心霊写真家の新藤氏の元に、一通の封書が届いた。
それは安藤某とか言う女性からの手紙であった。
「突然お手紙を差し上げ、失礼致します。
私はR市に代々住まいしております安藤と言う者です。
新藤様のご活躍はいつもテレビで拝見しております。胡散臭い心霊研究家が多い中で、新藤様の写真鑑定はいつも信じるに足る説明がなされ、視聴していてとても気持ちが良いです。
それで、大変厚かましいお願いですが、私の実家安藤家を鑑定して頂けないでしょうか。
と申しますのも、我が安藤家は4代続いて女系でありまして、曾祖父、祖父、父、そして私の夫は全て婿養子です。女しか生まれない家系なのではござ いません。女しか育たない家系なのです。聞くところに依れば、曾祖母にも祖母にも男の兄弟がいたそうですが、どれも5歳になるかならぬかで亡くなっており ます。私にも叔父となる人がいたはずなのですが、4歳で亡くなっています。
また、私自身、兄と弟をそれぞれ4歳で亡くしております。
全て、事故死です。それも、首から上の怪我で死亡しております。
私には、安藤家が呪われているとしか思えません。
どうか、この呪いの元を探り、断ち切って頂けないでしょうか?
誠に勝手ながら、切ににお願い申し上げます。
私には、生後3ヶ月の男の赤ちゃんがいるのです。」
新藤氏は、忙しいスケジュールの合間に尋ねて行こうと考えた。秘書に話すと、彼女が提案した。
「テレビの企画に持ち込みましょうよ。」
安藤家の手紙の主に打診すると、「来て頂けるなら、テレビでもかまわない」と言う返事だった。それで、場所や家を特定されるような物は撮影しないと言う条件で、テレビ局にも取材を許した。
安藤家は、書状通り、古い家柄だった。屋敷も広大で立派だった。婿養子たちが頑張って財産を減らさぬように努力してきたのだ。しかし、家の造りは お世辞にも霊的には巧くなかった。風水やら家相やら地相やら、ありとあらゆる悪霊封じの為の庭園造営やら家屋の建築が入り交じり、相互に効果を相殺しあっ ていた。
だが、新藤氏は、それらが後継者夭折の原因とは思えなかった。安藤家に生まれる男児をことごとく5歳迄に死に至らしめる霊力を感じ取れなかったのだ。
それでは、原因は家屋の中にあるのか。
新藤氏はテレビカメラを引き連れ、家の中に入った。応接室、仏間、台所、食事室、どこも立派で、しかし怪しい物はなかった。
ところが、主の書斎の入り口迄来て、そこで新藤氏はものすごく禍々しい気を感じ取った。「この中だな」
ドアを開くと、彼は室内の装飾品美術品の中で、燦然と輝く一降りの青竜刀に目を奪われた。彼の脇の下から汗がにじみ出て、額からも脂汗が浮き出た。
「あの刀は、いつからここにあるのですか?」
安藤家の人々は困惑して互いに見合った。
「それは、曾祖父の父親が明治の初期に台湾へ渡った時、手に入れたそうです。」
新藤氏は気力を振り絞って青竜刀に近づいた。刀にはかすかな刃こぼれと曇りが認められた。
「この刀は人を斬った刀です。恐らく、幼い男の子の首を刎ねたのでしょう。子供の怨念が残っています。これは、ここに置いてはいけません。すぐに華僑の知り合いに頼んで台湾の寺院に送り、そこで供養してもらいます。よろしいですね?」
安藤家の人々から異論は出なかった。
新藤氏は提案通り、青竜刀を台湾人に預けたが、刀はあちらにの税関でひっかかり、それきり行方不明になった。
安藤家の子供は無事に成長しているが、呪われた青竜刀は未だ不明のままである。
それは安藤某とか言う女性からの手紙であった。
「突然お手紙を差し上げ、失礼致します。
私はR市に代々住まいしております安藤と言う者です。
新藤様のご活躍はいつもテレビで拝見しております。胡散臭い心霊研究家が多い中で、新藤様の写真鑑定はいつも信じるに足る説明がなされ、視聴していてとても気持ちが良いです。
それで、大変厚かましいお願いですが、私の実家安藤家を鑑定して頂けないでしょうか。
と申しますのも、我が安藤家は4代続いて女系でありまして、曾祖父、祖父、父、そして私の夫は全て婿養子です。女しか生まれない家系なのではござ いません。女しか育たない家系なのです。聞くところに依れば、曾祖母にも祖母にも男の兄弟がいたそうですが、どれも5歳になるかならぬかで亡くなっており ます。私にも叔父となる人がいたはずなのですが、4歳で亡くなっています。
また、私自身、兄と弟をそれぞれ4歳で亡くしております。
全て、事故死です。それも、首から上の怪我で死亡しております。
私には、安藤家が呪われているとしか思えません。
どうか、この呪いの元を探り、断ち切って頂けないでしょうか?
誠に勝手ながら、切ににお願い申し上げます。
私には、生後3ヶ月の男の赤ちゃんがいるのです。」
新藤氏は、忙しいスケジュールの合間に尋ねて行こうと考えた。秘書に話すと、彼女が提案した。
「テレビの企画に持ち込みましょうよ。」
安藤家の手紙の主に打診すると、「来て頂けるなら、テレビでもかまわない」と言う返事だった。それで、場所や家を特定されるような物は撮影しないと言う条件で、テレビ局にも取材を許した。
安藤家は、書状通り、古い家柄だった。屋敷も広大で立派だった。婿養子たちが頑張って財産を減らさぬように努力してきたのだ。しかし、家の造りは お世辞にも霊的には巧くなかった。風水やら家相やら地相やら、ありとあらゆる悪霊封じの為の庭園造営やら家屋の建築が入り交じり、相互に効果を相殺しあっ ていた。
だが、新藤氏は、それらが後継者夭折の原因とは思えなかった。安藤家に生まれる男児をことごとく5歳迄に死に至らしめる霊力を感じ取れなかったのだ。
それでは、原因は家屋の中にあるのか。
新藤氏はテレビカメラを引き連れ、家の中に入った。応接室、仏間、台所、食事室、どこも立派で、しかし怪しい物はなかった。
ところが、主の書斎の入り口迄来て、そこで新藤氏はものすごく禍々しい気を感じ取った。「この中だな」
ドアを開くと、彼は室内の装飾品美術品の中で、燦然と輝く一降りの青竜刀に目を奪われた。彼の脇の下から汗がにじみ出て、額からも脂汗が浮き出た。
「あの刀は、いつからここにあるのですか?」
安藤家の人々は困惑して互いに見合った。
「それは、曾祖父の父親が明治の初期に台湾へ渡った時、手に入れたそうです。」
新藤氏は気力を振り絞って青竜刀に近づいた。刀にはかすかな刃こぼれと曇りが認められた。
「この刀は人を斬った刀です。恐らく、幼い男の子の首を刎ねたのでしょう。子供の怨念が残っています。これは、ここに置いてはいけません。すぐに華僑の知り合いに頼んで台湾の寺院に送り、そこで供養してもらいます。よろしいですね?」
安藤家の人々から異論は出なかった。
新藤氏は提案通り、青竜刀を台湾人に預けたが、刀はあちらにの税関でひっかかり、それきり行方不明になった。
安藤家の子供は無事に成長しているが、呪われた青竜刀は未だ不明のままである。
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