2015年3月13日金曜日

震災の思い出 6

震災の思い出 6

田井南の交差点で左折して県道65号線を走ります。
この頃には渋滞が始まっていてスピードが落ちました。
明石ゴルフ倶楽部の中を通る道ですが、当時はまだ狭くて場所によっては離合が困難な幅もありました。
ゴルフ倶楽部のゲートが開いていました。
門扉のそばに立て看板が置いてありました。
「温かいお食事あります。
お風呂も入れます。
どうぞお気軽にご利用下さい。」
そんな感じのことが書いてありました。
なんだかじーんときました。

65号線は現在52号線と立体交差になっていますが、当時は一旦52号線に入って少し南下してから福谷で左折し、もう一度65号線単独になります。
うねうねと蛇行した細い県道を自動車の列が連なっていました。

私の前にいたのは小型のトラックで荷台に木製の細長い木箱をいくつか立てて積んでいました。
ロッカーの様にも見えたのですが、ある時点で突然それが何なのか判明しました。
真新しい棺でした。
犠牲者の数が増えるにつれて棺の数が足りなくなったのでしょう。
どこかの遺体安置所に運んで行くところだったのです。
私はずっと棺の後をついて走っていたのです。

アスファルトには地割れが続いていました。
ぱっくり開いたままの箇所があり、大きくはないのですが渋滞で割れ目の上に停車しなければならないのは気持ちが悪いことで、みんな地割れに停まりそうになると前の車にぎりぎり寄せました。

自宅から実家まで、当時の道路事情では片道2時間だったのですが、その日は3時間かかりました。

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