2012年12月31日月曜日

すみれの花咲く頃

タカコはクラスで一番大柄な女の子で、気持ちも優しかった。中三ともなるとみんな気難しくなってきて、苛めや仲間はずれで受験の憂さを晴らしたりしていた ものだが、タカコは体同様に大きな心でどんな友達も受け入れた。仲間はずれにされたクラスメイトを自分の机に招いて一緒にお弁当を食べたし、誰かが喧嘩し て教室内が沈んでいたりすると明るい声で冗談を言ってみんなの気分を紛らわせた。みんなタカコには一目置いていて、他の友達に意地悪する連中も彼女には普 通につきあった。
 明るくて、穏やかで優しいタカコ。でも、みんな彼女の胸の内に秘めた野望に気づかなかった。

 ある日の下校途中でタカコは私に告白した。
「私、宝塚、受験したの」
 ちょっと意外だった。あの華やかなステージと地味な制服の中学生が結びつかなかったから。
「タカコちゃんは無理よ」
と母は私の話を聞いて言った。
「歌が上手でダンスを踊れても、タカコちゃんの顔は舞台向きじゃないわ。」
「どうして? タカコ、可愛いじゃない。」
「可愛いけど、こじんまりしてるじゃない。ヅカのスターを見てご覧なさい。みんな目も口も大きいじゃない。」
 確かに、タカコも顔は大きな体と対照的に慎ましやかな造作だった。可愛い目もぽっちゃりした唇も、お上品に小さかった。

 顔の作りの所為なのか、タカコは宝塚の受験に失敗し、普通の私学の女子高校に進学した。私とは学校は違ったが、家が近いので度々下校時のバスで一緒になり、その度に世間話をした。タカコはすっかり宝塚を忘れたように高校生活を楽しんでいた。だけど、そうではなかった。
 高三の時、彼女はまた言った。
「私、宝塚、もう一度挑戦するの。」
 すっかり奇麗な娘さんになっていたけど、やっぱり顔の作りはこじんまりしていた。そして、音楽学校は、彼女の二度目の挑戦も撥ね除けた。

 タカコは名門の女子短大に進み、そこで青春を楽しんだ。
 4年生大学に進学した私より先に社会に出た彼女は、もうヅカを受けたりしなかった。その代わり、市内では中堅クラスに入る旅行社に就職した。
「わたくし、こう言う者です。よろしく~♪」
 タカコは私に名刺をくれた。「ツアーメイト」と言う肩書きが名前の右肩に印刷されていた。
「なんの仕事?」
「添乗員よ。お客さんと一緒に旅行するの。しんどいこともあるけど、面白いのよ。いろんな所に行けるし、お客さんの前で歌ったり喋ったりするの、とっても楽しい♪」
スーツ姿のタカコは輝いて見えた。

「宝塚も馬鹿だね。」
と母が言った。
「タカコちゃんみたいな光ってる子に気づかないなんてね。」


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高井美佳さんの思い出に

ライオンに関するガセネタ

その1

ライオンと虎が闘ったら、どっちが強いか?
私はある時、アフリカで虎が野牛を倒して食べようとしているところを見つけた。クルマを停めて観察していると、そこに一頭のライオンが現れ、虎が 倒した野牛に近づいた。虎は当然取られまいとして吠える。ライオンも威嚇して吠える。両者は互いに譲らず、毛を逆立てて睨み合う。
そこで夕闇が迫り、危険なので私は已む無くその場を去らざる終えなかった。
勝負がどうなったのか、実に気になるところである。

その2

ハイエナが残飯漁りしか出来ないと言うのは、嘘である。
私がアフリカの草原をドライブしていた時、一頭のカモシカにハイエナが襲いかかった。ハイエナは長い死闘の末にカモシカを倒し、仲間を集めると食べ始めた。そこにライオンがやって来て、あろうことか、ハイエナたちを蹴散らし、肉を食べ始めた。
恥ずべき残飯漁りはライオンの方である。
ハイエナはさらに多くの仲間を呼び集め、次々とライオンに噛み付き、とうとうライオンも音を上げて逃げて行った。
私はハイエナが残飯漁りの汚名を返上するべきシーンを目撃したのだ。



「先生、虎はアフリカにいません。」
「それに、ハイエナの顎は獲物を噛み倒す力はないですよ。群れでライオンを追い払えても、一頭でカモシカを倒すのは無理です。」

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権威に騙されてはいけない。

迷惑電話

「ねぇ、ちょっと聞いてよ。
うちの課の竹田課長の奥さんって、なんなの、この人は? って感じ。

 部屋の電球が切れたとか、クルマ屋さんから車検の案内が来たとか、どーでもいいことをわざわざ仕事中のダンナにかけてくるのよ。それも、後半時間もすればダンナの仕事が終わって、歩いて10分足らずのお宅にお帰りあそばすって時刻に。

 非常識にもほどがあるわ。いい歳して、いちいちダンナの指示を貰わなきゃ、何にも出来ないってわけ?
 それに、あの夫婦、携帯持ってるくせに、自分たちからは絶対にかけないのよ。私用にも会社の電話。

 こっちは早く仕事おいて帰りたいのに、しょーもないことで長々と夫婦会議なんだから、たまったもんじゃないわ。
 ねぇ、聞いてるの?」

「聞いてるわ。
 あのね・・・言いにくいんだけど、この内線、貴女からかかって来たってわかったから、保留にするつもりで、ボタン押したら、間違えて拡声にしちゃったの。だから、さっきの電話・・・」

「えっ・・・」

ガチャン、ツーツーツー・・・

魔の刻

 キョウコが嫁いだ村では、午後8時から午後9時まで女性は外を出歩いてはいけない決まりになっていた。
 だから村のしきたりを知る職場の経営者は、キョウコの村から通う女性従業員には残業させなかったし、村でも女性の夜間の会合を設けたりしなかった。
 何故なのか、キョウコは不思議だったが、誰に訊いても理由を教えてくれなかった。夫さえ、笑って誤魔化したし、姑は「いずれわかるよ」と言うだ けだった。キョウコは不満だった。隣村のカルチャー教室に通うことも、隣接する市の温水プールで美容講習も受けられなかったから。しかし、逆らって出よう とするものなら、家族全員が血相を変えて引き留めたので、玄関の戸を開けることさえ出来ない始末だった。男性は平気で、何故女性は駄目なのか? キョウコ はそれを古い因習の一つだとしか考えなかった。

 ある日、姑が遠方の親類に泊まりがけで遊びに行き、夫も帰宅が深夜になるとあらかじめわかっている夕方。キョウコは夕食を勤め帰りに外食で済ま せた。帰宅すると、7時50分を過ぎていた。ポストに回覧板が入っている。一旦玄関に入ってから、回覧を見ると、婦人会の共同購入の申込書で、キョウコは 最後から二番目だった。締め切りは今夜になっていた。
「サユリさんに持っていってあげなくては」
 単純に考えて、回覧板に判を押し、外に出た。木枯らしが吹き荒れる夜だった。サユリさんは姑より若いが、婦人会では長老格。その人に回覧を回せないのでは、後で何を言われるかわかったもんじゃない。

 キョウコは歩いて5分ほどのサユリさんの家を訪問した。玄関は施錠されていたが、チャイムを鳴らすとすぐに中で灯りが点いた。
「何方さん?」
「キョウコです。回覧、持ってきました。」
「あれ?こんな時間に・・・」
 鍵を開ける音がして、玄関の引き戸が少し開かれ、続いてキョウコは中に引きこまれた。
 サユリさんは直ぐに戸を閉めて、ちょっときつい目でキョウコを見た。
「この時間に外へ出ちゃいかんって、言われなかった? お義母さんは、平気であんたを外へ出したんかい?」
「お義母さんは今日は旅行でいないんです。主人も帰りが遅いし、この回覧は今夜で締めきりだから・・・」
 サユリさんは回覧を受け取り、溜息をついた。
「洗剤とあんたと、どっちが大事かいね? 仕方がないね、出てしまったんだもの。ちょっと待ってなよ。」
 サユリさんは奥に引っ込み、数分後に何か持ってきた。そしてキョウコの手にそれを握らせた。ひとつかみの米だった。
「外に出て、10歩歩いたら、それを後ろへ投げな。投げてしまうまで、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。投げたら、すぐに家まで走るんだ。立ち止まらないでね。」

 訳がわからぬまま、キョウコは外に出て、10歩歩いて、米を後ろに投げた。そして走った。走り出す瞬間に、チラッと後ろを見た。
 暗闇から白い手が出てきて、米を一粒一粒拾い上げていた。手には長い爪が生えていた。
 キョウコはゾッとした。夢中で走った。転びそうになりながら、家に駆け込み、玄関の戸を閉めて鍵を掛けた。
 ゴーッと風が吹き抜け、戸がガタガタ鳴って、またゾッとした。夫が帰る迄、怖くて怖くてテレビの音量を上げて布団に潜っていた。

 見たものの話は、夫にも姑にもしなかった。してはいけないと思った。
ただ、サユリさんには、礼を言っておいた。サユリさんは黙って頷いた。そして、「あの時間に出かける時は、必ず米か豆を一握り持ってお行き」と言った。「あれは、数えるのに夢中で、追いかけるのを忘れるから」

「あれ」が何者なのか、それは誰も知らないらしい。

2012年12月30日日曜日

女形

 その日の演目は「蘆屋道満大内鑑」だった。女形が美しく、その妖艶な目配りの様や仕草に、男性だとわかっていても観客はみな惚れ惚れと見入っていた。理想の女性を男性が演じるのだから、本物の女性以上に魅力的なのは当たり前なのかも知れない。
 物語のクライマックス、正体を知られた葛の葉が別れの歌を障子に書こうとするのに幼い童子丸(後の安部晴明)がすがりついてくる。母親は我が子 を片手であやし、片手で字を書く。初めは右手で、やがて左手に筆を持ち替え、最後は息子を両手で抱きかかえ、口にくわえた筆を走らせる。

 観客は涙する。そして早変わりで白狐となった葛の葉が舞台袖に消えていくと、割れんばかりの拍手。
 芝居が終わって観客たちが席を立った。

「いつ見てもいい芝居だなぁ」
「女形が素晴らしいね。」
「上手だね。特に、最後の早変わり。」
「うん、あれは見事だ。あんなに速く狐に姿を変えられるなんて。」
「我々も、もっと修行しなければな。」

 口々に喋りながら、森へ消えていく狸たちだった。

恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉


**:

見たよね? 同級生たち、見たでしょ? 覚えてる?

空き地にいた怪獣

緩やかな丘の斜面に、二段になった空き地があった。上の空き地と下の空き地の境目は1メートルほどの土の土手で、雨が降ると土が流れ、えぐれた。その小さな峡谷は子供たちが行き来する通り道になった。
 子供の足で削られ、雨に流され、風でやすりをかけられ、土手は複雑な表情になった。
 ある時、峡谷と峡谷の間の突き出た所が、何かの顔に見えることに気付いた。

「怪獣だよ、怪獣の顔!」

 確かに、当時テレビで人気の着ぐるみ怪獣が出る子供番組に、よく似た怪獣が出ていた。 主人公の少年の友達で、少年は怪獣の頭に乗って移動するのだ。
 子供たちは早速そこに座って、しばしヒーローになった気分を味わった。

だけど土の怪獣は一つしかなかったから、取り合いもあった。子供が暴れると怪獣のホッペから土がぽろりと落ちた。
 誰かが目が欲しいと思い、怪獣の横顔に石をはめ込んだ。
 なんだかしまらない顔になってしまった。
 石をはずすと、さらに情けない空洞が出来て、そこからまた土がボロボロ落ちた。
 だんだん日を追う毎に怪獣は崩れていき、大雨が降った翌日、姿を消していた。

 ただの土塊になった土手の突っ張りを見て、子供たちは、やっぱり怪獣は本当はいないものなんだ、と思った。


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サリーさんの感想

「ただの土塊になった土手の突っ張りは、やっぱり怪獣は、おまえらだよ、と思った。」

発表の日(2話)

高校の発表の日、家中が落ち着かなかった。妹は私について来てくれと言う。母と一緒は、落ちた時に嫌なのだそうだ。叱られるにしても慰められるにしても、 母は言葉が多すぎる。だから、姉の私にいてもらった方が気が楽なのだと言い訳した。母も納得する。落ちた時に娘にどう対処して良いのかわからないのだ。
 妹が受験したのは私が通っている高校だから、私には通い慣れた道。往路、妹は落ちた場合の進路を自分でしゃべり続けた。滑り止めは受けていな い。彼女は中学浪人する覚悟だった。ちょっと悲壮感が漂うのは、その年の競争率が大変高かったからだ。妹の学年は生徒の人数がやたらと多かった。
 心配は無用で、妹は無事に合格していた。それでも彼女は掲示板で自分の番号を確認した途端、私に抱きついて感涙した。
 帰路は往路より饒舌で、入学したらどんな部活に入るかとか、どんな先生に出会えるか、とか希望に満ちた言葉が彼女の口から出た。
 自宅の最寄りの駅で降りた時、妹は大事なことを思い出した。
「中学校に報告しよう!」
 二人で母校に向かって歩き始めた。
「あ、BちゃんとCちゃんだ」
 妹の同級生が中学校の方角から歩いて来るのが見えた。
「あの子たちも報告してきたんだね」
「私、結果を聞いてくる!」
 幸福感でいっぱいの妹は走って行った。だが、途中で立ち止まり、道路を渡って反対側に行ってしまった。
 私の横を二人の少女が肩を抱き合うようにして通り過ぎて行った。どちらも俯いていたので妹には気づかなかった。
 やがて、私が妹のそばに行くと、彼女は道路を渡って戻って来た。
「泣いていたね。」
「うん。」
 それっきり妹は黙り込み、学校に向かって歩き続けた。

「春は残酷だ」

なにかで聞いた言葉だ。日本中で悲喜劇が繰り広げられる。
だけど、あの子たちが別の道を見つけたように、誰にでも選択肢は残されている。とくに、十代の人には。



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大学の合格発表の時、私は一人で行った。自信がなかった。
阪急六甲から長い坂を徒歩で上っていくと、向かい側から同じ高校のN君が降りてくるのと出会った。結果がどうだったのか、彼はジロリと私を睨んだだけですれ違った。
あれ、彼は落ちたのかしら? それとも、落ちたのは私で彼は慰めるのをためらった?
どきどきしながら上って行き、掲示板の前に行くと、まだ大勢いて騒いでいた。
私の番号があった!
何度も受験票と見比べて確認した。
やっと安心出来て、門を出ようとしたら、いきなり同じクラスのFさんが飛びついてきた。
「受かったね!おめでとう! 私も受かってん!」
びっくりした。Fさんは同じクラスだったが格別親しかった分けではなかった。それなのに、私に抱きついて喜んでいた。

幸せって、こう言うことなんだ。自分が幸せだと他人の幸せも素直に祝福出来るんだ。

「ねぇ、時間ある? ご飯食べに行こうよ! グラタン食べようよ♪」

きっとFさんは、合格したら三宮のレストランで好きなグラタンを食べる、と決めていたのだろう。高校では一緒にお弁当を食べたこともなかった私をお気に入りのお店に案内してくれた。

私のグラタン初体験となった♪

日溜まりの人

 バス停の横に空き家があって、軒下にあれ、臼かな? 灰色の丸い大きな石があったでしょ。
 一月前あたりから、そこに一人のお婆さんがいて座ってるのを見かけた。晴れた日の、日溜まりの中で日向ぼっこしてた。
バスに乗るとき、目があって、なにげに会釈したら、向こうも返してくれて、それから言葉は交わさないまま、会えば会釈した。どこのお婆さんなのか知らないが、多分近所に住んでいるのだろう。
いつも古い絣の着物をきちんと着込んで、髪の毛も綺麗に整えて、なんて言うヘアスタイルだろ、ほら、明治時代の女の人がよくしてたような。
優しそうな顔でね、にこにこしながら道路を走ってる車を眺めていた。
 だから、そのバス停のところで交通事故があって、女性のお年寄りが亡くなったって聞いた時、そのお婆さんかと思ってショックだった。町内会の連絡新聞で名前と住所を確認して、お葬式に行ってみた。
大勢の人が集まっていて、その人たちの会話で、亡くなったのは認知症が出ていた方で車の前に自分で飛び出したんだそうな。
あのお婆さんのイメージに合わないな、人違いだといいな、と思いつつ、解放された和室の中を見ると、故人の写真が祭壇に飾られていた。あのお婆さんによく似ていた。
哀しくて、そこを離れた。

 バス停に行くと、臼の上に、あのお婆さんが座っていた。
なんだか拍子抜けして、初めて「こんにちは」と声をかけた。
「こんにちは」とお婆さんが返事をしてくれた。
バス停の標識のそばに花束がいっぱい置かれていた。
それを見ていると、お婆さんが「有り難いことです」と言った。振り返ると、お婆さんが立ち上がった。
「みなさんに送って頂いて、本人も喜んでいることでしょう。最近は誰からも忘れ去られていると悲しんでおりましたから。」
と言った。
故人の知り合いなのか、と思った時、後ろで「お母さん」と呼ぶ声がした。お婆さんがそちらへ顔を向けてニコニコした。
「準備出来ましたね。さぁ、行きましょう。」
私の横を白い着物を着たもう一人のお婆さんが通り過ぎた。
あの写真のお婆さんだった。
そして日溜まりのお婆さんと手をつないで歩き始めた。
一度だけ、日溜まりのお婆さんが、こっちを振り返って笑顔で会釈してくれた。そして二人は西日の中に溶け込んで行った。

それっきり、日溜まりのお婆さんを見かけたことはない。

2012年12月8日土曜日

パキータさん

1.
某年某月某日

某国の某大学の医学部で実際にやりとりされた教授と学生の会話。

「今期の宿題として、人骨を一体分、組み立てて中間試験までに提出すること。
 骨は完全にそろっていなくてもよろしい。」

「先生、質問です。人骨は何処に行けば手に入りますか?」

「墓地に決まっているでしょう。
 墓地に行けば、セットで売っていますよ。」


2.
「ママ、墓地で骨買ってきたよ。
医大生セットで2,000ペソだって。」
「あら、汚い骨ね。誰の骨?」
「知らない。多分、寄せ集めよ。
歯科医大生セット とか、 標本セットとか、いろいろあったもの。
 ねぇ、提出する骨は真っ白でなきゃいけないんだって。
 ママ、この骨洗ってよ」
「どうして私が洗うの? 」
「だって、キッチンはママの場所だし、私は今夜書かなきゃいけないレポートがあるの。」




「ママ、骨がボロボロになってる!」
「ごめん、ハイターが多すぎたんだわ。
でも、大方、綺麗に白くなったんだから、我慢なさい。」
「はぁい、じゃ、これを組み立てるわね。」

3.
遂に立派な骨格標本が完成しました。

「折角、人の形になったのだから、これからは、”骨”と呼ぶのは止めようよ。」
「じゃぁ、何て呼べばいいのかしら?」
「もう名前、考えてあるの。
 パキータ
 って言うのよ。明日提出するわ。」




「ママ、試験、合格したわ。パキータのお陰よ」
「おめでとう。  だけど、どうしてパキータが、貴女の後ろにいるの?」
「だって、学校には必要ないじゃない。医大生全員が骨格標本寄付したら、学校は骸骨だらけでしょ。」
「それで、どうすの?」
「何が?」
「パキータよ」
 
4.
「うちには、金魚3匹、ねこ2匹、鼠多数に、娘2匹、だんな1匹いるのよ。
 ママは骸骨の面倒まで見られませんよ」
「パキータは何も食べないし、トイレ行かないし、出歩いて汚れたりしないから、世話かからないわよ」
「でも、お手伝いさんが間違えてスープ作るのに使っちゃたら困るでしょ。」
「その前に、気絶するかもよ」
「ゴミに出しても駄目よ。もし、警察が見つけて殺人事件だなんて思われたら、大変ですからね」
「う~~ん、元は複数の人間だからなぁ・・・大量殺人になるね」
「そんな次元の話じゃありません」


5.
「いっそのこと、うちのお墓に入れてしまおうか、パキータさん」
「ママとパパは構わないけど、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんは何て言うかしら。」
「そりゃ、駄目って言うに決まってるわ。」





「ママ、ママ、パキータのお嫁入りが決まったわよ!!」
「お嫁入り??」
「新入生が入学してきたから、売りつけたんだ!1,800ペソで交渉成立。」
かくして、骸骨標本のパキータさんは、ブエノスアイレス大学医学部の学生たちに代々(?)受け継がれることになりました・・・・・と言う話は聞かない。

-----終わり

帰り道

バス停から家までの道は、少し距離がある。街からそのバス停までは住宅街が続いているのに、バス停から我が家までの間は松林と畑と門から建物まで距離がある大きなお屋敷しかない。
 昼間でも人通りが少ない。バスの到着の前後だけに人は集中して通る。だから、この道でかつて下校途中の女の子が悪い人に襲われて気の毒な目に遭わされたことがあった。
 夕刻、バスから降りて薄暗い道を歩き出すと、後ろから足音が近づいてきた。視野の隅に小学生の男の子がいた。足を速めると、彼も速める、速度を落とすと、彼も落とす。つかず離れず付いてくる。

 ふと、数日前の新聞の見出しを思い出した。
「小学生がひったくり」
「つかまえて見れば、五年生」

 そんなはずはない、と否定してみても、不安は拭えない。嫌な世の中になったものだ。子供を警戒しなきゃならないなんて。
 
 子供の息づかいがすぐ後ろで聞こえる。こちらは、自然と早足になる。子供はぴったり付いてくる。
 丁字路にさしかかった。不意に子供が前に回り込んできた。ギョッとしていると、向こうから声をかけて来た。

「お姉さん、右へ行くの、左へ行くの。」
 ドキドキしながらも答えた。
「左だけど・・・」
 
 子供はふうんと言った。
「僕は右へ行かなきゃいけないの。じゃね、ばいばい!」
 そしていきなり駆けだして行った。

 ああ、私は馬鹿だった。怖かったのは、あの子も同じだったんだ。私が勝手にあの子を疑って警戒していた時に、あの子は私を唯一人の頼れる大人として必死で遅れまいと付いてきていたのだ。
 せめて、こう言ってあげればよかった。

「気を付けて帰るのよ。」と。

神の手 ?

 フランク何某を知っているか?
下の名前はどうでも良い。名乗る度に変わっていたから。
フランクは場末のバーやダイナーでピアノを弾く流しのピアニストだった。店に収入の半分を納めて、店の客から心付けをもらって弾く。それで暮らしていた。

 変わった男だった。モーツァルトを弾かせると、客は聞き入って食事を忘れてしまう。まるでモーツァルトその人が弾いているみたいだ、なんて言う ヤツもいた。しかも、フランクは自分が作曲した曲を混ぜてしまうのだが、誰も気づかない。モーツァルトの未発表の曲だと思ってしまうのだった。
 ベートーベンを弾かせても同じ、バッハだって、シューベルトだって、ワーグナーだって、グレン・ミラーだってガーシュインだって、まるで作曲家その人が弾いてる、と思わせるほど人々の耳を惹きつけた。
 そんな凄いヤツがどうして無名だったかって? それは、フランクが有名になりたくなかったからだ。一カ所に一週間も居着かなかった。固定客がつきかけると、慌てて荷物をまとめて町を出て行った。だから、俺は彼のピアノが聞きたくなったら、探し回らなければならなかった。

一度聞いてみたことがある。
「どうして逃げるんだ?」
「自由に弾きたいからさ。」
と彼は言った。
「モーツァルト風やガーシュイン風の曲をどんどん書けるのに、何故発表しないんだ?」
「俺が書いたんじゃないからさ。」
「では、誰が?」
「あんたが、さっき言ったじゃないか。」
彼はいつも謎めいていた。

 そして、二年前のクリスマスの夜、彼は川岸のレストランで、シューベルトの交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」を”完成した”状態で弾いてのけたんだ!
それが、俺が彼のピアノを聞いた最後だった。

 年明けに、彼は墓地の裏の路地で、玩具のピアノを抱いた状態で凍死していた。
 
 彼の古ぼけたトランクには、手書きの楽譜がいっぱい詰められていた。
驚いたことに、それらは、全て、過去の大作曲家たちが残した現存する楽譜の筆跡と全く同じ筆跡による「新曲」だった・・・。

フランクは何者だったのだろう。

小さなギリシア

「折角神戸の大学にいるんだから、世界の料理食べないと、損だと思わないか?」
と栗山先輩が言った。小田先輩がニヤニヤしながら、
「世界中を歩き回った男が、今更何を言うか」
と突っ込んだが、結局教授も巻き込んで一回生から四回生まで研究会の会員10名に留学生二名、部屋のメンバー全員で神戸で唯一軒のギリシア料理店に出かけた。

 名前を「ギリシア村 Greek Village」と言った。 船乗りだったギリシア人のオーナーが、陸に上がって開いた店。常夜灯の様な赤暗い照明に、テーブルの蝋燭の灯りが、古いビルの中だと言うことを暫し忘れさせた。入り口のクロークで持ち物一切を預ける。
 Tシャツにジーパン、どた靴の貧乏学生の団体に、白人のウェイターが頭を下げた。店員は全員白人だった。本物のギリシア人なのかどうか、詮索する客はいなかった。

 料理は、前菜からして物凄い量だった。正直、前菜で満腹してしまったが、生まれて初めてのフルコースだったので、意地で食べた。テーブルマナーは隣のエレーナを見よう見まねで・・・。
教授がブラジル旅行でアマゾンの洪水に遭遇した話をしていた。しかし、こちらは、食べるのに精一杯で、感想を述べる余裕はない。教授のお相手は先輩に任せた。
 前菜の後はスープ(フレンチの様な上品な量ではない!)、魚、サラダ、と続く。テーブル中央の大きな篭にはパンが山盛り。好きなだけ喰え! と言う訳だ。
 メインディッシュは、巨大な鉄鍋で煮込んだトマト味の牛肉の固まり。鍋のままテーブルにドンと置かれて、ウェイターが取り分けてくれた。
 そんなに要らないよ、言いたいが、美味しいので食べてしまう。
「最後はデザート」
「何かな?もう入らないよ」
「大丈夫、アイスクリームよ。こんなに食べたんだもの」
 エレーナの楽観は見事に外れ、分厚く幅広いシナモン風味のナッツパイがどっしりと皿に鎮座して運ばれてきた。街のケーキ屋さんのショートケーキ2個分はあったかな?

 これだけ食べて3000円だった。帰りは、喫茶店に立ち寄ったが、もうレモンティーしか入らなかった。
(なぜ、みんなパフェやらチーズケーキやら注文出来るの?)

 後日、友人と二人でお昼を食べに行った。日本人客は私たちだけで、あとは全員白人だった。ギターを弾いている客もいた。 そこは、確かにギリシア的空間だった。店から一歩出れば、日本人がうようよ歩いている商店街だったが、店内の空気は別物に感じられた。

 テレビでも紹介され、旅行ガイドブックやグルメ本にも載ったその店は、いつのまにか消えた。 ひっそりと。
店があった場所はその後次々と持ち主が変わり、やがて震災でビルは倒壊し、更地になった。


「わたしたちは元気です」
 震災後、暫くして目にした新聞広告だ。出したのは、老舗のレストランのオーナーたち連名。 今まで敷居が高かった名店が、材料の確保も熱源確保も困難な期間に炊き出しで市民を励ました。
「○○のお粥が無料だって!」
「XXのスープ配給?!」
 世界の味の炊き出しだった。 しかし、ギリシアの味はなかった。

オーナーはギリシアに帰ったのだろうか。 兎に角、あの悲劇を体験せずに店を閉めてくれたことが、ファンにとっては慰めだ。
 震災で多くの老舗が被害を受けた。立ち直れなかった店も多い。今新しい名所が次々と紹介されているが、その店が”本物”になれるには、もっと時間が必要だろう。そこへ行けば、何か特別なことがあると思える店。