2012年8月11日土曜日

夕涼み

日吉さんが縁側で浴衣掛けで団扇を使っていると、和菓子屋の若旦那が庭先に現れた。
「こんばんは」
と笑顔で挨拶する。いつも売り物のお菓子みたいに甘い笑顔の若者だ。
日吉さんも笑顔で返した。
「やぁ。こんばんは、はまだ早いよ、こんなに明るいのだもの。」
「でも、5時過ぎてますよ。」
若旦那は、いいよと言われる前に日吉さんの隣に座った。
「日吉さん、奥さん、もう帰ってきた?」
「さてね」
日吉さんは懐からタバコを出した。若旦那に薦めたが、菓子職人は手を振って断った。だから日吉さんも一本くわえたけれど、火は点けなかった。
「もう帰って来る頃だけどね。どこをうろうろしてるんだか。」
「きっと、知り合いに出会って、立ち話でもされてるんでしょう。そこの角まで帰って来てたりしてね。」
「馬の用意は終わったよ。案外簡単だった。船も昨日手配した。」
「うちの蓮や菊をたんと持たせて差し上げなさいよ。奥さん、好きだったから。」
「甘い物には目がないヤツだったからな。」
垣根に今朝の朝顔がしぼんでちりちりになって下がっていた。明日の朝は別の花が咲くのだ。世代交代が確実に行われている。
背が高いヒマワリはまだ太陽の下で頑張っているが、日が傾いてくるとその陰が却って空元気に見える。
「奥さんは・・・」
若旦那が何か言いかけた時、風が二人の間を吹き抜けた。風鈴がチリリンと鳴り、若旦那は思わず風が抜けて行った座敷の方を見た。
仏壇の前の廻り灯籠の電飾の光が風で揺れた様に見えた。
「奥さん、お帰りになられましたよ。」
若旦那が囁くと、日吉さんはタバコをくわえたまま、ニコッと笑った。
「折角お戻りになったんだから、お邪魔しちゃいけませんな。」
若旦那は縁側から下りた。
「水饅頭を作りましたから、後でお持ちしましょう。」
「いつもすみませんね。」
日吉さんが立ち上がると、若旦那は、それじゃ、と言って頭を下げ、座敷の方にも軽く会釈して庭から出て行った。
日吉さんはしぼんだ朝顔を見ながら呟いた。
「おまえが言った通り、いい男だな。祐子はあの家に嫁ぐことになったよ。」
庭の草木がサワサワと葉を鳴らした。
西の空が見事な夕焼けで透明な赤に染まっていた。

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