キョウコが嫁いだ村では、午後8時から午後9時まで女性は外を出歩いてはいけない決まりになっていた。
だから村のしきたりを知る職場の経営者は、キョウコの村から通う女性従業員には残業させなかったし、村でも女性の夜間の会合を設けたりしなかった。
何故なのか、キョウコは不思議だったが、誰に訊いても理由を教えてくれなかった。夫さえ、笑って誤魔化したし、姑は「いずれわかるよ」と言うだ けだった。キョウコは不満だった。隣村のカルチャー教室に通うことも、隣接する市の温水プールで美容講習も受けられなかったから。しかし、逆らって出よう とするものなら、家族全員が血相を変えて引き留めたので、玄関の戸を開けることさえ出来ない始末だった。男性は平気で、何故女性は駄目なのか? キョウコ はそれを古い因習の一つだとしか考えなかった。
ある日、姑が遠方の親類に泊まりがけで遊びに行き、夫も帰宅が深夜になるとあらかじめわかっている夕方。キョウコは夕食を勤め帰りに外食で済ま せた。帰宅すると、7時50分を過ぎていた。ポストに回覧板が入っている。一旦玄関に入ってから、回覧を見ると、婦人会の共同購入の申込書で、キョウコは 最後から二番目だった。締め切りは今夜になっていた。
「サユリさんに持っていってあげなくては」
単純に考えて、回覧板に判を押し、外に出た。木枯らしが吹き荒れる夜だった。サユリさんは姑より若いが、婦人会では長老格。その人に回覧を回せないのでは、後で何を言われるかわかったもんじゃない。
キョウコは歩いて5分ほどのサユリさんの家を訪問した。玄関は施錠されていたが、チャイムを鳴らすとすぐに中で灯りが点いた。
「何方さん?」
「キョウコです。回覧、持ってきました。」
「あれ?こんな時間に・・・」
鍵を開ける音がして、玄関の引き戸が少し開かれ、続いてキョウコは中に引きこまれた。
サユリさんは直ぐに戸を閉めて、ちょっときつい目でキョウコを見た。
「この時間に外へ出ちゃいかんって、言われなかった? お義母さんは、平気であんたを外へ出したんかい?」
「お義母さんは今日は旅行でいないんです。主人も帰りが遅いし、この回覧は今夜で締めきりだから・・・」
サユリさんは回覧を受け取り、溜息をついた。
「洗剤とあんたと、どっちが大事かいね? 仕方がないね、出てしまったんだもの。ちょっと待ってなよ。」
サユリさんは奥に引っ込み、数分後に何か持ってきた。そしてキョウコの手にそれを握らせた。ひとつかみの米だった。
「外に出て、10歩歩いたら、それを後ろへ投げな。投げてしまうまで、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。投げたら、すぐに家まで走るんだ。立ち止まらないでね。」
訳がわからぬまま、キョウコは外に出て、10歩歩いて、米を後ろに投げた。そして走った。走り出す瞬間に、チラッと後ろを見た。
暗闇から白い手が出てきて、米を一粒一粒拾い上げていた。手には長い爪が生えていた。
キョウコはゾッとした。夢中で走った。転びそうになりながら、家に駆け込み、玄関の戸を閉めて鍵を掛けた。
ゴーッと風が吹き抜け、戸がガタガタ鳴って、またゾッとした。夫が帰る迄、怖くて怖くてテレビの音量を上げて布団に潜っていた。
見たものの話は、夫にも姑にもしなかった。してはいけないと思った。
ただ、サユリさんには、礼を言っておいた。サユリさんは黙って頷いた。そして、「あの時間に出かける時は、必ず米か豆を一握り持ってお行き」と言った。「あれは、数えるのに夢中で、追いかけるのを忘れるから」
「あれ」が何者なのか、それは誰も知らないらしい。
だから村のしきたりを知る職場の経営者は、キョウコの村から通う女性従業員には残業させなかったし、村でも女性の夜間の会合を設けたりしなかった。
何故なのか、キョウコは不思議だったが、誰に訊いても理由を教えてくれなかった。夫さえ、笑って誤魔化したし、姑は「いずれわかるよ」と言うだ けだった。キョウコは不満だった。隣村のカルチャー教室に通うことも、隣接する市の温水プールで美容講習も受けられなかったから。しかし、逆らって出よう とするものなら、家族全員が血相を変えて引き留めたので、玄関の戸を開けることさえ出来ない始末だった。男性は平気で、何故女性は駄目なのか? キョウコ はそれを古い因習の一つだとしか考えなかった。
ある日、姑が遠方の親類に泊まりがけで遊びに行き、夫も帰宅が深夜になるとあらかじめわかっている夕方。キョウコは夕食を勤め帰りに外食で済ま せた。帰宅すると、7時50分を過ぎていた。ポストに回覧板が入っている。一旦玄関に入ってから、回覧を見ると、婦人会の共同購入の申込書で、キョウコは 最後から二番目だった。締め切りは今夜になっていた。
「サユリさんに持っていってあげなくては」
単純に考えて、回覧板に判を押し、外に出た。木枯らしが吹き荒れる夜だった。サユリさんは姑より若いが、婦人会では長老格。その人に回覧を回せないのでは、後で何を言われるかわかったもんじゃない。
キョウコは歩いて5分ほどのサユリさんの家を訪問した。玄関は施錠されていたが、チャイムを鳴らすとすぐに中で灯りが点いた。
「何方さん?」
「キョウコです。回覧、持ってきました。」
「あれ?こんな時間に・・・」
鍵を開ける音がして、玄関の引き戸が少し開かれ、続いてキョウコは中に引きこまれた。
サユリさんは直ぐに戸を閉めて、ちょっときつい目でキョウコを見た。
「この時間に外へ出ちゃいかんって、言われなかった? お義母さんは、平気であんたを外へ出したんかい?」
「お義母さんは今日は旅行でいないんです。主人も帰りが遅いし、この回覧は今夜で締めきりだから・・・」
サユリさんは回覧を受け取り、溜息をついた。
「洗剤とあんたと、どっちが大事かいね? 仕方がないね、出てしまったんだもの。ちょっと待ってなよ。」
サユリさんは奥に引っ込み、数分後に何か持ってきた。そしてキョウコの手にそれを握らせた。ひとつかみの米だった。
「外に出て、10歩歩いたら、それを後ろへ投げな。投げてしまうまで、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。投げたら、すぐに家まで走るんだ。立ち止まらないでね。」
訳がわからぬまま、キョウコは外に出て、10歩歩いて、米を後ろに投げた。そして走った。走り出す瞬間に、チラッと後ろを見た。
暗闇から白い手が出てきて、米を一粒一粒拾い上げていた。手には長い爪が生えていた。
キョウコはゾッとした。夢中で走った。転びそうになりながら、家に駆け込み、玄関の戸を閉めて鍵を掛けた。
ゴーッと風が吹き抜け、戸がガタガタ鳴って、またゾッとした。夫が帰る迄、怖くて怖くてテレビの音量を上げて布団に潜っていた。
見たものの話は、夫にも姑にもしなかった。してはいけないと思った。
ただ、サユリさんには、礼を言っておいた。サユリさんは黙って頷いた。そして、「あの時間に出かける時は、必ず米か豆を一握り持ってお行き」と言った。「あれは、数えるのに夢中で、追いかけるのを忘れるから」
「あれ」が何者なのか、それは誰も知らないらしい。
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