震災の思い出 4
JR加古川線は普段はガラガラで利用者の少ないローカル線です。
でも震災で東海道本線と山陽本線、私鉄各社が不通になったために、明石以西の人が大阪方面に行くのに播但線や加古川線で一旦京都府の福知山方面へ行き、そこから大阪へ行くと言う手段が使われました。
「震災の時だけやなぁ、加古川線が満員になったんは」
と今でも語りぐさになっています。
自動車も神戸を通れないので丹波を通って京都から大阪・奈良方面へ抜けなければなりませんでした。
我が社の運転手は毎日奈良へ配達に行きますが、「あの時は過労で死ぬかと思った」と言っていました。
夜になると一般車両は通行止めの中国自動車道を遠くから応援の車輌が走ってくるのが見えました。
品川ナンバーのパトカーや救急車が赤い廻転灯を点滅させながら何台も何台も滝野社ICを降りて来ました。
それを見たお年寄りが「有り難いねぇ、兵庫のために全国から助けに来てくれる」と呟いて手を合わせていました。
JR加古川線は普段はガラガラで利用者の少ないローカル線です。
でも震災で東海道本線と山陽本線、私鉄各社が不通になったために、明石以西の人が大阪方面に行くのに播但線や加古川線で一旦京都府の福知山方面へ行き、そこから大阪へ行くと言う手段が使われました。
「震災の時だけやなぁ、加古川線が満員になったんは」
と今でも語りぐさになっています。
自動車も神戸を通れないので丹波を通って京都から大阪・奈良方面へ抜けなければなりませんでした。
我が社の運転手は毎日奈良へ配達に行きますが、「あの時は過労で死ぬかと思った」と言っていました。
夜になると一般車両は通行止めの中国自動車道を遠くから応援の車輌が走ってくるのが見えました。
品川ナンバーのパトカーや救急車が赤い廻転灯を点滅させながら何台も何台も滝野社ICを降りて来ました。
それを見たお年寄りが「有り難いねぇ、兵庫のために全国から助けに来てくれる」と呟いて手を合わせていました。
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