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2013年3月24日日曜日

町工場

運送屋に聞いた話。

 個人営業のFさんは、大手と契約していて、夜間や休日の配達を代行している。地域の住人とは顔なじみだ。

 ある時、ニット工場のYニットへの日配の仕事を請けた。Fさんは、配達先の名前を見て、「おやっ」と思ったそうだ。Yニットは数年前に不渡りを出して廃 業したはずだった。何かの間違いではないかと思ったが、伝票の送り先はYニットだったし、送り主は国内最大手のT紡績傘下の染工場だ。Fさんは取り敢えず 荷物を運んだ。

 Yニットは田んぼや畑がある町外れにぽつんと建っていた。錆びた門扉を開くと、Fさんの記憶にあるままの古ぼけた工場の建物から織機の音が聞こえてきた。

「なんだ、仕事してるんだ」

Fさんは工場の中に入った。明るい屋内で、老社長が一人で機械を動かして靴下を編んでいた。

「やあ、Fさん、久しぶり!元気だった?」
「はい、お陰様で。社長もお元気そうで・・・」

確か、この工場には3人の従業員がいたはずだったが、社長しかいなかった。Fさんの視線に気付いた社長が苦笑いした。

「実は、うち、潰れたんだよ。ただ、今回どうしてもここの機械の仕事でなきゃ駄目だってオーダーが来たんで、一人で動かしてるの。まぁ、これで3人に払えなかった最後の給料を出せそうなんだ。」

Fさんは社長と少しだけ世間話をして、受け取り伝票にサインをもらって帰った。

 Fさんが家に帰って間もなく、仕事をくれた大手から連絡が入った。

「Fさん、あれ、誤配だ。Sニットカンパニーに送る荷物だったらしい。」
「え?でも、Yニットの社長さん、疑いもせずに受け取りましたよ。」
「冗談言うなよ、Fさん。」
と相手は言った。

「Yニットの大将、去年死んでるんだよ。」



 Yニットの社長の息子、Sニットカンパニーの社長、それに発注したT紡績の営業と一緒に、Fさんはもう一度田んぼの中の工場に行った。
 錆びた門扉は、Fさんが開けたままだった。工場は既に電気を止められていたので中は暗く、埃だらけで蜘蛛の巣が張っていた。
 社長の息子が窓を開けて、やっと明るくなった。

「だって、私、Y社長と電話で話をしたんですよ。」

T紡績さんは泣きそうになっていた。彼の視線は埃だらけの電話機を見ていた。

「あなたは電話だけでしょう。僕は本人と喋ったんだ。」

Fさんは恐いとは感じなかった。ニコニコしていた人の好さそうなY社長の笑顔や声が生々しく記憶に残っていた。
 Sニットの社長は機械を見ていた。

「最近誰か、これ、動かした?」
「いいえ、僕は工場を継がなかったから、ここは全然触ってないです。親父が死んでから、来たこともない。」

と息子。

「そう?でも、これ、手入れされてるよ。」

S社長は機械を撫でた。

「表面は錆びているけど、状態、良さそうだ。まだ使えるな。」

Fさんが配達した荷物がそのまま床に置かれていた。

「Yさんは不景気を乗り越えられなかったが、いい仕事をする人だった。早めに廃業していれば、心労を重ねずに済んだだろうに。この仕事が好きだったんだな。最後まで頑張って、無理して、倒産して、体まで壊しちまった。」
「化けて出ることなんかないのに。」

と息子。

「従業員は3人ともちゃんと再就職出来たし、借金もなんとか返せるめどがついたのに。」

T紡績さんだけが、まだ怯えていて、

「やっぱり幽霊だったんですかぁ?」

と言った。

FさんはY社長手書きのサインが入った受け取り伝票を出してみんなに見せた。

「Y社長は仕事が好きだったんですよ。大きな会社で働いてる人にはわからないかも知れないけど、ここはYさんの城だったんだ。」

家業を継がなかった息子が沈黙すると、S社長が言った。

「Yさん、もし良かったら、ここ、貸してもらえないだろうか? うちの会社、なんとか順調にやってる。工場を少し広げたいんだが、騒音問題やらで今の場所 では増築出来ないんだ。この建物、少しだけ手を入れて、機械は調整したらまた使えるし、そんなに経費をかけずに済みそうだ。あんたにも家賃が入る。返済の 足しになるんじゃないかな?」

Fさんはトラックを運転しながら、いろいろな噂や出来事を見聞きする。だけど、Yニットで起こったことほど不思議な出来事はない。 

2013年1月19日土曜日

曼珠沙華



和歌山のある町には、彼岸になっても彼岸花を見ることがない。
こちらでは、秋になれば田圃の畦道に真っ赤な花が並ぶのに。
「昔、日本はアメリカと戦争をして」
と老女が語った。
「曼珠沙華の毒で毒薬爆弾を作ってアメリカに落とすんだ、そうすればアメリカに勝てる、と軍から通達があって、町中で曼珠沙華を掘り返して、供出した。
本気で勝てると信じていたのか、わからん。
だけど、町中の曼珠沙華はお国の為に出征して行った。
そんな訳だから、この町には、今でも彼岸花は咲かない。」

2013年1月4日金曜日

麦畑

 激しい衝撃。破壊音。


やってしまった!

運転席から飛び出した俺は、路面にくの字に体を曲げて横たわる老婆を見つめていた。俺のピックアップと彼女の間にはぐしゃりと潰れた自転車が一台。
俺は老婆の首筋に手を当てた。脈を感じ取れなかった。

死なせてしまった・・・

急に世界が俺から遠ざかり、俺は空中に彷徨っているような錯覚に陥った。なんとかしなくては・・・刑務所に入るのは嫌だ・・・
俺の心がそう叫んでいた。

俺は周囲を見回した。一面の麦畑。黄金色の穂が爽やかな5月の風に波打っている。麦秋。
老婆はベージュのセーターを着ていた。古くてよれよれだったが、昔は上等の物だったのだろう。パンツも仕立ての良いスラックスだ。麦畑の色にそっくりで、俺には彼女が道ばたを走っているのが、見えなかったんだ。
血は出ていなかったが、もう彼女は生きていなかった。
俺はもう一度周囲を見回した。
誰も見ていない。
俺は、老婆と自転車をピックアップの荷台に載せた。

それから毎日、俺は脅えて暮らした。電話の音、パトカーの赤色灯、交番、横断歩道で小学生を見ている巡査。
いつか俺をひき逃げ犯として逮捕しに現れるはずだ。
俺は毎日新聞をチェックし、テレビのニュースを見た。
しかし、どこにも交通事故のことも、老婆の死体が発見されたとも出ていなかった。
いや、それどころか、行方不明になった老婆のことなんか、どこにも書かれていなかったし、探していなかった。

俺の恐怖は疑問に変わっていった。
婆さんが一人いなくなってしまった、てぇのに、誰も気にしないのか?
婆さんには家族がいなかったのか?
友達はいなかったのか?
隣の人は、婆さんが帰ってこないことを気づかないのか?
誰も警察に通報していないのか?

あの婆さんは・・・誰なんだ?

俺は麦畑のはずれの林に行った。そこに行くのは、あの日以来初めてだ。
俺は婆さんを埋めた場所を探した。
夏草が生い茂って、どこだったか、見つけるのは容易ではなかった。
どうにか、ここだろうと見当を付けて、俺はそこに花を置いた。

ごめんな、こんな寂しい処に埋めてしまって。
これから毎日、俺がここに来るから。

memory

CDーROMに新たな書き込みが為された。音声の再生時間は30分だが、記録されるべき「音」は正味7分足らずだ。
しかし、これは決して忘却されてはならない音なのだ。何故なら、これは、この地球上に確かに存在していた民族の、最初で最後の記録だからだ。

国立民族学研究所のスタッフの所に、掃除のおばさんが一羽のインコを持ち込んできたのは、半年前のことだった。おばさんは、そのインコが怪我をし て飛べないでいたのを保護して、獣医に診せ、自宅で世話をしていたのだけど、アパートでペットの飼育は禁止されていたので、あまり長く飼えないのだ、と 言った。管理人のお情けでインコの怪我が治る迄と言う期間限定で飼っていたのだ。インコが元気になると、おばさんはちょっと困った。インコは日本の野鳥で はないし、どうも暖かい国の鳥みたいなので、野外に放鳥するのは良くない、と考えたそうだ。ペット屋に持ち込むのは、なんとなく抵抗があったし、動物園 は、既にそう言う保護された鳥で手がいっぱいなのだそうで、鳥を託せる場所として、職場に持ち込んだ訳だ。
「何故、ここに?」
とスタッフが尋ねると、おばさんは真面目な顔で答えた。
「この鳥、外国語を喋るからです。」
確かに、ここは民族学の研究所で、私は言語学者だった。

緑色の綺麗なインコだったが、もうかなり歳を取っていた。片足でリンゴをつかんで囓るのが日課で、うつらうつらしていることが多かったので、おばさんが名付けた「うつら」をそのまま名前にした。
「うつら」は、おばさんが言ったとおり、何語かを喋った。さえずりではなく、確かに文法を持つ人語だった。食べ物をもらうと必ず二音節から成る一つの単語を発した。恐らく、「ありがとう」なのだろう、と思われたが、照合するにも似た単語を持つ言語がなかった。
 そこで、「うつら」のDNAを理学部に送り、棲息地を検索してもらった。その結果、「うつら」はアマゾン河流域の鳥だと判明した。アマゾンの原 生林には多くの先住民がおり、彼らは急速に減少している。外部からもたらされた病気で死んだり、開発に邪魔だと言うことで殺されたりするのだ。また、彼ら 自身も町へ出て、他の部族に吸収されてしまうこともあるだろう。
 アマゾンの言語を研究している現地の学者に聞いてもらう為に、「うつら」の声をCDに録音して、コピーを送った。あちらの学者も初めて聞く言語だと驚いていた。そして、さらにコピーを取って、各地で調査してくれたらしい。その結果、わかったこと・・・。

「87歳の老人が、昔奥地から嫁に来た母親が喋っていた言葉とよく似ていると言っていました。彼は、意味を理解出来るが、彼自身はもう喋れないそうです。その言語を喋っていた部族は、80年前に伝染病で死に絶えたんですよ。」

 老人が訳してくれた「うつら」の言葉。それは、

「ありがとう」
「神様に感謝します」
「獲物がたくさん捕れたよ」
「神様 助けてください」
「伝えてください 私たちがここにいたことを」

2013年1月2日水曜日

密談 2

「来月の入札の件でございますが・・・」

「うん?」

「是非、当店にお任せを・・・」

「うむ・・・考えぬでもないが、やはり、その、なんだな・・・」

「はいはい、心得ておりますとも。おい、例のものを・・・」

「おお! これは!」

「はい、今朝手に入ったばかりのピチピチの粒ぞろいでございます」

「なんと! 美しい・・・瑞々しい肌、芳しい香り・・・」

「それに熟れた果実・・・でございましょう?」

「むむむ・・・つまんでみたいものじゃ」

「指で触れられる程度でしたら・・・大事な商品ですから・・・しかし、お奉行がお望みとあらば、このままご自宅まで送らせて頂きますが・・・」

「い、いや、それには及ばぬ。もし、妻に見つかれば大変なことになる・・・」

「では、こちらで?」

「うむ・・・」

「でしたら、あちらにお部屋をご用意させますから、後でごゆっくりと・・・」

「ふふふふ・・・」

「喜んで頂けたようですなぁ。 では、次回の入札の件、よろしくお願い致します。ライバルのとよのか屋、さちのか屋には絶対に負けたくありませんから。」

「イチゴ屋、おぬしも悪よのぅ」

「お奉行・・・」

「わしは、仕入れ部長じゃ」

2012年12月31日月曜日

迷惑電話

「ねぇ、ちょっと聞いてよ。
うちの課の竹田課長の奥さんって、なんなの、この人は? って感じ。

 部屋の電球が切れたとか、クルマ屋さんから車検の案内が来たとか、どーでもいいことをわざわざ仕事中のダンナにかけてくるのよ。それも、後半時間もすればダンナの仕事が終わって、歩いて10分足らずのお宅にお帰りあそばすって時刻に。

 非常識にもほどがあるわ。いい歳して、いちいちダンナの指示を貰わなきゃ、何にも出来ないってわけ?
 それに、あの夫婦、携帯持ってるくせに、自分たちからは絶対にかけないのよ。私用にも会社の電話。

 こっちは早く仕事おいて帰りたいのに、しょーもないことで長々と夫婦会議なんだから、たまったもんじゃないわ。
 ねぇ、聞いてるの?」

「聞いてるわ。
 あのね・・・言いにくいんだけど、この内線、貴女からかかって来たってわかったから、保留にするつもりで、ボタン押したら、間違えて拡声にしちゃったの。だから、さっきの電話・・・」

「えっ・・・」

ガチャン、ツーツーツー・・・

魔の刻

 キョウコが嫁いだ村では、午後8時から午後9時まで女性は外を出歩いてはいけない決まりになっていた。
 だから村のしきたりを知る職場の経営者は、キョウコの村から通う女性従業員には残業させなかったし、村でも女性の夜間の会合を設けたりしなかった。
 何故なのか、キョウコは不思議だったが、誰に訊いても理由を教えてくれなかった。夫さえ、笑って誤魔化したし、姑は「いずれわかるよ」と言うだ けだった。キョウコは不満だった。隣村のカルチャー教室に通うことも、隣接する市の温水プールで美容講習も受けられなかったから。しかし、逆らって出よう とするものなら、家族全員が血相を変えて引き留めたので、玄関の戸を開けることさえ出来ない始末だった。男性は平気で、何故女性は駄目なのか? キョウコ はそれを古い因習の一つだとしか考えなかった。

 ある日、姑が遠方の親類に泊まりがけで遊びに行き、夫も帰宅が深夜になるとあらかじめわかっている夕方。キョウコは夕食を勤め帰りに外食で済ま せた。帰宅すると、7時50分を過ぎていた。ポストに回覧板が入っている。一旦玄関に入ってから、回覧を見ると、婦人会の共同購入の申込書で、キョウコは 最後から二番目だった。締め切りは今夜になっていた。
「サユリさんに持っていってあげなくては」
 単純に考えて、回覧板に判を押し、外に出た。木枯らしが吹き荒れる夜だった。サユリさんは姑より若いが、婦人会では長老格。その人に回覧を回せないのでは、後で何を言われるかわかったもんじゃない。

 キョウコは歩いて5分ほどのサユリさんの家を訪問した。玄関は施錠されていたが、チャイムを鳴らすとすぐに中で灯りが点いた。
「何方さん?」
「キョウコです。回覧、持ってきました。」
「あれ?こんな時間に・・・」
 鍵を開ける音がして、玄関の引き戸が少し開かれ、続いてキョウコは中に引きこまれた。
 サユリさんは直ぐに戸を閉めて、ちょっときつい目でキョウコを見た。
「この時間に外へ出ちゃいかんって、言われなかった? お義母さんは、平気であんたを外へ出したんかい?」
「お義母さんは今日は旅行でいないんです。主人も帰りが遅いし、この回覧は今夜で締めきりだから・・・」
 サユリさんは回覧を受け取り、溜息をついた。
「洗剤とあんたと、どっちが大事かいね? 仕方がないね、出てしまったんだもの。ちょっと待ってなよ。」
 サユリさんは奥に引っ込み、数分後に何か持ってきた。そしてキョウコの手にそれを握らせた。ひとつかみの米だった。
「外に出て、10歩歩いたら、それを後ろへ投げな。投げてしまうまで、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。投げたら、すぐに家まで走るんだ。立ち止まらないでね。」

 訳がわからぬまま、キョウコは外に出て、10歩歩いて、米を後ろに投げた。そして走った。走り出す瞬間に、チラッと後ろを見た。
 暗闇から白い手が出てきて、米を一粒一粒拾い上げていた。手には長い爪が生えていた。
 キョウコはゾッとした。夢中で走った。転びそうになりながら、家に駆け込み、玄関の戸を閉めて鍵を掛けた。
 ゴーッと風が吹き抜け、戸がガタガタ鳴って、またゾッとした。夫が帰る迄、怖くて怖くてテレビの音量を上げて布団に潜っていた。

 見たものの話は、夫にも姑にもしなかった。してはいけないと思った。
ただ、サユリさんには、礼を言っておいた。サユリさんは黙って頷いた。そして、「あの時間に出かける時は、必ず米か豆を一握り持ってお行き」と言った。「あれは、数えるのに夢中で、追いかけるのを忘れるから」

「あれ」が何者なのか、それは誰も知らないらしい。

2012年11月23日金曜日

待つ人

外は雨だ。閉店時間にはまだ間があったが、客はもう来ないだろう。店内には女性客が一人いるだけだ。

 彼女は早い時間にやって来た。二人用のテーブルについて食前酒を一杯注文して、それを時々思い出したようにちびちびやりながら誰かを待ってい た。白いシンプルなブラウスに淡いベージュのスーツ。どこかのOLに見えた。しきりに窓の外を見ていたが、外が暗くなり、ブラインドが下ろされると諦めた のか、窓を見なくなった。代わりに腕時計を見て、壁の飾り時計を眺め、何度も時間を確認していた。

 一時間たち、二時間たち、三時間たっても彼女の連れは現れず、雨の夜の少ない客たちは食事を終えて次々に店を出て行った。
 彼女の食前酒はすっかり温くなり、グラスの底にわずかに残るだけになってしまった。彼女の表情は固く冷たかった。
 店のスタッフたちは、もう店じまいしたがっていた。黙っているが、彼女をちらちらと見やる素振りが、それを告げていた。
 彼女も好きで待っているわけではないだろう。一度携帯電話を取り出したが、マナー違反だと気がついたのか、周囲に視線を走らせて、すぐにバッグ にしまった。外に出てかけるでもなく、本を読んだりすることもなく、紙ナフキンで無意味な形を折ったりして気を紛らわせているだけだった。

 店の電話が鳴った。出ると、男性の声が聞こえてきた。店名を確認してから、彼は尋ねた。
「安藤と言う女性はまだそちらにおりますでしょうか?もし、まだいたら、これに出して戴けませんか?」
 子機を持って、女性のそばに行った。
「安藤様でいらっしゃいますか?」
 女性は振り返り、電話を見て一瞬凍り付いた。そして頷くと、子機を受け取った。
 その場から離れて彼女が電話で話すのを視野の隅で見ていた。彼女の表情が次第に和らいで微笑みが浮かぶのに、そんなに時間を取らなかった。
 聞くつもりはなかったが、声は否応無く店内に響き、「手術」や「成功」と言う言葉が聞こえた。
 電話を終えた彼女が立ち上がり、こちらに頭を下げた。そばに行くと彼女は長居したことを謝罪した。
「いっこうにかまいませんよ。今夜は雨でお客様が少ないですから」
「でも、ご迷惑をおかけしました。」
「何かご注文なさいますか?」
 彼女はハッとして時計を見た。
「もう閉店時間なのではありませんか?」
「まだ半時間あります。」
「では・・・」
 彼女は少しためらってから決めた。
「バタートーストとコーヒーをお願いします。」
 厨房に戻ると、スタッフが言った。
「サラダとスープも付けちゃいますか?」
 テーブルで食べ物を待つ彼女の表情はすっかり安心しきったものに変わっていた。

 支払いの時に彼女がまた謝ったので、
「手術が成功して良かったですね。早く回復されますように」
と言うと、彼女は少し笑った。
「ええ、兄の患者が早く治ることを願っています。今日は兄が外科医として初めて執刀医になった日なんです。」

2012年2月16日木曜日

密談

車から降りると、取引相手もベンツから降りてきた。
 お互いに警戒しあいながら、相手なのだと確認しあう。

「誰にも見られたり、後をつけられなかっただろうな?」
「大丈夫だ。女房にすら気取られていない。」
「例のもの、持ってきたか?」
「勿論だ。そっちは? ちゃんとキャッシュも持ってきたんだろうな?」
「当然だ。金がなくちゃ、話にもならん」
「では、おまえの物を見せろ」
「いや、そっちが先だ」
「では・・・3で一緒に出そう。1・・・2・・・3!」

 二人は紙切れを互いの目の前に差し出した。

「ううう・・・ちょっと高いんじゃないのか?」
「これが現行の相場だ。仕方がないじゃないか、アメリカとの取引はまだ停止中なんだ。そちらこそ、ちょっと法外じゃないのか? 中国産で誤魔化すつもりじゃないだろうな?」
「馬鹿言え、これは正真正銘、丹波産だ」
「では、ブツを渡そう。そっちとの差額代金も払う」
「いいとも、これで助かった。品切れでにっちもさっちも行かなかったからな」

 二人の男は包みを交換した。

 丹波産松茸と近江和牛ロース肉である。

2012年1月19日木曜日

未完の大作

アイデアが湧き出るままに、創作に取りかかることがよくある。
 後から後から構想が沸いてきて、自分ではどうしようもなく、どんどん手が進む。
 かなり大量に出来上がったところで、突然、アイデアが涸れる。 どうしようもない、どんなに考えても、それ以上は何も出てこない。
 また、この作品は没なのか。
 完成されることもなく、世間に未発表のまま、朽ちていくだけなのだな・・・。




「ちょっと、誰よ、蜜柑で彫刻なんてしたのは??
 腐りかけているじゃない、さっさと棄てなさい!!!」

2011年9月27日火曜日

迷子

ピンポンパンポ〜ン♪

「ご来店中のお客様にお願い申し上げます。大泉純一郎ちゃんとおっしゃる3歳の男の子が迷子になっておられます。純一郎ちゃんは黄色いTシャツにグリーンの半ズボン、Tシャツには猫の模様が・・・」

店 内放送を耳にした咲子は、ふと胸騒ぎを覚えた。その格好の子供だったらさっき見かけたような・・・。素早く周囲に目をやってみたが見あたらなかった。スー パーマーケットとは言え、この地方都市ではデパート並の規模を誇る大型店舗だ。客数は市内一だし、土日には必ず二人や三人、迷子が出る。今日は平日で空い ていると言っても、子供にすれば自動車の心配が要らない広い遊び場だ。親が買い物をしている隙に走り回ってはぐれてしまったのだろう。

 でも、この胸騒ぎはなに?

 咲子が不安に襲われた時、咳払いが聞こえた。彼女は我に返った。彼女はレジ打ちの最中だったのだ。慌てて仕事に気持ちを切り替えた。
 客に釣り銭を手渡した時、視野の隅に黄色いTシャツが見えた。
「あら?」
 3歳くらいの男の子が男性に手を引かれて出口の方へ歩いて行くところだった。グリーンの半ズボン・・・。
 あれは父親かしら? でも、放送では「お母様が待っておられます」と言っていた。平日の昼間に家族で買い物? では、母親は? 
 イヤな気分が押し寄せてきた。どうしよう・・・追いかけて声をかけるべきか? それとも・・・。持ち場を無断で離れられないし、子供はもう外に出かけている。

 その時、商品管理係のユウナさんがバスケットを片づけにやってきた。咲子は急いで声をかけた。
「ユウナさん、あれ、あの子・・・」
 ユウナさんは咲子が指さした方向を見た。そして、咲子が言いたいことを瞬時に理解したみたいだった。
「迷子ちゃんね。」
 ユウナさんは一言そう言って、男の子と男性の後を追いかけて走っていった。

「咲子さんが見つけたんですよ。」
とユウナさんは店長に言った。
「子 供と男の人が不自然だって思ったんですって。でもレジから離れられないでしょう? だから、私、頼まれて確認に行ったんです。声をかけたら、男の人、慌て ちゃって、子供を家に届けるところだったとか言い訳して走って逃げてしまいました。危なかったです、最近誘拐が多いですからね。咲子さんが気づかなかった ら、大変なことになったかも知れません。」
 咲子は気恥ずかしくて赤くなって黙っていた。ユウナさんは頼まれて行動したんじゃない。ユウナさんもおかしいと気づいたんだ。だから、お手柄はユウナさんで、私じゃない・・・。
 ユウナさんと目が合った時、ニコッと笑ったので、咲子は何も言えなくなってしまった。
「だって、本当に咲子さんが先に気づいたんだもの。」
とユウナさんは言った。

 数日後、咲子は店の外を掃除していて、ユウナさんが知らない男と駐車場の端で向き合っているのを見つけた。何をしているのだろう、と不安になって近づくと、ユウナさんが男の顔の前に手をかざして声を出した。
「忘れるのよ。病気だったんだから。もう二度とあんなことはしないはず。」
男は頷いてくるりと回れ右すると駐車場から出て行った。
咲子はなんだかわからなくて、ユウナさんに声をかけた。
「何していたの?」
ユウナさんはちらっと咲子を見て答えた。
「ちょっとね。」
「知り合い?」
「そうでもないけど。もう会わないだろうし。」
時計を見て、ユウナさんはお弁当の時間だ、と言ってお店に戻って行った。

2011年9月2日金曜日

曼珠沙華

和歌山のある町には、彼岸になっても彼岸花を見ることがない。
こちらでは、秋になれば田圃の畦道に真っ赤な花が並ぶのに。
「昔、日本はアメリカと戦争をして」
と老女が語った。
「曼珠沙華の毒で毒薬爆弾を作ってアメリカに落とすんだ、そうすればアメリカに勝てる、と軍から通達があって、町中で曼珠沙華を掘り返して、供出した。
本気で勝てると信じていたのか、わからん。
だけど、町中の曼珠沙華はお国の為に出征して行った。
そんな訳だから、この町には、今でも彼岸花は咲かないんじゃ。」