2015年2月8日日曜日

震災の思い出 2

震災の思い出 2

母はすぐには電話に出ませんでした。
でも呼び出し音が鳴っているし。
母が電話に出たのは半時間後の7時前でした。
実は箪笥の上に置いてあった棚が蒲団の上に落ちて下敷きになっていたのです。
幸い蒲団が分厚かったのでケガはなく、やっと這い出すと台所やリビングの物が床に散乱して電話までが遠かったのだそうです。
停電は短かったと言っていました。
垂水はなんとか被害が軽く済んだみたいでした。

実家の被害は、二階にあった私が使っていた本棚が揺れに共鳴してしまいバラバラに崩壊したこと、食器が割れたこと、両親が結婚した時に父の友人一同が贈っ てくれた振り子時計が落ちてバラバラに壊れたこと、そして家の土台が少し東側へ傾いて、トイレのタイル張りの床にヒビが入り、玄関のコンクリートのポーチ が割れたこと・・・


家は今も少し傾いていて、ボールを置くと東側へ転がって行きます。
しかし父は「○○ハウスで家を建てた時は、プレハブの安い家しか建てられなくて悔しかったが、今思えば基礎が深くてこの程度で済んだ。」と言っていました。

私は振り子時計が潰れてしまったことが残念でした。
ゼンマイ式で毎日家族の誰かがネジを巻くのが仕事でした。
生まれた時から聞いていたボーンボーンと言う鐘の音は永久に聞こえなくなりました。
それは懐かしい神戸の姿が消えてしまったのと同じに。

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