2013年2月27日水曜日

木になる絵

鬱病に悩んでいた頃、通りすがりの絵描きから一枚の絵を買った。買わされたと言った方が良かったかも。鬱の時は何も欲しくない。絵を買わなければ通せんぼされて何処にも行けそうになかったからだ。
 丘のてっぺんに大きな木が一本生えている風景画だった。背景は夕陽で真っ赤に染まった空。木はシルエットで黒く描かれており、中央よりやや右よりに立っていた。一番太い枝が左へ伸びている、その下に何かぶら下がって見える。
 最初は丸太に見えた。
 翌日、よく見てみると、人間だとわかった。縊れているのだ。
 鬱のせいで、時々自殺を考えていたが、そんな絵を見ると、何故かギクリとした。
 絵は、毎日変化して見えた。シルエットだったのが、だんだん写実的になり、服の色がわかるようになった。何故かえび茶色の服を着ている。
まるで私のお気に入りの服みたいだ。
 顔がわかるようになったのは、5日後で、窒息した為に眼球が飛び出しそうになって、舌が唇の間からはみ出し、顔面が腫れ上がっている。
ぼんやり思ったものだ。
「死んだら、あんな顔になるのか。自分は、ああはなりたくないものだ」
 10日もすると、絵から異臭が漂い始めた。
 絵をビニルで包み、倉庫の奥に仕舞った。
 絵の中の首つり人の顔が頭から離れなかった。嫌で嫌で、吐き気がした。
あんな姿にはなりたくないと説に願った。
自殺など頭から振り払い、ひたすら死から遠ざかろうと頑張った。
生きるんだ、あんな木の下にぶら下がって腐ってなるものか。
いつか鬱を乗り越えたと医者から言われ、自分でも自信がついた。
絵のことを忘れて生きていた。

 知り合いが「死にたい」ともらした。家族の中で不協和音が生じ、長引いているのだと言う。
 ふと、絵を思い出した。
「適切なアドバイスは出来ないが、あげる物があるよ。」
倉庫から、絵を引っ張り出して、包みを開いた。
アッと思った。
丘の木の枝には、何もぶら下がっていなかった。
夕陽の背景は、真っ青な晴れ渡った空になっていた。
「綺麗な絵ね」
と知り合いが言った。
「世の中には、こんなに気持ちの良い風景もあるんだわ。 もう少し頑張って、この丘に行ってみようかしら。」

2013年1月31日木曜日

早朝

秋が深まると、夜が明けるのが遅くなる。
夏だったらすっかり明るくなっている時刻でも、今時分はまだ真っ暗だ。
外出予定があったので、日が昇る前にゴミを出しに行った。
街灯が切れていて、道は暗いが、慣れた場所だ。それに田舎の小さな集落。
まず余所者は入ってこない。特に、こんな時間には。
集積所のそばの、公会堂の建物の陰は、いっそう暗く、闇が滞っていた。
その中に動く物を見つけ、一瞬ギョッとした。
向こうも立ち止まった。
小柄な老人の様に思えた。
「おはようございます。」
とこちらから声をかけると、向こうも、か細い声で、
「あ・・・おはようございます・・・」
すれ違う時に、かすかに向こうが呟くのが聞こえた。
「ああ・・・人だったんだ・・・」
どうやら、白いパーカーを着ていたので、幽霊にでも見えたのだろう、とおかしかった。
ゴミを所定の場所に置いて振り返ると、もうその人影は暗闇に融け込んで見えなかった。
家に戻りつつ、考えた。

「あっちの方角には、お年寄りがいる家はなかったよね・・・」

あるのは、真っ暗な林の中の、村の共同墓地だけだった。

変な人

「うちの人、ちょっと変な人だから・・・」
とヨーコさんが言った。ヨーコさんとコーヘイさん夫婦が僕らのアパートの二階に引っ越して来た頃のことだ。どう変なのか、僕にはわからなかった。 コーヘイさんは、お勤めに行かないで、毎日川原で絵を描いていた。だから変な人なのかな? でも、角部屋のヤマダさんちに急病人が出た時、すぐ救急車を呼 んでくれたのも、子供たちの子守をしてくれたのも、コーヘイさんだった。
変だと言ったら、ヨーコさんだって、ちょっと変だった。
夜遅く出かけたり、朝早く帰ってきたり。
「だけど、水商売には見えないね。」
と僕のお母ちゃんは言っていた。
「それに全然所帯臭くないし。」
コーヘイさんちには、時々お客さんが来た。なんだか怖そうな小父さんたちで、昼間、アパートの住人が仕事に出かけていない時にやって来た。コーヘ イさんもヨーコさんも、お客が来ることをみんなに知られたくないみたいだった。時には、ヨーコさんとお客さんを残して、コーヘイさんは一人でスケッチブッ ク持って川原へ出かけて行ったものさ。
 僕は学校に行くのをずっと前から止めて家にいたから、全部見ていた。見ていたけど、コーヘイさんとヨーコさんが変な理由はわからなかった。
 ある日、僕は外に出て、コーヘイさんの後をついて行った。コーヘイさんは僕が尾行しているのを知っているみたいだった。時々足を速めたり、急に停まったりして、僕が慌てると、クスクス笑っていた。
 川原で、コーヘイさんがスケッチブックを広げて絵を描き始めると、僕はそばに座って眺めていた。
 久し振りの外は気持ちが良かった。僕は青空を見上げて寝そべった。コーヘイさんが絵を描きながら声をかけてきた。
「もう学校には戻らないのかい。」
「わかんない。」
「学校は嫌か?」
「わかんない。何故行かなきゃいけないのか、わかんないし、何故行けなくなったのかも、わかんないんだ。」
「虐められたのか?」
「そんなんじゃないんだ。ただ・・・僕がそこにいる意味がわかんなくなったんだ。」
「誰だって、それはずっと考えて、答えを見つけられるまで、悩んでいるだよ。」
「コーヘイさんは、どうして絵を描いているの?」
僕が話題を振ったのに、コーヘイさんは答えなかった。真面目に答えてくれたのかも知れないけど、僕にははぐらかされた様に、その時は思えた。
「誤魔化しているんだよ。僕がここにいる理由を。」
って、コーヘイさんは言ったんだ。

 川向こうのスナックに警察が踏み込んだのは、その翌朝早くのことだった。麻薬の取引をしている処を警察が奇襲をかけたんだ。10人ほど捕まったらしい。ちょっとした小さな街の大事件だった。
 そして、その日の夕方、コーヘイさんとヨーコさんは突然引っ越して行った。二人がいなくなった部屋はぽっかりと開いた空洞みたいで、人が生活していた気配は全くなかった。最初からそこに誰も住んでいなかったみたいだった。

 僕は学校に戻った。ひどくかったるい仕事だったけど、僕はなんとか電車に乗れたし、門をくぐって先生に挨拶もした。
 僕は勉強をする。上の学校へ行って、何か警察に関係した仕事をしようと思うんだ。だって、まだコーヘイさんに聞きたいことがあったから。
 どうして張り込みの間、絵を描く気になったのかって。


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注意:麻薬を取り締まるのは、警察ではありません。厚生労働省の職員です。

麻薬取締官:麻薬及び向精神薬取締法(以下、麻向法)により特別司法警察職員としての権限が与えられている。麻薬取締という危険な職務であるた め、拳銃(ベレッタM85やコルト・ディティクティブスペシャル)の携帯が認められている(但し特別司法警察員としての職務を遂行する場合に限る)他、警 察官と同様の逮捕術の訓練も受けている。

また、「おとり捜査」を行うことができ、麻向法第58条にそれに関する規定がある。それによると、違法に流通している麻薬などを所持しても麻薬取 締官及び麻薬取締員のみは処罰されない。 麻薬特例法に基づく麻薬を使っての泳がせ捜査や薬物の密売収益の没収等による首謀者や密売組織の摘発及び壊滅などを行っている。薬物犯罪に関するおとり捜 査は麻薬取締官及び麻薬取締員のみに認められた行為であり、一般の警察官は行うことが出来ない。これは密売流通ルートを遡る為に必要な行為である。

2013年1月29日火曜日

盗人

ヒロシはパソコンの前でイライラしながら座っていた。
「何故、更新されないんだ--」
 画面には、ブログが表示されている。日本語ではない。英文でもない。ちょっと珍しいが、クロアチア語だ。

 ヒロシは、偶然、このブログを二年前に発見した。それがクロアチア語であることを知ったのも偶然だった。大学の友人にクロアチア人の留学生がい たからだ。友人が時々口にする単語を文章の中に発見したのだ。そして興味半分で一つの文を辞書を引き引き訳してみたら、どうやら推理小説の一部らしかっ た。
ブログで推理小説を書いている人がいるらしい。
 ますます興味を引かれた。きっと、その頃、教授とちょっとした意見の衝突できまずくなっており、彼女とも別れた後で、アルバイトもクビになり、引きこもりのせいで友人たちとも疎遠になっていたので、暇だったのだろう。
 一番最初の投稿を探して、半日かけて翻訳すると、やはりそれは小説の書き出し部分だった。
 それから暇があれば一回の投稿文をプリントアウトして翻訳してみた。
大変面白い物語だった。毎回、続きを読みたくなるような文で終わってしまう。そのブログが一月に一回しか投稿されないのも、ヒロシの翻訳スピードに合わせてくれているようで、ちょうど良かった。
 ヒロシはそれをワープロで日本語に書き直し、試しに出版社の懸賞小説に応募してみた。
 出版社から連絡が来た。
「大変面白い作品です。5話までありますが、まだ続くのでしょうね-- 犯人の目星がまだつきませんからね。続きを書かれる予定はありますか--
未完と思える作品に賞を差し上げる訳にはいきませんが、本誌に連載されるおつもりはありませんか--」
 ヒロシはその時、7話まで翻訳が出来ており、まだネット上には未訳が4話あったのだ。彼は他人の、それもクロアチア人の作品だとは明かさぬまま、その話に乗った。
 1話ずつが結構長いブログだったので、日本語に訳すと、ヒロシ自身の文も混ざって、ミステリー雑誌には3話に分けて掲載された。
すぐに読者から反響があり、出版社はその話をヒロシのデビュー作品として、連載することを正式に決めた。ヒロシはペンでお金を稼ぐと言う経験をした。
印税は駆け出しの新人だから多くないが、それが完結して正式な本となったら、もっともらえるはずだ、と編集者が言ったから、それも嬉しかった。
 他人の文章の翻訳なんて、口が裂けても言えない。クロアチア語なんて、日本人で知っている人は少ないし、クロアチア人が日本語の雑誌を読むこともないだろうから、これはばれないはずだ。
 ところが・・・三ヶ月前、ブログの更新が止まってしまったのだ。新しい話の展開がヒロシには読めない。文字通り、どんな風に話しが進むのか、彼 には見当がつかなかったので、これは焦った。しかし、neptuneと言う著者は、興味を失ったのか、それとも何か理由があって書けなくなったのか、そ れっきり投稿がなかった。
 ヒロシの手元の原稿もなくなりかけていた。

 出版社から電話がかかってきた。
「先生、困ったことになりました。」
「なんです--」--困ってるのは、俺だよ!--
「先生の作品を、盗作だと訴えてきた人がいるんですよ。」
「え!」--まさか、クロアチア人が----
「なんでも、三年前から書いてきたブログと、先生の作品が極似しているって言うんです。どう言うことですかね、先生--」
「ぶ・・・ブログって--」--汗、汗、汗--
「あいこ って名前で書いている人らしいんですが、四か月前、うちの雑誌を偶然読んで、先生の作品に気がついたそうです。それで、書くのを止め て、うちのバックナンバーを取り寄せ、最初から読んで、先生の作品が自分の作品と全く同じだって確信したそうです。私もそのアドを見ました。あいこ って 人の主張通りでね、しかも、先生が書かれた日よりずっと古い。どう言うことですかね--!」

クロアチアで
「おう、あいこ、どうして、こうしん しない-- もう ほんやく なくなった。くろあちあ の どくしゃ、みんな つづき まってるよ!」

庭には

庭に埋めたヤツが臭い始めた。
想像以上に酷い臭いだ。
これじゃ、近所の住人に気づかれてしまう。
警察に通報されたら、大ごとだ。
何とかしなければならない。
もっと深く埋めるべきだったのだろうか?
だが、深く埋めたら、却ってまずいことになるだろう。
届かなくなると困る。
花が咲けば、もう誰も気にしなくなるはずだが、深く埋めると、根が届かなくて、花が咲かない。
庭には鶏が二羽いる。
土の中に埋めたのは、鶏糞だ。

落下物

秋の休日。ヒロシとヨーコは田舎にドライブに出かけた。
最初はオーカワチのダム湖に行った。ここは山の中腹と頂上にダムが二つあり、それぞれに湖がある。高低差を利用した水力発電所なので、見学施設も整っており、静かな湖畔とは言い難い。なにしろ観光客が多い。ダム見学の子供たちでいっぱいだった。
 それでも高原の涼しい風とススキの野原に心は癒される。
ダムの下流には、多分電力会社から自治体に下りたお金で建てられたのであろう、小さなホテルがあった。観光の目玉はダムしかない田舎町だから、宿泊よりもレストランの客で保っているようなホテル。ヒロシとヨーコもそこで川魚を使ったフレンチで昼食を取った。
 オーカワチの町を出ると、シルバーマインロードと呼ばれる国道を北に向かって走った。昔はこの付近に銀鉱山があって、その鉱石を港まで運んだ道 路なのだそうだ。と言っても、特に道筋にそれに縁のある史跡がある訳でもない。有料道路が平行して開通してからは、もっぱら通行料金を節約したいトラック や地元の車が走っているだけの寂れた3桁国道だ。
 ヒロシは道なりに走るのがつまらない、と思ったので、脇道に入った。地図を見れば、国道と並んで、山の中腹を通り、ずっと北の町で再び合流している生活道路だ。
 坂を登った後は、なだらかな道が山の腹帯みたいにカーブして続く。右側の住宅地や田畑の下を有料道路と国道が並んで通っているのが見えた。
 後ろから、ブーンブーンとエンジン音を鳴らしながら、大型のバイクがやって来た。抜かれる時に、二人はライダーがヘルメットを被っていないのを目撃した。ヘルメットは背中にしょったリュックの上に乗っかる様に、首から紐で後ろに追いやられていた。
「危ないわね。」
とヨーコが呟いた。
「警察が来ないと思っているんだよ。風を感じて走りたいんだろ。」
「それはわかるけど・・・」
バイクのナンバーは隣の県の大都市のものだった。
バイクはあっという間にカーブの向こうに消えた。
二人の車はカーブの多い道路を慎重に走った。対向車と離合出来ない幅ではないが、カーブで中央を走る車も少なくない。
5つめのカーブを曲がったむこうで、バイクが停止しているのが見えた。
先ほどのバイクだ。ライダーは地面に下りて、頭を抱えてうずくまっている。
ヒロシは自分の車のタイヤの下でバリッと言う音を聞いた。
ヨーコが驚いた。
「え! 何?」
ヒロシは答えた。
「栗の毬だよ。」
路面に無数の緑や茶色の栗の毬が転がっていた。
バイクの青年は立ち上がったが、まだ手を頭に置いていた。
「だから、ヘルメットを被らなきゃいけないんだよ。装備は前もってするべきなんだ。」
とヒロシは呟いた。
二人はさらに走った。
北へ行くほどに落葉や木の実の落下物が増えていった。

「本日正午に○○共和国から飛んできたミサイルは凸凹県北部の上空1000メートル付近で爆発した模様です。
放射能の濃度はまだ発表されておりませんが、政府はただちに凸凹県に対し、住民の避難を・・・」

時の流れに

毎日の通勤路で見かけた古いお社。
どんどん朽ちていく。
屋根は落ちかけ、壁は崩れ、塀はもうない。境内は草茫々。
なんだか神様が気の毒で、ある休日、友達と一緒に掃除をした。
僕らにとっては、ちょっとしたリクリエーションを兼ねた奉仕活動のつもりだった。
崩れた箇所はどうしようもないけれど、なんとか綺麗になって、夕方、僕らは満足して帰った。
ところが、翌日、出勤の時、そこを通りかかると、何故か既に草茫々。
僕は呆然。
それから毎週意地になって掃除したが、次の日には元通り。
これは、神様の仕業なのか、それとも悪魔?

年末、半壊しかけたお社に注連縄がはられていた。
誰だろう?
とうとう僕は正月の朝早く、その神社に張り込んでしまった。
現れたのは、町内会の年寄り連中。
彼らが注連縄を張ったのだ。
でも、どうして普段はほったらかしに?
僕の疑問に彼らは答えた。

「ここの神様が、もうええ、ってゆうたはるんや。」

「人々の信仰が他所に行ってしもうた。せやから、神様、もうここから消える、ゆうたはるんや。」

「あんたも、神様の心、大事にして、そのままにしといてあげなはれ。古い物を大事にする、その心がけだけは大切にしてな。」