2013年4月4日木曜日

おいやん

 カオリが入社した時、既においやんはそこで働いていた。正社員ではなくて、パートの運転手だった。下請けと本社の間を品物を積んで行き来していた。陽気で冗談好きなので、誰とでも仲良く出来る人だった。
 あ、「おいやん」と言うのは、播州弁で「小父ちゃん」って意味だ。ホントはナカノさんって言うんだけど、みんな親しみを込めて「おいやん」と呼んでいた。
 カオリは、何故おいやんが正社員でないのか不思議だった。年齢的にも普通の社員と変わらなかったし、毎日通勤していたし、お昼は社員食堂でみんなと同じ給食を食べていた。一度、思い切って尋ねてみたら、おいやんは答えた。
「そうかて、気楽やんけ。」

 やがて会社が新しい配送センターを建設して、数名の社員をそこへ転属させた。センターの責任者はヤマダ課長と言う人で、ちょっと偏屈者で通っ ていた。彼は気に入らない部下には陰険な虐めをすることで有名で、部下たちは次々と脱落して本社に戻された。本社はちょっと困って、いろいろと人材を送り 込んでみたが、どれもヤマダ課長の眼鏡にかなわなかった。そこで、最後に、本社はおいやんを送り込んだ。
 おいやんの性格はヤマダ課長にも気に入られたようだ。そこで、結局10年ばかり、おいやんは課長と一緒に働いた。
 カオリがセンターの事務員として転属すると、仕事のノウハウを教えてくれたのは、上司の課長ではなくて、おいやんだった。課長と二人きりだと息が詰まっただろうが、おいやんがいてくれたのでカオリは何とか泣き言も言わずに仕事を覚えていった。

 大型台風が播州地方に多大な被害を及ぼした。
 課長の家もおいやんのトラックも水没した。勿論、会社も被害を受けた。
 おいやんは自分のうちのことは奥さんに任せて、連日会社の復旧作業に携わった。茫然自失の社員たちを叱咤激励して、力仕事に励んだ。
 カオリはこの時ほど、おいやんが頼もしく思えたことはなかった。
 そして、どうにか平常の生活が戻ってきた時・・・。

 カオリはおいやんが担いだ荷物を落っことすのを目撃した。おいやんは腰に手を当てて辛そうにあえいでいた。
「大丈夫?」
「ああ、ちょっと腰が痛いだけや」
 しかし、大丈夫ではなかった。次の日、おいやんは立てなくなって仕事を休んだ。おいやんがいなくなると、課長はパニックに陥った。仕事は山ほどあった。それを一人では消化しきれない。課長は電話で本社相手にまくしたて、手伝いを数名派遣させた。
 慣れた人間一人と不慣れな人間三人、比較にならなかった。
「専属をいれなきゃな」
 人事部長が呟いた。

 10日目に、おいやんがカオリのデスクに来た。
「くびになったよ。仕方ないやな、もう重い物持てへんから」
 カオリには晴天の霹靂だった。びっくりして見返すと、おいやんは笑った。
「せやけど、毎日来るから」

 そう、おいやんの奥さんは内職で下請け仕事をしていたのだ。おいやんは毎日仕事をもらって持って帰り、届ける仕事だけをすることにしたのだ。

「ひどいと思わない?」
 カオリはバーで先輩のナギサに訴えた。
「水害の時に、一番頑張ってくれた人をあっさり切ってしまうなんて。おいやん、可哀想よ」
「うん・・・」
 ナギサはちょっと考えて、慎重に喋りだした。
「おいやんさぁ、昔から腰が悪かったんよ。だから、正社員にならんと、いつでも休めるパートで我慢してたん。
 せやけど、今度のことで、無理してしもうたんやね。
 でも、これで良かったかも」
「なんで?」
「ずっとあそこの仕事続けていたら、おいやん、ホントに体潰してしまうとこやったよ。もう歳なんやもん。
 ええとこでドクターストップかかったんや。まだ仕事あるし、毎日、ここに来てるやん。ちょっとだけ寂しくなっただけやんか。」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんよ」


 おいやんが辞めて3週間目、ヤマダ課長が過労から風邪でダウンした。まだ新入りも入って間もないし、手伝いの社員たちも、勝手がわからない。配送センターはパニックになった。
 カオリの目の前で、人事部長が電話をかけた。
「もしもし、ナカノさん? 腰の調子どないやろ? え? ああ・・実はヤマダがダウンしてな、困ってる。
 頼れる人は、あんたしかおらんのや。
一日か二日でええさかい、手伝ってもらわれへんやろか?」

 そして、半時間後に、おいやんは照れくさそうにやって来た。
「まだ、少しは要りようらしいなぁ」
とカオリに笑いかけた。 
「せやけど、これっきりやで。いつまでも外の人間に頼ってたら、あかんで。ここの会社、ちと甘えがあるよってな。なんでも、安上がりなもので済ませようとする。ちゃんと専属の人間、育てなあかんわ」
「そんじゃ、おいやん、監督しに来てよ」
「おお、毎日来るわいな」

 おいやんは、約束通り毎日品物を運んでやって来る。カオリは課長に見つからないように、こっそりおいやんにお菓子を渡すのが日課になった。

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