞の社会欄、片隅に小さく載っていた記事。

 <国民から、「庶民」意識が消える。>
 ○○誌が全国の読者対象に独自のアンケート調査を行ったところによると・・・。

2013年3月3日日曜日

ささいな・・・

タローはいつもテーブルの上にパン屑やらおかずの欠片やらご飯粒を散らかすので、母親から叱られていた。
「もう、いい大人のすることじゃないでしょ! そんなだから、30にもなって嫁が来ないのよ!」
食事のマナーと嫁が来る来ないは関係ないだろう、とタローは思った。(あるかも知れないが)
食事の度にガミガミと口うるさく言われるので、いい加減嫌になる。
母親はタローが定職に就かないのも不満なのだった。
「フリーターなんて、職業じゃないでしょ! ちゃんと学校出してやったんだから、どこかの会社に籍を置きなさいよ!そんなだから、嫁さんが来ないのよ!!」
就職と嫁は関係ないだろう、とタローは思った。(あるかも知れないが)
それに学校を出たのは、タローの成績が卒業資格を取るのに十分だったからで、母親が試験を受けた訳じゃないだろう。(でも、塾の月謝や学費は誰が払ったんだ?)

つまらないので、食事を終えると、タローは外へ出かけた。
いつものパチンコ店で無駄に時間を潰し、一円も勝てずに外へ出ると、よく隣り合わせに座る老人が声をかけてきた。
「兄さん、願いが叶う石、要らんかね?」
タローは興味がなかったが、老人はただでやる、と粘った。
見ると、何の変哲もないただの泥岩の欠片だった。
「これの、どこが願いが叶う石なんだ?」
「ワシもよくわからん。友達からもらったんだ。一人一回限りで願いを叶えてくれる石だって。」
「小父さんは、もう叶えてもらったのか?」
「うん。今日、大当たり出した。」
タローは思わず声をたてて笑ってしまった。馬鹿馬鹿しいと思ったからだ。
「そんな石なら、他の人にあげれば喜ばれるじゃないか。」
「ワシはあんたにあげたいんだよ。あんたは今日、幸せそうに見えなかったから。」
「うるせいや!」
と言いつつ、タローは老人への「親切のつもり」で石を受け取った。
「願いは、どうやってかけるんだ?」
「ただ握って思うだけさ。」

老人と別れて近くの公園に行った。
ベンチに座ってタバコを吸いながら、ぼんやり将来のことを考える。
面倒くさいな、とタローは思った。花壇に上を舞う蝶々を見ながら、あんな風に蝶々になって暮らしたら気楽だろうな、と思う。虫に生まれたかったな。

タローの母親は、買い物を終えて、足早に公園を横切る。
今日は午後からスーパーのレジのパートだ。同僚の中で一番年上で、そろそろクビを言い渡されるかも知れない、と思いつつ、それでも生活の為に頑 張っている。全て、あのどら息子のせいだ。 まったく、あんな子を産むんじゃなかったよ、と彼女は毒づく。息子を置いてどこか遠くへ行ってしまいたいもん だ。今からでも遅くはないかも知れない。
そして首を振る。いや、馬鹿でも我が子だ。見捨てる訳にはいかない。
彼女は何かにつまずいて転倒した。
手をついて、どうにか地面にまともに倒れずに済んだが、買ったばかりの卵が落ちて割れた。
「もう! 全部あのどら息子のせいだわ! あんな子、消えてなくなればいいのよ!」
心にもない悪態だった。ただの憂さ晴らし。彼女は手をついた時に握ってしまった小石を捨てた。

タローはそれっきり戻らなかった。母親は一人でどら息子を待ち続けるだろう。
家の軒先の蜘蛛の巣から、命を吸い尽くされた蝶々がぶら下がっている。

賞味期限

「最近、食品の賞味期限を誤魔化してラベルを貼り替える事件が多いね。」

杉山教授はにやにや笑いながら、学生たちを教壇から見回した。見下ろしたいのかも知れないが、階段教室なので、学生たちの位置の方が高い。

「賞味期限が消費期限と同じではないが、これは誠意の問題だからね。消費者に嘘をついてはいけない。
 これと似た話だが、30年余り前、私は見合いをした。写真の女性はふくよかで美しい人だった。
私は、会ってみたいと思った。男だったら、美人に会いたいと思うだろ?
あ~、同性に興味がない男だったら、と言うべきかな?
兎に角、私は写真の彼女に一目惚れした訳だ。
仲人をたてて、料理屋で見合いをした。現れた女性を見て、私はびっくりした。
かなり歳をくっていたからだ。
だが、写真の人には間違いなかった。
私は思わず、自己紹介よりも先に質問してしまったよ。
お見合い写真を撮られたのは、何年前ですか? とな。」

杉山教授はフッと笑った。

「見合いをした時、彼女は25歳だった。写真は成人式の時に撮ったのだそうだ。お肌の曲がり角を曲がってしまっていたんだな。
しかし、私もそのことで彼女を責めることは出来なかった。
私は、鬘を被っていたんだ。」

教授は、ピカピカの頭頂部を手で撫でた。

「私の髪は20代半ばから、消費期限が切れてね・・・。
ところで、彼女と私は、今も一緒に暮らしている。
男と女の消費期限も切れたが、人生の伴侶と言う賞味期限はまだ有効なんでね。」

仙人と雲と竜と

 冬の早朝、職場に向かって車を走らせていると、前方の山に薄い雲がかかっているのが見えた。
 遅い紅葉でまだ赤い山の斜面に、白い雲が細長く巻き付くように浮かんでいる。何かに似ているな、と思っていると、助手席の娘が、叫んだ。
「ママ、竜が飛んでるよ!」
 なるほど、そうか。
「ほんとだ! 竜だね♪」
「竜さん、これから朝ご飯なのかなぁ」
「・・・かなぁ?」
「竜は何食べるの?」
「う~ん、山の竜だから、ドングリかなぁ・・・」
 車が走るのに合わせるかの様に、雲は次第に上昇して行く。
いや、存外上空にあるのだが、離れていると低く見えていただけかも知れない、などと理科に弱い母親は思う。
娘は喜んでいる。
「うわぁ! 竜が天に昇って行くよ!」
そのうちどんどん雲に近づき、雲の竜はずんずん上昇して、遂に頭の上の空に消えて行った。
「凄いもの、見ちゃったねぇ!」
娘は楽しそうだった。

その夕刻、保育園に迎えに行くと、脳天気な娘は、目を輝かせて車に乗り込み、こう切り出した。
「あのね、園長先生って、仙人なんだよ。」
「え! そうなの?」
「だって、今日、雲を出して、フワフワ飛ばしていたもの。」
何かスモークでも炊いたのかな?
「その雲は冷たかった?」
「わかんない。窓から見てただけだもん。お庭でね、先生が雲を出して、フワフワさせて、広げて、お花の上に掛けてたんだ!」

翌日、娘を保育園に送り届けた後、そっと園の裏手の花壇を見た。
予想通り、霜よけの不織布が掛けられていた。
「暖冬で、予想外に早くアネモネが芽を出してしまったんですよ。
春に子供たちに見せる前に枯れては可哀想ですからね。」
園長はそう言って、笑った。仙人になるには、まだ若すぎる40代の女性だった。