2013年8月14日水曜日

赤竜 1

プロローグ

 館の中は血の匂いでむせ返る様だった。ブロンドの女鬼は兵士と召使いを食い殺してしまうと、手にこびりつ いた血を嘗めながら奥の部屋へと進んだ。木製の寝台に藁を敷いて寝ている若い男を彼女は戸口で眺めた。若者は熟睡していた。広間で起こった惨劇を知らず に、鬼が放った妖気によって深い眠りに落ちていたのだ。壁に取り付けられた松明の薄暗い明かりに、彼の寝顔が照らされていた。女鬼は彼を直ぐに食ってしま おうか、少しいたぶってやろうかと、迷いながら寝台に近づいた。男は彼女の一族を殺したのだ。昔からこの土地を支配していた彼女の一族を追い払おうとした 人間共に雇われた余所者だ。彼女には彼を食らう正統な理由があった。若者はまだあどけない表情さえ残していた。何故こんなガキに一族が倒されたのか、彼女 は理由がわからなかったが、今目の前で彼は無防備を曝していた。人間とは他愛ないものよ、と彼女は思いつつ、寝台の脇に身を屈め、男に顔を近づけた。その 時、何者かが彼女の上に影を落とした。彼女は顔を上げる前に後ろへ跳び下がった。
 寝台の向こうに若い女が立っていた。女鬼は不機嫌に唸った。その女はほんの少し前までそこにはいなかったのだ。炎のように赤い髪と血のように赤い目と赤 い鱗状の鎧を身につけた女だ。鬼が牙を剥き出して威嚇しても、彼女は動じなかった。寝台の上の男を守るかの様に立って女鬼を見つめた。鬼は血だらけの両手 を振り上げた。鋭い爪で赤い女を裂くつもりだった。しかし、その目に松明の明かりが壁に落とす赤い女の影が映った。鬼はもう一度牙を剥いて威嚇したが、そ れは獲物の確保ではなく、彼女自身の防御が目的だった。赤い女が手を動かした。鬼は素早く身を翻し、板張りの窓を突き破って屋外へ飛び出した。
 物音と冷たい風に、男が目覚めた。何が起こったのか、掴めぬまま、彼は寝台の藁の下に置いた剣を手に取り、広間に走った。そこは血の海だった。生きてい る者は誰もいなかった。鬼が現れたのだ、と彼は悟った。生き残ったのは彼唯一人だった。彼は寝台に駆け戻り、身の回りの物を手早く袋に詰め込んだ。枕代わ りにしていた古い書物も衣服にくるんで入れた。この本は先祖代々伝わる大切な家宝だ。彼が信仰する神の教会ではその種の書を読むことは異端として禁じられ ていたが、彼の一族は大切に隠し守ってきた。鬼が出る館に残す訳にはいかなかった。手早く身支度を済ませると、彼は松明を壁からはずして、厩へと駆けだし た。

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