2012年10月27日土曜日

サンドールの野を愛す マイケル

マイケル・M・マトリーは、生まれたときから、ころころ太っていた。小学校に上がる頃には、文字通りマトリーの犬(和名・ケンケン)みたいな体型だっ た。太ってしまうと、子供はあまり動かなくなる。動かなければ、また太る。友達にからかわれる。遊ぶのも面倒になる。更に動かない。マイケルは自分でも嫌 になっていたが、ただ太るだけだった。
 マイケルには、ささやかな趣味があった。学校からの帰り道、地面に残った動物の足跡を辿ってみることだ。それが鹿だったり、ウサギだったり、牛や馬、 犬、時にはコヨーテだったり、と足跡には不自由しなかった。寄り道している動物、立ち止まっている所、水場、何かに驚いて飛び跳ねた痕、これは遊んでいた 跡、と彼はいろいろと分析もしてみた。
 それは野原の中の一人遊びだったので、友達も親もマイケルが追跡ごっこをしていることを知らなかった。
 雑貨屋のゴールドスタインの孫娘が行方不明になった時、警察は5歳の女の子を捜しあぐねた。考えつく所、小川や納屋や牛小屋や学校や・・・ありとあらゆ る場所を捜索したが、少女は見つからず、明日は犬を使おう、と話し合っているところに、トワニが来て、「子供を捜すには、子供に聞くのが一番さ」と言っ た。どの子供だ、と保安官が尋ねると、彼は捜索隊の一人を指さした。
「あんたの息子だよ、ジョン・M・マトリー」
 なんだかわからぬまま、大人達はジョンの家に行き、マイケルにゴールドスタインの孫娘の居場所を知っているか、と尋ねた。勿論、マイケルは知らなかったし、少女の足跡なんか何処にもなかった。
 だけど、マイケルは思い当たるところがあった。
「お店の屋根裏を誰か覗いたの?」
 雑貨屋の店舗の屋根裏部屋は倉庫になっていて、普段は入り口に鍵が掛かっていた。しかし、二日前、その鍵が壊れて梯子を昇って行った所の扉が半開きになっているのを、何人かの客が目撃していた。
「屋根裏にいたら、すぐに降りてくるだろう」
と言いつつも、ゴールドスタインは、そこを探さなかったことを認め、梯子を昇って行った。
 少女は隅に置かれていた古いトランクの中に入り込み、出られなくなっていたのを発見された。危ういところだった。
 後に、何故屋根裏に少女がいるとわかったのか、と訊かれてマイケルは、梯子の中段に少女の服のレースが千切れて引っ掛かっていたのを見たのだと言った。大人達は彼の観察力に感心した。

  *  *  *

「保安官、ハーパーさんから電話がありました。また鶏泥棒が現れたそうです。今度は足跡が残っているそうですよ。」
「その足跡はキツネだって言ってなかったか?」
「多分キツネだろう、て言ってました。巣穴まで追跡したいので、保安官にも手伝って欲しいって。」
「どうして、キツネごときに、警察が出動しなきゃいけないんだ?」
「だって、他にお仕事、ないじゃありませんか」
 秘書の皮肉に、肩を竦め、マイケル・M・マトリー保安官は重い腰を上げた。
 キツネの鶏泥棒逮捕では、減量作戦にもならない、と思いつつ・・・。
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2012年10月26日金曜日

サンドールの野を愛す ジョーイ



ジョーイ・グレイホースは居留地に生まれた。家の貧しさに嫌気がさし、高校を卒業すると軍隊に入った。喧嘩っ早い性格で問題の多い兵隊だった。除隊後、 職がなく、酒に溺れる毎日を過ごした。典型的なアル中のネイティヴだった訳だ。彼の叔父は年長者の忠告に耳を貸さぬ甥を案じて、トワニに相談した。
居留地の人々はトワニを「冬を数えるのを忘れた人」と呼んでいる。歳を取らない人って意味で、魔法使いだと信じているのだ。
勿論、トワニは魔法なんか知らないし、どうすれば若い不良インディアンを救えるのか、わからなかった。彼はたまたま目にした新聞記事に注目した。

「平原レインジャー募集。 サンドールにレインジャー養成学校が建設されることになり、支部も同時期に設置される」

トワニはバーに行き、そこではいつもジョーイ・グレイホースが飲んだくれていたので、まだ酔っぱらう前の彼に新聞を見せて言った。
「レインジャーって、土地を知り尽くしている人間でないと務まらないよな。 それに土地を愛していて、規律を守ることをちょっぴり知っている人間でなければ・・・」

翌日、ジョーイはバスに乗って州都のレインジャー本部へ出かけて行った。そのまま養成学校に入学してしまったのだ。
10年たった今、ジョーイ・グレイホースはサンドール支部長で、住人の信頼厚く、マトリー保安官にとっても頼もしい仲間だ。
ジェイクにとっては、彼が片思いしているアリーがジョーイと気が合うのが、気に入らなかったけれど。

2012年10月20日土曜日

サンドールの野を愛す  ジェイク



果てしなく続く牧草地。そのずっと向こうに見えるのは青い丘陵。こちら側は小高い山の連なり。その麓の町、サンドール。
ジェイクは誇りを持って、目の前の風景を眺めた。
故郷に帰って来たのは、親の葬式以来だから、もう30年ぶりだろうか。景色はちっとも変わっていない。遠い記憶の中のままだ。

地元の高校を卒業すると、彼は町を出た。どんなに素晴らしい町でも、若者には退屈な場所でしかなかったからだし、仕事だってそんなに選択肢がなかった。 だから彼は西海岸の都会へ出た。そこで警察官をしていた。仕事はきつかったけれど、面白かった。彼は仕事に夢中になり、気が付くと妻が家を出ていった。二 度目の妻は結婚して数年で病没した。それ以来、彼は家族を持たず、仕事だけを生き甲斐にしてきた。そんな生活も数ヶ月前、突然終わった。
定年を迎えたのだ。

再就職を断り、年金だけで生活する。独り身だからやってこられたけれど、心にぽっかり空いた穴を埋めるには、何も役に立たなかった。運動も奉仕活動も酒も。
なんとなく生きるのがしんどくなってきたある日、行きつけのバーで隣に座ったのだ、トワニが・・・。

「やぁ、ジェイク、久しぶり。元気かい?」

サンドールのトワニが何故都会の場末のバーに現れたのか、ジェイクはその時わからなかった。ただ、トワニだったら、何処に現れても不思議でないと思っ た。だって、トワニはしょっちゅう旅に出ていたから。サンドールに訪問者があって、その人物に正体を知られたくないと感じたら、トワニはいつも数ヶ月から 数年の旅に出てしまうのだ。だから、その時も、そんな旅の途中に偶然出会ったのだと思った。

二人で世間話をした。ジェイクは己の近況を話した覚えはない。誰にも惨めな現在を話したくなかった。そして、トワニがこれから夜行バスで帰るのだと言った時、ターミナルまで護衛のつもりで付いていった。バスに乗ろうとして、トワニが言った。

「屋根の修理をしなきゃいけないんだ。冬が来るまでにやってしまわないとね。手伝ってくれるかい?」

何故だかわからないが、ジェイクは嬉しくなって、「ああ、いいよ」と答えてしまった。そして気が付いたら、そのまま一緒にバスに乗っていた。
トワニの小屋は、屋根ばかりか、井戸も棚も納屋も修理が必要だった。ジェイクは泊まり込みで働いた。一週間が過ぎ、一月たち、冬を越し、春が来て・・・。

トワニは俺を助けに来たんだ。

ジェイクは今確信していた。あのまま都会に残っていたらどんどん駄目になっていく俺を、サンドールで生き返らせようとしてくれたんだ。だって、ここで体を動かして働いていることが、町の住人と語らうことが楽しくて仕方がないのだから。
そして、昨日夕食の時にトワニが、

「俺の小屋は古いからね、次から次へと修理が必要な個所が出てくる。悪いが、このままここで暮らして手伝ってくれよ」

と言ってウィンクした。もう実家すら残っていない彼に・・・。

2012年10月14日日曜日

サンドールの野を愛す ジェイコブ

ジェイコブ・ゴールドスタインは、ユダヤ人以外の何者でもないこの名前が嫌いだった。
サンドールは人口が少なくて、一番多いのが近くの居留地から来るネイティヴで、次がアングロ・サクソン系、アイルランド系。ラテン系やアフリカ系はとて も少ないか、いないかのどちらかで、(曖昧なのは、長距離トラックが往来する道路際のドライブイン周辺で、移動式住宅に住んでいる連中がいるからだ)ユダ ヤ人は雑貨屋を営むゴールドスタインの一家だけだった。特に差別を受けた記憶はないものの、バーでユダヤ・ジョーク(ユダヤ人をステレオタイプ化したも の)を聞かされたりすると、酷く哀しく思えた。家業が雑貨屋と言う商売なのも、ユダヤだから、と言う気がして、親が疎ましく思えたこともあった。
とは言うものの、小さな町で職業選択の幅は狭く、ジェイコブは高校を卒業すると店を手伝うことにした。ゴールドスタイン家の財力を考えれば、大学進学が無理なことはなかったが、彼は勉強嫌いだった。

ある日、ジェイコブが一人で店番をしていると、トワニが来て、カーテン用の布地を熱心に品定めし始めた。ジェイコブはキリストより長生きしているその男に話しかけた。
「トワニ、あんたは、俺の先祖に会ったことがあるかい?」
トワニはチェック柄の布を手に取りながら、振り返らずに質問を質問で返した。
「それは、死海のほとりに住んでいた人々の意味?」
「死海でも、ロシアでも、ドイツでもいいさ」
「君の先祖はドイツには住まなかったよ」
「そうかい?」
「ずっと黒海周辺にいたんだ」
「いつ頃の話?」
「15世紀頃まで。それから北上してバルト海沿岸からロシアに入った。革命の直前に、生活が酷くなって、この国に移民してきた」
ジェイコブは感心した。
「まるで、見てきたように言うんだね」
「そうかい?」
トワニはショルダーバッグから一冊の本を出した。
「昨日、図書館で借りたんだ。君のお爺さんが同級生たちと共同で書いたサンドール史だよ。それぞれが、先祖の話にも言及している。君は、お爺さんから昔話を聞かなかったのかい?」
ジェイコブは赤くなった。彼は、老人の昔語りが鬱陶しくて真面目に聞いたことがなかった。
「それじゃ、君は俺の先祖には会わなかったの?」
「世界は広いんだよ、ジェイコブ、どうして君の先祖と会わなきゃいけないんだ? 俺はナザレのイエスにもマホメットにも会ったことはないよ。」
トワニは淡いベージュとグリーンのチェック柄の布に決めて、適当な長さに切ってくれるよう、ジェイコブに頼んだ。ジェイコブが代金を計算して、値段を告げると、彼はポケットを探り、紙幣を数枚出した。
「1ドル足りないや・・・ジェイコブ、サービスで1ドルまけてくれないかな?」
「駄目、駄目」
ジェイコブは勝手な値引きは後で親に叱られると心配して手を振った。
「1セントでもまけられないよ、俺の一存ではね」
「お金には、固いなぁ」
トワニが渋々ポケットの小銭全部を出して1ドルかき集めると、ジェイコブは笑った。
「ユダヤ人だからね。毎度ありがとうございます!」

2012年10月9日火曜日

サンドールの野を愛す ディック

東部の田舎町を歩いていた時のことだ。 いきなり何かにぶつかった。

思いっきり額を硬い物にぶつけちまった。目から火が出て、一瞬くらっとなった。
 倒れかけて、何かにもたれかかった。ひやりとして、がっしりした物。太い木の幹の感触だった。

 目を開いてみると、そこには何もなかった。
何もないのに、俺は何かにもたれかかっていた。ぶつかったのも、そいつなんだ。
 俺は手で探ってみた。一抱えもある太い木の幹だ。だが、目に見えない。
こいつは、何だろう。
 手で探ったまま、一周してみた。

 村の広場の真ん中に、見えない大木が立っている。
 かなり高いし、一番下の枝は、背伸びしないと届かない。 広場には、そいつがあることを警告するような目印は一切なかった。

 歩き出して、すぐに車がすれ違った。振り返ると、車は木があった場所を迂回して走り去った。この村の住人は、こいつの存在を承知しているに違いない。

 村はずれにダイナー(食堂)があったので、入ってみた。カウンター席に座り、コーヒーとアップルパイを注文してから、店を切り盛りしているご婦人に話しかけてみた。

「あの広場の真ん中に、見えない木が立っているんだけど・・・」
 すると女性は皿洗いの手を止めて、こっちを見た。
「ぶつかったの? 額に瘤ができているわ。」
「うん、見えなかったんで、思い切りぶつかったんだ。」
「気の毒に・・・」
 彼女は氷を包んだハンカチを渡してくれた。
「これで冷やすといいわ。」
「有り難う。ところで、あの木なんだが・・・」
「あれは、ディックよ。」
「ディック?」
「古い樅の木なの。」
「見えないけど・・・この村の住人には見えているのかな?」
「ええ、見えているわ。心の中でね。」
「心の中で?」
「もう、いないのよ、ディックは。」
「・・・」
「10年前に、選ばれて、切られて、都会に運ばれて行ったの。都会の中心に、クリスマスツリーとして飾られて、一生を終えたのよ。
あそこに立っているのは、ディックが生えていたと言う、この村の住人の記憶と、ディック自身の霊なのでしょうね。毎年、この季節だけ、あそこに立っているの。私たちは、思い出すわけ、ここに、かつて実に立派な樅が立っていたって。」

 食事を終えて、もう一度、広場に戻った。
見えないまま、やはりディックはそこに立っていた。
 そっと幹を撫でてやった。飾り付けられて、世界の中心を自負する都会で立っているよりも、このひなびた田舎町でいつまでも住人に見守られていたかったに違いないのに。立派過ぎた為に。
「君はこの町を、ここの住人を愛しているんだね。いいとも、このまま、何十年、何百年と、ここに立ち続けるんだ。君がここにいる限り、この町の人々は木を愛し続けるだろう。木を愛す人は他人にも優しくなれるだろう。
君はこの町の柱なんだ。」

 ---ジェイク・スターマン著「トワニに聞いた話」より---

サンドールの野を愛す クリスマス

キリストより先に生まれた人間には、キリストの誕生日を2千年たった後の時代のベツレヘムから遠く離れた土地で祝っているのが可笑しく思えた。だけど、この日は離れていた家族が集まって絆を確認したり、友達と友情を温め合う日なのだ、と考えたら、大切な行事なのだろう。

  トワニはサンドールと言う街が出来てからクリスマスを一人で過ごしたことがない。毎年誰かが食事に招待してくれたからだし、彼等が本当に彼に来て欲しがっ ていることがわかったから。だけど、体は一つだけなのだから、みんなの家を全部訪問することは無理で、それで住人は集会所で町全体のクリスマスパーティー を開いて彼と新年を祝う習慣を作った。

 トワニ個人が自宅でクリスマスを祝ったのは、捨て子を拾って育てていた時と、ジェイクが同居することになってからのことだ。

  今年は、いつもより少し賑やかだった。アリーが加わったから。彼女もキリストより早く生まれ、キリストより早く死んでいたので、クリスマスと言う物を教え なければならなかった。アリーは、多分、本当に理解した訳ではなかっただろうが、スーズィの指導でプレゼントを買ってきた。暖かい手袋を男二人に。彼女の 趣味じゃないとわかったが、トワニは有り難く受け取った。これは最初のプレゼントと言うより、練習だ。

 トワニは彼女にナイフを、ジェイクにワープロを贈った。高価な贈り物にジェイクは驚きを隠せなかった。トワニは小説家として第二の人生を歩き始めた友に言った。
「我が家の稼ぎ頭に、もっと書いてもらいたいからね」

 ジェイクは照れ笑いをしてから、ちょっと躊躇って自分のプレゼントを出した。
「俺のは、金がかかっていないんだ。生活の役にも立たないんだよ」

 それは、原稿だった。ジェイクが日々書きためていた詩集だった。
トワニは胸がいっぱいになった。

「君は、俺に心をくれるんだね」

 彼は不覚にも涙をこぼした。アリーが不思議そうに尋ねた。
「何故泣いている?」
「嬉しいからだよ」
 トワニは立ち上がって、坐っているジェイクを抱き締めた。

「有り難う、ジェイク。 これで、俺はこの先もずっと君と一緒にいられるんだ。」

 ジェイクも、気が遠くなる程長い時間を生きている友人を抱き締め返した。

「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ。ここからいなくなっても、俺はあんたと一緒にいられるんだね。」

 人はいなくなっても、心が込められた言葉は残る。

2012年10月8日月曜日

サンドールの野を愛す アリー

アリーは本当はアリーと言う名前ではなくて、真の名前を持っている。でも誰にもそれを教えるつもりはない。何故なら、その名前を持っていた人間は、 3500年前に死んでしまっていて、ここに、サンドールの町でトワニとジェイクの小屋に住んでいる女性は、科学者たちが氷河の中から掘り出して最先端の科 学技術で生き返らせた、別の人間だからだ。

 科学者たちは彼女が研究施設から逃げた時、慌てふためいた。現代のルールに無知な古代人が何をやらかすか、わかったもんじゃなかったから。だけど、彼女は聡明で自分が置かれた状況を理解するのに時間をかけず、身を守るには現代人になりきることだと判断した。

  トワニは彼女の本当の部族もその歴史も知らなかった。3500年前は、情報が伝わるのが遅かったし、死滅した部族のことを伝える物も人もいなかったから だ。地球上から永遠に消えてしまった民族。彼女と同じ時代を生きていたはずなのに、彼はその時代の思い出を共有していなかったことを残念に思った。せめて 噂だけでも聞いていたならば、彼女と「思い出話」などをして、慰めてあげられただろうに。

 アリーは現代人のルールをどんどん学習していったけれど、どうしても理解出来ないことはいっぱいあった。
「どうしてテレビの中に人がいる?」
「無線機から聞こえてくる声は空気を伝ってくるとジェイクは言う。では、どうして空気は煩くないの?空気ってなに?見えないのに、どうして、ある とわかるの?」
 そして、一番の疑問。
「何故、私はここにいる?」

 トワニは何も答えられない。そして彼女が平原を眺める時、それは3500年前の世界を見ているのだと、わかるだけだった。

「アリーを理解出来るのは、あんただけだよ、トワニ」とジェイク。
「違うね」とトワニ。
「俺はずっとこのままだ。過去から未来まで、ずっと俺の時間は繋がっている。だけど、彼女の時間は一度途切れた。全てがそこで終わった。
今いる彼女は、今生まれたんだ。彼女はこれから歳を取っていく。君と同じ時間を生きるんだ。そして君たちは俺の前から、いつか消えていく。俺を残してね。俺は君たちの時間の観念を永久に理解出来ない。
 彼女は君の世界の人間なんだ。君が彼女を理解してやれるんだよ。」

 ジェイクは、永遠に一人のトワニが愛おしい。サンドールの友人であり父であり兄である不思議な男が。

サンドールの野を愛す アイラ

アイラがもう直ぐ逝ってしまうとスーズィ先生が無線連絡してきたので、トワニは大急ぎで町の中心にある古い集合住宅に行った。
一人暮らしのアイラの部屋 は、質素で片づき過ぎるほど片づいていた。アイラは自分が永くないことを知って、準備していたのだろう。
二間しかない部屋の、小さな寝室で老人はベッドに 横たわっていた。付き添っていたスーズィと隣人たちは、トワニが入室すると、アイラの耳元に囁きかけた。

「来てくれたわよ」

 アイラは閉じていた瞼を開いて、ドアの方に顔を向けた。トワニが「やぁ」と言うと、彼も「やぁ」と返した。付き添っていた人々は寝室から出て行き、静かにドアを閉じた。

 トワニは医師が掛けていた椅子に腰を下ろした。二人は暫く無言で見合っていた。それから、アイラが口を開いた。

「一つだけ、心残りがあるんだ」
「何?」
「アイリーン・マッカーディを覚えてる?」
「ああ、綺麗な人だったね」
「儂は毎朝マッカーディの家に牛乳配達していたんだ。奥さんのアイリーンは親切で、時々儂に朝飯を食わせてくれたり、新聞を見せてくれた。儂に字を教えてくれたのは、彼女だったんだよ」
「彼女は学校を出ていたからね」
「素敵な女性だった。聡明で美しくて優しくて・・・黒人の血を引く儂に親切にしてくれた唯一人の白人の女の人だった。儂は、無理矢理用事を作っては、帰る時間を遅らせて彼女とお喋りした。朝が楽しかったよ」

 トワニは頷いた、アイラが話しているのは、70年も昔の出来事なのだ。70年間誰にも言わずに心の奥に秘めていた初恋を打ち明けていた。

「彼女は金持ちの奥さんで白人だった。儂には手の届かない人だった。だから儂は、サンドールを出た。彼女と一緒にいると、どんどん苦しくなって、あのままだと、彼女をどうにかしてしまいそうだったから。
 20年たって戻ってきたら、彼女は死んでいた。儂は一度も墓参りをしなかった。あんなに親切にしてもらったのに、墓前で礼の一つも言わなかった。
 だから、トワニ、儂が死んだら、儂の代わりにアイリーンの墓に花を供えてやってくれないか?」
「ああ、いいよ」

 アイラが毛布の下から出した手を、トワニは握った。

「俺も、一つ君に伝えるのを忘れていたことがあるんだ。俺はアイリーンの最期にも立ち会ったんだよ」
「そうだったのか・・・穏やかな最期だったかい?」
「うん、安らかに微笑んで逝ったよ。」

 アイラが微笑んだ。

「あの世では、肌の色を気にせずにつき合えるよな?」
「当然さ。俺はもう行くよ。隣の友人たちを呼び戻してくるから」

 トワニは彼の手を毛布の中に戻してやった。立ち上がってドアまで行ってから、立ち止まって振り返った。

「そう言えば、アイリーンは最後にこう言った・・・黒い肌を流れる汗の輝きほど美しい物を見たことがなかった、って。誰のことを言っていたのか、あの時はわからなかったけど、あれは君のことだったんだな。」

 彼と入れ替わりに入ってきた隣人たちは、老人がベッドの上で笑っているのを見て、「これから亡くなる人が、なんと幸せそうな声で笑うのだろう」と思ったそうな・・・。

2012年10月6日土曜日

サンドールの野を愛す 序章

サンドールはアメリカ西部の何処かにある町。
 牧畜とそれに付随するささやかな産業しかない小さな町。何処にでもいる平凡な善良な人々。ああ、多分アメリカで一番平和な町じゃないかな。

 だって、ここには彼がいるもの。

 彼が何処から来たのか、誰も知らない。だって、最初にサンドールの住人が町を造った時、もう彼はそこにいたから。彼は僕らに混ざって働いて、飲んで騒いで歌って眠って・・・もう何年何十年とここにいる。
町が出来て140年? じゃぁ、彼は140年いるんだよ。

   彼はサンドールの町そのものかも知れない。
住人は子供が生まれたら、彼に最初に見て貰いたがる。名付け親を頼む人もいる。彼は赤ちゃんの子守をしたり、 子供たちの遊び相手になったり、もっと大きくなった思春期の少年少女たちの相談相手になる。
子供は大人になると、暫く彼のことを忘れるんだ。生活に忙しい からね。だけど、ある日、ふと寂しくなったり、人生に躓くと彼のことを思いだして、町外れの彼の小屋へ行って、彼が薪割りしたり大工仕事をしているのを眺 める。彼は別に人生の指南なんかしないんだ。ただその日やるべきことをやっているだけ。それを見た人が何かを思い出したり、学んだりして、気持ちの整理を つけて家に帰る。

 年寄りは彼に昔話を聞いてもらうのが好きだ。彼は何時間でも同じ話でもちゃんと耳を傾けてくれるからね。
だけど、僕は知ってる。
彼にとって、老人の昔話は、「最近の出来事」なんだってことを。

 もし、彼に会いたかったら、サンドールへおいでよ。
 晴れた日には、野原へ行くといい。
 草の上に、歳を取ることを忘れた、永久に19歳の姿のままで生きる彼が座って草笛を吹いているから。

 彼?

 トワニ 

って呼ばれてるんだ。