2012年12月8日土曜日

小さなギリシア

「折角神戸の大学にいるんだから、世界の料理食べないと、損だと思わないか?」
と栗山先輩が言った。小田先輩がニヤニヤしながら、
「世界中を歩き回った男が、今更何を言うか」
と突っ込んだが、結局教授も巻き込んで一回生から四回生まで研究会の会員10名に留学生二名、部屋のメンバー全員で神戸で唯一軒のギリシア料理店に出かけた。

 名前を「ギリシア村 Greek Village」と言った。 船乗りだったギリシア人のオーナーが、陸に上がって開いた店。常夜灯の様な赤暗い照明に、テーブルの蝋燭の灯りが、古いビルの中だと言うことを暫し忘れさせた。入り口のクロークで持ち物一切を預ける。
 Tシャツにジーパン、どた靴の貧乏学生の団体に、白人のウェイターが頭を下げた。店員は全員白人だった。本物のギリシア人なのかどうか、詮索する客はいなかった。

 料理は、前菜からして物凄い量だった。正直、前菜で満腹してしまったが、生まれて初めてのフルコースだったので、意地で食べた。テーブルマナーは隣のエレーナを見よう見まねで・・・。
教授がブラジル旅行でアマゾンの洪水に遭遇した話をしていた。しかし、こちらは、食べるのに精一杯で、感想を述べる余裕はない。教授のお相手は先輩に任せた。
 前菜の後はスープ(フレンチの様な上品な量ではない!)、魚、サラダ、と続く。テーブル中央の大きな篭にはパンが山盛り。好きなだけ喰え! と言う訳だ。
 メインディッシュは、巨大な鉄鍋で煮込んだトマト味の牛肉の固まり。鍋のままテーブルにドンと置かれて、ウェイターが取り分けてくれた。
 そんなに要らないよ、言いたいが、美味しいので食べてしまう。
「最後はデザート」
「何かな?もう入らないよ」
「大丈夫、アイスクリームよ。こんなに食べたんだもの」
 エレーナの楽観は見事に外れ、分厚く幅広いシナモン風味のナッツパイがどっしりと皿に鎮座して運ばれてきた。街のケーキ屋さんのショートケーキ2個分はあったかな?

 これだけ食べて3000円だった。帰りは、喫茶店に立ち寄ったが、もうレモンティーしか入らなかった。
(なぜ、みんなパフェやらチーズケーキやら注文出来るの?)

 後日、友人と二人でお昼を食べに行った。日本人客は私たちだけで、あとは全員白人だった。ギターを弾いている客もいた。 そこは、確かにギリシア的空間だった。店から一歩出れば、日本人がうようよ歩いている商店街だったが、店内の空気は別物に感じられた。

 テレビでも紹介され、旅行ガイドブックやグルメ本にも載ったその店は、いつのまにか消えた。 ひっそりと。
店があった場所はその後次々と持ち主が変わり、やがて震災でビルは倒壊し、更地になった。


「わたしたちは元気です」
 震災後、暫くして目にした新聞広告だ。出したのは、老舗のレストランのオーナーたち連名。 今まで敷居が高かった名店が、材料の確保も熱源確保も困難な期間に炊き出しで市民を励ました。
「○○のお粥が無料だって!」
「XXのスープ配給?!」
 世界の味の炊き出しだった。 しかし、ギリシアの味はなかった。

オーナーはギリシアに帰ったのだろうか。 兎に角、あの悲劇を体験せずに店を閉めてくれたことが、ファンにとっては慰めだ。
 震災で多くの老舗が被害を受けた。立ち直れなかった店も多い。今新しい名所が次々と紹介されているが、その店が”本物”になれるには、もっと時間が必要だろう。そこへ行けば、何か特別なことがあると思える店。

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