2012年11月23日金曜日

待つ人

外は雨だ。閉店時間にはまだ間があったが、客はもう来ないだろう。店内には女性客が一人いるだけだ。

 彼女は早い時間にやって来た。二人用のテーブルについて食前酒を一杯注文して、それを時々思い出したようにちびちびやりながら誰かを待ってい た。白いシンプルなブラウスに淡いベージュのスーツ。どこかのOLに見えた。しきりに窓の外を見ていたが、外が暗くなり、ブラインドが下ろされると諦めた のか、窓を見なくなった。代わりに腕時計を見て、壁の飾り時計を眺め、何度も時間を確認していた。

 一時間たち、二時間たち、三時間たっても彼女の連れは現れず、雨の夜の少ない客たちは食事を終えて次々に店を出て行った。
 彼女の食前酒はすっかり温くなり、グラスの底にわずかに残るだけになってしまった。彼女の表情は固く冷たかった。
 店のスタッフたちは、もう店じまいしたがっていた。黙っているが、彼女をちらちらと見やる素振りが、それを告げていた。
 彼女も好きで待っているわけではないだろう。一度携帯電話を取り出したが、マナー違反だと気がついたのか、周囲に視線を走らせて、すぐにバッグ にしまった。外に出てかけるでもなく、本を読んだりすることもなく、紙ナフキンで無意味な形を折ったりして気を紛らわせているだけだった。

 店の電話が鳴った。出ると、男性の声が聞こえてきた。店名を確認してから、彼は尋ねた。
「安藤と言う女性はまだそちらにおりますでしょうか?もし、まだいたら、これに出して戴けませんか?」
 子機を持って、女性のそばに行った。
「安藤様でいらっしゃいますか?」
 女性は振り返り、電話を見て一瞬凍り付いた。そして頷くと、子機を受け取った。
 その場から離れて彼女が電話で話すのを視野の隅で見ていた。彼女の表情が次第に和らいで微笑みが浮かぶのに、そんなに時間を取らなかった。
 聞くつもりはなかったが、声は否応無く店内に響き、「手術」や「成功」と言う言葉が聞こえた。
 電話を終えた彼女が立ち上がり、こちらに頭を下げた。そばに行くと彼女は長居したことを謝罪した。
「いっこうにかまいませんよ。今夜は雨でお客様が少ないですから」
「でも、ご迷惑をおかけしました。」
「何かご注文なさいますか?」
 彼女はハッとして時計を見た。
「もう閉店時間なのではありませんか?」
「まだ半時間あります。」
「では・・・」
 彼女は少しためらってから決めた。
「バタートーストとコーヒーをお願いします。」
 厨房に戻ると、スタッフが言った。
「サラダとスープも付けちゃいますか?」
 テーブルで食べ物を待つ彼女の表情はすっかり安心しきったものに変わっていた。

 支払いの時に彼女がまた謝ったので、
「手術が成功して良かったですね。早く回復されますように」
と言うと、彼女は少し笑った。
「ええ、兄の患者が早く治ることを願っています。今日は兄が外科医として初めて執刀医になった日なんです。」

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