2015年4月15日水曜日

震災の思い出 9

震災の思い出 9

垂水駅を出て国道2号線まで行くと、4輪はいなくて2輪がたくさん走っていました。
ヘルメットを被らない人や2人乗りなど、普段は違反になるような乗り方もあの時は目をつぶってもらったのかな? 
警察はそれどころではなかったでしょうから。
まだ東の方では火災が発生していましたし、余震も続いていました。
私もこの日数回、足許からドンッと突き上げる様な余震を体験し、その度に命が縮む思いでした。

親友N子の家は国道と海の間の細長い住宅地にありました。
海岸通りとか宮本町とか言う辺りです。
路地を通って彼女の家に行くと(実は隣の家に間違えて入りそうになりました)、彼女の家の中は物が散乱して、さながらゴミ屋敷の様相でした。
戸棚や食器棚の中の物が全部飛び出して散乱し、彼女も家族も心が折れた状態で後片付けをする気力を失い、コタツの中にもぐる様にして暖を取っていました。
そこへ私が訪ねて行くと、N子のお母さんが涙を流して喜んでくれました。
私は何も出来なかったのに、顔を見ただけで嬉しかった、と後日聞きました。
まだ水道もガスも途絶えたままで、電力だけが復旧していたので、トースターでパンを焼
いて食べているとのこと。
私が焼いて持参した蒸しパンが、「久し振りに食べる甘い食べ物」と感激されました。

家の中に座る場所もなかったので、N子と二人、話をしながら駅へと歩きました。
ゆっくり歩きましたが1時間もかかる距離ではありません。
ところが駅に戻ると、往路に見たアンデルセンの食パンの壁は既に消え失せ、行列も消えていました。
私がパンの壁がもうなくなっている、と言うと、N子が「ああ、パンが来ていたのか、ではまた直ぐに入荷するだろうから、うちでも買っておこう。」と言いました。

実はこの後、私の記憶では喫茶店に入ったのですが、それがこの日だったのか、次の訪問時だったのか、記憶が定かではありません。
しかし、震災からそんなに日がたっていなかったのに喫茶店が営業していたことに大変驚いた覚えがあります。
場所はJR垂水駅の東口にあったお店で、電車は止まっているのに客が大勢入っていました。
N子と私は珈琲とチーズケーキをいただきました。
N子は地元の子でしたから、垂水の商店街のほとんどの店と知り合いで、喫茶店の人に
「店を開けられて良かったね」と声をかけていました。

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