震災の思い出 9
垂水駅を出て国道2号線まで行くと、4輪はいなくて2輪がたくさん走っていました。
ヘルメットを被らない人や2人乗りなど、普段は違反になるような乗り方もあの時は目をつぶってもらったのかな?
警察はそれどころではなかったでしょうから。
まだ東の方では火災が発生していましたし、余震も続いていました。
私もこの日数回、足許からドンッと突き上げる様な余震を体験し、その度に命が縮む思いでした。
親友N子の家は国道と海の間の細長い住宅地にありました。
海岸通りとか宮本町とか言う辺りです。
路地を通って彼女の家に行くと(実は隣の家に間違えて入りそうになりました)、彼女の家の中は物が散乱して、さながらゴミ屋敷の様相でした。
戸棚や食器棚の中の物が全部飛び出して散乱し、彼女も家族も心が折れた状態で後片付けをする気力を失い、コタツの中にもぐる様にして暖を取っていました。
そこへ私が訪ねて行くと、N子のお母さんが涙を流して喜んでくれました。
私は何も出来なかったのに、顔を見ただけで嬉しかった、と後日聞きました。
まだ水道もガスも途絶えたままで、電力だけが復旧していたので、トースターでパンを焼
いて食べているとのこと。
私が焼いて持参した蒸しパンが、「久し振りに食べる甘い食べ物」と感激されました。
家の中に座る場所もなかったので、N子と二人、話をしながら駅へと歩きました。
ゆっくり歩きましたが1時間もかかる距離ではありません。
ところが駅に戻ると、往路に見たアンデルセンの食パンの壁は既に消え失せ、行列も消えていました。
私がパンの壁がもうなくなっている、と言うと、N子が「ああ、パンが来ていたのか、ではまた直ぐに入荷するだろうから、うちでも買っておこう。」と言いました。
実はこの後、私の記憶では喫茶店に入ったのですが、それがこの日だったのか、次の訪問時だったのか、記憶が定かではありません。
しかし、震災からそんなに日がたっていなかったのに喫茶店が営業していたことに大変驚いた覚えがあります。
場所はJR垂水駅の東口にあったお店で、電車は止まっているのに客が大勢入っていました。
N子と私は珈琲とチーズケーキをいただきました。
N子は地元の子でしたから、垂水の商店街のほとんどの店と知り合いで、喫茶店の人に
「店を開けられて良かったね」と声をかけていました。
垂水駅を出て国道2号線まで行くと、4輪はいなくて2輪がたくさん走っていました。
ヘルメットを被らない人や2人乗りなど、普段は違反になるような乗り方もあの時は目をつぶってもらったのかな?
警察はそれどころではなかったでしょうから。
まだ東の方では火災が発生していましたし、余震も続いていました。
私もこの日数回、足許からドンッと突き上げる様な余震を体験し、その度に命が縮む思いでした。
親友N子の家は国道と海の間の細長い住宅地にありました。
海岸通りとか宮本町とか言う辺りです。
路地を通って彼女の家に行くと(実は隣の家に間違えて入りそうになりました)、彼女の家の中は物が散乱して、さながらゴミ屋敷の様相でした。
戸棚や食器棚の中の物が全部飛び出して散乱し、彼女も家族も心が折れた状態で後片付けをする気力を失い、コタツの中にもぐる様にして暖を取っていました。
そこへ私が訪ねて行くと、N子のお母さんが涙を流して喜んでくれました。
私は何も出来なかったのに、顔を見ただけで嬉しかった、と後日聞きました。
まだ水道もガスも途絶えたままで、電力だけが復旧していたので、トースターでパンを焼
いて食べているとのこと。
私が焼いて持参した蒸しパンが、「久し振りに食べる甘い食べ物」と感激されました。
家の中に座る場所もなかったので、N子と二人、話をしながら駅へと歩きました。
ゆっくり歩きましたが1時間もかかる距離ではありません。
ところが駅に戻ると、往路に見たアンデルセンの食パンの壁は既に消え失せ、行列も消えていました。
私がパンの壁がもうなくなっている、と言うと、N子が「ああ、パンが来ていたのか、ではまた直ぐに入荷するだろうから、うちでも買っておこう。」と言いました。
実はこの後、私の記憶では喫茶店に入ったのですが、それがこの日だったのか、次の訪問時だったのか、記憶が定かではありません。
しかし、震災からそんなに日がたっていなかったのに喫茶店が営業していたことに大変驚いた覚えがあります。
場所はJR垂水駅の東口にあったお店で、電車は止まっているのに客が大勢入っていました。
N子と私は珈琲とチーズケーキをいただきました。
N子は地元の子でしたから、垂水の商店街のほとんどの店と知り合いで、喫茶店の人に
「店を開けられて良かったね」と声をかけていました。
地震があった週の土曜日に私は神戸に行きました。
実家の母が欲しがっていた飲料水用のポリタンクが店頭で売り切れていて買えず、仕方なく大型の麦茶を入れるボトルを買いました。
蒸しパンを2箇作り、夫には仕事を早退して行くことを告げましたが、舅たちには伝えるのを忘れました。
メディアは救援活動の妨げになるので被災地に入らないように、と呼びかけていましたが、被災地に親族がいる人々には無視されました。
救援活動中のプレートを提示したトラックなどに混ざって一般車両も多く南を目指して175号線を走っていました。
西脇市、加東市、小野市あたりは普段と変わらぬ光景でした。
でも三木市に入ると様子が変わってきました。
屋根にブルーシートが掛かり、路面に地割れが出来ていました。
175号線の三木バイパスでは橋の付け根に段差が生じていました。
車高の低い車はその段差を越えられず、引き返していました。
私の軽自動車はなんとかそれを越えました。
三木ランプはどこかが崩れたのか、通行禁止になっていました。
神戸市との市境辺りだったでしょうか、縞模様のバリケードが置かれ、「これより被災地です。救援活動の車輌以外の進入はご遠慮下さい」と言う意味のプレートが置かれていました。
まるで神戸が世間から隔離されているような言いぐさでした。
でも南を目指している車は、そんな標識に従ったりしません。
誰かがバリケードに隙間を作っていて、そこからみんなどんどん入って行きました。